祈祷(後)
ピピン公爵領、聖フォーク城に激震が走った。それは南風激しく吹き付け、デュダにも灰が降った日の事、なんと幽閉中のキャスリン・ヒンデマンが娘パトリシアの婿を勝手に募集した。
キャスリンは突如として取り憑かれたように暴れ、『娘が死ぬ前にヒンデマン家の子を残さねばならない』と喚き散らした。自死まで仄めかす為、世話役が公爵領内に制札を設置。海聖マリアベルは街に降灰があったことで大きな変事が起こると思ったのだろうと予想したが、兎にも角にも突然のことでパトリシアの近臣は大困惑である。
制札は直ぐに撤去させたものの、噂が噂を呼んで領内外の貴族が城に押し寄せた。一応海聖が男の値踏みを行ったが、揃いも揃いって軟弱で、しかも次男坊三男坊が殆ど。中には貴族と偽る馬鹿者までいる始末。
追い返そうにも貴族が相手では無碍にも出来ず、茶会や会食、商取引の場などを用意している内に聖地に向かう日取りとなった為、マリアベルは先発隊を組織してロック卿に先に向かわせた。
□□
そして朔風下弦、マリアベルは豪雪の中、テンプルバリー伯爵領内城塞都市シャーリーバラに到着。鍛冶屋の居並ぶファブ地区に聳える、エリザベス大教会の鉄扉を押し上けた。
今日に限っては会衆席が取り除かれた聖堂、聖火台を中央に聖職者や兵たちが魔術的な円で並び立つ。そしてマリアベルは体に張り付いた雪を手で払いながら、聖火台の下のクララに寄った。
「首尾はどうでしょう」
「と、滞りなく……」
草臥れた様子のマリアベルを見て、クララは苦笑した。隈を作り、髪もぼさぼさ。婿選──いや、婿返は至難を極めたらしい。
「城内は落ち着きましたか……?」
マリアベルがどかりと床几に腰を下ろし、クララは肩掛けをかけてやる。
「ええ、一旦は。陰毛が頭に生えた豚共にパトリシアを渡すものですか。あの気触りの母さまも薬が足りてない」
謗りにどう答えて良いか分からず、とりあえずはマリアベルの肩を揉んでやる。
「思ったよりも到着が遅いので心配していました。乱闘でも起きてるのかと……」
「乱闘があれば蹴飛ばして追い出すのですが、ちょびっと墓所に顔を出したのです」
「墓所ですか?」
「うん。もう少し右を強く揉みなさい」
「は、はい!」
クララはぐいと力を入れ、マリアベルは『あう』と顔を顰めた。最近、クララは武芸の鍛錬に勤しんでいるから、力の入れ方が巧みである。
「昨日は禾稼望から100日。つまり前王アルベルト2世の卒哭忌です。忌日には王室に縁のある者が寺院に顔を出すもの」
寺院とはテンプルバリー伯爵領に座す王家の墓所『ウェスバー寺院』の事で、無畏王リチャードが討死した地に建てられたとされる。ここには歴代の王が葬られ、凶刃に斃れたアルベルト2世も眠る。
「だから、翊衛軍の兵が来ているんじゃないかと思ったんですよね」
「宮廷魔術師と会いたかったのですか?」
「『春の目覚め』を手伝わせちゃおうと思って。彼らは優秀だし、人数は多い方が良い」
しかし、残念ながら彼らの姿は見当たらず、その上祭壇に花が手向けられている様子も無かった。
マリアベルからすると、それはどうもおかしい。確かに王都は黒死病で大事となっていて、凡ゆる門を閉めたとは聞いている。だが前王の忌日に翊衛軍が1人も来ていないとなると妙である。幾ら有事でも一隊くらいは花を手向けよう。
──王都で何かが起きている。
……とは言えども、まずは不死鳥が大事。ここから動くことは出来ない。天変地異を止めなくては瘴気に呑まれる前に人間が滅ぶし、キャロルの頼みであるから万全を尽くしたい。
「もし、不死鳥が他の聖地に降り立ったならば、私たちだけでも駿馬で駆ける心積りをしておいて下さい」
「他の聖地へは1日では辿り着けませんが……。それに、この雪だし……」
例えば焔聖が控えるフロスト=サザーランド公爵領へは5日を見ておいた方が良いだろう。山道も通る。
「間に合わなくても駆けるのです。──他の聖女も空聖のように負けるかも知れない」
クララは目を瞬かせた。
「そうか、風の聖女が負けたくらいだから、他の聖女が負ける事もあるのか……」
「空聖は実力者ですよ。ただ学園の賢女が負けたという簡単な話ではない。内気だから勘違いされがちだけれど、魔法にも武芸にも長ける。悪く言えば突出したところがない子ですが、良く言えば隙のない完璧な聖女です。それに空聖は金杖も使ったでしょう」
「金杖……」
「この世の凡ゆる全てを砕く聖具です。星を屠る槌とお思いなさい」
クララは頷く。
「其々が控える聖地と別の場所に降り立てば、其々の聖女隊も動くでしょう。遅れを取るのも癪です。気張っていきましょう」
「場合によっては、1つの戦場に聖女達が集う、と……」
「そういう事です」
そう思うと、クララはなんだかドキドキしてきた。これは凄いことだ。急速に救世に迫っている気がする。肩を揉む手にも力が入る。マリアベルは静かに痛がっているが、クララは気づかない。
「あのー……」
クララの背後から声がした。振り返ると、手に盆を持ったリアンが立っている。盆の上には山のような没薬。
「僕はいつまでこの格好をしていれば良いのでしょうか……」
女装のリアンは恨めしそうな顔でマリアベルを見つめる。
「あなたが命を狙われなくなるまでです。王城が正教会に占拠されて4節、王室も焦り出す頃合いでしょう。例えば『王座を奪うために第三王子が正教会を操っている』などと陰謀に囚われて、貴方に凶手を仕向けるかも知れない」
「そんな突飛な……」
言ってリアンは聖火台の前に吊り下がる、10呎(3m)もある巨大振り香炉に没薬を入れた。蓋を閉めると、もうもうと煙が上がった。
「突飛が常識となるのが有事です。あなたはずっと女でいなさい」
そしてリアンはひだ飾りがあしらわれたスカートを持ち上げた。まるで令嬢が茶会の為に着飾った風であり、髪帯も大袈裟。誰が見ても乙女にしか見えなかった。
「それにしたってこれはやり過ぎかと……」
「あら。可愛いじゃないですか。クララが選んだのですよ」
クララは赤面しつつ、申し訳なさそうに顔を伏せた。畏れ多いことだが、街で見かけて『リアンならば似合う』と思い、どうしても着せてみたかったのだ。自分ではとても着られない代物なので。
「公爵閣下も是非着せたい服があるとかで、幾つかお召し物をご用意している様子。不死鳥の件が終わったら、いつもの茶会で着せ替え遊びをしましょう」
マリアベルはにっこりと笑む。リアンはその幼い笑顔を暫らくじっと見て、それから諦めたように肩を落とし、とぼとぼと天井から降りる綱へと寄った。これを引けば滑車が回って、巨大振り香炉が鞦韆のように揺れる仕組みである。
肩を落とすリアンを気にして、ロック卿が眉尻を下げながら声をかけた。
「よ、良いのか。男児たるもの嫌なことは嫌だとハッキリ言うべし」
リアンは力無く笑い、石灰を手に塗って綱を握る。
「良いんです。これで鬱憤の発散されるなら安いものです。聖女さまはふとした時に暴走しかねません。例えば輝聖のためなら世界を滅ぼす」
力一杯引くが、なかなか香炉が揺れない。全体重を使っても、少しばかり揺れるだけ。
「救世の輝聖を救おうとして世界を滅ぼすとは本末転倒」
「そういう気のある人ですもの」
「苦労を強いるのう……。よし。儂も手伝おう」
ロック卿は右手でむんずと綱を握り、片腕一本で簡単に香炉を揺らしてみせた。没薬の甘やかな煙がぶわわと散る。
「わあ、助かりました。さすが卿は力持ち。手伝ってくれてありがとうございます」
「いや違う。──女装を手伝うのじゃ」
リアンはギョッと顔を引き攣らせた。
「ほれ。二手に分かれれば負担も少なかろう」
「いや、結構です! 卿は雄々しいお姿のまま閣下をお支え下さい!」
「そうか? 遠慮する事はあるまい」
クララは遠巻きに焦るリアンの背中を見つめていた。やっぱり可愛い。魅力的すぎて、光を放っているような気さえする。
「でもどうしてリアンさまに女のお召し物を? 敵に狙われにくくするのであれば髪型を変えるとか、服を変えるとか、他にも方法があるとも思うのですが……」
確かにリアンは可愛すぎるから、あの服も似合うだろう、この帽子も似合うだろうと試したくなるのは理解できるのだが……。自分じゃ着られない服なら尚更。
「女装が一番理に叶っています。女だと思われれば変な虫も寄り付かないわけだし」
クララはハッとする。成程。そういう考えもあるのか。
「リアンさまが大事なんですね」
「勘違いしないことです。あれは第三王子。糞虫がつけば国が揺れる」
マリアベルは青い瞳に圧を携えてクララを凝視した。
「は、はい!」
「変なことを言ってないで、クララも並んで神に祈り始めなさい。『春の目覚め』を始めます」
□□
地吹雪のイヴランド・サークルでは、聖職者たちがロザリオを握り、ひたすらに祈りを捧げていた。潮騒にも似た雪と風の音と、巫女たちの小鐘と鐃鈸が常に鳴っている。円中央、篝火の前の聖体顕示台は雪の中でも金に艶めき、没薬の煙は逆巻きの風に消える。
キャロルは床几の上で瞑想をしていた。
今、聖地はこれ以上ないほど聖に満ちている。指先はピリピリとして、髪が持ち上がるよう。
この地に眠る封印の獣『単眼の巨人』が突如として解き放たれる可能性も考えていたが、ここまで聖が強ければそれも無かろう。
さらに聖地を中心に防護壁を張っているから、不死鳥に急襲されて全滅ということはない。全ては整っている。
(さあ、降りてこい。天を割って、光る翼をはためかせ、現れるがいい)
キャロルは全てが良かった。
流れる血は燃えて熱く、頭は清く冴えている。
腕も脚も張りが良く、呼吸も落ち着いている。
脳は天を超えて宇宙と接続し、心は地の中の岩漿の熱を借りて熾り、体から放たれる波は空気を震わせて森羅万象と馴染んでいる。
聖鎧の聖に蝕まれるかとも思ったが、麻薬が効いているのだろうか、存外耐えている。股鋤の理外の遊色が魂を吸おうとふるが、それに呑まれる事もない。
──今ならば聖具の力を発揮できる。どんな敵にも負けやしない。
「……ん?」
傍に立つフレデリックが何かに気がついて天を見上げた。追って、バサバサと翼を羽ばたかせる音がキャロルにも聞こえた。
キャロルはゆっくりと目を開けて、天を見上げる。そこではためいていたのは、地吹雪に抗う一羽の鳩だった。鳩はふらふらとキャロルの前に降り立つと、寒さのせいかそのまま事切れた。
フレデリックが鳩の脚に括られた紐を解き、書簡をキャロルに渡す。
「大白亜の封蝋……。火急の要件か」
キャロルも訝しみながらそれを開く。
「巫女のアンからだ。クリストフ5世が妙な動きをしたら教えて欲しいと事付けておいた」
「大白亜の巫女衆はレギン伯爵領の聖地に控えているはずだが……」
「──大白亜を出てすぐ、クリストフ5世が隊から離れたらしい」
フレデリックは目を見開く。
「彼奴め、聖地にはおらんのか。何故」
その時だった。カッと天が眩く光った。その光は5秒ほど持続し、徐々に、ゆっくりと消えゆく。閃光弾、色は赤。遅れて、キンとした音が白く烟る荒野に喨喨と響いた。
兵も聖職者も、みなが一斉に空を見上げて祈るのを中断。鐘の音も消え、みなざわつき始める。
「降りた……。どこに降りたんだ、不死鳥は……」
「色は赤だったようだが……」
キャロルも立ち上がり、天を見上げていた。
「赤い閃光は想定外が起きた時にまず打ち上げる警告。20秒後にもう一度閃光弾が放たれる」
風の音。雪が襲う。刺すような肌の痛み。
みな静かに、微動だにせず、かつ不安そうな面持ちで空を見上げている。
あと10秒くらいだろうか。
……。
5、4、3、2……。
また空が明るくなった。強烈な閃光。今度はチカチカと2発。色は青白い。領主ヒューバートが声を上げる。
「どこだ! 不死鳥はどこに降りた!?」
青白い閃光は聖女が控える聖地以外に不死鳥が降りたった時、各地教会の聖職者、或いは大白亜に雇われた冒険者が打ち上げるものである。そして2回光ったのは、領の行政上の通し番号を意味した。例えばリューデン公爵領であれば8、隣領マーシア公爵領であれば7。教皇領であれば1──。
「──2は王室領王都」
激しい風雪の中、その声は誰にも届いた。全員が一斉にキャロルを見る。
「不死鳥は王都に降りた」
□□
王室領大ハイランド東に位置するマシューズ川の三角州もまた、呼吸もままならない程の吹雪に見舞われていたが、それでも空からの強烈な閃光は地に届いた。2回点滅、雄々しい聖騎士レジナルド・ホワイトが声を上げた。
「不死鳥は王都に降りまして御座います!」
クリストフ5世は勢いよく床几から立ち上がり、冷えた空気をいっぱいに吸い込んで叫んだ。
「よっしゃあああああああああっ!!」
欣然と拳を振い、さらに喜びを爆発させる。
「いよーーしっ!! よしっ、よーーしっ!! 陣振りじゃあ!! 目指すは王都、急げ! 急げーいっ!!」
角笛の音が響き、大白亜派正教軍精鋭部隊が進軍開始。
「やれやれ、なんとも他愛ない、他愛ない」
クリストフ5世は真新しい喫煙具を咥え、無詠唱で着火、鼻から煙を噴き出す。まるで汽罐であった。
「しかし、よう分かりましたな。何故、王都に不死鳥が降り立つと……」
「儂が神を操ったまでよ」
「神を、操る……?」
「輝聖の世を成す時、何が邪魔になる」
「はっ。王都正教会と心得ます」
「それだけではない。王室もまた目の上のたんこぶ。ならば神は王家を滅ぼすべく動くものよ」
煙を吐いてクリストフ5世は続ける。
「王都は黒死病で疲れ切っておる。そこに儂がちょいと翊衛軍を唆しゃあ、もう機能不全、国家崩壊の危機よ。即ち、万事支度が整ったということ。──あとは不死鳥が舞い降りれば、輝聖が王都に入る口実もでき、諸侯は文句も言えまい」
クリストフ5世はバキボキと首を鳴らして、じろりと騎士レジナルドを見る。
「神は森羅万象を操る。そして神は輝聖の世にすることしか考えん。そういう璣だと思え」
レジナルドは生唾を飲み込む。なんと恐ろしくも頼れる男、本当に神を意のままに操ったのだ!
「この雪じゃ。破城槌を動かすのは骨が折れる。気合いを入れよ」
「はっ」
「さて瑞祥は出た。どんと構えい。王都に入ったらば、不死鳥は無視して一気に王都王城、並びに魚肚白社を攻め落とすよう下知せよ。王家は牛馬虫けらに至るまで皆殺し! 正教軍も屠れ! そのまま国を輝聖のものとせん!」
聖暦1663年、朔風下弦。王国に天変地異を巻き起こす魔物『不死鳥フェニックス』は国家の心臓、王都大ハイランドに降り立った。
不死鳥に備えていたのは聖女のみ。但し陸聖はマール伯爵領に布陣し、王都に行くには雪中の山道を行かねばならず、焔聖は王国最北東に構えるため論外で、海聖は地図上王都に近いが山々を迂回する為に遅れを取り、輝聖の構えるリューデン公爵領には王都へ続く一本道があるものの、やはり距離はあった。
一方で王都、守りの要である禁軍は鶺鴒一揆で無力化され、翊衛軍は君側を清む決起隊の影響で混乱、市民は病に倒れ冒険者にも期待できない。唯一頼りになるのは王都派正教軍だが、占拠された神門は放置できず、その上大白亜派正教軍が王都に攻め入るから、それも迎撃しなくてはならなかった。
即ち、不死鳥に対する余力一切なく、──然れども壊滅の第三聖女隊は王都にあり。瀕死の空聖だけは王都にあり!
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