天下無双
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6月25日に「不良聖女の巡礼 3上」が出ます。上下巻となる予定です。
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書影等・予約サイトについてはまだ発表していないので、6月頭までお待ち頂けますと幸いです。
お願いだ〜、みんな買ってくれ〜。
聖地を発ったリトル・キャロルはリューデン公爵領から王都へと直接伸びる市場街道を南進した。地吹雪に乗じて幾つかの関所をやり過ごし、稲妻のように駆けた。
奇妙だったが、馬が雪に足を取られることがなかった。舗装された道を走っているような気さえした。雪が凍って走り易くなっているのかと思えば、そうでもない。まるで積もる雪の上を、ほんの1吋だけ浮いて走っているような、そんな感覚でもあった。
そして山の背から陽が昇り、世界が薄らと白の世界を取り戻し始めた時、背後から馬の荒い息の音が聞こえた。
「……!」
並走してきたのはジャック・ターナーだった。後ろに聖騎士フレデリック・ミラーを乗せている。
「追いかけて来たのか。実は心細かったから助かる」
「いやはや、まさか天馬と謳われる汗血馬に追いつくとは思わなかったよ。こっちは特別な軍馬ではないはずだが……」
キャロルは聖鎧から煙草を取り出し、それを咥えて横目で馬を見た。比較的小柄、品種はラウンシーらしい。貧乏貴族が好む安価な馬で、商人が荷馬として用いることもある。速さも体力もある『お得な馬』ではあるのは認めるが、流石にこの猛吹雪では走るのを諦めてしまうだろう……。
「どうにも可笑しい。ラウンシーが男2人を乗せて、こんな雪の中を走れるわけがない」
魔法で煙草に着火。激しい雪風に負けない火力、一瞬火柱が上がった。
「親切な神がお節介を働いているのかもな」
不死鳥を他所に降ろしておきながら、力を与えるらしい。女を殴った後に泣きながら謝る屑男のようである。
「ああっ! やはりそうかっ! ならば私は今、神秘の傘の下にいるっ! つまり私は神に選ばれたっ!」
もしジャックが女だったら、きっと屑男に一生を費やすことになるのだろう。キャロルは憫笑した。
「──聖下」
興奮に悶えるジャックの後ろで、必死に彼にしがみ付いていたフレデリックが口を開く。発った時からずっとこの姿勢だったので、体に張り付く雪が払えず、雪達磨と化していた。
「某は不死鳥が降り立つような聖地が王都にあるとは聞いたことがありませぬが、果たして何某かの『封印の獣』が待ち構えていましょうか」
王都は国家の中心である。古来より鉄壁の要塞であり、学問の都で、天下の台所であった。その為に優秀な人材が各地より集まる。仮に強力な魔物が現れたとしても、封印を選ばずに討伐してしまうことも間々あった。そうした背景があるから王都周辺に聖地は少ない。
「記録に残っていない聖地があるのかも知れない」
「記録に残っていない?」
「王都は国の祖だ。国や王家にとって不都合な魔物が封じられていれば、歴史からは抹消される」
「それはどういう……」
「例えば──」
言いさして、キャロルは眉を顰めた。唐突に殺気を感じた。心臓を鑢のような猫の舌で一舐めされたよう。ざりざりとした心地の気配がする。
「何か来る」
不意打ち、雪風の中から大きな黒い帆布──のような魔物が襲いかかってきた。キャロルは咥えていた煙草を鋭く吹き出す。それは吹矢のように風を切り、魔物に直撃した。魔力が爆ぜて燃え上がり、転瞬の間に熾と炭とになって砕け散る。
炭を全身に受けてジャックが驚愕し、光悦の世界から連れ戻された。
「けほっ、けほっ! い、今のは……!?」
「小翼竜だ」
小翼竜は縦7呎(約2m)、翼を広げれば横16呎(約5m)程になる小型の竜である。蛇のように小さな鱗が全身にあり、色は黒か紺、ぬらりと滑らかな質感がある。本来は山間に多く生息し、山羊や羊などの家畜を好んで食べる。もちろん聖地に封じられる竜よりも知能は劣るが、残虐さは持ち合わせていて、子供を攫い弄んで殺した。
「……」
キャロルは周囲の気配を探った。吹雪で目も耳も利かないが、数多の殺気が向けられていることは分かって、億劫そうに言った。
「付き合いきれんな……」
真剣さを取り戻したジャックが問う。
「どれだけいる?」
「大発生だ。数にして豆屋の豆くらい」
ジャックは豆屋の屋台を思い浮かべた。幾つかの木箱の中に、扁豆や大豆、銀杏に豌豆豆。それらを指折り数えたことなどあるわけがないが、想像するに数千、数万、いやいや、まさか数億……?
「いやいや、馬鹿な。冗談じゃない」
「魔物なりの笑えない冗談さ」
キャロルは新たに一本、煙草に火をつけて続ける。
「興奮してるのか『どうぞお通りください』とはいかなさそうだ。数百の小翼竜に囲まれれば、3人纏めて腹の中……。糞になれば聖女とて復活は難しいか? 少なくとも糞から復活したくはないな、私は」
「倒すのか?」
「視界が悪い」
そして雪達磨のフレデリックが言う。
「ここは某にお任せを」
ぶるぶると顔を振るってこびり付いた雪を落とす。
「この左の義眼は魔石葡萄石の千里眼。如何な地吹雪の中とも言えど、凡ゆる敵を見通し申す。聖下の眼となりましょう」
フレデリックの義眼、葡萄石が翠の光を放った。炎のように揺らぐ。千里眼は敵意を映し、どの位置どの距離、どれだけの魔物がいるかを瞬時に分からせた。
「よし。フレデリックに任せる」
「では聖下。10時の方向から小翼竜が飛来、数にして大哥(約1700尾)、挟む形で4時の方向、同じく大哥!」
キャロルは強く煙草を吸い、火種を尖らせながら鼻と口から大量の煙を吐き出す。馬を押してさらに加速。たとえ数多の魔物が迫ろうと、一度立ち止まれば囲まれて状況を悪くする。走り続けるしか無い。
「──股鋤を使うッ! 言っておくが、どんな聖になるかは私にも想像つかない! 2人とも、魔物と一緒に溶けてくれるなよ!」
キャロルは手綱を左手首にぐっと巻きつけ、右手を背に回し、背負っていた『いと聖なるジョン=ウォーターハウス刑場教会の大農具』を手にした。蛋白石の刃が熱を帯び、遊色がメラメラと踊り狂う。股鋤は天下無双の大槍。遊色は輝聖の聖を体現し、凡ゆる魔を滅ぼす神秘である。
黄金の瞳を燃やし、股鋤を天に掲げた。雷が刃の先端に落ち、キャロルを中心に爆風が発生する。遊色は数多の極光の帯を産み、それは空間を割くのだろうか、ガガガという門扉が開くような音を上げながら、蛸の足のようにしゃらしゃらと無秩序に周囲を薙いでゆく。四方八方、無限に伸び広がって雲を払い、辺りの雪風は吹き飛んで、やがて帯は消えた。
晴れた視界、10時の方向──遠く、黒雲が溶ける。よく見ればそれは小翼竜1700尾の群れで、一体一体が青い炎を上げながらひらひらとゆっくり落ちていっているようだった。極光が直撃したらしい。それは那由多の敵を融解し、六徳の隙間も逃さない破滅の光だった。
周囲には極光の帷が、まるで香りを残すかのように無数に漂揺していた。原にがらんがらんと鐘の音が鳴り響く。揺曳する音の正体は分からない。
「2人とも無事か! どれだけ倒した、フレデリック!?」
「ま、まるで『裁きの火』。迫る敵は全て焼き尽くしたようにございます」
『裁きの火』とは神が振り下ろす正義の鉄槌の総称である。古今東西数多の神話に現れ、酒池肉林に耽る都市や極悪非道の悪党などが、硫黄と炎によって滅ぼされた。事実、極光を浴びた魔物は腐敗し、硫黄や硫化水素となって燃えた。
2人が無事なことにやや安心してキャロルがふっと息を吐いた時、天を見上げわなわな震えるジャックが横目に見えて、今度は何だと苦く笑う。
「雲が晴れたのに薄暗いのは可笑しいと思えば、これかっ! ──上っ! 上を見ろっ!」
天空は斑らに黒い。大量の小翼竜が空を埋め尽くしていた。それはまるで漁火に群がる鯵であった。しかも黒い空は次第に地に降りてきているようで、キャロルはさらに苦笑。頬に汗を垂らし、口元を引き攣らせる。
「どれだけの数になる、フレデリック」
フレデリックも阿呆のようにぽかんと口を開けながら、空を見上げていた。
「差し詰め、12大哥(約2万尾)と言ったところ……」
「少しは魔物のユーモアが分かってきた気がするよ」
そしてジャックは焦りに目を泳がせながら言う。
「キャロル、今こそ聖鎧の力を試せ! それは神聖なる聖遺物が組み合わさった集合体。防具というよりは武器なんだ! 針鼠のようなものだと思ってくれて良い」
「初耳だな」
「詳しく説明出来るほど解析が進まなかった。とにかく筒だ! 筒を使え! 発掘した際、兵が聖に負けて引き付けを起こしたほどの代物だ! 必ず魔を退けるっ!」
「筒? わからん! 鎧のどこに筒があって、どうやって使う!?」
「輝聖たる者、感覚で何とかならないか!?」
「学者なら理屈で物を言えっ!」
キャロルは苛立混じりに上空の敵に意識を向けると、聖鎧の肩部がパンと爆ぜて、装甲が弾け飛んだ。すると中から玉髄と鼈甲で作られた10吋(約30cm)の円柱──実は聖骨箱で、中にリュカの指が入っている──が飛び出す。それは光の尾を引きながら上空へと高く上がり、空で大爆発を起こした。
それは凄まじい爆発であった。隕石の爆発に引けを取らなかった。魔物で埋め尽くされた空は緋に染まった。天が焼け、溶ける。激しい上昇気流で地表の雪と己の髪が巻き上がる中、キャロルは炎の雲の中からぼふんと産み落とされるようにして降下して来た一体の翼竜の姿を目視した。
数十哩離れた場所を飛んでいるように見えるが、そのことを考えると翼竜はかなり大きい。周囲に点々と飛んでいるのは小翼竜で、それは胡麻粒程度の大きさに感じた。
巨大だった。あまりに巨大すぎた。その翼竜は一城ほどあるかも知れない。その途轍もない大きさに、キャロルもジャックもフレデリックも3人揃って仲良く放心、目をまんまるにしてぽかんと口を開けた。
炎の雲で照って分かりづらいものの、竜の色は褐色。体が大きすぎる為か常に朦朧としている竜であるから、曖昧な殺気だけがキャロルらに向けられていた。どうやらこれが、小翼竜たちの親玉であるらしい。
「さては赤き竜じゃないかなぁ……」
ジャックが問う。
「あのチャールズ無畏王が倒したと言う?」
赤き竜は『カレドニア建国記』等の叙事詩に出てくる魔物である。人々を恐怖に陥れる究極の魔として度々登場する。当時は『黙示録の竜』とも呼ばれ、かつて存在した耶蘇の教えに現れる終末の獣に例えられた。
複数の文献によれば、赤き竜はチャールズ無畏王に倒された。チャールズ無畏王は建国の父、小国ばかりで戦乱の世となっていたカレドニア全土を武力で征服した。その後も争いが絶えなかったものの、赤き竜を打ち滅ぼしたことで真の勇者と評され、ついにその威光で以て民族を統一したとされる。
豊作祷で演じられた劇『竜殺し』でチャールズが倒した邪竜こそ赤き竜であり、劇でも演者が振るっていた聖剣『無鋒剣』で額をくり抜かれて倒されたと言うが──。
「どうやら封じられていただけだったらしい。実は倒していなかったことがバレると王家に味噌がつくから、隠されていたんだ」
「あの竜は一体何をして来る気だ……?」
「叙事詩では『火を噴く』くらいしか言及されていないが……」
遠く、赤き竜の口から血のように赤い炎が立ち昇った。こちらに向けて炎を噴こうとしているように見えて、3人とも生唾を飲み込む。
「……まあ、あんな図体で炎を噴かれたら、それだけで必殺か。防護壁で炎は防げても、熱で美味しい焼肉になる」
「どうする!?」
「ド根性で切り抜けるさ」
キャロルは股鋤をぎゅうと握り直す。再び刃の遊色が踊り始めた時、フレデリックは天を見上げて言った。
「已んぬる哉。小翼竜の生き残りが急降下、数は1000近く」
即座に天を意識し、そして聖鎧はそれに応えた。裾から琺瑯で出来た拳程の白い球が24個飛び出し、急降下してくる魔物目掛けて飛んでいった。球は小翼竜の群れに突っ込むと、光弾を放って敵を焼く。琺瑯の中には聖者たちの腐らない舌が入っていて、魔を見極める。魔物が球の周囲11碼に存在すれば自動的に焼き殺す、神秘の聖具であった。
そして赤き竜が炎を噴射。激しい光と共に、壁のような炎が3人に迫る。キャロルは臆せず馬を突っ込ませ、股鋤の切先を正面に向けて極光の防護壁を展開した。
巨大な炎は3人と馬を飲み込んだ。極光の膜は炎を遮る。
「……っ!」
ジャックはぎゅうと目を閉じた。これだけの炎を浴びせられたら、どんなに強力な防護壁で守られようと、キャロルの言う通り熱で死ぬ。じりじりと肌が焼け、爛れ、馬は斃れ、そして──。
「── いや、熱くない?」
ジャックは気がついた。多少の暖かみを感じるだけで、肌に痛みがない。馬も怯まず走っている。極光の膜は熱さえ通さない? よく炎に耐えているし、それどころか色を激しくさせて、迫る炎を押し返そうともしている。
「まさか炎も熱も吸い取って、力に変えているのか」
キャロルも魔力の高まりを感じていた。防護壁を張るために力を放出しているはずなのに、不思議と漲り続けている。
「いける……!」
ぷっと煙草を吐き捨て、横溢する魔力を放出。辺りに電離雲が発生、光が迸る中、股鋤の刃から千尋の極光が四方八方に伸びた。そして徐々に帯が刃の先端に集結、遊色が重なって白い光線となる。時が裂けて空間の悲鳴が上がる。
光線は炎を突き破り、赤き竜に直撃。いとも簡単に巨体を両断して、光は明滅の後に消えた。竜は血を噴きながらゆっくりと落ちてゆく。
それを見て、フレデリックが言った。
「これはめでたい……。国父にも成し遂げられなかったことをやってのけましたな」
「ツケを払ってもらえて、チャールズも天国でホッとしてるかな」
股鋤を背負い込み、煙草に火をつける。ついでにもう一本煙草を取り出し、指で弾いて、ジャックにも渡してやった。
「ご安堵のところ畏れながら……。まだまだ小翼竜は現れまする。9時の方向、数にして大哥(1700尾)」
今度こそ一息つけると思ったのだけど。針の筵とはこのことか。
「親玉をやったのに?」
「親を屠ったとて、子は死にませぬ」
キャロルは疲れが滲んだ顔で、その方を見遣った。ああ、馴染みの飛蝗雲のようなものがこちらに迫っている。全部小翼竜らしい。
ジャックもぼうっと黒雲を見つめながら、煙草に火をつけた。生き返るような美味さだった。
「最後の方は神のことを考える暇がなくて、不思議と腹が減って来た。肉が食べたい」
「そりゃいい。神に感謝しろ」
素直に従い、十字を切る。
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