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プラン=プライズ辺境伯領


 適当な商店で適当な旅装束(たびしょうぞく)を手に入れ、修道服に似た真っ白な制服を捨てた。それから商人の馬車を拾う。商人は東に行くと言うから、私はそれで構わないと言った。


 私は、この学園のある王都から離れようと思った。巨大な学園の(いん)が目に入ると、どうしようもなく虚しかった。寂しく、自分を(みじ)めにさせた。


 本当のことを言えば、私はどうしたら良いのか分からなかった。威勢(いせい)よく学園から出てきたが、それが正解だったのかもわからない。終わったことを悩むのは不毛だが、後悔がないといえば嘘になる。


 ただ一つ確実な事は、私は聖女ではなかったから追い出されて当然だと、そういう風に割り切れていないという事だ。心の奥深く、どこかで、しがみつこうとしている。しがみつける物なんか何もないのに。それが情けなくて、嫌気が差す。


 私は全てから逃げたかった。だから、この王都から消え去りたいんだ。


 私だって、それなりの覚悟を持ってやってきたつもりだった。『世界を救う』と大層な(こころざし)があったわけではない。だが、私と同じような境遇の子供を作らない為に、やれることはやるつもりだった。寂しさに、無力さに、膝を抱えて泣くことしか出来ない子供は存在しない方が良い。


 私は胸のロザリオを掴み、誰もが信じてやまない神とやらに問いかける。


「お前の存在を一度だって信用した事は無かったが、もし本当にいるんだったら相当に性格が悪いな」


 馬車の窓からロザリオを捨てた。もう私には不必要だ。


■■


 幾度か馬車を乗り継ぎながら、とにかく東へと向かった。


 海沿いを走った。(さざなみ)の音と海猫(うみねこ)の声を聞きながら、(きら)めく青い海を見た。海を見るのも、学園に向かった時以来だった。あの時よりも船の数が減っているだろうかと、気分が落ち込むのを誤魔化すように当たり障りのない事を考えていた。


 さらに馬車を乗り継ぎ、田園地帯を走った。あの時のような野焼きの煙はない。時期が違う。季節が巡っていることを実感する。


 やがて山間(やまあい)を走るようになった。頂上に雪の残った山々が連なっている。風が強く吹くと、山の雪が降りてきて、粉が舞っていた。


 最終的に辿り着いたのは、山間にある古い馬宿だった。金がなくなったので、ここを終着点とした。


 一言でいえば、何もない場所だった。馬宿(うまやど)の他には、道があり、原があり、山があり、羊の群れがいるだけだった。街道を外れた所にいた羊飼いに聞いたところ、周りに街はあるらしいが、付近にある深い森を越えなくてはならないと言う。辺鄙(へんぴ)な場所だ。まあ、辺鄙な場所だからこんな馬宿があるわけだが。


 馬宿には6人の人がいた。家族経営らしく、夫婦とその子供。あとは商人達だ。ひとまず商人に街の行き方を聞き、馬宿を出た。金もないので、部屋は取れなかった。


■■


 街に向かう為、森に入った。まだ明るい時間帯だったが、暗い森だった。


 木々のざわめきが聞こえる。土の匂いを感じる。降る光は少なく、(わず)かに揺れて、人の気配もない。


 足場が悪く疲れたので、ごつごつとしてうねる大木の根に腰掛けた。都会の喧騒(けんそう)に慣れていたからか、もしくは馬車の揺れるのに体がくたびれていたからか、こうしているのは落ち着く。自然の音と匂いで、王都を()ってからずっと心の中で(くすぶ)っていたもやもやが、おさまった気がした。


 私はそれからしばらく、根の上で考え込んでしまった。孤児院で暮らしていた頃のこと。当時の仲間たち。学園での生活のこと。そして、これからのこと。


 そうしている時、ふと、思った。私はあの日以来、本気で()()()を使おうとはしていないのではないか。


 力の正体がわからないから、使えば周りに危険が生じる可能性もあった。何より私自身が女神像を腐らせた、あの力を受け入れてなかった。だから、ちゃんと使おうとした事がないまま、ここまで来てしまった。──私はまだ、この能力について何も知らない。


 ここならば、どんな事が起きても人に迷惑はかけないだろう。周りの人間を腐らせることもない。


 思う存分やってみる、その価値はあると思う。


「……ふぅ」


 深呼吸をする。手を前に突き出し、魔法を使おうと試みる。だが、何も起こらない。


「……何かが違うんだろうな」


 目を閉じて、もっと強くイメージする。あの時の感覚を思い出せ。丹田(たんでん)から熱く煮えたぎるような何かが生まれ、ぐぐぐと迫り上がってくるような魔力の圧を、もう一度、出してみたい。


「……ッ‼︎」


 手応えがあって目を開けると、人差し指からピョロっと赤い塊が出た。一瞬、肉腫(にくしゅ)か何かだと思ったが、どうも違う。


 摘めばふかふかとしている。生肉のような見た目だが、(つや)はなく湿りがあるわけではない。香りは、あるような無いような。なんとも言えない。


 軽く潰してみる。痛くはない。もっと力を入れると、やがて潰れ、それは裂けた。


 裂け方を観察する。繊維質(せんいしつ)だ。これは、まさか──。


「──()()()?」


 座っていた根の近くを探索し、生えている(きのこ)を見つけた。裂いたり千切ったりして、確認してみる。そして、私の手から生えたものも同様に裂いたりして、見比べる。


「……間違いない。やっぱり私の手から出たのは()()()だったんだ」


 茸。つまり、菌糸だ。と、なると。女神像を腐らせたのは、まさか酵素(こうそ)だったということになるのだろうか。


「……でも、なんでこんな力が?」


 私は首を捻る。なぜ、茸なのか……。いや、そもそも本当に茸で良いのか……。


 これが正真正銘の茸なのであれば、食えるはずだ。味を確かめれば、確実なものと言える自信がある。私から生み出されたものに、自分を殺めるような毒があるとも思えないから、食べられるとは思うが……。いささか抵抗はある。自分の爪を食べるようで。


「……食うにしても、念のため焼いてみよう」


 魔法で火を起こして、適当な枝に茸を刺し、焼いた。多少手を加えたことで抵抗感は薄れたので、食ってみる。


 食感は間違いなく茸だ。味に関しても、そうだと断定しても良いと思った。薄味の平茸(ひらたけ)に近い。


「……美味くはないか。学園で良い物を食ってたから舌が肥えたのかも知れない」


 不幸な舌だ。孤児院にいた頃なら生ごみだって食ったが。


「単純に風味が足りないんだろうな」


 様々なイメージをして念じては出し、念じては出しを繰り返しながら実験していくことにした。遊びのつもりで、美味い茸を出してみようと思ったのだ。なにより何かをしていれば、何となく気が紛れた。


 茸はコツさえ掴めば、幾らでも出せるようだった。いつかはまともに食えるものも作れるだろう。


■■


 この力も、慣れてくれば多少面白みがある。どうやら菌糸は、私の意思で自由自在に形を変えて生み出す事が出来るらしい。そして、出せるのは茸に限った事でもない。カビや酵母(こうぼ)など、菌に(まつ)わるものは概ね生み出せた。


 こうして夢中になっている内に、私は森から出ることが無くなった。食糧は自分で出せるし、人もいないので思う存分能力を試せる。ここは私にとっては理想の場所になった。


 森に篭ってから3日が経った。朝起きて、古い森小屋に置いてあった古い鍋を使い、茸のスープを作るのが日課となっていた。


 気づけば私が寝床にしている、杉の木の()()の周りは、多種多様な茸だらけになっていた。これは、頑固な食器職人の工房(アトリエ)が、割れた器だらけになっているようなものだ。


 そして鳥や鹿などの森の動物たちが寄ってきて、茸を食べるようにもなった。


「うまいか? そうかそうか。そりゃあ良かった。お前らが喜んでくれるなら、このクソ能力も報われるよ」


 子鹿を()でてやると、代わりに子鹿は私の顔を舐めてくれた。情けないかな、傷心の私にとっては彼らとの触れ合いは大きな癒しになる。


 7日が経った。もはや茸程度であれば、あらゆる場所に発生させられるようになった。地面や木々にはもちろん、泥沼や岩壁でも、胞子さえ発芽できる場所ならば、どこでも可能だ。


「慣れれば結構便利だな。足場にして崖は登れるし、川も渡れる」


 毎日歩き回る事で、このひどく広い森にも多少は詳しくなった。


 奥に行けば行くほどに葉は日を(さえぎ)り、気配は重くなった。途中、木々の間に縄が張り巡らされ、人が立ち入れないようにしている場所があった。ご丁寧に縄に木の板や鈴までつけ、警戒音が鳴るようにしている。


 察するに、禁忌(きんき)の地なのだろう。過去、この森で大きな何かがあったのだ。


 森に来てから今まで、誰とも会わないのはそのせいか。一回くらい猟師(りょうし)と出会してもおかしくはないはずなのに不思議だ、とは思っていたが。なんとなく理解した。


 その日は森を周り、幾つかある放棄された森小屋から、小瓶などの容器を集めた。実験に使うのだ。私がどんな菌を生み出すことが出来て、どんなことが可能なのかを、もっと深く確かめたいという意図があった。


 気づけば私の棲家である()()は、錬金術の研究室のような様相になりつつあった。


 ある日、子鹿の親子が私に花をくれた。いつも茸を食わせているお礼のつもりなのだろう。


■■


 森に来て2節が経った頃だった。


「あれ? 親はどうした」


 子鹿が来たが、いつも一緒だった親鹿がいない。しょんぼりとした子鹿が『ついてこい』と私を見て、どこかに案内しようとしている。大人しく子鹿の後をついていくと小さな泉があって、ほとりに血塗れの親鹿が倒れていた。


「死んでるのか……」


 子鹿が親鹿に寄り添うように座る。


 私は親鹿の傷を見た。何か、大きなもので突き刺された(あと)があった。この森には人の気配がないから、魔物にやられたのかも知れない。だが、食われて体が欠けているわけではない。


 よく見たら鳥や猿などの動物の死骸が、草木に隠れてぽつぽつと転がっている。遊びで動物たちを殺して回っているのだろうか。ここまで派手な事をやるという事は、恐らく、この森の魔物ではない。


 私は子鹿の頭に手を置き、()でた。


「よし、わかった。お前の母親は埋めてやる。だがその前に──」


 先から背後に、大きな気を感じている。振り返ると巨熊ほどの大きさの、二本角の黒い魔物が音もなく近寄って来ていた。


「私がこの変態野郎を倒してカタキをとってやろうか」


 この四本足の馬に似た魔物は、鋭く尖った立派な角を見せびらかすように地面になすりつけ、私が怖がって背を向けて逃げるのを待っている。


「──悠長だなッ! そうしてる間に、穴という穴を塞いでやるッ‼︎」


 馬が地を蹴って、弾かれたように突進してくる。だがその角が私を貫くより前に、馬の身体中に茸がぶわっと生えた。


□□


 リトル・キャロルが二本角の魔物を倒して少し経った頃だった。神聖カレドニア王国、プラン=プライズ辺境伯軍50名は、昼なお暗き森『大きなシュバルツバルト』を進んでいた。


「やれやれ、まさか我が領に二角獣(バイコーン)が迷い込むとはな」


 鎧を身に纏い、白鬚(しらひげ)を蓄えた、老いた大柄な男、プラン=プライズ辺境伯は、巨大な黒い軍馬の上でぼそりと呟いた。


 二角獣とは、凶悪な魔物である。不浄(ふじょう)を好むとされ、意味のない殺戮を繰り返す。人里にまで現れれば、田畑を荒らし、腹が減った時は気ままに家畜や人を食った。体が大きく、力も強い。


 若い兵士が言う。


()()など、果たして私たちに対処できるでしょうか」


 突然現れては殺戮を繰り返す魔物、その中でも巣を持たない種を、人は獣王(じゅうおう)と呼称した。巣を持たないので各地を流れて、それが雷のように突然現れては周りを破壊し尽くす事から、山火事や嵐と並ぶ災害として恐れられている。獣王には巣を持たなくても生き抜ける程に強力な種が多く、酷く厄介な魔物だった。


「やるしか無いだろう。嫁に別れは済ませたか?」


「生きて帰るつもりですよ、私は」


「ははは。まあ、頑張るしかあるまい。ワシとて今朝の冷めたスープを最後のメシにしたくはない」


 お互い、とんだ貧乏くじを引いたな。辺境伯がそれを言いかけてやめた時、森の暗い影から、張った声が聞こえた。


「辺境伯様、辺境伯様ーっ!」


 兵が馬を走らせて、辺境伯の(もと)へ向かってくる。偵察(ていさつ)に行っていた中堅の兵だった。困惑した表情で、額に汗が滲んでいる。


「いたか」


「発見しました……‼︎」


「ようし、案内しろ。総員、戦闘準備──」


「そ、それが……」


 言い淀んだ兵に案内された場所で見たのは、泉の岩場に倒れた二角獣の死骸だった。


 二角獣は馬に似た黒く巨大な魔物で、皮膚が(はがね)のように硬く、滅多に刃は通さない。また、馬と一言で形容されると首を傾げたくなる程に首が太く、幅も大きく、筋骨隆々で、(およ)そ馬らしからぬ見た目をしていた。顔が長く、(たてがみ)(ひづめ)があったから馬に似ていると仕方なく言う者が多いだけだった。とにかく、過去この二角獣の前に何人もの勇敢な戦士が立ち向かい、散って行った。


 辺境伯は、怪訝(けげん)そうに目を細め、死骸を見る。


 その死骸は菌に(むしば)まれ、多種多様の形をした塊が無数に生えている。肉は腐って盛り上がり、内から裂け、強烈な死臭を漂わせている。兵の中には鼻を押さえて動けない者もいた。動けば、吐きそうになった。


「──バカな。皮膚の内側から爆ぜてるのか?」


 辺境伯は馬から降り、死骸に近寄る。


「危険では……! 何があるか、わかりません!」


 兵の一人が、制止する。


「こういう時は老いぼれから死ねば宜かろう。離れていなさい」


 そう言って辺境伯は、膝を立てて座り、死骸を触り、よくよく観察する。粘る肉に、微かな力を感じた。


「──解せんな。これは、魔力だ。人がやったとでも言うのか」


 プライズ辺境伯は左手で銀のロザリオを握る。何か、胸騒ぎがしたのだ。これは不安とも恐怖とも違う、何か起きるという酷く漠然(ばくぜん)とした、無味無臭の胸騒ぎである。


「二角獣を相手に、一体誰がこんな事をできるのか──」


 木々に囲まれた暗い空を、鳥たちが忙しなく行き交う。胸の内のざわめきを映し出たように、ただ、忙しなく行き交う。

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