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恋慕


 雷鳴の節、居待月(いまちづき)曇天(どんてん)の空の下、木々の緑が軽やかに揺れている。


 12時30分。風向き北西。風速、5海里(マイル)。微風。マール伯爵領とプラン=プライズ辺境伯領の(はざま)の地、古都セント・アルダン。


 その一団は、(いぶ)した香の薫りと絹のような紫煙(しえん)を微風に乗せて、辺境伯領に足を踏み入れた。正装の喇叭(らっぱ)隊が彼らの到着を祝福する。向かう先はウィンフィールドの北西にある聖地、地下墓地ラナ。水の聖女マリアベル・デミを包する第二聖女隊の巡礼である。


 第二聖女隊はセント・アルダンにて大変なもてなしを受けた。宿は貸し切られ、隊員には十分な部屋が与えられた。出される食事も、祭りの夜のように豪華絢爛(ごうかけんらん)であった。


 実際、セント・アルダンに住む人たちにとっては祭りのようなものだった。この地に、世界を救う聖女がやってきたのだ。こんなに光栄なことなど、あろうものか。


□□


 宿の大部屋にて、今後の旅程を再度確認する会議が行われた。兵たちが日に焼けた古い机を取り囲み、机の上の地図を見ながら道程や物資に関する細かい意見を交わしている。


 その最中、唐突に水の聖女マリアベル・デミはこう言い放った。


「ウィンフィールドに入る前に、パイモンに立ち寄ります」


 パイモンとはプラン=プライズ辺境伯領内、北西に位置する街であり、経済の拠点として栄えている。この街には、貿易業者や銀行などが(のき)を連ね、財力のある権力者も多く滞在するから、王都の政治に影響を及ぼす力のある者も少なくはない。


(……やれやれ、始まってしまった)


 事実上この隊を率いている猫背の騎士ジャック・ターナーは、マリアベルに気づかれないよう猫背をさらに弓形(ゆみなり)に曲げて、小さく肩を落とした。


 聖女マリアベルは出発してからこの調子を崩さない。寄り道に次ぐ寄り道で、一向に前に進まないのだ。


 目的と違う都市に立ち寄っては権力者と面会し、愛想を振り撒き(こび)を売る。それを繰り返す。その行動は、自分の立場が確固たるものになるよう、地盤を固めているように見えた。


「あー……、聖女様。5日後には、ウィンフィールドの教会に立ち寄り、地域の子供達に施しをという話も……」


「──それは、私の活動に本当に必要なことですか? その子供たちは私の力になってくれるんですか?」


 マリアベルはそっと笑みを浮かべ、澄んだ青い瞳でターナーの目をじっと見て続ける。


「ここまでに集めた金品は、商工組合(ギルド)に寄贈します。酒宴を用意してください」


 ターナーは思った。これ以上、何をどうして地盤を固める必要があるのか。聖女となった時点で世界にとってかけがえの無い宝となったというのに、これ以上何を求めているのか。


(……まあ(したた)かという事なんだろう)


 そしてマリアベルをつくづく恐ろしい女だと思い、恐れるのではなく、どちらかと言うと呆れた。心の中で、底のない(かめ)と例えた。


「後はよろしく頼みます」


 そう言ってマリアベルは略服(りゃくふく)の青いショールを揺らし、扉に向かって歩き出す。


「行きましょう、リアン」


「はい」


 そして、側に立たせていた第三王子リアンを連れていく。湯浴みを手伝わせるのだ。


(いやはや、勝手なものだ……)


 ターナーは頭を掻きながら、聖女の背中を見送った。


□□


 その夜、セント・アルダンの教会。祭壇の連なる蝋燭(ろうそく)の灯りが星々のように輝く中、ターナーは女神像に祈りを捧げていた。


 (ひざまず)き、額に右手の人差し指を当て、そのまま気海まで下ろし、右手で杯の形を作る。これは子宮を意味する。そのまま左肩、右肩と手を持っていき、十字を作った。正式な礼拝でのみ行われる聖鳥十字(せいちょうじゅうじ)で、翼を広げた鳥を模す。これは神への忠誠を表すものだった。


「天に御座(まし)ます我らが(けが)れなき乙女よ、我らが聖よ、我らが神よ。(なんじ)(ねがわく)ば鳥の目で大罪の我らを導き(たま)へ。愛を今日与え給へ。魔の(いざなひ)と魔の物を退(しりぞ)け給へ」


 そう言って深く頭を下げ、床に3度口付けをする。1つ目は神が生きた世界に、2つ目は神そのものに、そして3つ目は神が作り出す未来に感謝を示す。


 そして、ターナーはしばらく頭を上げることがなかった。


□□


 それからターナーは部屋に戻り、机に向かった。一冊の白紙の本を取り出して、筆を取り、長い髪を整えて結いた。そして一心不乱に何かを記し続ける。


(──雷鳴の節、既望(きぼう)。16時の祭儀。マール伯爵領オルフジューンにて3(たび)聖女マリアベルの力を見る。聖女、祈りに際し、竜巻の如く金色の神水(じんすい)御身(おんみ)に這わせ、舞い、福音(ふくいん)願わん。神水、空に昇り豪雨を呼び、塩害祓う。溢るる力の所以察するに、精霊(ウンディーネ)と一体化した説を捨てきれないでいる)


 普段の飄々(ひょうひょう)とした表情は鳴りを潜め、ターナーはただ涼やかに文字と向き合っていた。


 この男は、普通の騎士とは逆だった。剣を持ち防具を身につけた戦士の時は、背を丸め、不甲斐なさそうな面でのぼっとしているのが特徴であった。


 だが一度机に向かい本や筆を持てば、灯りに(かげ)る顔は雪舞う水面のように淡麗(たんれい)であり、琥珀の瞳は冴えて鮮やかで、背はぴしゃりと伸び、実に騎士然とした。それには、誰をも寄せ付けない異様な強さがあった。


 そして、ターナーにとってもこの瞬間は、何よりの幸せだった。誰にも邪魔されず、ただ己のために時間を使えているという感覚が、たまらなく好きであった。


(聖女、強大な魔力放ち暫し経つも疲れを見せず、恒久的(こうきゅうてき)何処(いずこ)より魔力を授かると見る。つまり──)


 その時、集中を断ち切るように戸を叩く音がした。ターナーはがっくりと肩を落とし、覇気のない顔と猫背とになって、ふらりと立ち上がる。


(……やれやれ、邪魔が入った)


 煙草を咥えて扉を開けると、そこにいたのはリアンであった。


□□


 リアンが持ってきたのは、王都より届いた書簡だった。送り主は正教会軍部大本営。


 ターナーはのぼっとした顔で文字を読み、鼻からため息を吐いた。


(ズィーマン・ラットンを預かり、王都まで連れ帰れ、か……)


 この男は、国王アルベルト二世の弟ロブの殺害を実行しようとした政治犯である。知れぬ誰かより金銭を受け取っていたことが判明しているが、真実を話せば心臓が止まる呪いをかけられているから、それ以上のことは分からない。王都へ輸送する最中にトラブルに見舞われ、プラン=プライズ辺境伯領に蜻蛉(とんぼ)返りしたと、その書簡には書いてあった。


(それを何故、この隊が引き取らなきゃならないのか……)


 ロブは信心深く、正教会本部教庁を政治的に支える人物だ。そのロブを殺そうとしたラットンを、正教軍が引き取る。本来、違和感のない話だ。だが、ターナーは直感的に、そう簡単な話ではないと思った。


(……気には留めておくが、先ずは研究が先だ)


 気だるげに煙草をもみ消す。そして、兵として参加しているのであるから、一旦は深入りしないと心に決める。それよりも、神が聖女に授けた力を解明するのが自分にとっては重要だ。


 ジャック・ターナーは神を知りたい。少しでも、神に近づきたいのだ。


「どうですか? 楽しいですか?」


 ターナーは、椅子に座って本を読み(ふけ)るリアンに声をかけた。


「はい!」


 リアンは屈託のない笑みで返した。


 手に持つ本は、過去にターナーが記した本だった。神の考えと、齎すもの、そして神は最終的に何を成そうとしているのかの考察が書かれる。だがその内容は、まるで神を丸裸にするような過激なものであり、正教会は破廉恥(はれんち)であるとして焚書(ふんしょ)の処分を下していた。


「すごいです。僕には考えもつかない」


 ターナーとリアンは、言わば同志であった。二人とも神学を志し、神の意思が何たるかを知りたかった。


「巡礼に付き合わされる貴方を心配して、様々持ってきておいて正解だった」


「ありがとうございます。(めかけ)の子ですから、こういうのは慣れているので気になさらずとも……。でも嬉しかったです」


 リアンは王族と認められているが、事実、(めかけ)の子であった。故に、他兄弟に比べれば扱いは不遇で、公務と称して様々な雑用を押し付けられることも少なくはなかった。


 だが今回の巡礼に限って、リアンはある種の幸運を感じていた。近場で聖女が何たるかを観察出来るし、何より尊敬するターナーと話が出来るのは、良かった。


「本来なら好きなだけ本を与えたいのだけど、聖女様の世話係のような事までやらせてしまい……。面目ない……」


 食事の世話は本来であれば飯炊(めしたき)が担当し、着替えの世話は本来であれば女兵が担当するが、マリアベルの強い要望により、これらは全てリアンの仕事となっている。


「いえ、お気になさらず」


 リアンは厄介とも感じていないように、女子のような顔で柔らかく笑った。その微笑みは、大繁盛の酒場の看板娘よりも愛らしく、並大抵の女ではとても歯が立たない。


役得(やくとく)に感じているのなら良いのですが……」


「ははは。まあ、世の男性は代わってほしいと望むでしょうか……」


男娼(だんしょう)の真似事はやらされてないでしょうね」


「いや、まさか」


 ターナーとリアンは巡礼の中で冗談を言い合えるような仲になっていた。共にマリアベルという女を相手にするのに苦労しているから、こうして夜な夜な話す機会も多い。


「……しかし先ほど、聖女様から婚約を取り付けられそうになりました」


 リアンは表情に影を落とす。


「当人たちで決められる問題でもないでしょう」


「どうでしょう。王はそれを前提に僕を送り込んだような気もしています」


「……あー。……つまりは。あなた方が結婚することで、瘴気に立ち向かう強い夫婦というアイコンが生まれ、士気の発揚(はつよう)に利用できる、と」


「はい」


「……そいつぁ、苦労するなぁ」


 ターナーは二本目の煙草に火をつける。かけてやる言葉が見つからなかった。


「僕はそれで構いません。妾の子でも利用価値があるのなら」


「その心がけは健気(けなげ)ではありますが、褒められたものじゃない」


「はぁ。でも、その……。えーっと……。少し困っているのは……」


 リアンはまるで初恋を伝える女児のように、急にもじもじとし始めた。


「……恥ずかしながら、憧れている人がいるのです」


「え〜! そりゃあ失礼しましたっ!」


 その赤裸々な発言で、ターナーは思わず背筋を伸ばして、吸い始めたばかりの煙草をもみ消す。


「……して、そのお相手はどなたで? 女優? 踊り子(バレリーナ)?」


「ま、まさかっ! えーっと、生徒です! あっ、でも……。学園にいたのですが、今はいなくて……」


「学園にいた……? 珍しい。好んで退学なんかする学園ですか」


 リアンは首を横に振り、小さな声で答えた。


「リトル・キャロルです」


「……リトル、……キャロル」


 ターナーは覚えていた。


 日蝕の闇、蝋燭の明かりが床に反射して永久(とわ)に続いていた、あの大聖堂。(かざ)した手を腐らせ、仕舞いには女神像まで腐らせた、忌子(いみこ)とされた少女の姿。それを、来賓席から見ていたのを。

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