不良聖女の巡礼(前)
マリアベル・デミにとってリトル・キャロルは、便利な道具に過ぎなかった。
──いや、それは正確ではないかもしれない。
正しくは『そう思おうとしていた』に近い。それでなくば、きっと、自分の心を保つ事が出来なかったから。
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3年前。春も麗らな小満の節。聖隷カタリナ学園に各地から集められた五人の聖女候補の乙女達が揃った。みな、聖女として選ばれるに相応しい者だった。
聖女達がこの学舎に入る事となったのは、優れた施設を複数内包しているからもあるが、そもそもとして学園が聖女の為に建てられたという歴史的背景もある。
学園は正教会軍部が主導して建てたものである。歴史としては古く、創立から301年になる。
300年前に日蝕があり、この日蝕により聖女が現るのではと当時は言われていた。それに際し、聖女候補として集められたのは文武優秀な各領の令嬢10人と、王族が5人。他に『我こそは』と集まった200人近くの乙女達。その中から聖女を見つけ出そうとしていた。
その為、日蝕が起きるまでの間、聖女候補達を保護し、ある程度の教育する機関が必要だとして設立されたのが、この聖隷カタリナ学園だった。
結局、天に現れた月の影は太陽の全てを覆わなかった。聖女も誕生せず、世界は落胆した。
だが、学園を建てた意味はあった。ここで学んだ乙女達はみな優れ、各領の騎士や、城の侍女になる者も多かった。女性初の正教軍士官も生まれた。
その功績があって、各地から学びたい者が多く訪れるようになった。初めは女子のみの学園であったが、すぐに男子も入学出来るようになった。時は経ち、今では多くの学生を抱えている。
入学条件は文武に優れた者で12歳以上。とは言え、血が高貴であれば無条件で入学できた。
10代が生徒全体の5割、20代が3割、30代が1割、40代が5分、50代60代もいるにはいるが、少数在籍。20代までは貴族の子、商人の子が多く、30代以上は働いて金を貯めた後で入学する者が多かった。
この学園は正教軍の一部であるから、その殆どは将来的に正教軍となり、文に優れる者は正教会本部教庁の神官、とりわけ優秀な者は国や領に仕えた。今では正教軍の血が通った者が少なくない数、政治の中枢にいる。
学園が出来た当初は幾つかの建物があるだけだったが、今では王都の中に聳える一都市といった出立ちである。
巨大な大聖堂が一つと、砦のような学舎が5つ、寮が3つあった。それだけでなく馬術場や競技場などの場もあり、天体観測施設や印刷所、工作所なども備えていた。美しい庭園には噴水と彫刻があって、菜園には薬に必要な植物が育てられている。敷地を歩いて見て回るだけでも、半日はかかると言われる。
□□
学園内、緑輝く園。小鳥達が高らかに歌う楠の下、強い日差しを避けて噂話をする四人の教師がいる。若い風貌で、自身の研究と教師とを半々で行なっている者達らしかった。
「聞いたか。リトル・キャロルが昨日、学園に到着した」
「五人の聖女が全員揃ったのか」
「ほう、では……。明日、試験が行われるのか?」
「試験?」
「力の見定めだよ。捕らえた魔物を相手に戦わせ、その後、実際に聖女同士を戦わせるらしい」
菜園の一画、薬草畑の小さな薬小屋、その窓際で一人水薬を作っていたマリアベルは、彼らの話に耳を傾けた。注意していれば、十分聞こえる位置だった。
「この戦いで聖女の優劣が決まるな。誰が光の聖女で、誰がそれ以外か、凡そ分かろうってもんだ」
「誰が光の聖女だと思う?」
「それは強い女だろう。他の聖女を従わせるというのだから。で、誰が強いかだが……」
「リトル・キャロルだな」
教師の一人が、さも当然のように言った。
「彼女の到着が遅れた理由は、道中、魔物や追い剥ぎを成敗して回っていたからだ。他の娘と場数が違う。それに、貧民街では怪我をした子供を抱えながら、魔物の群れに突っ込んで逃げ果せたと言う。凄まじい胆力だ。しかも、そうした武勇伝は1つや2つじゃない」
「なるほど」
「ローズマリー・ヴァン=ローゼスはどうだ? 喉を喰らい素手で頭を潰すと言われる狂戦士ファルコニア伯が溺愛する愛娘だ。近眼が酷く眼鏡をしているが、弱いはずがない」
「海を挟んだ隣国カタロニアの姫君、メリッサ・サンチェス・デ・ナヴァラは? 身体強化術に関して、天性の才覚を持つとされた乙女だ。一騎当千とは姫様の事、神の子とは姫様の事とカタロニアでは持て囃されている」
「ニスモ・フランベルジュはどうだろうか。公爵家の令嬢で、何より血が尊い。剣技、魔法、共に王国随一だとされている。それに冷酷無比であるから、容赦がない。齢6つで罪人の首を刎ねて周り、赤い髪は血で染まったと言う噂だ」
「考えが甘いぞ。戦いと言うのは、場数だ。どれだけ強かろうと、どれだけ才覚があろうと、慣れの前には歯が立たない。リトル・キャロルに軍配が上がると考えるよ」
「そうか、なるほど」
「リトル・キャロルか。一体どんな娘なのだろうか」
マリアベルは彼らの話を聞きながら、しゃがみ込んでしまった。手が急速に冷えていくのが分かる。呼吸も荒くなる。座り込み、膝を抱えて、それでようやく震えていることに気がついた。
──噂話に、自分の名前が出なかった。
疎外感という言葉では足りない程の強い焦燥感が、体の中でざわざわと蠢いていた。
誰も、マリアベル・デミという少女には期待していない。地方の、それも新参の小貴族であるデミ家などを知る者はいない。世界から忘れ去られている。そう思った。
□□
その夜、マリアベルは眠る事が出来なかった。いや、今日だけではない。学園に来て6節近く経つが、よく眠れた試しがない。
マリアベルは本来活発な方で、特に良い事があれば大いに感情を表現する性格、若干行きすぎて自分に酔いしれる悪癖すらあったが、領を滅ぼされてからは心に蓋をしたように塞ぎ込んでいた。今日現在、その最大にあると言っても良い。
聖女候補として任命されたという圧力と、必ず成功しなくてはならないという圧力、さもなくば父のように無様な目に遭うという危機感で、どうしようもなく、押しつぶされそうになっていた。
特に明日行われる試験は大きな問題だ。今からでも吐き戻しそうな程に緊張している。今日の昼、少しでも気分を落ち着ける為に薬草を調合していたのに、あの噂話が聞こえてしまって余計に怖い。
マリアベルは暴力の経験が少ない。魔物を相手にした事は多いが、兵を従えて追い込んだ上で確実に仕留めるのが常で、自分一人で戦うのはあまりない。エスメラルダが許してくれなかった。
学園での6節である程度の経験は積んだものの、それは他の娘も同じ。いや、自分は疲れやすい体質だから、他の娘よりも経験が足りていない気がしている。
人と戦った事は皆無だ。あのモラン卿に対して怒り、詠唱を行った時が、初めて人に暴力を振るおうとした瞬間だった。
明日の試験で自分の価値が決まってしまうかもしれない。もしも、神様が天から見ていて、この試験で聖女の資格があるかどうかを見定めているのだとしたら。負けてしまったら、それは聖女の資格がないとされてしまうのでは。
──嫌だ!
勝たなくては。勝たなくてはならない。でも、どうしても自信がない。
マリアベルは全てが怖くなり、目を強く瞑って、怯えるようにして耳を抑え、寝台の上で丸まった。
□□
その翌日。試験の日。学園内の剣技場に聖女達が集った。
マリアベルは自信の無さから目を伏せつつも、周りの聖女をうかがった。みな、強そうだった。凛として見えた。
特に一番強いと噂されていたリトル・キャロルは別格だった。夜空のような髪、その美しい艶、端正な顔立ちに神聖な瞳、うっすらと色づく唇、すらりとした体つき、脚も腕も長く、直近を通れば薫る香油、仕草の堂々とした様に、目眩を覚えるほどの魅力を感じた。
これが聖女なのか。マリアベルは緊張の最中でも、思わず驚嘆するほどにそれは完璧だった。キャロルを見ると胸が締め付けられるような、懐かしさにも似た妙な感情を覚えた。
しばらく見惚れて、はっと我に帰り、自分の掌を見る。自分がちっぽけな存在に思えたので、それを確認したかった。やはり、自身の柔らかそうな掌は、とても矮小に映った。
□□
試験の内容は、牛鬼の討伐であった。
今件を取り仕切るのは、ジェイデン・ターナーという神官だった。王国西部の管区を纏める枢機卿であるらしい。
牛鬼とは頭部が黒牛、体は熊、その皮の下に逞しい筋肉が潜む、全身毛むくじゃらの魔物。二足歩行をし、一見して人形。野生では人が廃棄した斧か剣、無ければ木を捌いて作った槍のような武器を持った。
試験のために準備された牛鬼は、鉄の首輪と腕輪を付けられており、鎖で鉄杭に繋がれていた。手には斧を持たされている。
剣技場の観客席には、正教会の神官達、正教軍の幹部や士官がいた。正教軍大元帥ヴィルヘルム・マーシャルもまた、その中にいる。
試験は一人ずつ行われた。まず、リトル・キャロルと牛鬼だけが場の中央に残される。そしてジェイデンが離れた場所から魔法で鎖を断ち、牛鬼は解き放たれた。
キャロルは牛鬼が襲ってくるのを身構えるでもなく、平然と斬撃を避け、背の骨を剣で一閃。神経を断たれた牛鬼は立てず、そのまま首を刎ねられた。
一瞬だった。騒めきが起こった。
マリアベルは控えの場からそれを見ていた。目を見開いて見ていた。軽々しく敵をいなし、無駄なく剣を振るうその動き、そして確かな力。それを自分と同年代の少女がやっている。憧れすら抱きそうになった。だが、すぐにその羨望は焦燥感に変わる。
──どうしよう。私は、同じように出来ない。あんなこと、出来ない。
他の聖女候補達もキャロルに続いた。ニスモは刃で牛鬼の額を割り、メリッサは腹を裂いた。マリアベルから見て大人しそうなローズマリーでさえ、敵の喉を突いた。
全員、あっという間であった。慌てる様子も無く、いとも簡単にこなした。少なくとも、マリアベルにはそう見えた。
一方でマリアベルは必死だった。
ミノタウロスの腕の一振りを喰らい、激しく飛ばされた。壁に体を強く打ち付け、意識が朦朧とする中でなんとか立ち上がり、なお敵と対峙しようにも、先の一撃に完全に恐れをなしたマリアベルは防戦一方となった。
最後には敵の胸を刺し、辛くも勝利こそしたが、満身創痍。息も絶え絶え、立っているのがやっとであった。
騒めきが耳に入る。観衆の己を見る目が、冷たく感じた。
「……剣に自信がないなら、魔法を使えばよかったのに」
誰かが口にした言葉が耳に届いた。それを聞いて、完全に失敗したのだと自覚した。心臓の鼓動は、焦らせるように鳴り続けている。
ああ、そうか。私は必死で、何をやっているのかも、どうしたら良いかも分からず、夢中で剣を振るっていたんだ。
鼓動と共に、大きな後悔が押し寄せる。酷く情けない事をしてしまった。強い危機感も、吐き気となって迫り上がってくる。
──私は聖女候補の誰よりも弱い。
□□
魔物を使っての試験が終わった。マリアベルは叱責を覚悟したが、特にジェイデンから何かを言われるわけでもなかった。それがまた、胸を抉った。完全に見放されたと思った。
ジェイデンより、明日、聖女同士の模擬試合を行う旨を言い渡された。
対戦相手は籤で決められた。紙縒りの先に色をつけたもので、同じ色を引いたものが対戦相手となる。全部で5人であるから1人余るが、余った者は繰り上がりで、1戦目の勝者と戦う。
マリアベルが引いたのは、青い籤。
(──そんな)
同じ色の籤を引いたのはキャロルだった。
(私が……、リトル・キャロルと戦う……)
籤をやり直したい。キャロルに勝てる事は、まずない。彼女は己より数倍優れている。魔物との戦いで失敗したのに、次もまるで駄目だなんて。どうしたらいい。泣いて頼めばもう一度、引き直させて貰えるか。でも、籤をやり直したとして、他の誰に勝つことが出来よう。
(私には無理だ……、もう嫌だ……)
誰とやっても、また無様な姿を見せるだけだ。自分は他の聖女候補達より数段劣る。
マリアベルは周りを見た。みな、籤を見つめて何も喋らない。その表情は普段と変わらず、余裕がある。こんなに切羽詰まって、顔を青くして、息を荒げているのは、己だけだ。
マリアベルは今にも走って逃げ出したくなった。今この瞬間に、時が止まってくれ、明日よ来ないでくれと願った。このままでは、自分は聖女の資格がないとされてしまう。
怖くなってぎゅうと目を瞑ると、瞼の裏から滅びた千の丘と、疲れ切った父の背中が蘇った。
□□
己は弱い。みなのように恵まれていない。キャロルのように強くない。だが、負けられないのだ。絶対に負ける事は許されないのだ。
己の弱さを埋め合わせる為には、汚い手を使うしかない。何をしてでも成功すると決めたのだから、勝つための何かをするべきだ。
マリアベルは夜遅くに、学園内にある花畑に行った。人工の川の近くに、茴香に似た花を認め、それを摘んだ。毒芹である。
すぐに薬小屋に行き、芹をいくつかの薬品を混ぜた液に漬け、魔力を込めて成分を抽出した。それを針に塗る。
そして耳飾りに、針を仕込んだ。これでキャロルを刺せば、体が麻痺して動けなくなるはずだ。
卑怯であるがやるしかない。たとえ罵られようとやるしかない。もはや己にはそれしかないのだ。
□□
翌日。蒼穹の下、聖女候補達が剣技場に立つ。昨日同様、観客席には関係者が集っている。
試合は早々に行われた。まず、ニスモ・フランベルジュとローズマリー・ヴァン=ローゼスが戦ったが、これはニスモが模擬剣をローズマリーの腹に打ち、危なげなく勝利した。
次にマリアベル・デミとリトル・キャロルの試合が行われる。
マリアベルの心は、穏やかだった。自分が何をすれば良いのか、よく分かっていた。やる事が決まっていて頭の中が整理されていると、ひとまず落ち着く事ができた。とにかく、キャロルの動きに合わせて、毒針を刺す。それで良いのだ。
武器は好きなものを武器棚から選ぶことが出来る。キャロルは棚から模擬剣を選び、マリアベルはそれを見て模擬矛を手にした。矛は長さがある。それを相手にするには、必ず刃を掻い潜って懐に飛び込んでくる。そこで、針を刺す。
両者、場の中央で向かい合う。観客の殆どは、キャロルの一挙一動に注目している。
二人が刃と刃を軽くかちりと合わせて試合開始。2、3と刃を強く打ち合い、互いに距離を取る。
一瞬の間、キャロルが地を蹴り、弾かれたようにマリアベルに迫る。マリアベルは合わせて矛を大振りで薙いだが、剣がそれを受け、キャロルは刃を滑らせながらマリアベルの懐へと入り込んだ。
瞬時、マリアベルは矛から両手を離し、耳飾りを力一杯引き抜いた。耳朶の穴が裂けるも構う事なく、針をキャロルの体に刺す。毒の効果は刺した瞬間に現れ、剣を持つ手の力が抜け、それを振り上げたその瞬間に、剣がすぽんと飛んで出た。
あらぬ方向に二人の武器が飛んで、宙を舞っている。それはその場に立たぬ者から見たら異様な光景だった。
マリアベルはすぐにキャロルの顔に拳を叩きつけた。それでキャロルは倒れ込む。体は思うように動かないようだ。そしてそのまま馬乗りとなり、ただひたすらに拳を槌のようにして、キャロルの顔面に打ち続ける。何度も、何度も、何度も、何度も打ち続ける。
手に鼻と頬の骨が砕ける感覚が伝わった。相手の口内が裂けて口から血が溢れる。観客席の物見は最初こそ騒めいたが、次第に沈黙する。それでも、何度も、何度も、何度も、マリアベルは打ち続けた。
「これまで」
ジェイデン・ターナーが止めに入る。
「ハァ……、ハァ……!」
マリアベルの喉は灼け切れそうになるほど乾燥していた。髪は汗で顔に張り付いて、視界を遮っている。あまりにも無我夢中だった。
(か、勝った……? 勝った、ってこと?)
キャロルから離れて、少しの冷静さを取り戻す。目の前には顔を血まみれにした少女。その怪我はあまりにも痛々しい。
キャロルは震える手を地につき、ゆっくりと立ちあがろうとするが、なかなか立てない。それで少し顔を上げて、マリアベルをじっと見た。それは凄まじい程に圧のある黄金の瞳であった。
それを見て思わず、マリアベルは蹈鞴を踏んだようにして下がった。
──私は、やってはいけないことをやってしまった。
今マリアベルの中にあるのは、安堵と罪悪感が混在したカオスである。何も考えることが出来ず、ただただ胸の中の宇宙に広がる、毒々しく色付いた大理石のような、汚く言えば吐瀉物のような、酷く醜い感情が自身を焼き尽くしていくのに、身を任せるしかなかった。
キャロルはマリアベルを見ている。ただ、見ている。マリアベルはキャロルから目を離すことが出来ない。黄金の瞳がそうさせない。
マリアベルにとっては永遠にすら感じる時間だったが、ふいにそれは終わりを告げた。何でもなかったように、キャロルが目を逸らしたのである。そして立ち上がり、多少ふらつきながら控えの場に戻っていく。
(──え?)
マリアベルは放心した。
なぜキャロルは何も言わない? 毒で何も言えなかったのか? いや、もう歩けるのであれば、喋れないはずはない。であれば──。
(軽蔑された……)
当たり前である。このような卑怯な手を使って勝ちを得ようなど。それもこの様な大切な場所で、人を蹴落とそうなど。そんな事をする人間に、どうして声をかけることが出来よう。憎しみの言葉を投げつけるのすら、穢らわしい。そう思ったに、違いない。
──マリアベルは大罪を背負った。
その後、マリアベルはメリッサと戦うが、まるで心が整っていない状態では戦いになるはずもなく、矛を打ち落とされて負けた。
□□
数日の後、本格的に授業が始まる事となった。これから聖女達は選良として、勉学に勤しむ。
当然と言うべきか、この試験の結果で聖女候補達の待遇が変わるような事はなかった。ただ純粋に現状の力を見極め、個々人に合わせた方針を確認するものであった。
既に聖女達に与えられていた部屋は再編される事となった。原典によると互いに助け合う仲間となるはずだから、と相部屋を作る事にしたらしい。メリッサだけは隣国の王族であるために隔離されたが、マリアベルはキャロルと同室となった。
(どんな顔をして会えばいいの……)
数日経っていても、マリアベルの中の罪の意識は薄れていない。いや、日を追うごとに酷くなる。
(殺されるかも知れない……)
だがその心配と裏腹に、部屋に入ってきたリトル・キャロルは至って普通であった。
「どうぞ、よろしく。マリアベル」
キャロルはマリアベルと目を合わせて、上品に笑い、カーテシーをした。そしてその後も、普通に話しかけてきたり、笑いかけたり、稀ではあるが、こっそりと鼻歌まで歌っていたりもした。
暫く経っても、特にその様子が変わる事は無かった。勉学で分からない事があれば共有するし、頼んでもいないのに教えてくれる事もあった。魔道具を作ってくれることもあった。研究を手伝ってくれることもあった。月のもので具合を悪くしていると、良い空気を吸おうと言って、外に連れ出してくれたり、紅茶を振る舞ってくれた。熱を出せば夜通しで看病をしてくれた。
これらのキャロルの態度はマリアベルを大変困惑させた。
(──どうして? どうしてそんな風にしてくれるの?)
己は毒を使ってまで勝ったのに。あんなに酷く打ちのめしたのに。気にしてないように装っている? でも、どうして? 意味がわからない。
考えて考えて、考えた。それで、ふと、気がつく。
(ああ、そうか……。お父様と一緒なんだ……)
私を下に見て、施しをしているつもりなのだ。そう考えれば、納得がいった。
毒を使ってでしか勝てない己を、哀れんでいるのだ。父親が不幸な難民達を助け、施していたように、リトル・キャロルもそうなのだ。私は、施しを受ける側に回ってしまったのだ。哀れだと思われてしまったのだ。
──本当は軽蔑しているのに、それでも施さなきゃならないほど私は哀れなんだ。
それを認めると残念だという感情がまず湧いて出て、追ってふつふつと怒りの感情が滲んできた。
──私に、施しをしてるんだ。下民、なのに。
リトル・キャロルは孤児院の出だ。本来、施しを受けるべき人だ。それなのに、それなのに。そんな人間に哀れまれるほど、己は堕ちてはいない。デミ家はそんなに堕ちてはいない。この女は、モラン卿のように私たちを下に見ているのだ。
マリアベルにとって、それは本当に我慢ならない事だった。見下されているという劣等感は次第に膨れ上がっていき、行き場を無くしていく。
そうして取った行動は、キャロルを可能な限り利用する事だった。キャロルの施しを、自分の成功の糧にしてやろう。思う存分、利用してやるのだ。
そう思う事で、毒を使ったという罪の意識も、施しをされているという屈辱も、なにもかもが薄れていった。自分の心が守られていった。
□□
だが、結論を言えば、マリアベルの憎しみは『奇妙な友情』となった。
マリアベルは、学業も雑務も採取も研究もキャロルに押し付けたが、キャロルは特に何を言うでもなく受け入れていく。
最初は『利用してやる』という思いが強かったが、それは徐々に『甘え』に変わっていった。明らかな敵意が、若干の信頼を含んでいったのだ。
そして不思議なことに、要求を受け入れて貰えると嬉しい気がした。自分が認められているような、そんな気がしたのだ。マリアベルは領が崩壊して以来、1人塞ぎ込んでいたから、こうした孤独感の無い日々は非常に久しかった。
共に過ごす事で、楽しい気持ちが無いこともなかった。取り留めのない話をしていても、キャロルはただ笑って頷いてくれた。マリアベルは同年代の子と話すのも久々であるから、何でも話したかった。それにキャロルは言わば聞き上手な性格で、たくさん話せたし、たくさん話を引き出してくれた。彼女が横にいると、不思議と安心した。
己のことを嫌っているはずの相手なのに、この人の為に、何かをしてやろうと思う瞬間さえ芽生える。これは本当に、本当に、不思議なことだった。
キャロルはどんな言葉に喜ぶだろうか。何か物をあげたら、喜ぶだろうか。ふと、そういう風に考えてしまう時が頻繁にある。キャロルの綺麗な横顔を見ると、何かをしている最中でも、その手を止めてしまう。無意識に目で追ってしまう。
しかしその度に、首を横に振って自制した。キャロルを道具として使う事に一貫すると、改めて覚悟を決めた。
ここで施しを受け入れてはならない。デミ家として、屈辱を受け入れてはならない。
──リトル・キャロルなんて嫌いだ。反吐が出る。
自分に言い聞かせる。
リトル・キャロルは私を軽蔑している。本当は私のことが嫌いだ。あんな卑怯なことをして、嫌いにならないわけがない。殺したいほど憎んでるはずだ。キャロルは嘘をついて、私に接している。騙されてはいけない。
もうこれ以上、哀れになるのは嫌だ。私が本当の友達になろうとして、それでキャロルに裏切られたら、もう二度と立ち直れない。そんな気がする。
□□
キャロルが女神像を腐らせた事は正直驚いた。だがすぐに、これは良い機会だと思った。キャロルがいなくなれば、マリアベル・デミの罪を知る者はいなくなる。マリアベル・デミの心を乱す者はいなくなる。
マリアベルは教師や神官に追放を唆したり、他生徒に対してはキャロルを憎ませるような事を言いふらして回った。それは例えば忌子であるとか、孤児院で子供を養うために売女をしていたとか、そういったものだ。
自分で直接手を下す勇気はなかった。他生徒からキャロルへと向けられる憎しみも、投げられる石も、何もかも、見ないように、聞かないようにしていた。自分が起こした事を見届ける覚悟もなかった。直接話して、友達だと思っていない事を伝える時も、その目はまともに見れなかった。
申し訳程度に他生徒の前でいくつかの勉強道具を燃やし、彼らの正義感、優越感を焚き付けることもあったが、直接キャロルに対して何かをしたのはそれくらいである。
いなくなった後は、キャロルが残した荷物を焼却した。そうする事で、キャロルとの思い出を全て消し去りたかった。長く自分を苦しめたキャロルの残り香を排除したかった。
リトル・キャロルなんて嫌いだ。下民だ。奴隷だ。自分にとって価値はない。ああ、部屋が広くなって良かった。本当に、良かった。もっと早くからそうすれば……。
そう、言い聞かせて燃やした。
だって、キャロルは己を軽蔑しているから。嘘ばかりついているから。だから、仕方がない。
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