入城
【本日発売】
「不良聖女の巡礼 3上」が本日発売になります。
ぜひ購入していただけますと幸いです。
☆7ぷくてんさんより素敵なレビューをいただきました。
よろしければご覧になってください。
灼熱の樹木で消し飛んだ雪雲も、不死鳥が錫色に逆巻く飆風に飲まれると、危機が去ったと言わんばかりに何処からともなく湧いて出て、王都を再び吹雪かせた。以降、雪は止むことなく夜が明けて、郭の外では未だ一進一退の攻防が繰り広げられている。
激しさを増す雪の中、クリストフ五世は喫煙具片手に苛立ちを顕にした。
「ええいっ。何をやっておるか兵どもはっ! いつまで経っても門すら破けぬではないかっ!」
隣、無骨な将レジナルドは巨体を縮めて申し訳なさそうに言う。
「いやしかし、思いの外敵方の練度が高く、特にアリス・ミルズとかいう将が厄介至極」
「根性でなんとかせえ」
「そもそも我が軍も不死鳥の閃光で半数が倒れて御座いましょう」
「じゃかあしいっ! 治療して城壁に突っ込ませえ! ほんで倒れたらまた治療して突っ込ませえ! 無限にやれぃ、無限にっ! それで一兵が百人力よ!」
「お、お怒りはご尤も──」
嗜めるレジナルドに、突如悪寒が走る。背後から強烈な殺気。頭から獅子に貪り食われるような錯覚を覚えて、ハッと振り返る。真っ白な吹雪の帷、その奥に人影が見えた。
「せ、聖下……」
「儂はもう教皇ではないぞ。聖下はやめんか」
苛立ちに囚われているクリストフ五世は、背後から迫る怒りの圧に気付かず、城壁の前で四苦八苦する兵を睨みつけるばかりだった。
「あの、後ろを……」
「なに? お前の声が小さうて聞こえんわ! しゃんと喋れっ!」
「う、後ろ! 聖下、後ろっ!」
ようやく振り返る。
「ん……?」
烟る風雪の中、迫り来る人影が1つ。
「んん……?」
その者はずんずんずんずんと大股で、雪を踏み締めて一直線に向かって来る。猛禽のような黄金の瞳がごおと燃えていた。
「げえっ! キャロル!?」
キャロルはクリストフ五世の前まで来ると、何の躊躇もなく拳を、それも思いっきり全力で顔面に叩きつける。みしり、と厭な音がした。
「ぶべぇっ!!」
そして15呎(約4.5メートル)程度飛ばされる。鼻血が綺麗な弧を描いている。そしてずぼりと真新しい雪に埋もれた。
「お、おっ、お、落ち着い──、ほんぎゃあっ!」
止めようとした重装のレジナルドを背負い投げ。キャロルは怒りに染まった顔をそのままに、倒れたクリストフ五世に掴み掛かる。
「こんの糞坊主がッ!! 私を騙して王都に攻め入りやがってっ!! 馬鹿にするのもいい加減にしろっ!!」
らしくない言葉で怒り狂うが、後から追って来たジャック・ターナーとフレデリック・ミラーに引き剥がされ、なおもキャロルはジタバタと暴れた。
「あいたたたた。いきなり来て気持ちよく殴りよって、擦れっ枯らしめ……。これを見んかいッ!!」
クリストフ五世はくわわと目を見開き、自らの頬を指差す。
「青タンが出来たあっ!! 鼻血も出たあっ!! お前は余命幾許もないジジイを素手で殴ったあッ!! これが聖女のやることかあッ!!」
「上等だ呆けジジイっ!! 何個でも青タン作ってやるっ!!」
「何じゃその口の利き方は! 誰がお前を見出したと思うておるかっ!! 儂は恩人ぞ!! 王都で暮らせたことを感謝せえッ!」
「私は貧民街でも良かったッ!!」
キャロルが凄まじい力で振り払おうとするので、フレデリックは焦った。
「乱暴は良くない!!」
「そうじゃ、頭を冷やさんかキャロル!! 乱暴は良くない!!」
「どの口で言うか、ぬけぬけと!!」
そしてジャックは足元の雪を掴み、キャロルの背中に雪を詰め込んだ。
「冷っ!!」
衝撃で感情が吹き飛ぶ。
「何をっ!! お、お前っ、ああっ、冷たっ、ひいっ!」
きんきんに冷えた雪と雫が背中を伝い、我慢ならず仰け反る。その場で回転しながら、ばたばた足踏み、まるで鈴踊り。狼狽して、キャロルの頭に白い洎夫蘭が咲き乱れた。
「頭に来るのは分かるが、まずは不死鳥を倒すこと! それが輝聖としての役目じゃないのかっ!」
「お、お、お前が真っ当な事を言うなっ! まるで私が冷静じゃないみたいに見えるじゃないかっ!」
「だから冷静じゃないんだよ! 一呼吸置くんだキャロル」
ゼェゼェと荒く息を吸って吐いて、キャロルは髪を掻き上げる。そして破裂せんばかりに赤らんだ顔でクリストフ五世を見下した。
「どういう了見で王都に攻め込んだ。答えろっ」
「知れたことを。全ては輝聖の為で、太平の為! 光の聖女に権が集まるまで、金玉の皺も伸ばせんわ!」
「じゃあなんだ。王都に風穴を開けて、私に王室や王都派を滅ぼさせるつもりだったのか!?」
「輝聖ならそうせえ! お前を認めん輩は嬲り殺せっ!」
「勝手な事をするな! 私には私のやり方がある! 私が本当に救世の聖女なら、私の存在があるせいで、私以外の人が不幸になることなんて、あってはならないんだっ!!」
「甘えたことを言うなっ!! 18にもなって子供の綺麗事をくどくどとっ! そんなもんで世界を統べられると思ってかッ!」
クリストフ五世は目の玉を剥いて続ける。
「人はなぁ! 誰しも正義を持っておる! 他人の正義とは相入れんッ! この世界に輝聖という『完全無欠の正義』が生まれた時点で、争いは始まるッ! お前が世界の頂点に立つまで、血が流れるッ! 仁政など夢のまた夢、これが節理だ、リトル・キャロルッ!!」
「知ってるさ! でも、子供の綺麗事だとしても、光の聖女である私がその理想を持ち続けることが大切なんだッ!! ──現実を知って怠惰な征服を選ぶ聖女よりも、綺麗事を言って困難に足掻き続ける聖女でありたいっ。私を見出したんだったら、そのくらい分かれ!!」
「馬鹿タレがっ! 運命に抗うかっ!」
「馬鹿で結構! 私は運命の奴隷じゃないっ!」
そして雪に埋もれる師を無視して、向かっ腹を立てたままに城門へと向かっていく。
「お、おい! どこにいくつもりじゃ、まだ話は終わっとらんわっ!」
「うるさいっ! 王都に入るんだよ!」
「待て待て、門を守ってるのはアリス・ミルズだぞ! 忘れたのか、キャロル! 第五聖女隊でお前を激しく嫌っていた、あのアリス・ミルズだぞ!」
「良いからお前は大人しくしてろ! これ以上晩節を汚すなっ!」
キャロルは雪の上、体から木々を生やして倒れる兵や、銃に撃たれた兵、石油を浴びせられて火傷を負ったであろう兵など、ぽつぽつと倒れる負傷兵に聖水を撒きながら門へと寄る。
郭の歩廊の上で王都派正教軍マーヴィン・ヒルは、たった1人で向かってくる者の姿を認めて眉を顰めた。激しい雪風で視界がはっきりとはしないが──。
「ありゃ女だな。1人で突破するつもりか……? まさか、秘密兵器でもあるまいし」
隣でアリスが言う。
「リトル・キャロル……」
「と言いますと……、あれが光の聖女──と謀る女!」
マーヴィンは双眼鏡を取り出し、キャロルの姿を捉えた。冥色の髪に、猛禽の如く金の瞳。その身に纏う鎧は荘厳。鎧の呪物的な趣きに威圧さえ感じて、出し抜けに撃ってやろうとも思ったが、まるで槍衾を前にしたように手が出なかった。
「な、なるほど。光の聖女を自称するだけあって、威厳はあるようにも見えるな……」
そしてアリスは鼻で笑い、吐き捨てるように言う。
「……追放されて、少しはらしい顔つきになったか」
憎しみと安心が綯交ぜになった、妙な声色だった。
「は?」
「お前はそこで銃を構えていろ。少しでも不穏な動きをすれば、あの女の丹田を撃ち抜け」
アリスが離れたので、マーヴィンは悴んだ手を懐中の焼き石で温めた。ぶつくさと言いながら。
「んな簡単に言われたって、俺ぁアンタみたいに一発で仕留められる自信ねぇっての……」
キャロルは燃える破城槌の側に立ち、赤目王の大門を見上げた。吹雪に晒されてなお燃え盛る石油の火炎、重く、粘っこく、真っ黒い煙が目に痛い。
程なくして、門の上、アリスが剣を手に胸壁の上に立った。珊瑚色の髪が靡いて輝いている。
「久しいな、アリス。聖女隊があんなことになってしまって申し訳なく思っている」
第五聖女隊はキャロルの命令違反が原因で解体となった。
「随分と馴れ馴れしいなキャロル。光の聖女と嘯き、世を乱す悪女が何用だっ!!」
かつて聖女の神秘性を守る為に第五聖女隊解体の命を出した男、クリストフ五世が面倒くさそうに小指で耳穴をほじくりながらキャロルに寄った。
「私は不死鳥を倒しに来た。門を開けて欲しい」
街の外からでも、吹雪の中に巨大な漏斗状の竜巻は見えた。風の中で稲光が走るたびに魔力的な圧を感じ、汗疹で傷む時のように肌が、特に皮膚の薄い鼻先や額がぴりりと沁みた。
「嘘をつくなっ! 貴様ら大白亜派の魂胆は見え透いている! 王都を占拠するつもりだろう!?」
「誓おう。私がそんなことはさせない」
「何が誓おう、だ。クリストフ五世──ジェイデン・ターナーは政戦を制覇して教皇の座に着いた男だ。数多の枢機卿を陥れ、手練手管に長ける! 信用できるものかっ」
これについては遺憾ながらキャロルも同感であったが、しかしクリストフ五世が反論した。
「何じゃとっ! まるで儂が実力も人望もないのに教皇の座についたと言わんばかりではないかっ! 撤回せえっ!」
「その偉そうな言を吠えて聞かせるな、下郎め!」
「黙っておけ、クソオヤジ」
2人からぴしゃりと言われて、クリストフ五世は黙らざるを得なかった。
「アリス。時間がない。王都が滅びるか滅びないかなんだ。今日は負けてくれ。頼むよ」
アリスは黙った。
キャロルの瞳、決意の色を宿している。激しい黄金だ。どこまでも真っ直ぐで、内に広がる宇宙は広大、見つめていると理外の魅力に飲まれそうになる。……どうやら本当に、青二歳で、優等生という格に甘んじていた第五聖女隊のキャロルとは違うようである。別人だと言っても良い。
アリスはキャロルと共に第五聖女隊を率いた将であった。誰よりもキャロルを理解しているつもりだ。同室の友人──とキャロルは思っているみたいだが──のマリアベル・デミよりも理解しているつもりである。
嫌われ者で構成された、言わば無法者の集まりの中で、特に目障りな存在がキャロルだった。この女がいなければ、私は軍でもっと存在感を強められたろうし、ミルズ家にも箔がついただろう。
私個人の感情としてはキャロルを認めたくない。そして正教会も認めていない。だが、この女は曠世の天才で、光の聖女であることは間違いない。心奥ではそれくらいの分別はついている。──そして、あの不気味な程に美しい火の鳥を倒せるのは、光の聖女しかいないような気もしている。ここで倒して貰わないと世界の崩壊が早まる。
アリスはチラリと背後を振り返る。突如発生した竜巻、恐らくは風の聖女が火の鳥に挑んでいるのだけど、一向に倒せる気配はない……。
どうしたら良いのか。この期に及んで悩むなどと……。遠い日、教皇に命を捧げると誓ったのに……。
こんな時、教皇のお導きがあれば。私を地獄から救い出してくれた教皇の声を聞けたら──。
「私はヴィルヘルム・マーシャルを信じている」
ぼそりと言ってアリスは咳き込む。口に当てた手から血が溢れた。神門での傷は完治していない。夜通し戦っていたので疲弊もしている。
「……聖下のお考えが私の考えだ。リトル・キャロル、悪いが、お前を輝聖として、王都に入れるわけには」
また激しく咳き込む。4回5回と小さく吐血すると、次いでごぼりと盛大に血を吐き、切り倒された木のように倒れ、門の上から落下。それをキャロルが咄嗟に受け止め、そっと雪の上に寝かせた。
「ひどい熱だ。相当な無茶をしていたな」
キャロルは手を挙げ、後ろに控えていたフレデリックとジャックに合図。『近くへ』の手信号。アリスを頼みたい。一方でクリストフ五世は、肺いっぱいに冷えた空気を吸い込んで、歩廊の兵らの半数が驚き跳ねる程の大声を上げた。
「畏まって門を開けいッ! 貴様らの将は倒れたッ! 勝負あった、勝負あった! 輝聖の勝ちぞッ!」
歩廊で銃を構えるマーヴィンは、げげっ、と顔を引き攣らせた。いやはや、アリスが倒れることは想定していなかった。どうしたものか。彼らを王都に入れて良いものか。まさか罪に問われたりはしないだろうか。
他の者に判断を委ねてしまおうと周囲を見回したが、いるのは雑兵に傭兵、それから荷物番に飯炊の女たち。とても頼りには出来ない。
「早う開けんかっ! 世界が滅びれば、貴様のせいだぞっ!」
「お、おいおい、そんな言い方あるかよ! 俺だってどうしたらいいか分からんよ!」
隣で銃を構えていた飯炊の女が眉尻を下げて言う。
「開けてやんなさいな。火の鳥を何とかすると言うんだろう? あんなものが王都の空にいちゃ暮らしていけないよ」
そうだそうだ、と他の飯炊たちも賛同した。マーヴィンは踏ん切り付かぬ様子で黙り込むが、女たちだけでなく雑兵らも困った顔でこちらを見るので──。
「──あ、開けよ。開門、開門!」
門の裏、閂に手をやる老兵が、ふがふがと言う。
「よ、良いので?」
「仕方ねぇだろ。爺さん、あの鳥を何とかできるのかぁ? 俺にゃ無理だね」
老兵は慣れた手つきで鎖と閂を外す。ぎぎぎと音を立てて門が開いた。クリストフ五世は『重畳』とだけ言い残し、キャロルと共に門を潜る。ついに大白亜派は王都に足を踏み入れた。
「あーあー、長かった。してキャロル。あの鳥は無茶苦茶やりよるぞ。見ての通り、空聖も苦戦中。本当に倒せるのかのう」
「もう余計なことするなよ。あとは私に任せろ」
キャロルは王都が焼け野原になっていても可笑しくはないと考えていた。だがどうだろう、第三聖女隊は秘密裏に王都へと入っていたらしく、想定よりも幾分事体が好転した感じがある。これも神の考えの内なのか、そう思うと胸にもやりとしたものが残るが、とにかく最悪の事態を免れた事には違いなかった。
「なあ、クソオヤジ」
キャロルは聖鎧の下から煙草を取り出し、咥える。
「ああ?」
「魔物ってなんだ?」
「何を、藪から棒に」
「だって疑問に思わないか? なぜ魔物は瘴気から生み出される。なぜ私たちを襲う。魔物が人類の絶対悪として君臨する理由はなんだ?」
いい加減、風に踊る髪が鬱陶しいので、聖鎧の装飾だった風鳥の尾を千切って、それで簡単に髪をまとめた。
「餌を与えても決して飼い慣らせず、憎しみを剥き出しにして襲いかかってくる。知能のある魔物もいるが、脳も小さく野蛮で、群れたり仲間意識はあるが文明は築けない。そして、どんな魔物にも『人間を攻撃する』『文化を潰そうとする』という種としての執着がある」
キャロルには魔物の根底に『人類の絶滅』という目的が──、しかも天命に等しい、生まれたからには達成せねばならぬほどに絶対的な宿命があるように思えた。
「奴らは何を目指す? 人を滅ぼして、どうしたい?」
「知らんわ、そんなもんは」
クリストフ五世はそう言いつつも続ける。
「のうキャロル。質問に質問を返すぞ」
「許す」
「人はなぜ生きる」
「はあ?」
「考えてもみい。いつ瘴気に飲まれるかも分からんし、いつ魔物に襲われるかも分からん。びくびく生きて、辛いことばかり。生きてたって何の得もありゃあせん。土地によっちゃあまともに飯もありつけんだろうし、胃が痛くなるほどひもじい思いもせにゃならん。都会や貴族に生まれりゃ良いが、瘴気に飲まれる寸前のド田舎じゃあ、そんな話は普通だろう。でも彼奴等は生きる」
キャロルは口を尖らせる。返す言葉が見つからなかったのと、この糞坊主が如何にも坊主らしい事を語り出すので、なんだかちょっぴり気に入らなかった。
「その答えが見つからん限りは、魔物に意味を問うことも出来んのではないか」
「人間と魔物も一緒だと言いたい?」
「花が精一杯咲くようにな」
口で煙草を上下、遊ばせる。自分で聞いておきながら、説教臭くて嫌だった。このように、キャロルはクリストフ五世の前だと感情をよく表に出した。
「私、行くよ」
「どこに。王都ならもう着いたぞ」
「──不死鳥を倒したら、一度瘴気の中に行く。そこで世界の本当の姿を見るんだ」
キャロルは背負っていた聖具を抜く。刃の遊色が踊った。……早くローズマリーを手伝わなくては。
本日 6月25日「不良聖女の巡礼 3上」が発売されました。
皆さんのお陰でシリーズ三冊を出すことができました。
今後も出せると作者としては本望ですので、ぜひ応援していただけますと嬉しいです。
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