不死鳥(後)
不死鳥は地に落ちた。衝突の瞬間、赫赫とした羽毛が火の粉のように舞ったのがヴェラにも見えて、独り言同然に呟く。
「どこに落ちた……?」
フォルケは目を細めながら、遠く、円かに赤く光る場所を見据えた。
「ダレン宮のあたりか……?」
ダレン宮はヴェラらが祈っていた地点から北に約650呎(約200m)ほど離れた場所に位置する。宮殿とは名ばかりの、邸宅にも満たない建物であった。噴水の記念碑的な意味合いで作られたもので、住居としての機能はなく、『文化広場』内に建つ。
「あんなに高くから落ちて、ローズマリーは無事なのか……。いや、聖女だから、大丈夫……、なんだよな……?」
フォルケは僅かに声を震わせながら答えた。
「いや、聖女と言えども、衝撃で体が弾け飛び、其々が炭となれば、もう……」
□□
ダレン宮正面『灘の噴水』に不死鳥は墜落した。薄氷の池、その至る所で生き生きと躍動していた100体の男女達の彫刻は概ね崩壊し、複数ある噴水口も壊れた。口を塞いでいた氷も砕け、冷水が間欠泉のように噴き上がる。
不死鳥は痙攣している。落下の衝撃で脳震盪を起こした。のた打つこともなく、吠えもせず、あるのはしゃあと水が噴き上がる音だけで、不死鳥は完全に沈黙している。今のうちに封じろ、と言わんばかりの奇跡的な状況だった。
そしてリューデン公爵ヒューバート・ダーフを先頭に、赤備えの公爵領軍騎馬隊は『文化広場』に突入した。
「思ったよりもデカい。生きているのか……?」
ヒューバートは面頬の下に冷や汗を垂らしながら、天に向けて信号弾を発射。合図を受けて騎馬隊は二手に分かれ、直径170呎(約50m)の大池をぐるりと周り石灰を撒く。魔法陣の基礎となる真円を作る。各兵は澱みなく線を引きながら円から離脱。螺旋状に曲線が描かれて、それが幾重にも重なるので、上空から見れば椿の花にも見えた。
その後は決められた箇所に呪文を書いて魔法陣は完成するが、仕上がりまではどんなに早くても3分。陣に間違いがあれば修正せねばならないし、作動させて不死鳥の動きを鈍らせるまで1分程度はかかる。いや、思ったよりも体が大きいので、もっとかかるかも知れなかった。
マン卿は池の前に到着すると、下馬して聖塩を撒いて清めた。そして鳴物をけたたましく叩き鳴らし、吠える。
「巫女は祈れッ!! 石灰を切らした騎士も祈るべしッ!! 不死鳥の体を聖で弱める!!」
陸続する馬から巫女や聖職者が飛び降りる。巫女は大急ぎで、老いも若きも雪の上を駆け、魔法陣を囲むように各々端坐した。鐘や鐃鈸、太鼓などの鳴物を打ち鳴らしながら『通せ、通せ』と吠え、狩子のように威迫する。正教化される前の土着的な信仰に基づく退魔であった。
神官や尼は振り香炉に火をつけ、緊張で荒ぶる心臓を落ち着けながら、聖書を手に祈りの言葉を唱える。石灰を撒き終えた騎士達は聖職者に合流、松明を掲げて『爾は屈服する』と聖塩を撒く。
遅れて現れた荷物持ち達は、持ってきた薪を手早く焚べて、贄の仔山羊を次々と雪の上に転がした。悲鳴を上げ失禁すらする贄に、近くの巫女がわあと群がり、押さえつけ、短剣で首を刺してゆく。
雪と噴水の雨とが吹き付ける中、東西南北定められた箇所で麻薬を飲んだ舞姫が踊り始めた時、リトル・キャロルは不死鳥の体の下から脱出した。芋虫の魔法は既に解呪していた。だが右腕と右足は極光に巻き込まれて失い、腐って骨が剥き出しになった断面が青く燻っていた。
キャロルは浅い池の上を這い、叫んだ。
「ローズマリーっ!!」
祈りの音が激しく、自分の声も聞こえない。
「ローズマリーっ! ローズマリー、どこだっ!!」
腕と脚の代わりに樫の枝を生やし、ふらふらと立ち上がる。そして跛を引きながら池の上を探し回っている所を、ヒューバートがぐいと腕を掴んで捕まえた。
「目が見えていないのか、リトル・キャロルッ!」
キャロルは目を閉ざしている。
「どこかにローズマリーがいるはずなんだっ!!」
「まずは目を治せ! 薬師に頼もうっ!」
「構うものか、直に治るっ! それよりローズマリーだっ!!」
キャロルがヒューバートの手を振り払おうと揉み合う中、不死鳥は遽然覚醒した。炎天下の蚯蚓のようにぐねんぐねんと体を捩らせ、金の火を噴き始める。祈りの聖が体を蝕んでいるのか、その勢いはあまりないが、それでも巫女や騎士らがその炎に巻き込まれれば作戦の続行は危ぶまれた。
「ちぃ……! まだ魔法陣も描き終わっていないのだが……!」
しかし、ヒューバートの心配とは裏腹に炎は巫女や騎士にまで届かず、というよりも天に向かって炎を噴く時間が多いようだった。それどころか、自身の体にも炎を浴びせているように見え、ついに体の各所に炎が燃え移った。
「まさか、自分の体を焼いているのか……? 魔法陣で体が冷えるのを防止している……?」
「いや……」
キャロルが思うに、それは妙である。音からして、徐々に体を捩る力が弱まりつつあるのは明白。不死鳥は間も無く動けなくなるだろう。その状況で己の体を焼くのは、霜を払うとかではなく、単に死を早めるだけな気がしている。
意味深で、不気味な仕草だった。祈りの苦しみで狂ったなら良い。脳を痛めて自他の分別が付かないなら、なお良い。──正気で自死を選んでいるのなら、怖い。
そしてキャロルは息を呑む。暗闇の中、不死鳥の気配が二重となったように思えた。
(……不死鳥が、増えた?)
キャロルは凍てついたように思考停止する。
次いで乱れたキャロルの髪が静電気を帯びたようにふわりと持ち上がった。巫女たちの髪も、騎士達の髪も同様で、帯電質の者に関しては電離を帯びる。
「何が起きている、ヒューバート」
「光だ。光が、縞の木になってゆく……」
不死鳥の体に燃え移った炎から、一本の細い光が天に伸びた。光は瞬く間に増えて、次第に重なり合って太くなり、10秒も経たぬ内に太い幹のようになった。──不死鳥フェニクスは王都を焼き尽くした菱満俺の木を生み出そうとしている。
「縞の木……?」
その縞の木が何であるか、キャロルには良くわからない。ただ、相反する2つの感情が空間に満ちるのは感じていた。
1つは『怒り』。狂おしいほどの怒り。言わば呪詛的な怒りに近い。例えるならば田舎、道端で行われる闘犬の、負けた犬が猛々しい敵意を剥き出しにしながら死にゆく時。己を殺した相手を睨め付け『お前も連れて行ってやる』と言わんばかりに発する、怨恨に燃える怒りである。
もう1つは愛。仄光る、あたたかな愛。全てを包み込むような、ふんわりとした熱気。
キャロルは気がついた。──今さっき二重となったと感じた気配は、不死鳥の子ではあるまいか。
つまり、不死鳥は死を予見して、蜚蠊のように種を残そうとしている。命を擲って自らに宿る魔力の全てを放出し、周囲にいるであろう我が子の敵を排除し、安全圏を構築しようとしているんだ。
キャロルは決意する。不死鳥を殺してはいけない。
左手で十字を切り、脚──の代わりにした樫の枝一本で立つ。それは浅い池に根を張り、キャロルの体をぴたりと固定した。右手──の代わりした樫の枝は地面と水平に上げ、顔は正面。天地人の姿勢。聖鎧が煌めき、光柱が天を衝く。
(──間に合えっ!)
池に張った根は陶瓦を破壊しながら不死鳥へと伸びて、その体に絡みついた。そしてキャロルは昂る魔力の総てを回復力に充て、不死鳥の体を癒す。
天で傘を広げるようにして光の葉を茂らせていた菱満俺の大樹が揺れた。傷が癒やされていく毎に、枝が垂れ下がって柳のようになってゆく。光の葉が雪風に散り、まるで桜吹雪だった。
それと同時、二重となっていた不死鳥の気配は一つに集約された。つまり、腹の中に生まれたらしい雛は溶けた。親の体が健全であれば、不死鳥にとっては新たなる命も意味を成さない。魔物の命は、人間や動物の命とは似而非なる。
不死鳥は力を取り戻した。キャロルの極光によって膿んでどろどろになりかけていた臓物は形を留め、地に叩きつけられて傷んだ脳は癒えた。そして腐り落ちた翼の、その根本から新しい翼が生え始める。
金切り声を上げるのと同時に、めりめりと音を立てて、不死鳥は左右3つの翼を生やした。キャロルの生命の力が干渉して、更なる力を得たらしい。
(──凍結の魔法は)
既に魔法陣は完成して、キャロルの足元では水が凍っている。不死鳥の体にも霜が纏わりついていて、動きも確実に鈍くなっていた。
そして不死鳥は嘴を大きく開け、ぎらりと光る板歯を露出させた。そこで眩い火花が踊るから、火を噴こうとしている。今度は正真正銘、自らに纏う氷を溶かそうとしていた。
「ヒューバート!! 下がれ! ヤツを凍らせて印章に封じるッ!! 巻き込まれれば死ぬぞっ!!」
キャロルは回復の魔法を凍結に転じさせて、不死鳥を氷漬けにしようとした。しかしヒューバートはその場から動く気配がない。
「どうした、早く下が──」
「すまない。リトル・キャロル、許せ」
ヒューバートは深く息を吐くと、聖鎧の腰部に吊り下がる、不死鳥を封ずるための『水晶の印章』が入った嚢橐を奪った。
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