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宴(前)


 夕空は葡萄酒色に染まり、雲は薄く溶けていた。


 第二聖女隊はパイモンに到着した。聖鳥章が描かれた旗と、書を持つ(たか)と剣が描かれた隊旗を掲げた一団が、歓声に迎えられて石畳の上を行く。


 プラン=プライズ辺境伯領に()いて第二の都市と呼ばれるパイモンは、清潔な街であった。石造の建物は背が揃い、整然と並び、道幅は何処も概ね同じである。街中、均一に植っている橡の木(マロニエ)は、石の街に鮮やかな色をさしている。この整備された風景が、街の財力を物語っていた。


 パイモンの中心部に美しい邸宅(タウンハウス)があった。これは、この地域の商工組合(ギルド)を纏め、街の顔役でもあるヒルデブラントの所有物である。彼の正式な名はパイモンのヒルデブラント準男爵。本名をジョン・ヒルデブラントと言い、身分は平民であった。


 ヒルデブラントという男はパイモン、ひいてはプラン=プライズ辺境伯領の発展にも大きく貢献してきた。しかし、同業者を蹴落としたり買収で味方を増やすなど、その手段はあまり褒められたものではなかった。


 今宵、邸宅の大広間にて行われる酒宴の内容は食事会(パーティ)歓迎会(レセプション)に近く、街の権力者たちが聖女らを囲んで話をするというものだった。


 これについては第二聖女隊から場を設けるよう働きかけてはいたが、元よりパイモンの権力者たちは水の聖女をこの街に呼び、それを行う計画であったため、準備にそう手間はかからなかった。


□□


 会場となる大広間の壁にかけられた綴織(タペストリー)には、神が人に与える三つの恵み『(やしな)ひ』『愛』『試練』が描かれていた。同じく壁に飾られる華美な装飾の剣と盾は、ヒルデブラントが王より賜ったものである。


 酒宴の参加者は30人で、第二聖女隊からは聖女マリアベル、ジャック・ターナー、リアンを含む五名が出席。23名は貿易などで莫大な富を得ている商人たちと、その家族。残る2名は辺境伯軍兵士である。兵は神事用の軍服を着用していた。


 辺境伯軍2名は男女であった。男は壮年で、茶色い髪を後ろで結き、左頬に傷がある。女はマリアベルと同年代だった。白に近い銀の髪色をしており、長い睫毛(まつげ)が特徴的で顔立ちも美しかった。


「この度はお会いできて光栄です、聖女様。ミッシェル・マクロナンと申します。明日はパイモンよりウィンフィールドまで、(とどこお)りなく務めさせて頂きます」


 男が挨拶をする。


 プラン=プライズ辺境伯軍は隊を成してパイモンに入っており、ここで合流後、ウィンフィールドまで第二聖女隊を護衛する運びとなっている。


 続けて、男は側にいた女に代わる。


「エリカ・フォルダンと申します。この度は、お会いできて光栄です」


 マリアベルは軽く挨拶をして、その場を離れた。離れたのを見届け、エリカはミッシェルに言う。


「……すごく、お綺麗な方ですね」


「そうだな」


 エリカは今回、自ら名乗り出てこの会に参加した。と言うのは、聖女とは何たるかが知りたかったのだ。キャロルは学園から追放されたと言うが、では追放されなかった聖女とは、どの様な人物なのだろうか。キャロルと長い時間を共に過ごした人は、どんな人なのだろうか。どうしても、知りたくなった。竜を倒して以降、エリカ・フォルダンはリトル・キャロルの影を追いかけている。少しでもキャロルと繋がっていたい。


 エリカの左腕は、急速に回復していた。さすがに切断前とまではいかないが、物を握る事も出来たし、剣を振う事も出来た。辺境伯は、まだ本調子ではないのだから休んでおけ、と何度も繰り返し言ったが、エリカはそれを良しとしなかった。


□□


 各々が席に着くと、長いテーブルに料理が運ばれる。牛のパテ、兎の蒸煮肉(シチュー)、子鹿の香草焼き、羊の塩漬け肉、豚の血の腸詰め(ソーセージ)、鯉のスープ、そら豆、蒸し卵(プリン)に生野菜。まるで庶民の夢の様に豪華な料理が、燭台の灯りに照らされて艶やかに輝いていた。


 ぶくぶくと太っているヒルデブラントの挨拶もほどほどに、食事が始まる。


 エリカは葡萄酒を一口飲み、権力者たちや聖女が食べ始めたのを確認する。位が上の人間より先に食べ始めるのは失礼にあたった。それから、羊肉が好きであったので、給仕(メイド)にそれをよそってもらった。


 程なくして、金髪の若い吟遊詩人が竪琴(たてごと)を手に、詩を歌い始める。


 題目は『素直なじいさん』。年老いた浪人が弱き人々を助け、国王より男爵を(じょ)されるという話である。山間(やまあい)の地方では比較的有名な物語で、エリカも、その上司ミッシェルもよく知る話だった。


「止めてもらって良いですか?」


 ──急な事だった。


 マリアベルの冷たい口調があって、場に緊張が走る。


 食事を楽しんでいたエリカも手を止めた。


 完璧な静けさが訪れて、隣に座る人の呼吸さえも聞こえた。


「な、何をしている! 出ていかんかっ!」


 一瞬の間の後、吟遊詩人はヒルデブラントに退室を命じられた。ドアの閉まる音が、寂しく響いた。


「た、大変申し訳ありません、聖女様……っ。内容がお気に召さなかったようで……っ」


 焦るヒルデブラントをよそに、ターナーとリアンはそれとなく目を合わせた。二人はマリアベルの涼やかな表情を見て、計算でそうした態度を取ったことを確信したのだ。


 マリアベルは今この瞬間、誰がこの空間で一番偉いのかを見せしめたかった。そして、たった一言で参加者全員に上下関係を理解させ、この広間を完全に彼女の場とした。歓迎の雰囲気に冷や水を浴びせ、今後、恙無(つつがな)く自分に協力するよう仕向けたのだった。


 しかもその後、マリアベルは何も喋らない。感情を表にも出さない。何を考えているのか誰にも分からない──ように参加者たちには見えた。彼女はただただ、圧を発している。


 広間は嫌な空気に包まれた。この数分間で、給仕(メイド)がナイフを落とした。とある商人の妻が、グラスを倒した。閑所(かんじょ)に行く者はいない。揺れる蝋燭の灯りで癒される者など誰一人もいない。ヒルデブラントは何度も額の汗を拭いている。


 それで、困ったヒルデブラントは聖女の機嫌を取ろうと必死になった。やれ神に選ばれた奇跡の乙女だの、やれ聖女がいなくては皆が苦しむなど、ぺらぺらと薄っぺらい世辞を並べた。それに続いて、その他の商人らも口々に聖女の機嫌を取ろうとする。


 聖女マリアベルは大人たちが()(へつら)う様子に満足して、目を閉じて微笑みつつ、粛々(しゅくしゅく)と食事を進めた。吟遊詩人のつまらぬ詩などよりも、こちらの方が数倍滑稽(こっけい)で食が進むのだ。


(……キャロルさんとは随分と違うみたいだ)


 エリカも食事を再開し、目立たぬ様にその様子を見ている。


「よくもまあ落ち着いていられるな、エリカ」


 ミッシェルは、ふぅ、と小さくため息をついた。少しばかり気揉みしたらしい。次いで、グラスに入った葡萄酒を飲み干す。


「え?」


 死地を乗り越えたエリカは、精神面に()いても間違いなく強くなっていた。


「あの泣き虫で心配性のエリカは何処へ行ったかな……」


 ミッシェル・マクロナンはいくつもの隊を統べる立場にある兵の一人であり、辺境伯からの信頼も厚い。エリカも彼の下で働くことも多かった。軍に入ったばかりの時は、彼女の指南役も務めた男だ。その彼をもってしても、ひとまわり大きくなったエリカから(にじ)む気のようなものに、頼もしさを覚えた。


□□


「聖女様、お願いがございます」


 マリアベルが食事をやめて口元を拭いた時、ヒルデブラントはそわそわと話を切り出した。だが、マリアベルは彼に一瞥(いちべつ)もくれない。


 ヒルデブラントは他の商人の事をちらりと見て不安を抑え、もう一度話しかける。


「私の(せがれ)の具合を見てやって欲しいのです」


 聖女の返答はない。マリアベルは元より彼の子供を治すつもりだったが、無反応を貫いた。


「お、お願いしますッ‼︎ 聖女様だけが頼りなのですッ!」


 ヒルデブラントは目に涙を溜めて懇願(こんがん)し始める。周りの商人たちも口々に『聖女様』と言って、彼の話を聞いてやるように頼む。


「願い方が足りないのではないですか?」


「え……?」


「──平伏(へいふく)なさい」


 本来、床に頭をつける平伏の行為は、神の前でしかやらないものである。


 これにはヒルデブラントも一瞬、躊躇した。だが、すぐに意を決したようにして下唇を噛み、席を立って膝をたて、手を床に置き、頭を下げた。


「どうか……、私の倅を見てやってください……。き、君らもやらんか!」


 そう言い、周りの商人たちにも平伏を強要した。みな、立ち上がり、揃って膝を立て、手を床に置いて頭を下げる。


 エリカにとって、これは異様な光景だった。平伏自体は教会でも時折見られる行為で、特段珍しいものではない。リアンにとっても、ターナーにとっても、ミッシェルにとっても、そしてエリカにとっても日常のものだ。神事があれば、その度行う。


 だが、その相手が違う。エリカはたったそれだけの事で、妙な気味の悪さを感じた。まるで、(もや)がゾワゾワと床から立ち昇ってくるようと言えば良いか、とにかく息苦しさを感じた。


 自分は見たことも聞いたこともないが、もし、異教徒というものがこの世に存在したとして、突然その祭典に出会したのならば、こういう気持ちになるのだろうか。まるでこの世に良く似た異世界に、迷い込んだような。


(──やっぱり、キャロルさんとは全く別物だ)


 エリカは、自分たちもやった方が良いのか? と落ち着かない様子の給仕たちを掌で制止し、目立たぬようにしている。


「良いでしょう。連れてきなさい」


 滑稽を充分に楽しんだマリアベルは薄ら笑いを浮かべ、予定通りヒルデブラントの子供を診てやることした。


□□


 呼ばれて部屋に入ってきたのは、6歳〜8歳程度の子供だった。名はヘンリーと言う。父親と同じ様にぶくぶくと太っており、肌はぷりぷりと弾んでいた。


 ただし顔色は悪い。立っていると、5分ほどで全身から力が抜けて倒れ込んでしまうのだと、ヒルデブラントは説明した。


 これまで様々な医者や神官に診てもらったは良いものの、まるで症状の見当がつかなかった。亡霊の類に取り()かれたかと思い霊媒師を雇うなどもしたが、効果がない。


 ヒルデブラントにとっては目に入れても痛くない、最愛の息子である。金はいくらでも出すから、いち早くこの可哀想な子を助けてやって欲しい。そう泣きながら、ヒルデブラントは聖女の前に我が子をやった。


 マリアベルはヘンリーの前で笑む。その微笑み、慈悲の表情には程遠く、温度が冷たい。そしてその笑顔を貼り付けたまま、ヘンリーの額に指をつけた。


「深呼吸を」


 言われたままに、ヘンリーは深呼吸をする。


 マリアベルは指に魔力を込めて、ヘンリーの血潮の音を聞いた。


(──血が乏しい。ただの栄養不足だ)


 (かたよ)ったものばかりを食べていると、そうなってしまう。おそらくこの子供は、相当な偏食なのだろう。こんなものは大病でもなんでもない。ただの甘えだ。


 見てきた医者も、霊媒師も相当な阿呆(あほう)だ。いや、医者が偏食のせいだとも言ってもヒルデブラントが大病だと言って取り合わなかったのかも知れない。


「今まで見てきた医者はヤブです……‼︎ こんなに苦しそうなのに、変なことばかりを言う……っ‼︎ どうか、どうか聖女様、助けてやってくださいませ……‼︎」


 マリアベルの予想を裏付けるようにして懇願するヒルデブラントを無視し、リアンに持たせていた荷物袋の中から、何種かの塩と油、調合した酢と葡萄酒を混ぜ合わせる。水薬(ポーション)を作っているのだ。限りなく栄養剤に近い水薬を。


□□


 仕上がった薬を飲ませると、ヘンリーの顔色はみるみる内に良くなり、問題なく立っていられるようになった。


「パパ、ぼく元気になったよ!」


 久しく聞いていなかった我が子の張りのある声に、ヒルデブラントは涙を流し、抱きしめた。権力者たちから、2人と聖女へ拍手が送られる。少し泣いている者までいた。


「──大病でした。あともう少し遅ければ、死んでいたでしょう」


 マリアベルは、実際には誰でも治療することが出来たものを、そう(うそぶ)いてみせた。


 ヒルデブラントはその言葉を聞き、さらに涙を流して嗚咽(おえつ)を漏らす。自分も大病だと思っていたから、信頼する聖女から聞きたかった言葉が出てきて、安心したし、救われた。そうだろう、そうだろう、と仕切りに頷く。やはり医者達はヤブだ。己は間違えていなかった。さすがは聖女様だ、と心の中で繰り返す。


「ああ、これが聖女さまか……っ。なんと……、なんとお礼を……っ。いくら金を積もうと……、礼を尽くしたとはなるまい……」


「礼などいりません。あなたはこの国の功労者。その働きを神が見ていたのです」


 マリアベルはそう言って拳の大きさほどの袋を渡す。ヒルデブラントがそっと中を見ると、光り輝く硬貨が入っていた。『神の金貨』である。


「こ、これは……?」


「街を発展させるには、さまざま苦労が絶えないはず。神はそれを憂いていらっしゃいます。金策にもならぬとは思いますが、気持ちです。好きに使いなさい。さあ、皆様にも」


 リアン他正教軍が権力者たちに袋を渡していく。


 この金貨には神の横顔が彫られており、正教会では食料と葡萄酒より上の、最大の施しとされている。通常の金貨よりも価値が高く、1枚で中庭付きの家が買える程の価値があり、それが袋に5枚は入っている。


 普通これは領主などの支配層に対し、領民に施すべしという名目で与えるものである。それも、金貨を渡すのは災害や疫病が発生した時に限る。だが、マリアベルは今回、それを権力者たちに『好きに使え』と渡した。これは異例だった。


「あ、ああ……、あっ、ああっ……! なんとお心の広い!」


 ヒルデブラントは感激に震えて、もう一度平伏した。


「聖女様に、最大限の協力をお誓い申し上げまする! 共に、世界の為に働かせてくださいませ……!」


 権力者たちも次々に平伏していく。それはまるで、唸る波のようであった。


 ──群れが完全に掌握(しょうあく)される時、人は海となって波打つのだ。

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