変容日
日の入り前に豊作祷は始まった。
まずは聖堂にて典礼が行われる。祈りの時間が取られ、聖歌隊によって讃美歌が歌われた後、キャロルが聖書を開き『リュカの死』についてを朗読。それから参加者は献金袋に硬貨を入れた。
日の入りを告げる晩鐘が鳴らされると、参加者たちに蝋燭が手渡された。キャロルが全員の蝋燭に聖火を移し終えると、順々に聖堂の外に出る。
そして四足行を行う。四足行とは神リュカが天へと昇る様子を再現したもので、行列を成して目的地までゆっくりと歩くことである。先頭を歩く神官は神が描かれた聖像画を持つのが決まりだった。その後ろには4人の神官が続き、右手、右足、左手、左足を模った土像を竿に刺して高く掲げる。次に神の頭部の土像を持ったキャロルが続いた。その後ろには大きな蝋燭を持った領主ヒューバートと旗持ち。あとは順不同で続く。
列を成す者は聖歌を歌う。この際歌うのは祝文8番『天人リュカ』である。詩は以下とする。
『天人リュカ
爾ノ恵ミヲ崇メ奉ル
聖ニシテ愛ノ人ヨ、我等ヲ憐レメヨ
我等ヲ憐レメヨ』
エリカも行列の中で、目的地に到着するまでこれを延々と繰り返した。
「なんか楽しいですね。どんなお祭りになるんだろう」
隣でフレデリックはにこりと笑む。
「某も年甲斐もなく胸がわくわくと高鳴ります」
一行の目指す先は城壁内の庭園であった。庭園では宴の準備が進められていて、給仕たちがあつあつの料理を長机に並べている。至る所で湯気が立ち登り、むわりと暖かかった。
豊作祷は民の参加も良しとしているので、ニューカッスルの民たちが蝋燭を持って待っていた。蛍火を思わせる無数の灯りに、エリカは目を輝かせる。
「すっごい人数だ……っ! 謝肉祭みたいっ!」
「今宵は全員が楽しむことが肝要。心配事は一先ず置いておき、頭を空っぽにして楽しむべしと聖下も仰られた」
全員が会場に揃ったらば、葡萄酒の毒味が行われる。
リューデン公爵領の貴族が葡萄酒の入った大きな硝子の器に、恭しく糞石を投げ入れた。毒が入っていれば糞石の色が変化するわけであるが、10秒経っても変化がない。貴族は手で葡萄酒を掬い、それを飲んでみせ、全員から拍手が送られた。
そして喇叭隊が伝統的なファンファーレを奏でた。これで全ての料理が祝福されたこととなる。
あとは、お待ちかねの乾杯である。進行役を務める貴族が前に出ると、宴の参加者達に器が配られて葡萄酒が注がれた。機を見計らって、進行役が大声で言う!
「さあ器を掲げてください。そして大いにお飲みください。──全ての作物に感謝を! そして全ての作物に祝福を! 何より、ご一同の健康をお祈り申し上げる! 乾杯、乾杯!」
みなが大声で乾杯!と叫んだ。まるで勝鬨であった。決して大袈裟ではなく、エリカは地が揺れたと感じた。
乾杯の後は好きにご馳走に有り付いて良い。ここでは身分は関係ない。誰がどこに立っていても、何を食べても、何を話しても良い。多くの人が食事を楽しみ、感謝することこそが、新たなる豊穣につながる。
「ほ、本当に余所者の私たちも遠慮なく食べちゃっていいんですかね……? 領の人たちが飛蝗で大変な中、一生懸命掻き集めた食材で作った料理だし……。私、遠慮とか知らないですよ、食べ物に関しては……」
「確かに多少気が引けるが『腹が弾けるほど食わねば斬る』と領主様が仰っていたとか」
「やったー!!」
「おかわりも良いらしい」
エリカは弾けるように飯を喰らい始めた。両手に飯を持ち、交互に食べては次の飯を喰らう。宴にはお品書きがあるわけでも、順番通りに料理が運ばれてくるわけでもない。ただ目の前にある料理を、有りっ丈腹に入れるのが唯一の作法である。
エリカは薔薇で着色された赤色のパンを頬張る。
「美味しいっ!!」
花を毟っている時はどんな味かと思ったが、仄かに薔薇の香りが鼻に抜けて、こってりとした料理を食べた後には良い。
次に、血蕪を使った栄養満点のスープを啜る。これは戦士の血を表現しており、豊作の裏には剣の働きがあることを意味している。
「美味しいっ!!」
あとは兎肉の煮込み料理。晩茄で煮込んでいるから真っ赤だし、なんでもカタロニア風に仕上げているらしいからちょっぴり辛い。
「うわあっ! 美味しいっ!!」
まだまだある。牛肉の蒸し焼きは油が甘くて、肉は口の中で蕩ける。肉汁と香味野菜で作られたソースがこれまた複雑な味わいで、絶品なのである。
「美味しい! 美味しい!!」
エリカはむしゃむしゃと一心不乱に食べた。その食べっぷりは見ている方が嬉しくなるほどで、お節介な女が寄ってきて『あれも食べよ、これも食べよ』と皿を置いていく。エリカはそれすらも食べてしまう。
「ジャックさんは食べないのですか? 蓼ばっかり食べてるじゃないですか」
「投獄されてから、あまり食欲が湧かないんだ」
ジャックは眉尻を下げながら、兎のようにもそもそと口を動かして野菜を食べている。肉やら魚やらは、いまいち胃が受け付けない。実は神を目撃してから幻聴が聞こえるし、頭痛もあるし、もちろん結石は治っていないしで、もう体はぼろぼろである。
「ちゃんと薬師に診てもらった方が良いですよ」
「輝聖というこれ以上ない薬師に診てもらってるから大丈夫だよ」
「心の病は治し難いってボヤいてましたよ」
「それは困る」
そう言ってジャックは、僅かに齧っただけの牛肉を、足元に来ていた犬に与えてやった。豊作祷では、食べ残しを犬に食わせることが推奨される。畜生にも恵みを享受する権利があるのだ。
良き頃合いになると、食事の時間は進行役の『お静かに』の声で中断されるものである。そうした時、大概はぞろぞろと着飾った者たちが面前に現れて、一列に並ぶ。これは豊作祷に限らず、由緒ある宴では間々ある事だった。
「何が始まるんです?」
「寸劇らしい」
古い資料によると豊作祷で行われる劇は『竜殺し』であった。これは他地域でも演じられる有名な演目であり、カレドニア王チャールズ無畏王が悪い竜を倒し、かつて存在した隣国フランドルの姫を救うといった筋書きである。
さあ、登場人物の自己紹介も程々に、幾つかの小芝居があって、ついに争いの場面が演じられる。大白熱、カレドニア王と竜の決闘である。
チャールズ無畏王 ー 『そこ退けそこ退け、我が聖剣エンデュランスの輝きと、勇ましき我が魂と技にて、汝を打ち砕かん! 逃しはやらじ、さあ、覚悟なされよ!』
悪い竜 ー 『我こそは世界を闇に陥れる竜なるぞ! 全ての竜の中で最も恐れられる竜の王なるぞ! 今こそ人の王を倒し、世を絶望に導かん!』
竜役は着ぐるみ衣装である。3人1組で演じ、見た目は大蛇に近い。その長さはなんと50呎(15メートル)。頭部は魔法に長ける物が動かし、火の魔法を使って、まるで竜が火を噴くかのように演技した。大人も子供も、これにはおおと感嘆の声を漏らして目を輝かせる。
騎士の格好をしたチャールズ役の貴族が、黒い竜の喉元を剣で刺す。血糊が勢いよく吹き出て、わあと歓声が上がった。
竜を倒したチャールズ王は堂々と隣国の姫を抱えた。
フランドルの姫 ー 『おお、なんたる勇猛な騎士! 目の前に現れた貴方こそ、王の中の王、騎士の中の騎士なり!』
大尾、結婚を祝う爆竹が鳴らされて拍手が送られる。大喝采であった。エリカも満面の笑みで手を叩く。
「凄いっ! 見ましたかっ、ジャックさんっ、フレデリックさんっ! めちゃめちゃカッコよかったですよっ!」
しかし、フレデリックはキョトンとして言った。
「いやしかし、エリカ殿は本物の竜を屠っておいでになられる」
偶々周囲にいた騎士たちが目をまん丸にして一斉にエリカに注目した。そのうちの1人、酔っ払った騎士が大声を上げる。
「おいっ!! 実際に竜を殺した騎士がいるらしいぞっ!! この銀髪の子だっ!!」
あまりに大きな声だったから、庭園にいる者の殆どがエリカに注目した。
「あっ、いや、その。フレデリックさんが余計なことを言うから……」
面目次第もない、と体を小さくしたフレデリックは集まってきた騎士たちに呆気なく押し除けられ、そしてエリカは取り囲まれた。こうなればもう逃げられはしない。
「今の話は本当か!?」
「なんでも其方は光の聖女の従者なのだとか」
「どうやって倒したのだ? どんな竜だったのだ?」
「その話をもっとよく聞かせてくれぬか!」
「流石は輝聖の従者! 騎士の中の騎士であるぞ!」
彼ら騎士にとっては、こんな少女が竜を屠るなど俄には信じ難かった。竜は魔物の頂点。それを倒すことは、剣に憂き身を窶す者であれば、誰だって夢見る事である。
「宜しければ、お手合わせ願いたいっ!」
「わわわ。みなさん、ちょっと落ち着いて──」
困ったエリカが周囲を宥めようとした時、再び爆竹が鳴らされて進行役が叫んだ。
「さあ、宴も酣。各々方、浮かれていると思わぬことが起きますぞ! 皆様、皆様。どうか、お気をつけて!」
そう言うと、激しい太鼓の音と共に『肉切り包丁役』の領主ヒューバートが登場した。豊作祷の最後を飾る寸劇『油舞い』が始まろうとしている。
ヒューバートが叫ぶ。
「ようし! グランドフィナーレだっ! 俺に捕まると生贄にされてしまうぞっ!」
『油舞い』は豊穣を乞い願い、太陽の蘇りを願う劇である。肉切り包丁と生贄の二役しかなく、前者は領主であることが絶対の条件。生贄は誰でも良かった。
ヒューバートは舐め回すように参加者たちを見る。誰を生贄にしようか見定めようとして、そして──。
「──決めた!」
ヒューバートは手に持っていた肉切り包丁をエリカに向けた。
「お前は食い過ぎだし、竜は殺すしで、領主を差し置いて目立ちすぎたっ! 気に入らんから、お前を生贄してやるっ!」
そしてエリカに向かってわあっと走り出す。
「わ、わわわわ! ちょっと待ってくださいっ!」
エリカが逃げる。貴族も騎士も、民百姓もわあわあと囃し立てる。逃げろ逃げろ、捕まえろ捕まえろと大騒ぎ。途中まで良い具合に逃げていたが、やはり食べ過ぎが原因か、体が重くて残念無念、エリカは捕まってしまった。これで生贄役は決まった。
「観念するんだな」
「な、何すれば良いんですか?」
「大人しく、されるがままになれ」
落胆と歓喜の声が入り混じる中、エリカは大窯の中に入る。そして、まだ調理されていない食材を抱えて、熱した油に見立てた温い葡萄酒をかけられた。つまり、調理されてしまうわけである。その際に、生贄が油の中で舞ったという逸話が『油舞い』の名の元となっている。
エリカは四方八方から葡萄酒をかけられ、もう息をするのもやっとであった。
「ぶへぁっ!! おっぽっ! もうちょっと優しくかけてくださいっ!」
フレデリックは申し訳なさそうな顔で、遠くからエリカを見つめていた……。
「よ〜しっ! そんなもんでいいだろう! 終わりにするぞ!」
そして最後に肉切り包丁役が生贄役の首を掻き切る仕草をして、参加者全員で『春よ来い!』と叫び、庭園の楢の木に向かって乾杯をすることで豊作祷はお開きである。エリカも窯の中で器を持ち、苦笑しながら葡萄酒を高く掲げた。
(葡萄酒でずぶ濡れのベタベタだ……。あとでフレデリックさんに文句を言ってやる……)
エリカはふう、と息を吐く。たくさん食べて、たくさん笑って、たくさん話して、たくさん走って、流石に疲れた。疲れたが──。
(楽しかったな。これで終わりになっちゃったんだ。いつぶりだったんだろう、こんなお祭り……)
心地よい未練を胸に、ぼんやりと参加者の顔を見回した。皆が笑顔であった。いや、泣いている者もいる。何故だろう。
(あれは確か、マン男爵とかいう人……)
男爵の声が聞こえてくる。
「こんなに愉快で、堂々とした日は久しく無かった。領は今日を境に間違いなく変わっていくだろう……。嬉しいなぁ、これほど嬉しい事はない……っ!」
嗚咽混じりの声を聞いて、エリカは目に光の玉を作った。涙を貰ってしまったらしい。葡萄酒を浴びせられて、思ったよりも酔ったのだろうか。
エリカの肩に手が乗る。ヒューバートだった。
「確かに、輝聖が現れて確実に何かが変わりつつあるらしい。俺にも説明のつかん高揚感がある」
「公爵領は王都派。輝聖を信じないんじゃないんですか?」
「領としてはそうだが、個人としては別だろうに」
じろりとヒューバートを睨め付けた。エリカの顔には『納得出来ぬ』と書いてある。
「子供にゃ政は難しいか」
「分かりますよ、そのくらいの事は」
そして、そっぽを向く。
「エリカ・フォルダン。すまなかったな、人質にするような真似をして」
エリカは少しばかり黙した。宴が楽しく気分が良かったし、ちゃんと謝って来たので許してやらんでもないが、なんとなく素直に返せず、エリカはこう言う。
「それはキャロルさんに謝ってください。私はキャロルさんの従者なので」
「おっ。なんだその言い草。輝聖を独り占めか? みんなの輝聖だぞ」
反論できず唸って、エリカはふと気がついた。
「あれ? そう言えば、キャロルさんはどこに行ったんだろう……」
確か『竜殺し』の劇が始まる前までは、子供たちと縄跳びをして遊んでいたような気がしたのだが。
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