蠢動(後)
ヒューバートの従騎士たちが、騎士らの前に机を出した。その上には騎馬の模型、聖職者の模型、大砲の模型、無地の紙、それから香などが置かれている。一体これはなんだろう、と騎士らはどよめいた。
そして従騎士は鳥籠から蝙蝠──のように見える魔物を取り出す。これは吸血蝙蝠という魔物の幼体で、凡そ雲雀ほどの大きさであった。首輪をつけられ紐で繋がれ、歯は砕いてあるし、爪も切ってあるから危険はない。
「まず、それぞれ6つの聖地で召喚術を用い、不死鳥を呼びつける」
従騎士は無地の紙に魔法陣を記し、机の中央に置く。次に魔法陣の中央に銅製の盤を置いて、没薬を乗せた。火をつけると、すうっと煙が立ち上って甘やかな香りが漂う。最後に鳩が好む熊葛で魔法陣の外を一周する。
「古い資料によれば、不死鳥は没薬に目がない。それを裏付ける事象としては、没薬を焚く事を義務付けていた聖地は初期段階で封印が解かれている」
例えば、西ハドリー山の噴火を招いたであろう『忿怒公』と呼ばれる魔物が封じられていたシュケ孤島の祠では、没薬を焚くことが求められていた。
「召喚術の効果が現れて、不死鳥が現れたとしよう」
従騎士は吸血蝙蝠を魔法陣の上空で羽ばたかせた。火の鳥の役らしい。
「ここで不死鳥に向かって、捕鯨銛を撃つ」
次いで、魔法陣の外に置いた3つの大砲の模型の仕掛けを作動させる。すると砲身からかえしのある針が飛び出して、蝙蝠に深く刺さった。
「銛が不死鳥の体に食い込んだら魔法陣の上に引き摺り下ろす」
従騎士の1人が大砲のハンドルをぐるぐると回す。すると滑車が回って、針につけられた金属線が巻き取られ、蝙蝠は魔法陣の上に落ちた。派手に没薬を散らかす。
「ここで間髪入れずに、勇敢なる騎士諸君が突撃」
騎馬の模型が、のたうち回る蝙蝠に接近。
「翼の骨に剣を突き刺し、傷口に聖釘を打ち付ける」
従騎士が蝙蝠の翼に釘を打ちつけた。なお、聖釘とは聖を宿した杭、或いは釘のことである。
「騎士諸君が魔法陣から離脱した後、即座に魔法を発動」
騎馬の模型を退け、従騎士が魔法陣を指で叩いた。すると蝙蝠には霜が纏い、動きが鈍る。この魔法陣は凍結の魔法であった。
「不死鳥の纏う炎は巨体を動かす熱量と考えている。ならばそれを冷やして消してしまい、活動を鈍らせてしまえば良い」
騎士らから『成程』と声が漏れる。
「ここからが本番。恐らく不死鳥も最後の抵抗を見せるだろう」
命の危険を感じた蝙蝠は青い痰を散らす。これは吸血蝙蝠の幼体だけが用いる毒である。肌に付着すれば毒が浸透して視力低下、呼吸困難の後、20分ほどで大人の約6割が死ぬ。
「あとは祈祷。ひたすらに祈祷」
従騎士は聖職者の模型を魔法陣の外にずらりと並べ、円を作った。
「祈り、聖塩を撒き、鐘を鳴らし、歌い、舞踊と劇を行い、不死鳥の体を聖で弱めて、完全なる無力化に挑戦する」
蝙蝠の周りに聖塩を撒く。聖職者の模型に刻まれた祈りの言葉が作用して、蝙蝠の皮膚が焼け爛れたように黒ずんで行く。そしてキーキーと鳴いた後、突っ伏して沈黙した。
「力を失い、翼も封じられた不死鳥など、剥製に等しい。もう脅威はない。……これが捕縛作戦の全容です」
従騎士は騎士の模型を動かし、蝙蝠の脚と頭に沿わせた。つまり封じられた後は、脚と嘴を切り落としてしまうということ。
「だが抵抗激しく捕獲が難しいと判断すれば、そのまま不死鳥をこの印章に封じます」
ジャックは封蝋用の印章を見せた。大きさは親指ほど。水晶で出来ていて、キラキラと七色に輝いている。
「この印章で不死鳥の瞳に魔法陣を刻む。それで終わりです」
ここでマン男爵が口を開いた。
「丁寧な説明、痛み入り申す。しかし、これはそもそもとして、ではあるのだが……。我らが不死鳥と対することなど可能なのであろうか? あれは風の聖女すらも退けたと聞く」
「──それは何とも言えない」
騎士らは互いに顔を見合わせる。
「し、しかし、それでは」
「絶対はない。……確かに、不死鳥はかつて封印された魔物だ。だがその方法がはっきりとしない以上、前例がないに等しい」
ジャックは神妙に続ける。
「でも今説明したことは、神の子である輝聖と我々が不眠不休で考えた策なんだ。その中でなんとか、実現可能な良い答えが見つかったと思っている。だから、どうか信じて欲しい」
男爵は黙る。そう真っ直ぐに言われてしまうと、弱った。1人の男として、そして騎士として、信じてやりたい、信じてやりたいが──。
「……ならば。ならば、私も貴方がたを骨の髄まで信ずる心というものを持ち合わさねばなりますまい。ここから先は失礼を承知でお伺い申す!」
マン男爵はキャロルに向き直る。
「正直な所、貴殿が輝聖であるかどうか、私には分別がつかぬ! 光の聖女は原典に存在するのか、或いは正教会が言うように間違いであったのかも、到底分別つき申さず!」
キャロルは黙って聞いている。
「本心をお聞きしたい! 輝聖と嘯き、クリストフ五世と共に世を謀ろうとする企て、貴女に有りや無しやッ!」
これにはキャロルの後ろで控えていたフレデリックも声を上げた。
「控えよ。慮外なる物言いぞ!」
「いや、大丈夫。確かにこれは、私の口からちゃんと説明しなくてはならないことだ」
キャロルは掌を見せて制し、続ける。
「一応は私が光の聖女だという証拠もあるんだよ」
言って、首から下げた原典を見せる。窓からの光を浴びて、きらりと黄金に輝いた。
「これは原典の大元と呼ぶべき存在で、神リュカ本人が文字を掘り、神リュカ本人が血を入れた。ここには確かに『光の聖女』の存在が書かれているから、事実として光の聖女は存在する。つまり、教皇ウィレム七世が公にした原典は複写であり、書き換えられているんだ」
騎士らは騒めく。
「だけれど、今、世は混迷を極めているだろう? もはや何が真実で何が嘘なのかも分からない。仮に私がどんな証拠を出そうとも、人の悪意や思惑であっさりとそれが覆されてしまう。全ての実態が希薄だ。つまりは神が残した原典なども、やはり飾りに過ぎないんだ」
キャロルは少しばかり笑んで、マン男爵を見つめた。
「──だがそれでも、私は光の聖女だ。私は私を信じる」
男爵には彼女の瞳が、黄昏の大河のように燃えて見えた。それは幼少の時分、遊び疲れた時に何も考えずに見つめていた、失われた故郷の川を思わせた。聖が今、男爵の心に触れた。
「さて、今回は聖女4人に協力を乞うけども……。なんでも、失われた原典によれば、光の聖女は4人の聖女を導くのだとか。それが成されれば、私が本物かどうかの証明になるだろう。行動で示すから、ついて来て欲しい」
実に堂々とした言いっぷり。騎士らは口を開け、呆然としている。
「返答になりましたか、男爵」
マン男爵は意を決したように下唇を噛み、跪き、深く首を下げた。
「慮外ついでに申し上げます。此度の戦いに立ち上がった民達は勇ましき戦士ではありますが、その根本には飛蝗雲の襲来で貧しくし、従軍せざるを得ない事情も少なからず存在すること、ゆめゆめお忘れなきよう。救世の巫女たる光の聖女であれば、構えて──、構えて、その事ご配慮あるべし!」
絞り出すような掠れ声が、心からの懇願である事を示していた。
男爵は思うのだ。これ以上、民に迷惑をかけてはならない。耄碌した前領主、それからモラン卿、そして天変地異により民は苦しんでいる。これ以上民に苦労を強いたくはない。
もう己はこの少女を信じることに決めた。だからこそ、どうか、どうか裏切らないで貰いたい。どうか、我らを救って欲しい。その一心を言葉にして伝えようと思った時、体は跪くことを選択した。
「分かっているよ。その事は十分考えている。不死鳥より前に、やってしまおう」
男爵は顔を上げる。やってしまう、とは?
「雪が降って飛蝗も落ちると思ったが、未だに領内をフラフラしていると聞く。自然の力を凌駕するとなると、どこかで魔術的な機序が作用しているということ。魔物の仕業だろうな」
キャロルはヒューバートに振り向く。
「閣下、祝祭の準備を。明日、領内の蝗害を祓う」
ヒューバートはにやりと笑った。この件については、既に打ち合わせ済みである。
「明日か。調理場が忙しくなるな。よし、心得のない男子も調理場に入って、芋を剥け!」
□□
キャロルとエリカの2人は、城内の廊下を行く。
「しゅ、祝祭? どうしてです?」
「エリカは飛蝗をどういった存在だと思う?」
「え? えーっと、つまりはー……。食物を食い荒らして、枯れ地にしてしまうわけだから……。なんと言えば良いか……」
「私は豊凶の災害だと捉えた」
そうそう、それが言いたかったのだ、とエリカは首を縦に振る。
「実は明日は『変容日』なんだよ、エリカ」
「変容日……、って何でしたっけ」
聞いたことがあるような、無いような。
「今では目立たない祭日だけれど、昔はそれなりに重要視されてきた大切な日だ」
変容日とは、聖母カレーディアの腹の中で聖が宿った事を記念する祭日である。
「変容日には豊作祷を行うのが恒例だった」
「ホーサクトー……?」
「翌年の豊作を願う祭りだよ」
厨房の前に到着し、キャロルが扉を押し開ける。咽せ返るような熱気と、塊のような湯気が迫る。音は様々、ぐつぐつともトントンともガシャガシャともして、騒がしい。
エリカはすんすんと嗅いだ。ああ、お腹が空いて来た。出汁や香草、兎肉の焼ける香り、豚の血の腸詰、それから、なんだろう。大鍋に黄金の米を敷いた料理から牛酪と海鮮の幸福な香りがして、くらくらする。なんだか、体が宙に浮きそうだ。
溢れて来た涎を拭って、ふと、気がつく。湯気の中で肌着の騎士達が神妙な顔をして芋を剥いているではないか。
「騎士が調理場に立つだなんて、そんな事あるんだ……」
「これもまた戦いだからな」
「戦い、ですか?」
窓の外で大笑いが聞こえて、エリカはその方を見た。従騎士の少年が吐いてしまって、騎士たちが揶揄っている。側ではぷくぷくと太った豚が転がっていて喉元から血を流しているから、どうやら絞めたらしい。この程度の血で参っているようでは、魔物を倒したり野盗を斬ったりは、しばらくお預けだろう。
「蝗害は何らかの魔物によって引き起こされているのだろうとは思うのだけど、残念ながらいくら調査をしても大元の魔物が見当たらなかった」
そしてキャロルは厨房に立つ。
「──であれば豊作を乞い願い、豊凶を退ける」
腕まくりをして、ぱきぽき首を鳴らす。
「祝祭は公爵領に古くから伝わる様式でやる。百年近く行われていなかったらしいが、明日を境に復活させよう」
瘴気が迫れば生活が苦しい。そうなると祭りなどに現を抜かしている場合ではないとして、伝統的な祝祭が失われてしまうことは間々あった。
「土地に生きる人の希望や願いを再び受け継ぐんだ。人間の文化と祈りは、虫螻なんぞに負けやしない」
キャロルは深く息を吸って、ぱしんと手を叩いた。気合十分、にっと笑って、目の前にこんもり盛られた赤薔薇を見つめる。これは昨夜のうちにキャロルの魔法で生み出したものである。
「さあさあ、花弁を毟っていくぞ、エリカ! 明日のパンはコイツを使って全部真っ赤にするんだ!」
キャロルが調べたところによれば、全てのパンを薔薇で染めるのが、公爵領における豊作祷のお決まりなんだとか。
「こ、これを全部ですかっ」
エリカは目を丸くした。薔薇は山盛りである。それはもう、もはや攻撃的である程に。
「終わったらパンもこねるぞっ。競争しよう、エリカ。どっちが沢山毟れるか、勝負だ」
(キャロルさん、なんか楽しそう……)
エリカが思うに、キャロルはお祭り好きな一面がある。
(でも、本当にお祭りで飛蝗がいなくなるのかな──?)
キャロルのする事だから疑うわけではないが、エリカは小さく首を傾げた。祭りは楽しいこと。つまり、楽しんで災厄を退けるなどと、そんな簡単なことがあって良いのだろうか?
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