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キャロル考

 

 エリカ・フォルダンは思う。輝聖(きせい)リトル・キャロルは、何を考えているのかよく分からない。


 二人旅となって(しばら)く経つが、キャロルの内面が一向に見えて来ない。


 キャロルはあまり喋る方ではない。旅に出る前はそうした印象がなかったが、2人きりになるとそれが目立った。ウィンフィールドでは竜を倒すための手段を教えるという名目があったから、あれこれ話してくれていたのであって、本来は口数が少ない方なのだろう。


 キャロルはいつも気怠(けだる)そうに煙草を吸いながら本を読んでいる。こちらから何か話題を振れば話はするが、彼女から話しかけてくれる事はあまりない。


 なので、エリカは不安な日々を過ごしている。キャロルは己と一緒にいて楽しいのだろうか。本当は迷惑だと思っているんじゃないだろうかと、思い悩む。


 決して素っ気ないわけではない。無愛想なのは知っていたから、まあこれも愛想がないの範疇(はんちゅう)なのだと思う。でもやはり、不安は不安だ。穴の空いた柄杓(ひしゃく)で水を(すく)っている感覚と言えばよいか、とにかく一緒にいて手応えがない。


 ウィンフィールドを出る際、キャロルは『マリアベルの誤解が解けた』と少しばかり嬉しそうにしていたが、成程(なるほど)、誤解されやすい性格をしているのは良く分かった。


 さて、エリカはキャロルとずっと旅を続けたい。なので、キャロルをずっと好きでいる必要がある。だから、少しでもキャロルを理解する為に、彼女の生態について観察する事にした。


 ──のだが、思った以上にリトル・キャロルは不可思議な人物であった。結論から言えば、彼女にはまるで生活感というものがない。


□□


 まず、キャロルはいつ寝ているのかが分からなかった。


 街道を歩いていた際、道を逸れた場所にあった大きな(かし)の木、その周囲に点在する真新しい墓から、のそのそと動屍(ゾンビ)が這い出てきた。正しく埋葬されていなかったのだろう。街道にはちょうど商隊が通っていたので、キャロルらはそれを護りながら闘った。


 誰かを護りながら戦うというのは気を使う。体も疲れるが、とにかく神経が()り減る。敵を全て倒した後は、エリカは立ち上がれないくらいにヘトヘトになってしまった。


 その後、村巷の宿屋に辿り着いたが、エリカは休憩がてら寝台に横になると、食事も取らずにすこんと寝てしまった。


 夜半になって浅く覚醒したが、キャロルはまだ起きていたようだし、翌朝エリカが目覚める頃にはキャロルも起きて本を読んでいた。同じく疲れているはずなのに、不思議である。


 悔しかったので、いつ寝ているのかを突き止めるために、出来るだけ起きてみる事にした。


 だがやはりキャロルはエリカが寝るまで起きていて、エリカが起きる頃には活動を開始している。なんと鶏卵と鹹豚肉(ベーコン)を焼いて朝食まで準備してくれていた。


 そして昨日。ボーフォート子爵領、ハドソン山の(ふもと)にある街スレイローの宿にて。エリカ・フォルダンは決死の不眠に踏み切った。


 夜が更けて(まぶた)が閉じそうになったら、己の太腿(ふともも)をつねり、頬を叩いた。薄荷(ミント)を潰して目の下に塗り、眠くても寝れないようにした。


 エリカは、さあ寝顔を見せよ、とキャロルの隣に座り続け、目を爛々(らんらん)と光らせて彼女が眠るのを待った。ひたすらに待った。


 結果、キャロルは一睡もせず、本を参考に術式を紙に書き起こしたり、聖水を作るなどしていた。無念である。目の下の(くま)が増えただけであった。


「キャロルさんはいつ寝てるんですか?」


「え? まあ適当に……」


 聞いても納得できる答えは返ってこない。


 その後、エリカなりに調べてみたが短眠者(ショートスリーパー)と呼ばれる人たちは寝なくても大丈夫らしい、という所に落ち着いた。確かに、人が寝てる間も勉強したり鍛錬したり出来るのだから、他人より優れているのも頷ける。


□□


 食べるものも同様に生活感がない。リトル・キャロルは基本的に毎日同じものしか食べないのだ。朝昼晩、ポタージュとパンである。


 二人で飯を作る時にもポタージュとパンであるし、食堂や酒場で食事をする時もポタージュとパンだ。エールを飲む時もあるが、それでも共にあるのはポタージュとパンで、ポタージュが無い店であれば妥協(だきょう)してスープを頼む。


 エリカに対してだけは、良いものを食べろ、と言って肉や野菜、魚、牛乳などで一品を調理してくれる事も間々あるが、やはりキャロル自身の食事はポタージュとパンだけなのだった。


 ちなみにキャロルがポタージュを作る時は、鹿骨もしくは仔牛(こうし)の骨と葡萄酒を主にして、具はたっぷりの生姜(ジンジャー)扁桃(アーモンド)が絶対、あとは自身で生み出す適当な(きのこ)と野菜だった。そこに林檎(りんご)葡萄(ぶどう)の果実酢をかけて飲むのが常である。


「なんでいつもポタージュとパンなんですか?」


「うん?」


 スレイローの目抜き通りにある酒場で、単刀直入に聞いてみた。当然、キャロルの目の前にあるのはポタージュとパンだった。


 キャロルは顎に手を当て、考える。そして、少し経って口を開いた。


「ポタージュは間違いがないからな」


「間違いがない?」


「うん。私はまずいポタージュというものを食べたことがない。骨と野菜で煮込まれていれば、大概なんでも美味くなる。だから、間違いがない」


 確かにそうかも知れない、とエリカは思う。


「せっかくの食事なのに、不味いものを食べては勿体無(もったいな)いだろう。とどのつまり私は臆病なんだ、エリカ」


 そう言ってキャロルは食べ始めた。


「あと単純に、体を冷やしたくない」


 パンをちぎり、そっとポタージュに浸す仕草が質素で美しいので、エリカも真似をしてそれだけを頼んでみる事にした。だが、やはり食い出がなく、結局香草で蒸した羊肉を頼んでしまった。


□□


 キャロルは持ち物にも生活感が乏しい。


 まるで羊飼いが羽織るような橡色(つるばみいろ)をした砂よけの外套、その裏地の衣嚢(ポケット)に煙草、革の財布、(じょう)をした聖書、ジャック・ターナーから預かっている本と、あと今読んでいる本が1つか2つ入っている。本は読み終われば、さっと売ってしまう。


 腰には幾つかの巾着袋を下げていて、そこに聖具やまじない道具、調合に必要な素材が入っていた。水や葡萄酒、酢の入った小さな革袋もそれぞれ下げる。


 食料は必要に応じ、その都度買うので持っていない。山中など、街がない場所を歩く場合は流石に用意するが、基本は手ぶらだ。


 エリカは思う。なんと洗練された旅支度であろうか。ちょっと隣町まで出かけてくる、とでも言うような格好である。そこに、胸にきらりと光る原典の金。黄金の瞳と3点で繋がって神聖な逆三角形を作っている。旅の姿も、絵画の中の人物のようだ。


 その一方、己はなんだ。大層な背負袋を持ち、その中には鍋や頭巾、短剣、寝袋などが雑にぎゅうぎゅうと詰め込まれている。腰に下げている(ポーション)も、どれがどんな効能だか実は理解できていない。そろそろ剣に塗らなくてはならないと思っている研磨油(グリス)も、恐らくは背負袋の奥底に眠っていて、探すのに気が重い。


 キャロルのように格好良い姿で旅をしたかったが、これではまるで行商人だ。


□□


 エリカは苦悶する。完璧なリトル・キャロルの隣にいると、自分が出来損ないのような気がしてならない。決してそうではない、これは一人相撲なのだ、と頭では分かっていても、心はそうはいかない。


「ぬが〜〜っ!」


 だから今日もこうして、浴場(蒸し風呂)で蒸気を浴びながら、一人頭を掻きむしり、やり場のない気持ちを声にして叫ぶのである。


 そして、仔細(しさい)は知らぬが誤解をしていたらしいマリアベル・デミという悪女に、やや同情するのであった。


□□


 2人はスレイローに暫く滞在していた。


 この街は山々に囲まれているから付近に他の街もない。また交易の中継地となっていて、発展しているのも特徴だった。家々の窓には薄い色のついた硝子(がらす)が嵌められていて、()が差すと街は仄かに色付いた。


 近くにあった聖地『スレイローの不朽体(ふきゅうたい)廟群(びょうぐん)』に巡礼する為に立ち寄ったが、無事に封印の術を強めた後も街からは離れなかった。


 この街には古くから紙の歴史が続いていて、大きな図書館や古本市がある。だからキャロルは、この街でターナーに託された聖女に纏わる研究と、自身の力についての理解を深めるつもりだった。エリカもそれを手伝っている。


 1節の半分を過ごした頃には、顔馴染みも増えた。


 宿屋の主人はジョージ。その娘のファラ。2人は仲良しの親子だ。酒場のダルケルに、給仕のミミ。良い夫婦で、気分よく挨拶をしてくれる。図書館の司書はポーリーナといい、キャロルのお使いで本を探すのに世話になっている。古本市を纏めるのはミッキー爺さんで、彼もエリカの頼み事を気前よく聞いてくれた。


 ここはエリカにとって、旅中初めて長居をする街。それもあってか特別愛着が湧いて、この街が大好きになった。


 ただ、エリカには少し気になることがある。


 司書のポーリーナの従姉妹(いとこ)にあたる女子が、隣町に行ってから帰って来ないのだという。その子は自由奔放な性格で有名らしく、恋人と駆け落ちでもしたのではと周りの人間は笑って言うが、ポーリーナは心配している。


 それに近い話を、この街ではよく聞く。


 給仕のミミは、女友達が最近酒場に姿を見せてくれないと独りごちるし、ミッキー爺さんも、古本市に毎日来ていた本好きの女性がパッタリと来なくなったと言う。


□□


 昼前、行きつけの酒場でキャロルと食事をしている時だった。


 常連客の多いこの酒場だが、見かけない風貌の女性が、酒場の店主ダルケルと話している。二人とも、やや深刻そうな面持ちだった。


「誰ですかね?」


 エリカはキャロルに問うが、うん、と相槌だけ打って紙に複雑な計算式と術式を記している。魔術の研究をしているようだった。


 女性は男装の麗人といった風であり、美しい金の髪を飾紐(リボン)で結いていた。白と深い青の色合いが厳かな、マール伯爵領軍の軍服を改造したような防具を身につけている。腰に下げた三日月型の長劔(サーベル)は一級品。(さや)の装飾が繊細で、金に輝き、それはまるで本物の月を腰に下げているようであった。


 エリカがその女を観察していると、彼女が視線に気がついて近寄ってきた。


「怪しまれてしまったかな」


 女は軽く頬を掻き、困ったような笑みを浮かべた。エリカはその茶目っ気のある表情を見て、悪い人ではないのだと直感した。


「私は冒険者で、シャーロットと言う。組合の要請で、昨日からスレイローに入っている」


 シャーロットは右足を引き、右手を胸に沿わせて頭を下げた。これは騎士の挨拶であったから、彼女は元は軍人であるとエリカは察する。カーテシーでもないので。


「冒険者の方でしたか」


 冒険者とは旅人兼萬屋(よろずや)のようなものだと、多くの人が説明をする。


 彼らは冒険者組合(ギルド)が受けた依頼をこなしながら生活をしている。大きな危険が伴う仕事も多いが、実入りが良いため人気があった。


「女性が失踪する事が増えているらしくてね。その調査に来たんだ」


 エリカはそれを聞いて、組合が動いているんだ、と心の中で呟いた。


「それで、西にある『トスカの森』で獣人(ワーウルフ)の群れが確認されている」


 獣人とは狼のような頭部を持つ人型の魔物である。知能は亜人(ゴブリン)程度で、10〜20頭の群れで行動する。群れの長は特に強く、他の雄に比べて体が特別大きいのが特徴だった。人を攫って食う習性があるので、失踪事件があると決まって疑われるのが獣人である。


「既に何人かの冒険者が来て解決に当たっているのだが、どうも芳しくない。消息不明になった冒険者も多い」


 冒険者は危険な職業である。こうした話は決して珍しいものではない。邪竜の巣で見た、怯えるようにして身を寄せ合って死んでいた冒険者達の亡骸、その指先まで、エリカは鮮明に記憶している。


「自信がない訳ではないが、一応しっかりと対策をして事に当たろうと思ってな。君は何か知らないか? 例えば群れは何頭だとか、武器は持っているのか、とか」


「いえ、わかりません。森の方には近寄った事がなくて」


「そうか。では直接見て確かめるしかないな」


 ここで、初めてキャロルが口を開く。


「手伝おうか?」


 するとシャーロットは自信に満ちた笑みを浮かべて、言う。


「いや、結構。これは私の仕事だ。見事に解決をして、立派な冒険者である事を証明してみせよう。こう見えて正教会から勲章も頂いている。連続殺人犯人喰い(カニバル)ギムレットを一刀のもとに両断した『月影のシャーロット』とは私のことだ」


 そして、自分の胸をどんを叩いた後で、パチリと片目を瞬いた。


「みなの笑顔を守る為に、私は鍛錬を続けているつもりだ。獣人ごときに遅れは取らないさ」


□□



 それ以降、月影のシャーロットを街で見かける事はなかった。



□□


 行きつけの酒場。エリカは席に座りながらも周りを気にしていた。今日もシャーロットを探すが、それらしき女性は見当たらない。街で知り合いに聞いても、そんな人は見ていないと言う。


「シャーロットさん、大丈夫だったんでしょうか。話、聞かないですよね……」


 エリカが心配そうに呟く。キャロルは、うん、と相槌を打ちつつも、読んでいる本から目を離さない。


「やっぱり、獣人にやられちゃったんですかね……」


「どうかな」


 エリカは目の前のキャロルを上目遣いでちらりと見た。彼女の表情は普段と変わらない。静かな表情で本を読んでいるようにしか見えず、つまりは従容(しょうよう)としていた。


 ──キャロルは心配ではないのだろうか? それとも自分が心配しすぎなだけだろうか?


 確かにほとんど交流のない冒険者を、何も手がつかない程に心配するというのは、気にしすぎなのかも知れない。もしかしたら、恥ずかしい事なのかも。キャロルに女々し過ぎると思われただろうか。


「はぁ……」


 今度は自分がどう見られているのかが心配になってしまって、ため息を吐く。するとキャロルは唐突に本をパタンと閉じた。


「行こうか」


 そして立ち上がり、煙草に火をつける。


「へ? どこへですか?」


「ん? 冒険者組合(ギルド)だよ」


□□


 酒場を出て、エリカは眩しさに目を細めた。白昼(はくちゅう)蒼穹(そうきゅう)、積乱雲は遠い。遙か上空から、(とび)の鳴き声が降りてくる。


 店を示す吊り看板が連なるスレイローの目抜き通りを、二人は行く。武器屋は騎士の細工、肉屋は鶏や羊、理髪店は(はさみ)、酒屋は葡萄が吊り看板に描かれる。その多種多様な意匠(デザイン)と、精巧な鉄細工が、この街の豊かさを感じさせた。


 目抜き通りを小暑(しょうしょ)の風が、温い地面の匂いを乗せて吹き抜けてゆく。エリカは風で乱れた前髪を、額を隠すようにして手櫛(てぐし)で整えた。


「彼女、プライドが高そうな出立ちをしていたから、勝手な事をすると後で彼女が嫌な思いをするのかなと思って、中々自分から動き出せなかった。はっきりと断られていたし」


 エリカは目をぱちくりとさせた。キャロルがちゃんと考えていたことに、少しばかり面食らってしまった。


「エリカが口に出して心配してくれたから、もやもやするくらいなら動かなきゃ、という気になった。ありがとう」


 突然の感謝の言葉にエリカは頬を赤らめ、体の前で両の手をキュッと結んだ。二人して同じ方を向いている気がして、とても嬉しかった。なんだかキャロルの事が分からないと不安がっていた事も、馬鹿馬鹿しいものに思えてきた。やっぱり自分は、考えすぎな性格みたいだ。


「ここだな」


 キャロルは吊り看板を見上げた。(あし)と筆を合わせた紋章が描かれている。いかにも紙の街らしいと、エリカは思った。


 紋章下部、帯に『カレドニア北部冒険者組合 ボーフォート第三支部』とあり、そのさらに下に『葦旗会(あしはたかい)』と書かれている。これがこの街の冒険者組合の名であるようだ。


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