地下墓地(前)
第二聖女隊が地下墓地ラナへ向かう間、ジャック・ターナーはウィンフィールドの牢獄に収監される事となった。手首には木の枷をつけられ、魔法を封じる術もかけられた。
暗い石の部屋にいるのは、一人だけではなかった。王都へと移送される最中に、エリカ・フォルダンを人質に逃げ出そうとした暗殺者ズィーマン・ラットンもまた、そこにいた。互いに正教軍に引き渡される人物として、纏められている。
長い沈黙が続いていたが、それを破ったのはズィーマンの方であった。枯れて消えいるような声で、唐突に問う。
「大白亜は正教軍に占拠されたのか?」
ターナーは正教会内で何か良からぬ事が起きていると推測しているが、実際にはどのような状況なのかは分からない。だから、訳知り顔なこの男から少しでも情報を仕入れるために、話を合わせてみることにした。
「……よく分かったな」
そう言うと、ズィーマンは小さく肩を揺らしてくつくつと笑う。
「何となくな。勘だよ。そうか。ついにやったか、そうか……」
この男は、本部教庁に深い繋がりがある人物を葬ろうとした。
正教会の中枢を担う本部教庁と、正教会の軍事組織である正教軍は軋轢が激しいとされている。正教軍大元帥ヴィルヘルム・マーシャルが本部教庁のクリストフ五世を追いやり、教皇と名乗った事でそれは決定的となった。これらを前提とした上で、ズィーマンの意味ありげな態度を見ても、やはり彼は軍部と深い関わりがあるのだろう。
「正教軍はどういう考えでクリストフ五世を追いやった……? 大層な志でもあるのか?」
「決まっているだろう。腑抜けた正教会を変え、この世を正すのだ」
ズィーマンはにやりと笑って、続ける。
「正教会が全世界を統一する役目を負わねば、滅びゆく世界を変えることは出来ない」
瘴気で狭まる世界では、5つの国だけが残った。
まず一つは正教会が誕生したこの国『神聖カレドニア王国』。今では一番の大国である。
次に隣国『アングリア王国』。『グリフィズ王国』。これらは瘴気で小国になりつつある。
戦乱が続く『ロングランド諸侯地方』。
もはや瘴気により虫の息の『ナヴァラ朝カタロニア』とがある。
ターナーは少し考えて、小さく溜息を漏らした。
(……成程。水の聖女が光の聖女を討とうとするのを許可したのにも、納得がいく)
全ての国が信じるのは正教会。神は同じくして、女神リュカである。
確かに、神に選ばれた聖女達を従え、我こそが世界を救世する者だと力を振り翳し、既存の王を従えれば世界の王になれる。それを成せるのは教皇か、光の聖女か、だ。
「ヴィルヘルム・マーシャルは王になりたいのか」
果たして邪な心があってそうなりたいのか、真に世界のことを考えてそうなりたいのかは分からないが、確かに論で言えばヴィルヘルムにとって光の聖女は邪魔だ。
水の聖女は聖女達の中から輝聖の代役を立てると考えているようだが、この話を聞く限りそれはなさそうだ。ヴィルヘルムがその役目を担うつもりなのだ。
「王? ヴィルヘルム・マーシャルはそんな所に落ち着くお方ではない」
「では何を目指す?」
「神そのものだよ」
ターナーは耳を疑った。
「何一つとして人を救いはしない神を消し去り、真に人を救う神となるのだ」
神になろうとしている? 今この男は、そう言ったのか?
「人は神になどなれない。人が神として立てば、それは偽神だ。聖職者だけでなく、王や諸侯も黙っていない。瘴気が迫る中、人と人の争いを仕向けるなど、とても救世主のやる事とは思えない」
ターナーがそう言うと、ズィーマンはこう返した。
「何を言っている? 4人の聖女がいるではないか。もはやヴィルヘルムは神の資格を得ている」
──しまった。
ヴィルヘルムを神とする根拠に、4人の聖女がいる。彼女達は全員、ヴィルヘルムに選ばれた。教育を施したのも彼であると言える。聖隷カタリナ学園は正教軍が作ったものであり、学長の名はヴィルヘルム・マーシャルとなっているからだ。だから、聖女を作ったのは彼だと言うならば、それは嘘だとも言い切れない。
聖女は神により選ばれ、その力を与えられると原典にある。即ち、4人の聖女はヴィルヘルムを神とするための根拠として存在しうる。
この状況で、もし正教会がヴィルヘルムを新たなる神として認めれば、どうなるか。神の資格を頭上に掲げ、人を救わぬ神の代わりに、己が人を救う神となると宣言すればどうなるか。
「クリストフ五世の養子、ジャック・ターナー。どうせお前は養父と共に処刑されるのだ。冥土の土産に教えてやる」
名を言い当てられ、ターナーはハッとして顔を上げる。この男、己の事を知っていたのか。
「ヴィルヘルム・マーシャルは神としてこの世界を征服し、瘴気と戦う。これは何年も前から準備してきた事なのだ。誰であろうと、もはや流れを変えることは出来ないんだよ」
神が生んだ救いの聖女を己の為に利用するなどと、神に対する冒涜の極みである。その上で神そのものを踏み躙り、自分は神に成り替わろうとしている。邪であろうと、大志があろうと、それはもはや『神殺し』の他ならない。
──光の聖女を。光の聖女を殺してはいけない。
神が生んだ最大の希望『光の聖女』、すなわち輝聖を失えば世界は瘴気に埋まる。
原典には光の聖女が聖女達を率いて、平和を成すとある。原典とは神が記した人類の道筋。そこから外れてはならない。それが神の教えだ。道を逸れては、滅ぶと言っているのだ。
『神殺し』が神を殺し、頂点に立つなどあってはならないのだ。
□□
その一方で聖女マリアベル・デミはリアンを含む正教軍とエリカ、ミッシェルを含む辺境伯軍を連れ、子供達の待つ街の広場へと向かっていた。辺境伯は不在である。聖女らが地下墓地に入り次第、ウィンフィールドの街全体を警護する隊を率いる。
マリアベル・デミは広場へ向かう道中、妙な感覚に襲われた。
──足が重い。
まるで膝上まで泥のある、深い沼地を歩いているようだった。
いや、それだけではない。時折、足首を何かに直接掴まれているような気配さえ感じた。
下を見れば、骸骨の手や、毛むくじゃらの獣の手が、足首から脹脛へ、脹脛から太腿へと、のぼって来るようにも見えたのだ。
恐ろしくなり、小さく悲鳴を上げて、つい、足を止めた。息が浅くなり、顔は青ざめ、汗は冷えている。
マリアベルが立ち止まると、リアンも、追従している兵達も足を止めた。そして、何事かと一様にマリアベルを見る。
マリアベルは彼らの目を見て、震えた。目が、黒い。ぽっかりと穴が空いているようだ。その穴は、深い深い海の底に通じていて、得体の知れない場所を覗かせている。
先に進めば、もう後には戻れない。そう、脅してきているんだ。
一体誰が? ……たぶん、それは。自分なのだろう。
「……どうされましたか」
リアンは、ここで考え直せと言わんばかりに、問うた。
マリアベル胸に手を当て息を整え、目を閉じ、小蠅を振り払うようにして首を振る。
──ここで立ち止まれば、光の聖女が生まれてしまう。
光の聖女が世間に認知されれば、水の聖女の価値は大きく下がる。自分の力は、自分で保たねばならない。誰も自分を守ってはくれない。
大丈夫。神は私の味方だ。見捨てるはずがない。
マリアベルは、拳を握り、強く一歩を踏み出した。その足に、泥を纏わせたままに。
□□
広場には多くの子供たちが集まっていた。特に乙女達は数10人と集まり、みな伝統的な白い服を着て、頭には花冠をあしらい化粧を施していた。
腰には三つの巾着袋をつけ、一つは山羊のチーズ、もう一つは蕗や紫蘇などの山菜、最後の一つには貝殻が入っていた。これは山間に伝わる伝統的な魔除けで、豊かな実りを身につける事で、神が味方している事を知らしめ、魔を退けるのである。
聖女が広場に到着して早々に、巡礼の祭典が行われた。祭典は、穢れを祓う際に行う祈祷に準ずる様式で、細かな次第は前日の内にマリアベルより指導があった。
聖女が篝火の前で祝詞をあげ、少しの霊酒を子供たちに分けた。その後、聖水で満ちた金の杯から水の剣を生み、引き抜く。そして、男達に押さえ付けられた生贄の子山羊の首を刎ね、血の滴るまま胴を自らの頭上に掲げた。最後には、水の剣を徐々に聖水に戻しながら振り回し、舞った。聖水は煌めく飛沫となって撒かれ、存分に場は清められた。
男子達は血を見た後は退屈していたが、乙女達は舞の美しさに最後まで目を輝かせ、光る水の飛沫に溜息を漏らした。
□□
喇叭の音と共に、隊は子供たちを連れて地下墓地へと出発する。
マリアベルは乙女達に囲まれながら、歩む。傍には、黄金の髪を持つ少女クララ・ドーソンがいた。彼女は喜びに頬を赤らめ、目を潤め、少し額に汗を滲ませながら、ぴたりと付いて歩いていた。
「私、こうして聖女様と共に歩く事ができて、それだけじゃなくてお話までする事ができて、何と表現していいか分かりません。何だか、夢みたいで、ふわふわしています」
クララは、アルトバーグ伯爵の子であるが、緑豊かな故郷は瘴気に飲まれて消滅した。
家族で命からがら逃げ出したが、領を満たした毒のせいで、父母は大病を患った。辺境伯領に逃げ込んでからは、父母を看病しながら自らも働いた。やがて父母は娘の顔さえ分からなくなり、自らの糞尿で遊ぶようになって、喉を掻きむしって死んだ。
仕事は辺境伯の紹介で職人の手伝いをした。石材を加工し、小さな像を作る仕事であったが、働いた事などないクララにとっては慣れぬ作業で大変だった。手は乾燥してひび割れ、血が滲んだ。周りは親切な者ばかりで恵まれていたとは思えど、それでも父母を看病しながら慣れない作業をするのは辛かった。日々、神はどうして私をお見捨てになったのだろうと嘆いていた。
それでもクララが人生を諦めずにいられたのは、聖女の存在があったからだった。自分とそう変わらない歳の娘が、世界を救おうと邁進していることを思えば、勇気が出た。聖女が明るい未来を作ってくれると信じれば、力が沸いた。
「故郷も失って、お父様とお母様もいなくなってしまった私にとって、聖女様は本当に救いの人だから。私には聖女様しかいなかったから……。その、嬉しくて……」
マリアベルは優しく微笑む。クララのはにかむ表情が、どこか愛おしくも思えた。そして、彼女の荒れた手を見て、自分との共通点を見出してしまった。
この子は、一緒なのだ。聖女になる前、サウスダナン領を追われたばかりの自分だ。
「クララ様は、聖女様のお力になりたいと魔法も勉強しておいでです。それはもう評判で、もしかしたら聖女様以上の働きをなさるかも」
「や、やめてよアンナ! なんてことを言うの!」
クララの隣にいる、ドーソン家に仕えていた四十半ばの女性アンナ・テレジンは、焦るクララを無視して、胸を張って自慢げにこう説明をする。
クララは仕事熱心で周囲にも頼られるようになってきたし、仕事に慣れてきたら自分の時間を捻出出来るようになったので、その時間を魔法の研究に充てた。1節に3度ほどの暇を貰い、隣領の魔法学校に夜学で参加するなどして、実力も身につけた。
「きっと聖女様のお役に立つはずですから、お側に置いてやってくださいまし。損はなさいませんわ」
「アンナ! いくらなんでも失礼でしょう! ご、ごめんなさい! 私のことになると、いっつもこうで!」
マリアベルは困ったように笑い、気にしないで、と首を横に振った。
そして、こう思った。きっとクララ・ドーソンにとってアンナという女性は、己にとっての女中エスメラルダのような存在なのだろうと。
「私はクララ様の為ならば、多少の失礼など苦にも思いません」
「苦に思うのは失礼をされたほうです! もう、本当に……。ごめんなさい、聖女様」
口喧嘩を始める二人を見て、マリアベルは急に胸が苦しくなった。
クララの真っ直ぐな目。張りのある声。可愛げのある仕草。全てに、人を惹きつけるものがあった。それらは、マリアベルにとってあまりにも眩しかった。
──きっと、この子は光の聖女だろう。
なぜだろうか。心臓を直接握られたように、胸が痛む。
「聖女様? 気分を害されましたか……?」
クララはマリアベルの表情が翳ったのを見て、心配そうに顔を覗き込んだ。
「いいえ。なんだか、懐かしい気持ちになって」
それを聞いて、クララはほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。嫌われちゃったらどうしようかと」
マリアベルは、逃げるようにして歩みを早めた。この子と一緒にいると、自分が危うくなる。自分が、自分でなくなってしまうような気がする。
だが、どうしても考えてしまう。
──もしも己が領を追われた時に、既に世界に聖女が存在していたならば、この子のように健気でいられたのだろうか。
□□
隊は進む。
街から続く長い石畳の坂道を登ると、急に道が無くなり、森に入った。この森は『大きなシュバルツバルト』と呼ばれ、地元の人間も寄りつかない。木々が生い茂り、昼なお暗い禁忌の地である。
辺境伯領の民達の間では、決して入ってはいけないと言い伝えられており、入って探検しようとすると竜が来て頭を齧るという歌まである。とにかく、人の寄りつかない聖地だった。
森をしばらく進むと、木々の間に縄が張り巡らされた箇所に差しかかる。縄にはたくさんの鈴と、木の板が吊り下がっており、音が鳴るようになっている。これ以上入るな、と警戒しているのだ。
さらにこれを無視して進んでいくと、動物達の痕跡も無くなってくる。魔物を含めて生き物が寄り付かない、妙な静けさのある、暗く、気味の悪い森へと変貌していく。これには、地下墓地にある封印が影響している。
人間にもその効果は現れる。敏感な者は『何か気分が悪い』『船酔いするようだ』と言って嫌がる。
「なんだかちょっと怖いですねぇ、クララ様」
アンナは、女性にしては大きめの体をクララに引っ付けて進む。
「大丈夫。聖女様が守ってくださるわ」
クララも少し恐怖を感じていたが、前を進む聖女の髪が風に揺れて煌めくのを見て、堂々と木の根を踏み越えてゆく。
男子の一人が、方位磁針をその場に捨てた。狂って回りだしたので、壊れたと思ったのだ。
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