邂逅(後)
2つの死骸から、葉が生まれ、根が生まれ、木になる。木は急速に成長を続けた。私が一息ついて、ふらりと立ち上がる頃には、葉は天井まで届き横に広がり始めていた。その下には、血と臓物の雨が滴り降る。
私は刃を見た。魔物の脂が付着していても、陽炎のような揺らめきは濁らない。ついた赤い露は玉となり、跡を残さず流れ落ちている。
「まさか、石剣か」
私は離れた場所で立ちすくむリアンに向けて問う。リアンは目を見開いて驚いたまま、動かない。
聖ノックス市の石剣は水の聖女に与えられる武器。当然、聖女以外に触れる事は許されず、そもそも刃を抜くことすら出来ないだろう。だが、聖女ではない私はその刃で敵を切り裂いた。
異様だ。私という存在に、気味の悪ささえ覚える。
「いや、今はそれどころじゃない」
疑問を押し殺し、急いでエリカの元に駆け寄った。エリカは酒屋の庭にあった納屋のような建物の、完全に崩れた瓦礫の上にいた。頭から血を流し、治りきっていない左腕は血まみれだ。だが、意識はある。
「ごめん。痛い思いをさせたな」
直接、回復魔法を使用する。本当は薬を作って治したいのだが、そうしている場合ではなかった。私は、あまり回復魔法を使うのは好きではない。なんだか他人の傷に自分の唾をつけて治しているようで。
「聞いていいですか?」
「うん?」
「なんで私を置いて行ったんですか?」
答えづらい質問に私が黙っていると、エリカは続けた。
「もしかして、私から逃げたんですか……?」
まだ続ける。
「……私がそんなに信用できないですか?」
エリカはじっと私を見ている。頭の血が額を流れて、血の涙として頬をつたっていた。
「ふう。参ったな……。分かった。もう認めるよ」
頭の傷を治すために、その銀の髪を撫でる。
「……仲間を作るのが怖かったんだ。また、誰かの期待を裏切って幻滅されるんじゃないか、って」
私には、私自身がわからない。何者なのか、どういう存在なのか。まるで、見当がつかない。
私という存在のせいで、エリカに迷惑をかけてしまうかも知れない。そうなれば、彼女は私を疎ましく思うだろう。考えるだけでも切ない。
「今は良いだろうが、きっとこの先、私から離れたくなる時が来るかも知れない。そう思われてしまうのが怖かったんだ」
「私は、キャロルさんの味方です。キャロルさんが私の味方であったように」
「気持ちは嬉しいが……。きっと、そう簡単な話じゃない」
エリカは首を振った。
「簡単な話です。私はキャロルさんと、もっと一緒にいたい。もっとたくさんお話しして、キャロルさんのこといっぱい知って、喜びも悩みも共有して、そばで支えたい」
「私はどういう存在だか、分からないんだぞ」
「はい」
「邪竜の呪いよりも大変な運命を背負うかも知れない。地獄を見るかも知れない」
「はい」
「私に幻滅するかも知れない。その時は私も辛いが、きっとお前の方が辛い」
「それでも構いません」
エリカは私の袖を掴み、体を起こして顔を近づけた。
「キャロルさんによって再び生まれた命だから、キャロルさんの為に使いたいんです」
いやはや、参った。本当に参った。こう真っ直ぐな瞳で見られたら、どこにも逃げようがない。
「……降参だ、エリカ。行こう。一緒に」
私がそう言うと、エリカはじわりと目を見開いてから、血混じりの涙を浮かべて笑った。
「良かった。本当に一人で行っちゃうんだったら、永遠に追いかけ回すつもりでした」
「そいつは笑えない冗談だ」
「精進します」
私もエリカに影響を受けて自分が何者であるかを探し始めている、というのは照れ臭いので言うのをやめた。
■■
怪我をした子供達や兵士達の手当も行った。幸運なことに、死者はいなかった。
この結果は、マリアベルが自分以外の全員に防護術を張っていた事による。街人の話を聞くに、祭典の際に聖水を振り撒いていたらしいから、それが術の元だと察する。
術がかけられている事に気がついたのは、恐らく私だけだ。それだけ、薄く、淡白に、気づかれないように施されていた。子供達や兵士達にそれを知られたくない何某かの理由があったのだと思う。
例えば、自分達は守られている、と意識して欲しくなかったなどの理由が考えられる。この手の手法は、実戦の授業、特に真剣を用いる場合では良く使われていた。これには、死を前にした時の、いわゆる火事場の馬鹿力を発揮させ、それを自分で引き出せるよう感覚を叩き込みたい意図がある。
だが術があっても、大怪我を負った者もいる。クララ・ドーソンという女子は酷く負傷し、しばらくは療養が必要だった。
ともあれ、風を食む雄牛は死んだ。従って、聖地『地下墓地ラナ』はその役目を失った。
第二聖女隊の巡礼は、脅威を完全に取り除くという形で終わった。結果だけ見れば、これ以上ないものだ。マリアベル・デミの誉は国中に広まるだろう。
■■
ウィンフィールド牢獄内の病室の寝台の上で、マリアベルは寝ている。白い肌も、長い睫毛も、涼やかな薄く青い髪も、学園にいた頃と何一つ変わらないように見える。
「凄い怪我でしたが、死んでないんですよね?」
「あの程度じゃ聖女は死なないよ」
エリカがマリアベルの顔を覗き込む。
「……聖女は何故、闘わなかったんでしょうか。雄牛を倒すと決めたのは、彼女なのに」
怪我を治す前、マリアベルの目元は仄かに赤らみ、腫れていた。怪我によるものではない事は、一目見ればわかった。泣いた後の腫れ目だった。
「そう敵を見るような目を向けてやるな。きっと、マリアベルなりの考えがあったんだろう」
「敵ですよ。幾ら考えがあったとしても、やって良い事ではないと思います。集まった子供達は、聖女に憧れていた健気な子達です。死人が出なかったからまだ良かったものの、もしもの事があったらば私は……」
「首を刎ねるか?」
「かも、しれません」
「やめておけ。さっき言った通り、その程度では聖女は死なない。首なしで動いて、首を取り返す」
「……それは笑えない冗談です」
別に冗談で言ったつもりはないが、そう聞こえたなら仕方がない。少し笑って、残った水薬を鍋から瓶に移し替え、蓋を閉めた。
「キャロルさん。私はこの人が聖女だとは思えません」
黙って、聞く。
「聖女がみんな、キャロルさんのような人だったら良かったのに」
憤るエリカの顔を見て、私は、いつか話してやろうと思った。
マリアベルは下民の私を利用しようにも関わらず、その度に悲しげな、つまらなそうな表情を滲ませていた。それを疑問に思って、2年ほど前に調べた、とある地の話だ。
もう殆どの人が覚えていないだろう。私も本でしか知らない。その地にあったのは、たった十年と少しの歴史だった。南部諸侯には悪どい謀略で争う文化のようなものがある。そんな中で、一人の勇敢な騎士が剣と正義で手にした、小さな領地と城。それは、歴史の大海の中で、陽炎の石剣のように儚かった事と思う。
かつてその地には、潮風が吹くと緑の波が揺れる、幻の千の丘があった事を、いつか話そうと思った。
■■
リアンの怪我を治している最中、軽く話をした。私がジャック・ターナーを探している事を知ると、今この牢獄に彼がいるのだと言うので、早速合わせて欲しいと頼んだ。
それで、私とエリカはリアンに連れられて地下に向う。長くて暗い螺旋の階段には空気の逃げ場がない。灯りの獣油の臭いが充満し、いささか具合が悪くなりそうだ。
「僕からも原典の在処を教えてもらえるよう、頼んでみるよ」
「申し訳ない」
「こんな形でも、君の役に立てるなら良かった。いつかは君に恩を返したいと思っていたんだ。まあ……、今日、助けてもらった事で、また借りが増えてしまったのだけれど」
リアンはそう言って、照れくさそうに下を向いて続ける。
「それにしても、雰囲気が変わった。でも嫌じゃない。なんだか、これが本当のキャロルな気がして、今までの君の行動に納得がいった」
それではまるで、学園でお嬢様を演じていた私に違和感があったようではないか。恥ずかしいというか、なんというか、いたたまれない。なる気はないが、女優には向かないな。
「知り合いなんですか?」
エリカが問うので、答える。
「第五聖女隊のメンバーだった」
第五聖女隊は、まだ聖女候補だった頃の私が率いていた部隊だ。正規で従軍していたのはこのリアンとあともう一人の正教軍大尉だけで、他の兵は毎度変わっていた。
学園では課外授業という名目で、魔物を討伐する時期がある。大概は多くの魔物が活発になる春先か、冬を越えるために食料を集め始める秋だった。敢えて危険な時期に赴く。
「自分だけの隊を持っていたなんてカッコいいですね」
「カッコいいもんか。私にとっては苦い思い出だ」
学園に来て二年目。ファーレンロイズ侯爵領ベクレルに発生した、大狼の群れを征伐するという任務があった。だが私は学園と正教軍の命令を無視して、ファーレンロイズ領から程近い場所にあったレギン伯爵領ディアボロという場所に向かった。私の故郷だった。そこに霞竜フィリーが現れたのだ。
私が独断で行動を取ったことで、隊は2分した。リアンはその時、私についてきた数少ない一人でもあった。まあその理由は『国を困らせたい』という随分と投げやりなものであったが。
「隊は僕にとっては大切な場所でした。だけど、あれ以来第五聖女隊はなくなってしまった。僕はそれが寂しい」
そうかい。それは耳が痛いな。
「キャロルさんってどんな人だったんですか?」
ええい、あんまり話をほじくるな。
「上品で、優しくて、強い人でしたよ。妾の子だと不貞腐れて、何の努力もせず、人に迷惑ばかりかけて、ただいたずらに時を過ごしていた僕を変えてくれた」
「その話もっと聞きたいです」
エリカがわくわくとした表情で私を見る。
「もう忘れた。前を向かないと足を滑らすぞ」
結果として霞竜こそ倒したものの、故郷の人間を誰一人助けることが出来ずに終わった。あんまり口にしたくない。
「なんか、リアンさんだけ知ってるの悔しいな。二人の秘密みたいで」
エリカは少し俯いて、頬を膨らませた。
「時間はこれから山ほどある。いつか話すよ」
奇しくも、話さなくてはならない事が溜まってきてしまった。やれやれ、これでは仲間が出来て浮かれているみたいじゃないか。全く情けないと言うか、恥ずかしいと言うか。
□□
地下についた。どこまでも牢が続いていて、人の垢の臭いがしている。夏の夜だが、冬の入り口のような気温で、肌寒い。
進み、最奥の牢の前に立つ。中にいるのは、二人の男だ。
一人は座り込み、寝ているようだ。顔は良く見えず、寝息だけが聞こえる。
もう一人は壁際に立ってロザリオを握り、仕切りに何かをぶつぶつと唱えていた。耳を澄まして、ようやく祈りの言葉と分かる。普通は簡略するものをそうせず、正当な祈祷文を唱える。凛として、妙な近寄りづらさがある。
「ターナーさん」
リアンに呼びかけ、立っていた男がこちらに目を向けた。彼がジャック・ターナーか。
「雄牛は?」
「彼女のおかげで、倒せました」
ターナーがじろりと私を見た。先ほどの姿からは想像できないほど、眼差しはくすんでいる。
「リトル・キャロルと申します。お会い出来て光栄です」
しまった。また昔の癖でカーテシーをしてしまった。ええい。
「君は女神像を腐らせた……。見ていたよ、後ろで」
ターナーはロザリオから手を離し、こちらへ近寄って来た。背は曲がっていて、あの凛とした気配はどこにもない。瞬きの内に人が変わったようにさえ思えた。
「ターナーさんを探して、旅をしていたんだそうです」
「私を探して……? 何故?」
これについては私の口から説明したい。自分の問題だ。あの日蝕の日、私の事を見ていたなら話は早いだろう。
「原典を探しているんだ」
ターナーは私の目をじっと見る。
「原典を読めば、私が何者なのかが分かるのではないかと思った。もしかしたら空振りに終わるかも知れないが、少しでも自分につながる何かが欲しい」
「原典を……」
「クリストフ五世の養子なら、その在処を知っていてもおかしくないと思って探していた。誰が持っているのか教えては貰えないだろうか。奪うことはしない。見せてもらえないかと頼んでみるだけだ。ダメなら、諦める」
言い終わると、ターナーは顎に手を当て深く考え込んでしまった。まあ、無理もない。私は所詮、見ず知らずの女だ。そう虫のいい話など、ないかも知れない。
「僕からもお願いします。彼女は石剣を抜いたんです。普通じゃない。リトル・キャロルが日蝕の日に他の聖女達と同じく力を授かって、女神像を腐らせたことを考えても、何か、原典に記載があってもおかしくはないと思うのです」
「石剣を抜いた? 彼女が……?」
しばらく沈黙が流れる。リアンの手に持つ提燈から、ぱちぱちと油の弾ける音だけがしていた。
やはり、原典の場所など教えられないだろうか。原典は、正教会で最も慎重に扱われている聖具だ。普通に考えて、たかだか聖女候補だった18歳の小娘に教えてやれるものではない、か。
私が小さく溜息をついた時、ターナーは口を開いた。
「分かった。見てみよう、一緒に」
「見てみる……?」
「──原典なら、今、私が持っている」
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