早立
王国全土に疫病を齎す魔物『死者の王』はアシュリー・サークル付近を未だ彷徨っているとされる。
エリカら銀鴉の騎士団がニューカッスルに運び込まれて暫しの後、解禁の噂を聞いた自警団が荒地の見回りを始めた。
その時の記録によれば、自警団は動く黒い靄を発見し、近くに寄ろうとしたものの霧散した。この靄が死者の王であったと推測される。そして、靄を目撃した者が2日以内に疱瘡を発症したことから、領主ヒューバートはアシュリー・サークルに繋がる街道を全て封鎖させた。
何処かの冒険者組合で死者の王討伐の依頼があるのだろう、隠れて荒地に入る輩が10人程度いたが、誰1人として関所に戻ってくる者はいなかった。
□□
朔風下弦。暗い内に、エリカとキャロルは聖堂で祈りを済ませた。
その後は客間に戻り、身支度を整える。エリカは東の空が白ける頃にニューカッスルを出るつもりだった。そして西の空が赤く焼ける頃には聖地に到着したく、闇が覆う前には死者の王を倒したい。
「──鵲が?」
武具を身に付けながら、エリカはあの不吉な出来事についてをキャロルに話した。
「はい。焚火の中で、鵲が7羽燃えていたんです。それで私、怖くなって、足で砂をかけて消しました」
薪が熾ばかりになってから枝で灰を掘ったが、それらしき羽も骨も見当たらなかった。あの鳥たちは忽然と消え失せたとしか考えられない。あれは、どういう意味なのだろうか。何の仄めかしなのだろうか。普段は忘れるように心がけているが、不意にその事が頭を擡げて不安になる。
「うーん……、そうかぁ。それは不吉だなぁ……」
エリカの左手首の靭帯を包帯で固定しながら、キャロルはポツリと呟いた。思うよりも幾分か薄い反応。重要な天啓な気がしているのだが……。
「もうちょっと心配すると思ったか?」
「は、はい。正直」
エリカは左手を握ったり開いたりしながら具合を確かめる。鍛錬中に筋を痛めてしまったのだが、これで手首の痛みがなくなった。塗ってもらった軟膏も効いている。これで存分に剣を振えそうだ。
「期待通りの反応じゃなくて申し訳なかったな」
キャロルは軽く笑い、守護球をエリカの腰の革帯に結びつけた。
守護球とは、橙の外側に小さく捏ねて玉にした丁子等の香辛料を無数に貼り付けたもので、古くから疫病避けのお守りとして使用される縁起物である。
「私はエリカが万が一にも負けることはないと思っているから」
「でも、何があるか分からない訳ですし……」
「と言うよりも、始まる前から負けることを考えていちゃあダメだな」
背後からペチンと頭を叩かれたので、エリカはその通りだと思って項垂れた。仰る通り、反省。
「その鵲云々の話は確かに天啓だろう。でも、エリカが私にそれを教えてくれた事を考えると、神は私に対して何かを忠告しているようにも感じる」
「ああ、そうか……。私1人で溜めてたら私への天啓だけど、キャロルさんに話したのだから、キャロルさんにとっての御標になるかも知れないのか……」
エリカは『ややこしい』と独り言ちて顎に手を当てる。神の言は絡繰装置のよう。
「だから、まずは気にしなくていいと思うよ」
そう言われても、キャロルの身に何かが降り掛かるのならば、それはそれで晴々しない。仮に鵲がキャロルへの天啓だとして、己を経由する必要はあったのだろうか。これではただ悪戯に不安になるだけではないか。何と言うか、もっと気遣いをと言うか、そういうものが欲しい。
「神様って意地悪ですね」
「万年生理なんだよ」
キャロルは軽口を言って、続ける。
「まあ、私の身に何かが起こるかも知れないからエリカも気を張っておけ、とでも言いたいのだろうな。こんな不気味なお告げは感覚の悪いお節介だと思うくらいで丁度いい」
そしてキャロルは、机の上に置いてあった1枚の犢皮紙を手にする。それには魔法陣が描かれていた。
「気にしなくてはならないのは、自分のこと。聖地に到着したら、直ぐに召喚術を発動して死者の王を呼ぶんだ、エリカ」
この犢皮紙にはキャロルの血──即ち、肉を切り裂いた時に湧き出てくる草花──それを蒸留して作った精油で魔法陣が描かれているから、魔法を使えないエリカでも所定の手順を踏んでから紙を燃やすだけで、死者の王を寄せることが出来た。
「敵が現れたら攻撃される前に倒せ。寸分の余地も与えるな。いいな?」
エリカは首肯する。
「試合じゃないから決まりもなければ、客を喜ばせるための伊達や酔狂も必要ない。呆気なく殺しても咎は受けない。鵲のことも忘れろ」
言ってキャロルは首を鳴らし、今度は腕を天に突き上げてバキバキと背中を鳴らした。
「やれやれ、外は寒い。茶でもしばくか」
キャロルは柚木の小卓に置いてあったティーポットに、大胆に茶葉を入れた。次いで湿度を上げるために暖炉で熱していた薬罐を持ち出し、湯をティーポットに注ぐ。華やかな紅茶の香りがふわりと舞う。
「──私は神を見たよ、エリカ。股鋤を見つけた時に、神と対話した」
エリカは湯気越しにキャロルを見つめた。その言いぶりからすると、天啓だとかそういう話をしているのではなく、本当に神そのものを見たらしい。
「神様は、どんなお姿だったんですか」
「少女だ。確かに多指だった。いちもつがついてるかどうかは、確認できなかったけど」
キャロルは2人分の器に紅茶を注ぐ。
「嫌な女だったよ。何と言えばいいかな、逐一他人を下に見るような言い方をするんだ」
最後の一滴まで注ぐ。そこには紅茶の旨味が凝縮されているので。
「そして神は『神殺しを成せ』と言っていた」
「自分を殺して欲しいって事ですか?」
「どうかな……」
そして、エリカに紅茶の入った器を渡した。琥珀色の水色、澄んで輝いている。
「……神は私を作った。私を私という存在にするために、あらゆる事象を左右させ、私の心と体を形成した。『育てた』と表現した方が近いかもしれない」
キャロルは静かに紅茶を啜ってから、続ける。
「でも、私はそれを否定した。私は私だけのものであって、誰かに作られたものではない。私の功は私だけのものだし、私の罪は私だけのものだ」
懶い様子で煙草に火をつける。
「私は神の前で否定した。『私は私だ、お前の作ったものではない』。そして神は言ったんだ。『神殺し』を成せ……」
「神殺しは、教皇がやろうとしている事……」
キャロルは皮肉な風に鼻で笑った。
「『神に作られたであろう私』が『私は私だ』と自分を肯定し続ける事は神を否定することに繋がり、やがて神殺しは成る。過程は違っても、どうやら私と教皇は同じところに行き着くらしい」
言って外を見る。まだ東の空は白けない。
「私は神に作られた事を否定しながらも、神が作った輝聖としての役目を果たそうとしている。その矛盾と折り合いをつけるのが難しく思うよ」
エリカはそっと器を置き、黙して考え込む。──実際に神はキャロルを作り出したのだろうか。キャロルはそれを否定するが、本当に心苦しいのだけれど、エリカは神の関与を完全否定出来ずにいる。それはキャロルを否定することに繋がっている気もする。
「フェリシア」
顔を上げて、キャロルを見る。
「神は、フェリシアと呼んだんだ私を」
「それが、キャロルさんの本当の名前……?」
「さあ。果たして」
フェリシア。幸運の架け橋を意味する名前だと、どこかで聞いたことがある。特段珍しい名前でもない。故郷、辺境伯領の貴族にも同じ名を持つ女子がいたし、他の領にもいることだろう。きっと、ここリューデン公爵領にも。
だけれどエリカの印象では、フェリシアという名前は厳かで堅苦しい。言っては何だが、とても貧民街出身の人間といった雰囲気ではない。当然ながら、そうした名前の細民もいるにはいるだろうとは思うものの、でも、フェリシアという名前で貧民街出身と言われると首を傾けざるを得ないのもまた事実。
フェリシアという名は、つまり男性名でフェリクス。フェリクスと言えば教皇の名としても度々使われるほど由緒正しい名前だった。聖フェリクスという聖人もいる。しかも、3人も。
沈黙の中でエリカは思う。
キャロルは何者なのだろう。
どこから来て、どこに行くのだろう。
光の聖女ってなんだろう。
魔物に抗い太平を築き上げるのは分かるが、どうして魔物は人を滅ぼそうとするのだろう。
人にとって魔物とはただの獣害? 瘴気は災厄?
ならその瘴気はどこから生まれたのだろう。
──瘴気の中には何があるのだろう。
決戦前の緊張が、延々と疑問を生み出して集中を乱す。現実逃避という名の、一種の防御反応だった。
「空が白けて来たな、エリカ……」
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総合4位、新作1位だったようです。
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これからも不良聖女の巡礼をよろしくお願いします。
(次の投稿、ちょっと間が開くかもしれません)
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