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警鐘


 辺境伯はウィンフィールド郊外の街道に兵を配置した。およそ、騎馬隊が20。歩兵が60。魔術士が20。合計、100余の人員である。隊旗は青鹿に盾と大槍(ランス)、それから『山民は神の他に屈せず』の文字。領軍本隊が使用するものを、そのまま用いる。


 一方でウィンフィールドの街では、聖女を迎える準備が進められている。まるで祭りの日のように、広場には露店(ろてん)が並び始めた。街灯の燈には火が灯り始め、特別な時にしか使わない大きな篝火も幾つか置かれた。商人達や、食堂の女将、酒場の看板娘達が、忙しなく働く。


「聖女様はお肉などは召し上がるのだろうか?」


「そっちに店を構えたって聖女様に気づかれないよ! もっと前に寄りなさい!」


 みな、笑顔で準備を進める。世界を救わんとする聖女が、この街に来てくれるのだから。


□□


 20時。空、西の山々の峰から星の帯が伸びる。星明かりの第二聖女隊は、ついに辺境伯の敷いた防衛線の前に着いた。


 辺境伯が前に出ると、マリアベルも馬車から降りて前に出る。互いの距離、10歩ほど。


「この度の巡礼お祝い申しあげまする、海聖マリアベル。我が名はプラン=プライズ辺境伯、ロジャー・グレイと申す」


 続ける。


「街に入られる前に、ここに一つ確認しておきたい()あり。兵より聞くに、風を食む雄牛を討伐なさるとの事だが、これはどのようなご存念か」


 辺境伯の目は厳しい。(かも)す圧は獅子(しし)である。だがマリアベルは何も言わず、辺境伯の後ろの兵を見ている。戦力の差と、その配置を確認しているのだ。


「わざわざ封を解いて、討伐する理由が思いつかぬ。多くの民を危険に晒すより、封印しておけば良かろうものと。(はばか)りながら申し上げれば、聖女様のお力を疑うわけでは無いが──」


「抜刀」


 マリアベルが右手を挙げて、号令を出す。正教軍は全員抜刀。吸収された辺境伯軍は困惑した。


「抜刀」


 それを察してか、マリアベルはもう一度指示を繰り返した。同時に、挙げていた右手で信号を出す。親指と人差し指で輪を作り『注目』、五指を伸ばし掌を(ひるがえ)し『前方』、人差し指と中指を立て『敵』、そこから拳を二度握り『抜刀せよ』。


 マリアベルが従えている辺境伯軍も、ついにばらばらと抜刀し始めた。ミッシェルもたまらず指示に従って抜刀した。エリカは抵抗の意思を見せようとしたものの、背後の正教軍の視線厳しく、結局抜刀する。


「正気か……!」


 辺境伯の問いに、マリアベルは答える気配がない。


「待たれよ! こちらは考えを知りたいのだ。お教えいただけないのなら、もう、それでも構わん。しかし、雄牛が討伐可能だという根拠だけは、ここに示して頂きたい!」


「斉唱」


 マリアベルは左手を挙げ、小指と薬指を立てた。正教軍が歌い始める。讃美歌(コラール)八七五番『さやかに野ばらかがやき』。これは血の穢れを祓うとして、正教軍が戦闘の前に歌うものである。


「話もさせて貰えんと言うのか……!」


 つまり、マリアベルは武力でウィンフィールドに入ると宣言したに等しい。最後通告である。


「当方は勅命に背き、罪に問われても良いという覚悟である。それでもなお、話すら出来ぬか」


 マリアベルがようやく口を開く。


「私も、これだけの兵を揃えて頂き出迎えご苦労と申し上げたく思います」


 これ以上話をしても平行線であると主張しつつ、ここに来て慈悲を見せた。今ならば出迎えとして解釈する、と逃げ道を用意してやったのだ。


 辺境伯としては膠着を狙っただけで、もちろん戦闘は本意ではない。その上、向こうにミッシェルとエリカらが生け捕りにされているから、下手をすれば同士討ちとなるし、人質にされても面倒だ。


 さすがの辺境伯も、マリアベルによって作られた逃げ道に誘導されるしかなかった。これは、目的を何も果たせぬまま、将としての駆け引きに負けた事を意味する。


「……おい。道を開けるよう言え」


 辺境伯は隣に立つ老騎士に告げる。


 マリアベルは馬車に戻らず、旗手(きしゅ)を両脇につけて、そのまま前を行く。第二聖女隊は邪魔者のいない石畳を、悠々と進み始める。


 辺境伯とエリカはすれ違いざまにそれとなく目を合わせた。思うのは、同じ事。やはり、リトル・キャロルがそうであったようにマリアベル・デミもまた、並大抵ではない。これが神に選ばれた聖女ということか。


□□


 第二聖女隊はウィンフィールド市街に入り、歓声によって迎えられた。


 マリアベルが中央広場まで行くと、集っていた子供達や乙女たちに囲まれた。みな、『聖女様、聖女様』と口々に言っている。


 その中の一人に、黄金の髪を輝かせる少女を見つけた。歳はマリアベルよりも少し若いか、そう見えるだけで同年代かと言ったところで、瞳は美しい(みどり)、顔立ちは凛々しく、肌は透き通るような白であった。その娘が頬を赤らめながら、マリアベルに言う。


「聖女様、わたし、わたし、とっても憧れていて……‼︎」


 マリアベルは微笑み、言う。


「美しい髪ですね。お名前は?」


「クララです! クララ・ドーソンです!」


 その少女は、かつてここより北に存在したアルトバーグ伯爵領の領主の娘であった。領地が瘴気に飲まれて何10年と経つが、今は辺境伯領で暮らしている。


 隣に立つ、ドーソン家の侍女が言う。


「クララさまは魔術に秀でていて、いつかは聖女様のお役に立ちたいと常々仰っているんですよ」


 クララは血筋良く、見目麗(みめうるわ)しい。才もある。彼女の周りには光があるようで、これだけの人に囲まれても特別華やいでいるようにも見えた。


「──そうですか。では少しお手伝いして頂かなくてはなりませんね」


「ぜひ!」


 クララは嬉しさに目を潤ませて、にこりと笑った。


□□


 一方でその頃、セント・アルダン。


 リトル・キャロルは未だ怪我人達の治療を続けていた。怪我人たちは順調に回復している。何人かの瀕死だった者を除けば、あと2日ほどで出立することが出来るだろう。


■■


 翌朝。私が炊事場に入ると、すでに教会の人間が朝食の支度を始めていた。


 私も手伝うことにして、何品か作る。食糧は教会の備蓄が少しと、あとはトムソンがほとんどを提供していた。ここでの食事は基本的にポタージュだ。素材を丸ごと煮込めるから栄養に無駄がないし、何より作るのも食べるのも楽で良い。


 その後、教会の集会場で怪我人達と食事をとる。ポタージュと、パンと、エール。少しの炒り豆もある。栄養満点の朝飯、といったところか。


「なんだ、アンタら聖都から来たのか!」


 私の隣で、爺さんと会話をしていたトムソンが大声を上げた。


「俺たち聖都を目指してたんだ。コイツに尋ね人がいてね」


 トムソンが私を親指で示す。


 確かに私たちは、学者ジャック・ターナーへの手がかりを求めて、()にも(かく)にも一先(ひとま)ずは聖都へと向かっていた。マール伯爵領に入ってから北上する予定だった。


 王都『大ハイランド』に次ぐ第二の都市、それが聖都アルジャンナだ。王都が百の塔を持つ城壁に囲まれた城塞都市であるのに対し、聖都は山に建つ巨大な宗教施設『大白亜』から(ふもと)に向かって広がるように作られた開放的な街だ。


 大白亜は正教会の本部としての役割がある。その広大な敷地には様々な建物が並び、さらにその中央に城のような教会が(そび)える。建物の色は殆どが白で統一され、教会のステンドグラスに陽が当たると、複数の建物がそれに染まった。


 私は学園を追放された身だから、流石に大白亜の門の内には入れない、即ち入山することは出来ないと思う。が、その周りにも街は広がっているわけだから、そこで情報を収集しようという考えだった。聖都には正教会の関係者が山ほどいる。地道に聞いて周れば誰か一人くらいは、ターナーの行き先を知っている人がいてもおかしくはない。……と、思っていたのだが。


「聖都はやめておけ。ワシらはそこから逃げてきたんじゃ」


 老人は怪訝な顔をして、そう言い放った。


「おいおい。聖都は治安も良くて商売もしやすいんじゃなかったのか?」


「いつまでもそうとは限らん。聖都を歩く正教軍の数も異様に増えとる。戦乱の空気じゃ」


 ……正教軍が増えている? 


 普通、聖都にはあまり正教軍がいない。もちろん駐在こそしているが、大白亜内の見回りに必要な最低限の人数が、そこにいるだけだ。


 正教軍の本部は王都にある。禁軍、即ち王の私兵らと密に連携することが求められているからであったり、立地の問題であったり、理由は様々だが、とにかく聖都に正教軍が増えるというのは異常だ。目的が見えない。


「ワシャあ、何十年も大白亜の中に油を(おろ)してきたんだ。それでな、仲のいい神官がおってな。だから、正教会の内情についても、ようく知っとる。お嬢ちゃんたちは優しくしてくれたから、特別に教えちゃるがな」


 老人は少し身を屈めて、机越しに顔を近づけ、ヒソヒソと声を発した。


「──教皇が査問(さもん)にかけられ、退陣なされたと」


■■


 朝食を食べ終え、裏庭の長椅子で煙草を吸う。灰色の空に煙がふわりと溶けていくのを見ながら、査問にかけられた教皇クリストフ五世の事を考えていた。


 まず、査問にかけられた理由だが、まあこれに関しては十中八九、私が聖女では無かった為だろう。恐らく『私欲による任命』だったかどうかが争点となっていて、それが認定されれば教会法に違反している。


 前にコスタスが言っていた、学園に戻そうという声があるというのは、私を査問に出席させる為のものだったのかも知れない。もしかしたら彼は、その理由を知っておきながら逃してくれたのかも。遠回しの忠告だったのかな。


 私が参考人として査問に出席すれば、教皇を退陣させたい勢力によって、出生や入学理由、クリストフ五世との関係性について、嘘の証言をするよう強要された可能性が高い。それを断れば、ことさら面倒なことになっていただろう。


 まあ結局のところ退陣したと言うならば、私が出る必要もなく彼は罪に問われてしまったわけだ。


「よう。ここでヤニ吸ってると思ったぜ」


 トムソンがやってきて私の隣にどかっと座るので、煙草をくれてやる。


「何だよ。落ち込んでんのか?」


「そう見えるか?」


 私は顔に出やすい人間なのだろうか。学園でお嬢様ぶってたのが尚更(なおさら)恥ずかしくなってくるな。


「別にお前さんのせいじゃないんじゃないの。教会内の権力争いってやつだろ?」


 そう言ってトムソンが干し葡萄を一つ寄越す。


「何にせよ、聖都に行くのはヤメってことになるか?」


「あの爺さんの話だと物騒らしいしな。もしかしたら、私も追われる身なのかも知れん。ぼんやりと入って行ってもしょうがない」


「聖女って大変だな」


「聖女じゃなかったから、大変なんだよ」


 その時、ふと長椅子の後ろの方で、話し声が聞こえた。親に言われてこの教会で手伝いをしている、15歳程度の女の子2人の会話だ。


「私も『風を食む雄牛』の討伐、見てみたかったなあ」


「今から行けば、まだ間に合うと思うけど……」


「1人で行くのはさすがに親が許してくれないよ。ねえ、一緒に行かない?」


 座ったまま、()って振り返る。煙草の灰が落ちて、服についた。


「雄牛の討伐……?」


「何の話?」


「彼女達の話」


 妙な胸騒ぎがして、立ち上がり、二人に近寄る。


「あっ。キャロルさん……」


「かっこいい……」


 女の子達はこそこそと木の陰に隠れてしまった。彼女達はいつもこれだ。目が合うと隠れてしまう。そのせいで昨日は井戸の場所や薪の場所を聞くのにも一苦労だった。


「あのさ。さっきの雄牛の討伐ってのは……」


「ウィンフィールドで聖女様が、みんなにお力を見せくださるって……。それで、今日の夕方ごろに地下墓地に行くみたいです」


 ──あのマリアベルが風を食む雄牛を倒す?


 マリアベルは考えなしに動くタイプではない。いつも用意周到だ。必ず外堀を埋めて、確実に目的を達せられる算段を立ててから、慎重に動き出す。


 だが、風を食む雄牛には実体がない。それを確実に倒せるなどと算段をつけることは難しい。だとすると──。


「マリアベルは何に焦っている……?」


 私が考え込んでいるのを見てか、トムソンも近寄ってくる。


「どうした?」


「そうだな……。あー……、トムソン。ここからウィンフィールドまでどれくらいかかる」


 私の勘が、急げと警鐘(けいしょう)を鳴らし始めた。それはもう、(うるさ)いくらいに。

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