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夢(前)


 静寂があって、まずそれを破ったのはエリカだった。


「やっぱり、光の聖女だったんだ」


 私はまだ呆然としていたが、その少し掠れ気味な声で現実に呼び戻された。


「……気付いてたのか?」


「光の聖女だっていう確証はなかったけど……。だって、だって……、おかしいですもん……。キャロルさんは、普通じゃない。竜に殺されかけた時、幻の中で2回もキャロルさんに救われた……。こんなの、普通じゃないですよ……」


 エリカのカップを持つ手は少し震えていた。紅茶の赤い波に、簡素で小さい吊り燭台(シャンデリア)の炎が揺れている。


「……私は、少し面食らっているよ。どうしても、自分を聖女に相応しい人間だとは思えない」


 そう言うと、目の前のジャック・ターナーが焦ったように顔を上げた。


「何を言う。君は光の聖女だ……」


 彼の姿は牢獄で会った時よりも老けたように見えた。不思議と髪にも張りや(つや)が無くなったようだった。目の下は黒い。また、顔の青白さが伝染したように、手や腕を青白く染めていた。


「……こんな野蛮な女には、光の聖女は務まらない」


「光の聖女という存在が慈愛(じあい)の象徴なわけがない。瘴気への、抵抗の旗印(はたじるし)なんだ。目だけで魔物を怯えさせ、力を振るえば完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめす、そうした畏怖(いふ)の存在として神は作るはずだ」


「神が私を作った……」


「そうだ。君は、困っている人を見捨てられない性分ではないか? いい人になろうとしていないか?」


 言い当てられて、一瞬、思考が止まる。


「聖女とは人を導く存在だ。中でも光の聖女は大きな力を持ち、人民のみならず聖女達をも導く。人格的にも優れ、(たっと)い存在として、君をそのように作るはずだ」


 ──私が光の聖女だというのは、恐らく正しいのだろう。


 それを自覚した時、先程まで荒ぶっていた血潮の騒めきが、ゆっくりと微睡むように、静かになっていったから。同時に、時計が組み上がるようにして全ての欠片や歯車がかちりとはまり、私の中の時が動き出した気もした。


 だけれど今、私の中にあるのは複雑な感情だ。安心も幸福も得られていない。頭では分かっているのに、受け入れられない自分がいる。


 ターナーは、神が私を作ったと言う。だが、その口ぶりはまるで、私の感情も、意思も、何もかも、全て神が作ったと言っているようではないか。ならば、私はどこにいる。


 私が何者だか分からないという大きな疑問は、依然解決していない。


「納得がいかない……」


「何故だ」


 それに、私は──。


「私は神を信じていない」


 私がそう言うと、ターナーは目を見開いた。その瞳には若干の怒りが滲んでいる。


「馬鹿な。神はいる」


「どうかな」


 ターナーは声を荒げ始めた。


「神は確かに存在する。神は万人を愛する。聖女を慈しむ」


 吐息に狂人の色を乗せて続ける。


「神は女であり男だ。顔立ちは女のようであり、男のようでもあった。乳房を持ち、陰茎(いんけい)を持った。指は両の手で合わせて13本あり、足の指を合わせると25本だった。その娘は迫害されていた。奇形を集めた見世物小屋(サーカス)の歌姫であり占い師だった。それは多数の文献にも残っている事実だ!」


「……そんな事は、知っている」


「『王に(あら)ず』とした占いを快く思わなかった当時の王が、彼女を馬裂きにした。その証拠に馬裂きに使われた4頭の馬と、その時に胴を縛りつけた銀の円盤と革紐、見せしめの為に裂けた四肢と胴を並べた木板とが、馬廟(ばびょう)(まつ)られている。事実として残っている。私はその聖遺物を、原典を受け取る時に、この目で見た! 神は、神リュカは存在している!」


「分かってるよ。そこは否定しない!」


 預言者としてのリュカはいた。それは紛れもない事実だろう。


「私が納得できないのはリュカが死の後に、神となった事だ! それを信じる事ができない」


「愚かな。君は光の聖女として、この世界で一番に神の愛を──」


「──なら、どうして? 神が聖女を愛するなら、どうして私を孤児として作った? どうして、私は故郷を失った? 家族も故郷も、私には要らないものだと神が判断したのか? 私は小さい頃、母親に飢えていたし、故郷も、故郷の人たちも大好きだった。私には必要だった」


 ターナーは呆れたように額に手をやり、私を睨め付ける。


「どうして、日蝕の日に誰もが聖女だと判断できる力を与えなかった? どうして、神はお前に生命の力だと気が付かせなかった? どうして、学園で酷い目にあっていた私を神は見捨てた? どうして、私を学園から追放させた……?」


 私は育ちが悪い。教育らしい教育を受けた事がない。だから、神を信じていない。


 もし、日蝕の時に光の聖女だと認められれば、考えを変えて神を信じる所もあっただろう。だがそうではなかった。


 正直な所、何を今更、という気持ちが強い。正教会の教え通り、神が全てを見通して、全てが神の(おぼ)()しだと言うのならば、何故こうも振り回す必要があった。神が私を作ったなら、どうしてこんな目に()わせる。


「私は、全ての憂いをなくして、納得して、心の底から光の聖女でありたい」


「……君は神を侮辱している」


 そうか。この男にとって、神の全てを受け入れなくては神への侮辱になるか。その言い草、腹が立つ。


「たとえそうだとしても、私にはそれを言う権利があると思っている」


「キャロルは光の聖女だ。その立場で神を侮辱することの意味を考えるべきだ」


 ターナーは隠し持っていた短剣を机の上に突き立てた。


「神を信じろ、キャロル。──神がいなければ、世界は力が全てになる」


「ターナーさん‼︎」


 彼の隣に座っていたリアンが、腕にしがみついて制止した。


「どうしたって、この世界は力が全てだよ。打ちひしがれた時、神は何かをしてくれるか? 私はしてもらった事がない。だから強くなると、勉強すると決めた。それとも、この私の決意も、神の意思だと言うのか?」


「ああ、神の意思だ」


 まるで話が通じない。


「ジャック・ターナー。分かっているかと思うが、お前に私は倒せない。少しでも動けば首が飛ぶぞ」


「これ以上、神の慈愛を無下(むげ)にする気なら、私の死によって君の心に傷を残す。それで今一度、神について考えるべきだろう」


 強く睨みつけるが、動じない。この男の信仰心には哲学にも似た芯がある。そのままお互い、睨み合う。


 辺境伯が耐えかねて、少し溜息を漏らして言った。


「双方、やめよ。めでたい日なのだから、万事(ばんじ)仲良く出来んものか」


 みな、沈黙する。かなり長い沈黙に思えた。燭台の獣油が弾ける音だけが続いた。


 しばし経ったろうか。エリカが遠慮気味の声で言った。


「あのう。私は……。神様がどうだとか、関係ないと思います……」


 そして、意を決したように顔を上げ、隣の私に向く。


「えっと、わ、私は! 私はキャロルさんが光の聖女で、嬉しいです‼︎ 神様がとか、原典がとか、そんなのは関係なくて、大好きなキャロルさんが光の聖女で嬉しいんです! 私にとっては、キャロルさんはキャロルさんだから……」


 そう言ってエリカは口元をきゅっと結び、自信なさげに目を伏せた。


「あ、あのっ。何の解決にもなってないかも知れないですが……。キャロルさんが光の聖女なのは『私がいるから』というのではダメでしょうか……?」


「エリカがいるから……?」


 そしてまた、そろりと私を見る。


「光の聖女は瘴気を祓うんですよね……。だ、だから! だから、その……。私が、キャロルさんと一緒に『瘴気のない世界』を旅したいから……、というのではダメですか……?」


 エリカはじっと私を見ている。その表情はまるで告白の返事を待つ乙女のように不安げで、そこに微かな期待を滲ませたうぶなものだった。


「……クッ。クハハハハ!」


 それで私は、つい笑い出してしまった。


「キャ、キャロルさん……?」


 なんだか自分が滑稽(こっけい)に思えて来てしまった。やれ神が私を作っただとか、やれ神を信じていないだとか、やれ原典がどうとか、冷静に考えれば珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)奇天烈(きてれつ)だ。私がエリカの立場だったら、何をわけの分からないことを言って駄々を捏ねているんだと、机を勢いよく蹴り飛ばして部屋から出て行く事だろう。


 つまり、エリカはこう言いたいわけだ。御託(ごたく)は良い。お前はここにいるじゃないか。瘴気がここにあるじゃないか、と。


 いや全く、その通りだ。自分が恥ずかしいし、情けない。思い返せば思い返すほどに自分が嫌になり、笑えてくる。やれやれ、我ながら女々しい事この上ない。


「笑ってる……」


 エリカが目を丸くしている。いや、私だって笑うこともあるよ。別に普段から笑っているとも思うが、無愛想に見えているんだろうか。


「こ、声を出して笑ってるのは初めて見たかもしれない……」


 リアンまで言うし、辺境伯もターナーも呆気に取られている。


「ごめん、エリカ。その発想はなかったから、つい……」


 少しの涙を指で拭う。


「そうか、誰かの為にか……。みんな、瘴気は嫌だよな。瘴気が無くなって、安心して暮らせる世界を見てみたいよな。そうだよな……」


 エリカは生きる為に戦った。だが、私の場合は己の生死などかかっていない。五体満足で、病気もなく、学園で学ぶ権利まで得て、今こうして座っている。大変に恵まれている。それなのに、神がいるだのいないだので大声あげて、納得が出来ない、自分が無い、と口を尖らせてくだを巻いている。


 こんな程度の悩みや迷いは誰しも持ってる。世界は残酷だから、それに気がつく事ができない。自分が一番可哀想だと、自分が一番苦労していると、自分が一番、自分が一番、と繰り返して、自己愛に溺れ、本当の自分に目を向けない。


 だが『誰かの為に』と思う事で、視野が広がる。周りを見れば、確かに作り物ではない自分がそこにあると分かる。そして、こんな私でも好きでいてくれる人がいる事に気づく。


 思えば故郷から離れ学園に行ったのも、強くなりたいと思ったのも、根底にあったのは、私のような無力な孤児を作りたくないという想いだった。これも言わば、誰かの為なのだろう。


 だから──私は、私だ。自分の意思で聖女になろうとした。それで良い。今はそう思う事にする。


「気付きを得たよ、エリカ。ありがとう」


「は、はい……? 良かったです、とりあえず……!」


 ターナーは肩を落とし、溜息をつき、短剣を抜いた。彼も毒気を抜かれたらしい。激情的な狂人の気は失せた。


「リトル・キャロル。君がその道を歩んだのも──」


「つまり、私が歩んできた道も、神の試練。試練があったから、今の私がある。今の私でなければ光の聖女は務まらない。それらを含めて、神が私を作った。そういう理屈だろう?」


「……その通りだ。君にとっては認め難いだろうがね」


 私は煙草を(くわ)え、手を払って魔法で火をつける。ターナーにも一本くれてやった。


「少々騒ぎすぎた。お前も私も、頭を冷やすべきだろう」


 ターナーは黙って受け取り、咥えた。同じように火をつけてやる。隣に座るリアンは額の汗を拭って、終わった、と長くため息をついた。


「……先の話に付随して一つ教えておきたい事がある。首飾りの原典には、42篇目の詩がある」


 新しい情報があるのかと緊張感が漂いかけたが、ターナーは掌で少し制止しながら話を進める。


「いや、身構える必要はない。便宜上42篇目と言っただけで、この部分は正式には認められていない。使徒ザネリが教えではないとして原典で省いた部分だ」


 そして、原典を持ちあげる。


「ここに、リュカの夢が書かれている」

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