宴(後)
会もそろそろ御開きといった頃、一人の無礼な商人が聖女にこう言った。
「神のお言葉はないのですか」
これは、神事があると最後に神官が『神の言葉』として説教をするわけだが、その事を言っている。説教の内容というのも、大抵は人として恥ずかしくない行動を取れ、といったものであった。当然、便宜上、神の言葉と呼んでいるだけであって、それは神官の思う神官の言葉である。
マリアベルは聖女であり、神官ではない。そしてこの会も儀式の類ではない。それを問うた一人の商人は誤りである。それで、場に緊張が走ったが、マリアベルは穏やかだった。
「良いでしょう。ただし、私は聖女。本当に神の言葉が聞こえます」
おお、と権力者たちから感嘆の声が漏れる。
マリアベルは咄嗟に思ったのだ。神の言葉に自分に都合の良い事を乗せて、パイモンを牛耳る彼らをさらに上手く纏めることが出来れば、光の聖女が見つからない今、より一層、己を政治的に持ち上げてくれるだろうと。
自分に都合の良い事とは、例えば『水の聖女こそ、聖女を従えるに相応しい』だとか『水の聖女は世界にとって救いである』だとかだ。
□□
マリアベルは占術の支度をする。
広間の開いた空間に、大人5人が横たわれるほどの一枚の紙を敷いて、その上には金の器具を置いた。権力者たちはその周りに集う。
エリカも、その紙に目をやる。
(──天体図だ)
その紙は、月と太陽の動きを記したものだった。巨大な真円を中心に配し、その周りをぐるりと回るように月の満ち欠けが描かれている。
変化する月の形に寄り添うように、牛や羊などの動物も描かれていた。これは季節と星座を表す。また、様々な星が描かれていたが、それは規則的でもあったし、よく見れば不規則なようにも見えた。
色数少なく描かれた左右対称の図に、エリカは異様な圧力を感じていた。まるで宇宙の体内を覗き見ているかのような、底の見えない感覚に襲われた。
その中央部分に真鍮の天文機器アストロラーベが置かれている。見た目は出来の良い美術品のようだが、いくつかの歯車が絡んでいて複雑だ。これは、星の位置や星々の距離、天の動き、現在の正確な時刻など、様々な計算に使われる、いわば演算機のようなものだった。
エリカは思った。
(──道具もキャロルさんとは随分と違うみたいだ)
魔法の手段は、自分に馴染む方法が一番である。
例えばリトル・キャロルは薬草や根、花、動物の部位、血などの素材を使う癖のようなものがある。各地に伝わる土着的な呪術や童話・民謡をルーツにした術を得意としているからである。
一方で、幼い頃から星を見るのが好きだったマリアベル・デミは、占星術をルーツにした魔法をよくよく用いた。
どんな方法が馴染むかは、本人の理解度に由来する。その個人差をなくす役割をもつのが、詠唱や魔法陣である。
「今から、神のお言葉を可視化します」
息を呑んで見守る商人達を気にする風もなく、マリアベルは銀砂を天体図の上に撒いた。砂は銀河のように、図の上に流れる。
続いてマリアベルは、古い布を鞘がわりにした妙な剣を取り出した。この青い布は、聖骸布。女神に仕えたとされる『使徒ザネリ』の亡骸を包んでいた布である。剣の柄はザネリの骨を編んだもので出来ていて、白く美しく、象牙に似ている。名を『聖ノックス市の石剣』という。正教会の秘宝の一つであり、水の聖女が手に持つ聖剣として原典にも描かれていた。
マリアベルは、ゆっくりと布から剣を引き抜く。淡い青の光を放って、刃が覗く。
刃は宝石のようである。ごく薄く、淡い。氷のようでもあり、陽炎のようでもあった。放つ光は空気を平行に凪いで、青い地平線のように広がってゆく。
「おお……」
声が再び上がったその時、アストロラーベががこんと音を立てて高速で回りだした。1秒2秒と経ち、そして解を導いて止まる。動きは、狂った仕掛け時計を思わせた。
見学者にはその解がなんであるか、見ただけでは分からない。ただ目を見開いて呆気に取られるだけである。
マリアベルは白紙の本を手にし、導き出された解を数字にして書き起こす。そして、砂が撒かれた図と照らし合わせた。
砂に隠れた星々と解を合わせることで、神の言葉が現れる。普段であれば、『魔獣迫り人抗い続く』といった、人類が置かれた状況が示される。
そう、普段であれば。
「──え?」
マリアベルは解を見て、目を見開き、固まった。
「どうか、なされましたか……?」
ヒルデブラントが問うもそれには答えず、撒いた砂を魔法で回収し、再び砂を撒いた。砂は寸分の狂いもなく、先に撒いた砂と同じ位置に撒かれた。
マリアベルはもう一度撒く。同じ位置に砂が撒かれる。もう一度。もう一度、もう一度。何度やっても砂が描く模様は同じであり、従って解も同じであった。
「聖女様。解はなんと……?」
ただならぬ気配に、ターナーも問う。
「──輝聖到る」
マリアベルの手はひどく震え、額には汗が滲んでいる。
「光の聖女が私たちの前に現れようとしています」
□□
星々が瞬くその下。水の聖女マリアベル・デミは宿の露台で予言について考えていた。
光の聖女は4人の聖女を従える、聖女の中でもとりわけ特別な存在。それがもうすぐ、自分の前に現れようとしている。
光の聖女が存在しないのであれば、正教会は光の聖女の代わりを立てるはず。それは既存の聖女達の中から選ばれるだろう。だとしたらば、今日のように権力を持つ者たちを手の内に置いておくことで、民意が反映される可能性もある。正教会とて、自分たちだけの儲けだけで組織が成っているわけではない。寄付金が重要だ。実業家達の協力は馬鹿に出来ない。
──でも、光の聖女が現れたら、どうなる。
光の聖女は言ってしまえば4人の聖女の上位に君臨する存在。
下位となる己の価値は?
存在意義は?
当然、薄れるのではないか。
折角手にした聖女の力が、光の聖女の影に隠れてしまう。
結局、そうなのだ。己がどれだけ頑張ろうと、己がどれだけ考えて準備しようと、己がどれだけ味方を作ろうと、己より位が高い人間が颯爽と現れてしまえば、無意味。やってきた事全てが無駄となる。
嫌だ。怖い。どうしよう。何とかしなくてはならない。涙が出そうだ。
──ならば、どうやって何とかする?
考えろ、考えろ。まず、光の聖女とは、どういった存在か。光の聖女が上位の存在ならば、素質は水の聖女より上。それは間違いない。だが、聖女としての教育は受けていないはずである。であるなら、その実力は良くて『魔法学校の秀才程度』と見積もろう。
しかし、光の聖女の力がそんな程度であろうか? 原典に書かれたそれが、そんなものでおさまるとも思えない。どうすれば。
ええい、少し冷静になろう。辺境伯領に入って、何か特別な力を持つ女がいるという噂を聞いたか? いや、聞かない。
これはどういうことか。もしや、光の聖女は日蝕によって覚醒したことすらも気がついていないということだろうか。そうか。そうに違いない。
──芽を摘むなら今だ。
「お呼びでしょうか」
呼びつけておいたリアンが来た。商人達に対してどれだけの施しをしたかというのを纏めて貰うよう頼むつもりだった。誰に渡したかを書き留めておけば、後に脅しとしても使うことも出来よう。
だがマリアベルは、その話は一旦置いておく事にした。今、重要なのはそれではない。
「リアン」
マリアベルは星空を仰いだまま、続ける。
「光の聖女が現れるのなら、消します」
リアンは目を見開いた。
「……正気ですか?」
「至って正気です」
リアンは予言を受けて、密かに期待していた。光の聖女が現れてくれるのであれば、この水の聖女の暴走とも言える行為にも歯止めが利くのではないかと。
「その理由をお聞きしても、宜しいですか」
「輝聖の存在は邪魔だからです」
「しかし、光の聖女は世界を平和にするのだと……‼︎」
「光の聖女が存在すると、私はどうなると思いますか。彼女の下僕と成り下がるのです。私の価値は彼女以下になる。どうあっても。それが、どんなに恐ろしいことか」
マリアベルはリアンの目を見ない。
「光の聖女さえいなければ、私は誰にも脅かされない」
リアンの返事はない。
「……私の言っていることが、おかしいですか?」
「おかしいですよ!」
リアンはマリアベルに勢い良く近寄り、腕を引いて、自分に注目させた。これは、目と目を合わせて話さなくてはならない。そう思ったからだ。
彼女を正気に戻すなら、今しかない。それに踏み切ったら、取り返しのつかない事になる。マリアベルにとっても、世界にとっても。リアンはそう、直感した。
「そのまま突き進もうと言うのなら、神はあなたをお見捨てになる……! これは脅しではありません……‼︎ 神は見ている‼︎ その事をお忘れに──」
「──貴方に私の何がわかる?」
リアンは思わず言葉を詰まらせた。マリアベルの、凪の海を映したかのような青い瞳に、涙が溜まっていたからだった。
「私がどんな思いをして聖女になったか。何を思って聖女になったか」
リアンは彼女の追い詰められたような表情を見て、掴んでいた腕を離してしまった。
「神が私を見捨てるなど、そんなことがあってはならない」
マリアベルは思うのだ。もし、神が弱者を救わないと言うのならば。救わないと言うならば、それは──。
「そうならば、それは、この世には神はいないということの証明です」
□□
リアンからの報を受けたジャック・ターナーは、直ちに一通の手紙を用意し、白い鳩に運ばせた。鳩の行き先は聖都、正教会本部教庁。教皇『聖座クリストフ五世』宛。
『輝聖到ると天啓有り。但し海聖に謀反の構え。至急巡礼の中止求む』
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