偽神(後)
王都東の郭門、別名『赤目王の大門』は危機的な状況にあった。上空で閃光が走り、哨戒兵が燃えて吹き飛んだかと思えば、突如として軍勢が襲来。魔法で郭に穴を開けられた。敵は誰かと判別しようにも旗は掲げていないし、そもそもこの地吹雪では装備も分別つかず、敵は正体不明の軍勢としか言いようがなかった。
辛うじて無事だった兵達は門を守るべく胸壁や銃眼から攻撃。崩壊した郭に群がる敵を撃退しようと苦闘するが──。
「ええい。この雪では弾が当たっているのか外れているのか、よう分からぬわっ」
王都派正教軍、東部守備隊部隊長を務めるマーヴィン・ヒルは郭門屋上、胸壁に隠れながら銃を放ち続ける。しかし、引き鉄を引いても手応えというものがまるでない。
弾を詰めていると、マーヴィンの隣で銃を構えていた兵が頭を撃ち抜かれて倒れた。生暖かい血が顔に跳ね、怯んで槊杖を落としてしまう。拾おうとするも、手が悴んでそれも上手くいかない。
「万事休す、か……」
「──狼狽えるな!」
背後から耳を聾さんばかりの声がして、振り返った。激しく吹き付ける雪の中、立っていたのは珊瑚色の髪の女。それを見てマーヴィンは目を見開く。
「まさかアリス・ミルズ殿か! ど、どのようにして神門から抜け出したのか……。噂ではもうお命はなかろうと……」
アリスは神門で不意を突かれて傷を負った。出血激しく気も失っていた為に死体として扱われたが、翊衛軍の将エレノアがまだ息がある事に気づき、回復を施した。エレノアは決起隊の行いに多少の疑問を持っていたから、とどめを刺すことには葛藤があり、『処理した事にする』と言ってアリスを逃す。その後、正教軍と合流して治療を受けたが、高熱により嗜眠状態にあった。
「問題ない。只今より私が指揮する。1度門を開けるぞ、マーヴィン」
「なんと。彼奴等が街に雪崩込みまするぞ」
アリスは望遠鏡を覗いて敵勢力を確認。風雪の帷の向こう、巨大な影が見えた。状況から考えれば、恐らくは破城槌だろう。
「破られるのは時間の問題だ。ならば敵を誘い込み、殺人孔から熱した油を流し込んで一網打尽にする。揚げ物にしてやろう」
殺人孔とは城門通路上部に設置された穴である。
「動ける者を掻き集め、大鍋で温めろ。飯炊の女たちも使って良い。日頃の仕事と然して変わらんしな」
そしてアリスは雪煙の中に1人の男の姿を認めた。
「敵はクリストフ5世か……」
「前教皇! つまり大白亜派の兵が攻めかかって来ているのか!」
「あの狸爺め、おやじ自慢の手練手管。輝聖の為に王都王城を攻め落とす気?」
その言葉を聞いて、マーヴィンは目を白黒とさせた。
「輝聖の存在は前教皇の陰謀と心得ておりますが……。まさかアリス殿は輝聖を信じておられるのですか」
アリスは鼻で笑って小さく言う。
「あの女がいなければ私はもっと上に行けたのだがな……」
ぼやくだけで輝聖の存在を否定しなかったので、そう言えば、とマーヴィンは思い出す。アリスはかつて第五聖女隊に所属していたと聞いたことがある。つまりはクリストフ5世の傀儡で輝聖を自称するリトル・キャロルと共に過ごしていた、と言うことだ。そのアリスが強く否定しないとなると、少しばかり妙な感じがした。
まさか、アリスは輝聖を信じている? 或いはリトル・キャロルには本当に輝聖かもと思わせる何かがある、とか。
「どうした黙り込んで。さては良からぬことを考えているな」
「いえ、決して」
「私は聖下に忠誠を誓っている。聖下の正義が私の正義だ。神学の議論は後回しにしよう」
アリスは勢いをつけて胸壁から短剣を投げた。雪の中、1人の騎士が首から血を吹き出して倒れる。
「お、お見事……」
「確かなのは、災いに乗じるような俗物には太平は成せぬと言うことだけだ。そうだろう?」
言ってアリスは弱々しく咳き込んだ。口からどす黒い血が漏れ出て、マーヴィンは戸惑う。まさか、何らか傷が塞がっていないのではあるまいか。
「返事は」
「はっ……。確かにその通り」
このまま戦えば死んでしまうが、どうしたものか。しかし、ここを突破されるわけにもいかない。
「分かればよろしい。敵を王都に入れるな。死守しろ。正教軍は正義を守る盾。輝聖がいようといまいと、それを違えてはいけない」
□□
聖地の中央、リトル・キャロルは天を睨めつけた。
「よし。スーヴェニアを出せ」
スーヴェニアとは、エリカがリューデン公爵領まで乗ってきた汗血馬の名である。この名馬は騎士を乗せて2500哩を1日で走ると言われ、流石にそれは誇張だが、無尽蔵の体力と鋼のような足腰を誇る。聖鎧を纏うキャロルを乗せたとて疲れない。
雪に髪を凍らせたジャックが、立ち並ぶ兵らの中から抜け出て、キャロルに縋った。
「まさか王都に行くのかっ」
「不死鳥が降りたと言うことは、そこで何らかの魔物が復活したって事だろう? 時間がない。場合によっては王都が滅ぶ」
その話を聞いた手近の兵らはハッとした。不死鳥が想定外の場所に降り立った事に気を取られ、封印の獣を解き放つ特性がある事が頭から抜けていた。
うら若い巫女が焦りを顔に滲ませてスーヴェニアを連れて来た。キャロルがそれに跨り、そして領主ヒューバートは声を上げる。
「今より移動を開始するっ! 全軍乗馬っ! 兵は銛を持てっ!」
兵らが慌ただしく捕鯨砲から銛を抜き始めると、キャロルは彼らを待つ事なく馬に鞭を入れ、1人駆け出した。あっという間に地吹雪に消える。
「ひ、1人で行きやがった!」
らしくない言葉遣いで叫び、ジャック・ターナーはマン卿の馬を横取り。手綱を握って鞭を入れる。鎧に足をかけていたマン卿は転げ、でんと尻餅をついた。
「乗せよ! 扶翼仕る!」
フレデリックが手を伸ばし、ジャックは彼を引き上げて後ろに乗せる。
「だ、大の男が2人乗りとはっ。馬が壊れるぞ!」
マン卿の忠告虚しく、2人はキャロルを追って雪煙に消えた。
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