地下闘技場
私が学園から追放されてから、1節と半ばが経った。言い換えるならば、ヤニが切れてしばらくになるということだ。
今まで我慢して来たのだから先々も我慢できるとは思ったのだが、うろの周りに落ちていた邪魔な木の枝を人差し指と中指で挟んだ、そのふとした瞬間に、あの美味い紫煙がふっと脳裏によぎり、欲してしまった。
肺が黒く染まってる人間など、所詮そんなものだ。長らく禁煙をしようとも、こうなるともう駄目である。
「金だな。煙草を吸うための金がいる」
私は周りに集まっていた、殺戮の恐怖から立ち直れていない森の動物たちに告げた。
「近場の街に行って、金になる仕事がないか見て来ようと思う。すぐ戻ってくるよ」
■■
森から出て一番近い街は、プラン=プライズ辺境伯領サマセットという名の街だった。初めに向かおうとしていた街がそれだ。
街に入ってみたところ想像以上に寂れていた。大通りと見られる場所でもがらんとして、人の通りも馬車も少ない。元々は狩猟の要所として栄えていたが、今は廃れているらしかった。寂れているといえば聞こえは悪いが、自然あふれる長閑な街と言えば多少は耳触りが良くなるだろうか。
空から鳶の鳴き声が降りてくる。風は木々の香りを宿していて、仄かにどこかの酒場の匂いが混じる。仕立て屋の窓を覗くと、王都で少し前に流行した刺繍の入った服が目立つ場所に飾ってあった。
何らかの求人募集がある事を期待して、街の酒場に入る。それで、壁にある掲示板を眺めてみた。『王都サーカス団の警備』や、『王都行き商人の護衛』など、それなりに金払いの良いものがあるにはあるが──。
「さすが田舎町、王都関連ばかりだ」
学園のある王都には戻りたくないので、これらは選択肢にない。
重なって貼られているビラを片っ端から見ていくと、一つ、求人とは違う貼り紙を見つけた。
『地下格闘技場、挑戦者求む』。
どんな街にもある、いわゆる大人の遊びだ。血生臭い喧嘩を見たい野蛮な輩が集い、対戦者に金を賭け、酒の肴にする。戦いは一対一。対戦に勝った挑戦者は、集まった賭け金の内の幾らかを貰える、という仕組みだ。
「消去法でこれしかないか」
貼り紙に書かれていた場所、街の南に位置する倉庫に向かう。見た目は普通の木材倉庫だった。その地下に降りて、受付らしき場所で簡単な手続きを済ませ、控え室らしき場所に通された。
どうやらすぐに試合が始まるらしいので、その部屋にあった鏡で多少の身支度をする。
「よくもまあ、こんなナリで貴族御用達の学園で過ごしてたな。我ながら感服するよ」
鏡に映っているのは、随分と目つきの悪い女だった。瞳は鷹のように黄と黒がはっきり分かれている。腰まである紺の髪も陰鬱な印象だ。孤児院の頃にあだ名されていた猛禽女という名前は、実に的を射ていたのだな、としみじみ思う。
聖女候補だった頃は、にこやかな表情を保ち、髪を整え、出来るだけ童話に出てくるようなお嬢様とやらに徹していたつもりだった。
が、鏡を見てつくづく思う。我ながら、よく欺いていたものだ。いや、欺けていたのか? この姿を改めて見た事で、急に自信がなくなってきた。
■■
係員に呼ばれ、荒々しい観客に囲まれた場に立つ。
私の対戦相手は、細長い背格好の男だ。にやにやとした笑みを浮かべており気味が悪いのが唯一の特徴で、歳は20代後半といったところか。先ほど係から聞いたが、確か名をジェンキンスという。
「ははは。ラッキーだ。女の子が相手だなんてな。俺はよお、女の子の首を絞めるのが好きで好きでね。いままで何人もの女を絞めて殺してやったんだ。今でも夢に出てきて出てきて、その度に俺は夢精が止まらなくなるんだ」
地下闘技場には、犯罪者も集まる。
「そいつを聞かせてどうするんだ? 最低野郎だと罵られたい趣味でもあるのか?」
「頭の悪い女だ。ここではルール無用……ッ! 殺したって文句は言われない……ッ‼︎ 首を絞めさせろッ‼︎ うおおあああ‼︎」
男はどたばたと大袈裟に走って、一直線に向かって来た。
私は、首を締めようとした男の手を取り、跳び、脚を絡め、全体重をかけて、男を床に倒す。技がかかった。この体勢のまま少しでも力をかければ、この右腕をへし折れる。
女を殺せ、と騒がしかった観客が一瞬で静まり返った。
「これでも厳しい教育を受けて来たんでね。学園の教育は凄い。運動音痴のマリアベルでも、百戦錬磨の傭兵を素手で殴り殺せるレベルに仕上がるんだからな」
「や、やめろッ‼︎ 折るなッ! い、痛いのは嫌だッ!」
「安心しろよ。くっつきやすく折ってやるから。孤児院にいた頃は、よくやってた」
貧民街での遊びといえば、喧嘩が定番だ。
「も、もう二度と女の首とか絞めないからッ! 許してくださいッ‼︎」
「そうか? よし。じゃあ二度と悪さ出来ないように、変に折ってやろう」
力をかけ、肘を完全に破壊する。木材倉庫に、ポク、というくぐもった音が響いた
「うあああああああ‼︎」
救えないレベルの悪人を相手にできると、躊躇しなくて良いから楽だ。
「おい、何が起こったんだ……」
「あんな動き、見たことねえ」
「何者だ? 傭兵か? 軍人か?」
観客はしんとして、呆気に取られているようだ。いささかやり過ぎたかも知れない。そう思った矢先、観客が蜂の巣を突いたように次々に金を掲げ、係に押しかけた。
「あの女は次も出るのか⁉︎ なら賭けるぜ‼︎」
「お、俺も! 俺もだ!」
「次は誰と戦うんだ、アイツはッ‼︎」
ここでは強さが全てなようだ。分かりやすくて良いが、品性に欠ける。まあ、貧民街育ちの私にとっては、学園より馴染みのある風景だ。悲しいが。
■■
私は控室で賞金を受け取った。
「こんなに貰って良いのか?」
貰ったのは、10ドゥカート硬貨が6000枚。1節まるまる荷物番をして稼げるような金額だ。
「相手に賭け金が集まってたからなあ」
顔を油で光らせた男が笑顔を浮かべて言う。このオヤジが地下闘技場の支配人であり、この木材倉庫の管理者だった。
「君、次も出たまえよ。荒くれ共が期待している」
「パスだな。これだけあれば、煙草が箱で山のように買える。そんなもんで満足だよ」
などと話していると、控え室に突然、見窄らしい風貌の女が入って来た。
「あなた、調子に乗らない方がいいわよ。この闘技場で一番強いのは、私の彼なんだから」
挨拶もなく、いきなりこの物言いだ。私が呆気に取られているのをお構いなしに女は話を続ける。
「『一撃のアレハンドロ』を聞いたことないかしら? 傭兵時代には何人もの猛者を一撃で片付けてるのよ。アンタなんか、一瞬で殺されるわ。覚悟しておきなさい、クソ女!」
女は一方的に言葉を放って、強く扉を閉めて出ていった。
「何であんなに怒ってるんだ? 嫉妬か?」
「いや、危機感だろう。彼女はチャンピオンの女ってだけで、チヤホヤされてるからね。そんなことより、一瞬で人気者だよ、君! 挑戦状を叩きつけられたぞ!」
「めんどくさいなぁ……」
結局、オヤジの懇願に負ける形で、もう一試合だけ戦うことになった。相手は元傭兵の『一撃のアレハンドロ』。どうやら、この地下闘技場の最多勝率を誇るらしい。
「さっきの試合、見たゼェ。こんだけ鎧を着込んでりゃあ、お得意の関節技も使えねえだろ‼︎」
銀の鎧に身を包んだアレハンドロが、ぶんぶんと派手に槍を振り回す。欠伸を噛み殺しながら眺めていたら、したり顔で演舞まで披露してくれた。観客の盛り上がりは最高潮だ。私も拍手をおくる。
「うおおおおお、そろそろ行くぜオラーーーーッ‼︎」
だが、どうやら演舞だけが上手な男だったのだろう。実際の槍の捌きは酷く一辺倒だった。軽く避け、柄の部分を掴み、動きを止める。
「なぬっ⁉︎」
さて、跳んで膝で歯を砕くか、掌底で鼻を潰すか。考えて、思い立つ。そういえば、森で様々な実験をしている最中、人と対する時はどう菌糸を使うべきか、その方法も探っていた。ならば、ここで実際に試してみても良いかも知れない。
魔力を込めて、彼の肩を軽く叩く。それで巨大な茸を生やしてやった。畝る形の茶色い塊が、鎧を内側からぽんと爆ぜさせて現れた。
「ひっ、ひいっ‼︎ なっ、なんじゃああ〜〜! ち、力が抜けていく……」
菌糸が彼のエネルギーを奪っていく。立てなくなり、白目を剥いて倒れ込んでしまった。持っていた槍がころころと転がって、前列で見ていた例の見窄らしい女の足元で止まった。
「キャーーーー‼︎」
女が悲鳴をあげて、倒れた。どうやら私の彼が一撃で倒されたのを見て、卒倒したようだ。いや、急に人体から『巨大な肉腫のようなもの』が突然生えて来るのを見たら、誰でも倒れるか……。雑にやりすぎた。
私は反省し、腰に下げていた短剣でそれを刈り取って、一回戦よりも静まり返る観客の前にどさりと投げた。
「心配するな。ただの"きのこ"だよ」
少しの沈黙の後、観客がわあと押し寄せ、ひたすらに質問を浴びせて来た。
「おい、お前は誰なんだ⁉︎」
「一体どこで身につけた技なんだ、あれは⁉︎」
「どういう魔法⁉︎」
困った。目立つ事を嫌って地下闘技場に来たのだが。本当に、あまり雑な事をするもんじゃない。
「わ、私にも教えて……! すごいわ、あなた……。友達になりましょう……!」
今さっき倒れていたチャンピオンの女もふらふらと立ち上がり、ぐいっと私の腕を掴んで来た。もう私の彼は、もうどうでも良いらしい。
たとえ地下だろうと、これ以上大きな騒ぎにはしたくない。身元がバレたら面倒だ。なので、素早く身をかがめて、静かに人の波から抜け出す事にした。
「ん? どこだ? どこにいった?」
「あれ? どこなの? 友達になる約束は⁉︎」
そのまま、木材倉庫の外へ。その足で煙草を買って帰ろうかと思い、商店を探す。
「……」
が、やはりしつこい人間というのは何処にでもいるものだ。一人、足音を立てずに、ひっそりとついてきている。負けた選手が腹いせに背後から襲おうとしているのか、はたまた、ただの熱心な観客か……。さて、どうしたものか。
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