翊衛軍
翊衛軍に所属し安寧秩序に奉じる事は、こと兵に於いてこれ以上ない誉である。東軍、西軍、北軍、南軍、以上禁軍四軍も選りすぐりの軍団であるが、翊衛軍と比べてしまえば雑兵と変わらない。
仮に、夫婦の間に子供が産まれ、幼少の時分に魔法の才覚があると分かったとしよう。夫婦は目を輝かせながら『ああ、翊衛軍に所属させる事ができたら!』と夢を語るに違いない。
そして夫婦は子供を厳しく躾け始め、それなりに財産のある夫婦であれば家庭教師を雇って魔法を勉強させる。そして栄えある聖隷カタリナ学園に入学させるのである。晴れて学生となった子供は親の期待を一身に背負い、暑い夏の日も寒い雪の日も只管に机に向かい勉学に励む。そして夫婦は毎日子供の成功を神に祈り続けるのだ。
学園で魔法の才が覚醒し、爆発したとしよう。学友たちを置き去りにし、教師にも一目を置かれるようになったら、ついに戦いの時が訪れる。禁軍に所属する為の試験『大兵選』を受けるのである。
好敵手は全土にいる『才あり』とされる者たち、しかも年齢は問わない。素晴らしき翊衛軍、しかも花形の魔法兵となりたいのであれば、合格率1割の魔学科に合格しなくてはならない。毎年行われている試験だから、大兵選の熟練兵なる強者もいる。今回で合格しないなら崖から身を投げる覚悟で臨む者もいるかも知れない。そんな中で勝利を手にするのは容易ではないだろう。
──やあ、おめでとう! 3日に渡る長い試験を終えて魔学科に無事に合格、宮廷魔術師となり、魔法兵として戦うことに決まった! そして子供は王都の土産を両手に下げて、故郷に帰ってきた!
夫婦は涙ながらに子供を抱きしめる。故郷の人々は祝儀を渡すだろう。そして長老は言うのだ、まさか我が村からこのような逸材が生まれようとは!
5日ほど家族と共に過ごした後、彼はまた王都に戻ってゆく。到着してから身支度を整え、緊張半分期待半分で王城の門扉の前に立つ。
少し呼吸を落ち着けて、心の準備を整える。声を裏返せば縁起が悪く、声が小さければ頼りない。さあ落ち着いて、しかし大声で叫ぶのだ。この門を開けてはくれまいか、私は今日から王の僕となる兵にございまする!
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翊衛軍は宮廷魔術師であるから、国家運営の魔術に関わる全てに関与する。王の名に於いて正義を執行し、伝統の宮廷魔術を駆使して魔物や野盗を征伐することは勿論、占術も行う。王室の吉凶を見通し、場合によっては災のある場所に赴き、儀式によってそれを治る。
まさに翊衛軍なくして王室なし。剣を振るうだけの禁軍四軍とは明らかに違う。だから翊衛軍の兵たちは、禁軍と一括りにされると腹が立ってしようがない。翊衛軍は国家の心臓。一緒にするだなんてとんでもないことである。
──だが鶺鴒一揆を境に、王室と翊衛軍の権威は失墜した。
禁中に正教軍が土足で入り込んだ。間も無くしてエリックの息がかかった臣下たちが裁判もなく淘汰され、複数人が梟首となった。それにより生まれた空位は正教会と深い繋がりのある者で埋められた。
王の僕、翊衛軍は耐えた。塗り替えられる力関係に危機感を覚えながらも、ただただ耐えた。今は有事、王室も民も疲弊している。武を以て正教軍を王城から追い出そうと宣う将もいたが、正教軍と融和を図ろうとする将が大半だった。……今ここで、新たなる戦を起こしてはならない。
──そうしている内に天変地異が起きた。国中で多くの人が死に絶え、魔物も活発になった。
人々は救いを求めている。翊衛軍は今こそ王の剣として各地に赴くべきである。変異を鎮め、救いを齎そう。そして王室の権威は健在であり、王室は民を見捨てぬと示さねばならない。特に若い将はそのように主張した。
翊衛軍の血気盛んな若い将たちは、翊衛軍上級大将セオドア・サトクリフを廊下で待ち伏せて、直接掛け合った。しかし、セオドアが将たちの期待に応えることはなかった。
『我ら王の僕は既に民の信を失っておる。意気揚々と我らが出ていくと、国家騒擾の元となろう。新王はそのように憂いておいでじゃ。今暫く、正教軍に任せよ』
若い将たちはその言に愕然とした。
新王アンドルーが憂いている? 逆である! 王に実りある進言をし、王たる自信をつけさせ、真に威光を放つとはどういうものなのかお教えするのが、翊衛軍の長である上級大将の役目であろう。
『では、所用にて……』
将たちは足速に廊下を行くセオドアの背中を見つめた。そして、誰もが思った。──ああ、そうか。我ら翊衛軍は、既に正教軍に屈服していたのだ。彼奴等を城に入れた時には、翊衛軍の誇りすらも失われてしまったのだ。
□□
その翌日のことだった。老将ジェローム・ケッペルは麾下である若い将達を自身の屋敷に集めた。
『王城・大ハイランドは既に奸臣の巣窟と成り果てた』
ジェロームは正教軍を王城に入れることを断固として反対していた将であった。その彼の言を聞いた時、将らは同様に『ついに立ち上がるべき時が来たか』と胸を熱くした。
それで、1人の若い将が声を大にして言った。
『国王は奸臣に操られておいでになられるっ!』
また別の将が声を上げる。
『何もかもが正教軍のせいだ! 有象無象の坊主めが気儘に振る舞うは傲慢無礼! 今こそ翊衛軍がそれを正すべきなのだっ!』
怒りは地滑りのように連鎖する。
『翊衛軍の兵は正教会の為に励んできたのではない。王のために励んできたのだ』
『王の威光を受け取れぬ民が不憫である!』
『我らは王室の兵、王室の危機にこそ立ち上がるべきだ!』
そして若き将クラーク・エジャートンは言った。
『──私は教皇が信用なりません。今になって原典を公にしたのは、巷で蔓延る輝聖顕現のお噂を相殺せんが為と疑っております。これは教皇の陰謀、国家転覆の野心が見え透いている』
続ける。
『王家の威光なき世は世の形を取りません。今、国家を揺るがしている天変地異も、王を蔑ろにすることの神の怒りと心得ます』
周囲から『そうだ』と声が上がる。
『今こそ我々は、憎き正教軍を討ち滅ぼし、悪しき教皇の下から聖女をお救いするのです。そして我々が慣れ親しんだ原典の輝聖を迎え入れ、救世を成し遂げるのです。──国家の剣である我ら真の翊衛軍の清い姿をお見せすれば、新王も必ず剣をお取りくださるものと心得ます』
そして老将ジェロームは破顔した。
『──ならば諸君、国のために剣を握ろう。神に代わって天の誅伐を行い、人の皮を被った悪鬼を撃滅すべし』
□□
ジェローム・ケッペルとその麾下は決起した。まずは王城に潜む獅子身中の虫に天誅を下し、輝聖と聖女による救世を成し遂げることである。
ジェロームは自身の屋敷に上級大将セオドア・サトクリフを呼び出した。世間話もほどほどに銃兵を部屋に入れ、彼を包囲する。
「ま、待て。何のつもりか!」
「閣下、ご観念なされませ」
「まさか、正教軍を王城に入れた事を恨んでいるのか……! あの状況では致し方のない事だった。正教軍に頼らねば国家は分裂し──」
「既に矢は放たれたッ! 御免ッ!」
銃兵たちが四方八方から銃撃し、ジェロームが抜刀、セオドアの首を刈った。その後ジェロームは麾下の将らと合流。それぞれの部隊が合わさり、決起軍は都合300名。武装した将兵は人気のない王都を行進。向かう先は正教軍に媚る奸臣らの屋敷であった。
決起軍は各屋敷に押し入り、奸臣と定めた8名を殺害。ものの数刻の出来事であったし、屋敷にいた者を容赦なく鏖殺した為に殆ど騒ぎとならなかった。
□□
東の空が白む頃。決起軍は宰相で数学者でもあったギネス卿を殺害した。その後、血濡れになった一室でジェロームが言った。
「全ては万事順調。これも我らの決起が天意であることの証左であろう」
その場にいるのはクラークだけであった。
「クラークよ。儂の敷いた道もこれまで。これより隊を二分し神門と魚肚白社へ向かい、此れを制圧せよ」
「閣下は」
「正義の為とは言え、王家の僕を殺しすぎた。誰かが責任を取らねばなるまい。儂はもう十分生きたので自害する」
そう言ってジェロームは座り込む。次いで胸から1枚の文を取り出した。
「ここに王に対する嘆願が認めてある。内容は、民は王の威光を求めていること、教皇の陰謀の裏に輝聖が存在することの2点。儂の首と共に置いておけ」
初めからそのつもりであったのだろう、ジェロームの瞳に迷いはなく、実に清々しい輝きを放っていた。
クラークにとってジェロームは翊衛軍のいろはを教えてもらった恩師である。老いるまで前線に立ち続けた本物の益荒男であり、紛う事なき忠烈の士であった。
「良いか。王が立ち上がったら、光の聖女を支持し、大白亜派を味方につけよ。我が軍だけでは正教軍には勝てぬ。大白亜派諸侯も巻き込め」
ジェロームは腰に下げた岩金の杖をクラークに手渡した。翊衛軍の大将以上に与えられる権杖であった。
「儂らが正しかったか間違いであったかは、歴史が決める。その歴史も瘴気を払う事でしか残らぬ。未来を作るのだ、クラーク。団結して太平を築け。神に祈るのを忘れるな」
そして、こう続けた。
「神は太平をお望みである。太平を真に考える者にこそ、光を与えるのだ」
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神門と魚肚白社は新王アンドルーの為に占拠した。作戦は円滑に進み、被害は殆ど無かった。クラークはこの勝利を天意の上に成り立つものと捉えた。
空聖と海聖を支配することにも成功した。2人は魔弾により力を奪われ、抵抗する気はない。決起の理由を説明すれば2人も賛同し、王の剣となってくれるはず。
ここまで来たら万が一にも失敗はない。今に我らに共感するであろう他翊衛軍の部隊も合流し、正教会に与した禁軍四軍の同胞たちも目を覚ます。
ジェロームの首と文は王の下に届けられたら、程なくして王が動き出す筈。悪しき正教軍を征伐し、王室が再び勢威を得て、聖女が瘴気を祓い平和が訪れる。──クラークはそう信じて疑わなかった。
□□
神門を占拠して何日が経ったろうか。神門を包囲した正教軍は、決起軍が聖女を人質にしている為に攻め入ることが出来ず、膠着が続いている。
決起の将たちは、いつからか談話室に籠った。根気強く挽回の策を練るが、一向に妙案は生まれない。窒息する程の重い空気が立ち込める中、全員が黙して座っている。振り子時計の針の音だけが寂しく鳴っていた。
ぎいと扉が開いて1人の兵が部屋に入る。兵はクラークの前に立つと、弱々しく声を出した。
「く、空聖のお加減、風前の灯と……」
クラークは拳を机に力無く叩きつける。
「何故だ……っ。何故、王は立ち上がって下さらないのだっ」
王だけではない。第一王女リリも、第二王女ソフィアも、第四王子アーサーも沈黙している。
(どうしたら良い。我ら翊衛軍が聖女を死なせてしまったとなれば、王の権威はさらに薄れる……)
こんな筈ではなかった。
(魔弾がここまで聖女を苦しめようとは……。まさか神の恩寵を受けし聖女が、あんな弾1つで生きる死ぬの話に発展しようなど、誰が想像できる……。我ら翊衛軍は悪くない……)
王城に隠されていた魔弾は正教軍の預かりとなっていた。だが決起軍は宝蔵からそれを奪った。これが神門占拠の背中を押した。
(ただ聖女の力を奪い、気怠くするのみと聞いていたのに……)
クラークは楽観的な兵による楽観的な予想を鵜呑みにした。
(せめて、聖女を治癒出来れば……)
回復魔法と薬の専門である衛生兵は決起していない。それを纏める将たちはジェロームの麾下ではなかった。
(もうお終いだ……)
クラークは、もう本当に、祈ることしかできない。……だから祈った。神に救いを求めた。だけれども、祈れば祈る程に故郷の情景が瞼の裏に蘇るばかりだった。
遠く烟る青い山脈、広大な草原に小さな家がぽつんと建っている。家の裏には風車があって、ぎぎと音を立てていた。正面は花畑、春には金鳳花が咲き、黄色い絨毯を作る。そこに山羊が3匹、羊が1匹。毛が薫風に戦ぐ。
休みなく籠を編む母の手は荒れて、所々血が滲んでいた。父はいない。女手1つで育ててくれた母を楽させてやりたくて、魔法の勉強をした。最初は領兵になれれば良いと思った。だが、自分に類い稀なる才能があるとわかって、それから親元を離れた。
今でも母はあの小さな家で、息子が立派に勤めを果たしていると思い、齷齪と働いているに違いない。違いない……。
「──全ては鶺鴒一揆、第一王子エリックが発端だッ! あの男がいなければッ! クソッ!」
今度は強く拳を叩きつけた。何度も何度も叩きつけ、拳からは血が迸る。談話室に詰めていた将兵は一斉にそれを見遣った。
1人の女がクラークに近づき、その拳を掴んで止めた。儚い雰囲気のある色白の美女であった。
「……暴挙に及んだことは愚かしくは思えども、私は第一王子のお気分を理解できん訳でもない」
「この状況で余裕だな、エレノア」
女はエレノア・アシュリーと言った。理性的な将で、達観していた。彼女はジェロームの麾下でありながら、決起には懐疑的だった。だが王家の力を信じていたし、ジェロームへの義理もあったから兵を率いた。
「クラーク。最早これまでだ」
「なに?」
「投降しよう。空聖と海聖は正教会にお返しし、然るべき治療を受けさせる。そして、我ら将の命と引き換えに、付き合ってくれた兵らの命を乞うのだ」
「何を言っている、エレノア……。我らは新王から直接のお言葉を聞いていない。このままではお前の日和見が感染する。直ちに訂正しろ」
「王城は砲門をこちらに向けている。残る7割の翊衛軍も立ち上がらずに沈黙している。これが新王のお答えだ」
王城に配備された世界最大の大砲『アリアンロッド』5門、占拠の翌日には神門に向けられていた。
「今にして思えば、決起などせず、まずは堪忍が第一であったと──」
「黙れッ!!」
クラークは素早く腰の長劔を引き抜いた。同じくエレノアも長劔を引き抜いて刃を弾こうとしたが、クラークの方が僅かに早く、その切先はエレノアの首をさらりと撫でた。露ほどもない手応えであったが、エレノアの首は皮一枚を残して後ろにぶら下がり、しゅうという音と共に血煙を上げながら転倒した。
一瞬の出来事だった。誰も反応できなかった。談話室にいる全員が顔面蒼白となって立ち竦んだ。
「神は、必ず我らを助けてくださる! 我々は天意の下に挙兵したのだっ!」
クラークは兵らを血走った瞳で睨みつけた。誰が見ても正常ではないことが明らかだった。
「いいか、気を取り直すぞっ! ありったけの没薬を焚いて、神に祈ろうッ! 聖女を連れて国家安寧を祈らせようっ! そして輝聖をお迎えするのだっ! ──今日まで神に尽くしてきた神聖カレドニア王国が、神に見捨てられるなどとあってはならぬッ!」
そしてクラークはみなの前で腕を振るって、愛国の歌を高らかに歌った。それに続く者は誰1人としていなく、異様な空気が流れた。
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