邂逅(前)
風を食む雄牛は封印の獣と言えど、魔物だ。脳みそは畜生であるとか、畜生であるとか畜生であるとか、その程度のものだろう。所詮は3歳から5歳児程度の知能。
つまり、阿呆なのだ。体が透明でもこれだけ派手に塵を巻き上げて移動すれば、どこにいるのかは丸分かり。どうしてその優れた体を活かさないのか。恐らく、600年前もこうして失敗しているのだろう。全く進歩がない。
私は雄牛がリアンに突撃する横から、その見えない体に菌を根付かせることに成功した。これで誰でも目視が出来るようになった。そして雄牛は今、廃墟に衝突し、それを崩壊させ、のたうち回っている。菌糸が皮膚の奥深くにまで食い込み、相当に痛いのだろう。皮膚だけではなく、体の中までも汚染されたはずだ。
だが、雄牛はその長い体を、まるで蛇が塒を巻くようにして安定させ、再び臨戦態勢をとった。
思うに、まだ余裕があるらしい。血反吐を吐き散らかしてもおかしくないはずだが、それもない。痛みはあれど、致命傷にはならなかったと見る。
となると、体の丈夫さだけで言えば、竜か、もしくはそれ以上か。脳は畜生だと軽口を叩いたが、身体はさすが『封印の獣』だと言わざるを得ないようだ。思ったより真剣に頑張らなくてはならないかも知れない。
しかし、こう風が吹いては煙草に火もつけられないし、やれやれ、口寂しいことだ。
「リトル・キャロル……」
リアンは血まみれのマリアベルを引きずりながら、私を見た。
「いいから早く。コイツはお前を狙ってるぞ」
私は聖水を撒き、次いで塩を撒いた。来る途中に捕まえておいた双頭の毒蛇を麻袋から出し、両首を刎ね、血を撒く。
魔物にとって聖は臭気で、塩は汚物。雄牛から見れば、同胞を穢しに穢した上、これ見よがしに命を奪ったように見えるだろう。私の視点に置き換えるならば、魔物が人間の子供に糞尿をかけて遊びながら殺すようなもの。これは最大級の挑発だ。
『フシュルルルル……』
雄牛が息を荒げて、私を見る。
そうだ、私だけを狙え。怪我をしているリアンや、蹲る子供達を守りながらこの魔物を相手にするのは、難しい。
駆け寄って来たエリカに言う。
「エリカ。少し術に集中する必要があるから、しばらく私を守ってくれ」
「私がキャロルさんを守る……⁉︎」
エリカは目を見開いて驚きつつ、少しばかり頬を紅潮させた。一緒に旅をするという話を無下にしたのにも関わらず嫌な顔をしなかったので、私は申し訳なく思いつつも少しばかりホッとしてしまった。どうやら嫌われてはないようだったから。
「……頼めるか?」
問うと、エリカは目を閉じ、深く息を吸って、吐く。ゆっくりと目を開け、赤い瞳に静かな火を携えながら剣を構えた。
「準備はいいか、エリカ」
「任せてください。キャロルさんには指一本触れさせない……ッ‼︎」
これだけ挑発しても雄牛はまだ様子を見ている。目をぎょろぎょろと動かし、私とリアンを見比べて、何かを見定めているようだ。どちらかと言えば、ややリアンに殺意が向いているか。
ならば、と同胞の胴を噛みちぎって吐き捨てた。残った胴は地に落として踏み躙り、『来い、愚図』と五指を前後に動かして招く。これが引金になった。
『ブオオオオオオ‼︎』
雄牛は激しく鳴き、その長い体で空を泳いで、こちらに直接向かって来る。
エリカが私の前に出て、雄牛を剣で払う。刃が角に当り、火花が散る。雄牛は弾かれて、私の横を抜けて行った。
「くっ……‼︎」
エリカは苦しげな声を上げた。やはり、左腕はまだ完全に回復しきっていない。それ故に、払う仕草は左腕を庇うようだった。
右腕だけで雄牛の突撃をいなせるのは、三度が限界か。すなわち残り、2回。急ぐ必要がある。
後ろから、ごうと風を切る音が聞こえる。背後で旋回して、すぐに攻撃を仕掛けて来るだろう。
私は目を閉じて、姿勢を正し、意識を集中させる。先程は大したダメージを与えられなかったから、もっと純度の高い魔力でヤツの動きを止める必要がある。魔力を溜め、練り上げ、それを一纏めにぶつけてやるしかない。
芥子から作った丸薬を口に放り、噛み砕く。生贄を脱魂させる際によく用いる麻薬だが、慣れれば魔力を増せる。
次いで、没薬の大塊を左手に握り、手の中で熱し、煙を立てる。没薬とは樹脂の香だ。これには私の血を馴染ませているので、私の魔力に限りこれの中に備蓄することができ、燃せばそれを取り出せる。
左腕を真横に突き出し、足は揃えて棒とし、頭は正面。天地人の姿勢。右手で三度十字を切り、『汝、名を名乗れ』と繰り返し口にする。風を食む雄牛という呼び名ではなく、本当の名を知りたい。真の名を知っているか知っていないかで、魔法の効果は桁違いに変わるものだ。
雄牛の魂は『ダーゴン』と、私の魂に直接名乗った。なるほど、覚えやすい名だ。耳心地も悪くない。
「つぁ……ッ‼︎」
激しい衝突音と、甲高い金属音が背後から聞こえた。エリカが雄牛を弾いた。残り、一回。
焦らずに、改めてイメージを高める。菌糸が敵の皮膚の奥深くまで食い込み、もっと太い根となって、肉を破って腹まで蝕むのを、強く強く思い描く。
臍の下、丹田の奥に、熱を感じる。魔力が増大して、内で炎が宿る。炎は次第に、私の中で光の柱となって、天を突き宇宙を目指し、地を突き岩漿を目指すようだった。
ジジジ、と音がしている。私の周りで電離が発生している。体から魔力が迸り、それが空気を壊して火花を散らせる。カタカタとした音が混じるのは、塵や瓦礫が浮き始めたからだ。
──整った。最大限まで魔力を溜めた。
それを無駄に放出せず、全てを漏れなく敵にぶつけたい。
精神を揺らさず、なみなみとした器の水を運ぶように、そっと、静かに目を開く。
「キャロルさんっ……‼︎」
エリカの剣が雄牛の角を受けた。捌き切れず、鍔迫り合いのような形となる。エリカは膝をつきながら、何とか持ち堪える。左手を右腕に添え押し返そうとしているが、縫合箇所から血が吹き出る。
私は『ダーゴン』と静かに呼びかけ、雄牛と目を合わせた。
バチン、と雄牛の体に電気が走る。
その瞬間、敵の体の表面がボコボコといびつに盛り上がり、緑色の葉が花開くようにわさわさと生まれ、肉が弾けた。その緑はうねるように増えていき、肥大し、肉を破っていく。雄牛の体から血が吹き出す。腹からは茶色い根のようなものが出て、地面に食い込んだ。
雄牛の体を蝕んだのは、茸やカビの類ではないことは確かだった。
エリカが、ポツリと言う。
「……木が生えた」
その時、雄牛の目がぎょろりと動いて、エリカを睨め付けた。
「チッ! まだ動くか! エリカ、剣を貸せッ‼︎」
反撃が来る。すぐに首を刎ねなければならない。
エリカが私に剣を渡そうとした時、雄牛はその体を捻って、根や葉を無理やり千切りながら回転し、エリカを尾で弾き飛ばした。がしゃんと装備が壊れる音と共に、エリカは凄まじい速さで飛ばされ、幾つかの建物を崩壊させた。
剣は私の手に渡っていない。宙を舞っている。
次いで、雄牛は大きな口を開けて、私の頭を齧ろうとしている。まずい。このままでは、首を持っていかれる。
咄嗟に、足元に落ちていた布に包まれた剣を手に取る。柄を持ったその時、少し離れた場所からリアンの声が響いた。
「──ダメだ! それは聖女にしか抜くことができない‼︎」
彼が私に向けて叫んだことが分かったが、その内容までは理解できなかった。理解するまでの余裕がなかった。
柄を持ち、そのまま振り上げると、布が剥がれて刃が露わになった。薄く繊細な刃だった。陽炎のように光が揺蕩っていた。
その切先は、雄牛の体を縦に割き、真っ二つにした。手には何の抵抗も伝わらなかった。まるで空気を撫でたようだった。
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