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鵲(前)


 朔風(さくふう)の節、立待月(たてまちつき)。西からの軟風(なんぷう)、風速7海里(ノット)(みぞれ)降る。ニューカッスルにある聖ローワンの公園は霜崩(しもくず)れで泥濘(ぬかる)んでいた。


 公園に、農民や商人、冒険者などの男達が列を成していた。列の先には薬師(くすし)と何人かの領軍兵士が待つ。男達は薬師の前で服を脱ぐ。そして薬師は針を取り出し、その者の腹と尻にぷすりと針を刺した。これは肌の弾力の具合によって栄養状態を把握する方法で、十分に弾力が認められらば()()である。


 銀鴉(ぎんあ)の騎士団副将フリッツ・カッセルは鍛錬用の木剣(もっけん)を地に突き刺し、その列を眺めていた。木剣を激しく振り回していたからだろうか、体からは湯気(ゆげ)が出ている。


「──フリッツさんっ!」


 背後から声がして振り返る。遠くから走り寄ってくる少女の姿があった。


「おおっ。エリカ殿!」


 エリカはフリッツの(もと)に寄ると、膝に手をついて呼吸を正した。


 騎士団は今日まで施療院(せりょういん)の外に出る事が許されなかったが、ついに自由に行動できる許可が降りた。それが嬉しくて、エリカは(みぞれ)の中を疾走(しっそう)した。まるで解き放たれた犬であった。


「もうお加減は(よろ)しいので御座(ござ)いますか」


「そちらこそ。私、凄く心配していたんです」


「なあに、(それがし)は鉄人と呼ばれた騎士。並大抵の事では死に申さず。正教軍に身を(やつ)すこと40年余り、所属した隊は幾度となく打ち滅ぼされましたが、無様(ぶざま)にも(それがし)のみが生き残り、今に(いた)りまする」


 フリッツはからりと笑った。話に聞いていたよりも元気そうで、エリカは安心した。


「それよりもご覧なりましたかな、エリカ殿。ターナー氏が大白亜より持ち込んだという、新たなる聖具。──なんでも、鎧であったとか」


「それはもう、立派な鎧でした。まるで重装兵が身につけるような……。キャロルさんは『ほろほろ(ちょう)』だとか言って苦笑いしてました」


 私はそんな風には思わなかったですけど、と付け加えてエリカは続ける。


「運ばれて来た時はびっしりと土が付いていたのですが、腕っこきの職人が綺麗にしてくれて、今は光り輝いてますよ」


「ほう。(それがし)も見たいものじゃ。聖下が(よろ)うお姿は(さぞ)かし美しかろう」


「大白亜ではまだ発掘が進められているようですが、どうやら全ての聖女に鎧がある見立てなんだとか」


「なんと、それはめでたい。聖女の威信(いしん)益々(ますます)盛んに御座いまするな。必ずや、時代は真の原典に傾きましょう。……とは言え、エリカ殿。有為転変(ういてんぺん)は世の習いに御座(ござ)いまする。つまりは因縁(いんねん)が大事」


「因縁、ですか……?」


「左様。()はぴたりとその場に(とど)まる事なく、揺蕩(ただよ)海月(くらげ)(ごと)くゆらゆらともふよふよともしたもので、(はかな)く変化しており申す。騎士たるもの、そうした変化に備えて(つね)に剣を磨くことこそが肝要(かんよう)(きた)る世の春ばかりを夢見ていると、()()がやってきてドカンと重い一撃を喰らいまするぞ」


 エリカは顎に手を当てて、うーんと呻いた。何かがやって来て、ドカンと思い一撃、とは……。


「例えば、そうですな……。先の戦で落ち延びた、禁軍浪人(ろうにん)奴腹(やつばら)が決起する、だとかですな」


「えっ!?」


 ぎょっとして毛を逆立てる。


「いやいや、()くまで例えに御座います」


 フリッツが念押しするのを聞いて、エリカはふうと胸を()で下ろした。もう(すで)にそうした予兆があるのかと思った。だけれど……。


「確かに盗賊騎士が増えると次の戦の種になるとも言いますよね……」


 騎士は主人(あるじ)を失うと徒党(ととう)を組んで盗賊となる。そうした浪人たちを盗賊騎士と呼称した。盗賊騎士は戦火の元。だからこそ敵兵は()で斬りにするべし。そう声高(こわだか)に主張する野蛮な騎士も少なくはない。


「そうそう。それが因縁(いんねん)で御座います。『起きたこと』と『起きた結果』が延々(えんえん)と続き、()え間なく世は変化し続ける。精巧な絡繰(からくり)とも言えましょうな。故に、我ら騎士は世の動きに敏感となり、あれこれ思案し、不穏(ふおん)の気配に備えておかねばならぬのです。そして(しか)るべき時には人民の剣となって()くす。それが騎士の役目であり、転じて(ほまれ)なので御座(ござ)います。やれやれ、気が休まる(いとま)もなく、ずうっと草臥(くたび)れ申す」


 フリッツは苦労を刻んだような皺くちゃの顔、その唇を(わず)かに(ほころ)ばせて、列を成す民を見つめる。


「だからこそ、こうして共に戦わんと民が立ち上がるのを見ると、有難(ありがた)さに胸が熱くなりますなぁ……」


 並ぶ民らは、領が不死鳥と戦うという報を受けて集まった者たちである。誰に強要されるわけでもなく、自らの意思でここに来た。


「どうしてリューデンの民は手を貸してくれるのでしょう? だって鶺鴒(せきれい)一揆(いっき)で敗戦をしたばかりではありませんか。飛蝗雲(ばったぐも)で疲弊もしているはずだし……。そもそも、リューデン公爵領は光の聖女を認めていません」


此度(こたび)は輝聖の名の(もと)に集まったのではなく、()くまで公爵閣下の為に集まっておられる」


 それでも、疑問だ。彼らの中には先の戦で怪我を負った者や、友人や家族を失った者もいるはず。自分がその立場であったら、2度と剣を握るまいと後悔していることだろう。


「人の気持ちとは複雑にございまするなあ。つらつら(おもんみ)るに、民は誇りを取り戻したいのではあるまいか。エリカ殿は近年の公爵領をどうお思いか?」


「モラン卿とかいう悪徳貴族が現れて、前領主は操り人形になってしまって、それで、戦争が起きて、負けて、飛蝗(ばった)や魔物に土地を荒らされて、泣きっ面に(はち)な感じ……」


「敗北に()ぐ敗北。どうにもならない荒波に揉まれ、民百姓(たみひゃくしょう)は自らの価値を見失っておる。これでは嵐に揺られて折れる(あし)と何ら変わりはない。だからこそ、不死鳥という強大な敵を前にして立ち上がり、自身の存在を確かめたいのでありましょうな」


 エリカは列を成す民達の表情を見る。1人1人が卓越(たくえつ)した騎士の顔つきであった。確かに、彼らは公爵の下に集うだとか輝聖の下に集うだとか、そうした名分は気にしていないのかも知れない。ただ単に、瘴気の世界に生きる者として(あらが)いたいのだろう。


 思えば、聖女が生まれる前までは、多くの人が何かに諦めている雰囲気があった。常に重い空気が付き纏い、緩やかな絶望が続いて、俯いて祈るしかなかった。だが、どうだろう。正教会は輝聖を無いものにしたが、それでも確かに、世界は変わり始めているように感じる。


「──よし、フリッツさん。稽古(けいこ)をしましょう。私たちも負けていられません」


 エリカが腰に下げた木剣を抜いたのを見て、フリッツはにやりと笑む。


「ほほう、熱に当てられましたな? 老兵と(あなど)ると、痛い目を見ますぞ」


「1度お手合わせ願いたいと思っていたんです」


 そしてエリカは剣を(かつ)ぐように構えた。基礎的な構えで油断を誘い、組討(レスリング)に持ち込みたい。


「骨が折れたお陰で、前より頑丈(がんじょう)になったんですから。殺す気で打たないと止まりませんよ」


 フリッツは重心の掛け方から目論見(もくろみ)を見抜きつつも、()()()()や小細工を(こう)じるのか、と内心驚いた。世界を救うとされる光の聖女の従者であるし元は貴族だと聞いていたから、勝手に正々堂々剣を振るうものと思い込んでいたが、成程(なるほど)、面白い。輝聖のお気に入り、伊達(だて)ではないらしい。


「では僭越(せんえつ)ながら、いわゆる老練(ろうれん)な技の数々というものをお見せいたしましょうかな」


 フリッツは手に石灰(せっかい)を塗り、木剣を地から抜いた。


□□


 翌、朔風(さくふう)居待(いまち)。領主ヒューバートの書斎(しょさい)鎧兜(よろいかぶと)が持ち込まれた。老いた領軍文官が(うやうや)しく頭を下げ、言う。


「これが前領主──、父君(ちちぎみ)が身につけてらした装備に御座います」


 それは祝典甲冑(パレードアーマー)見紛(みまが)う程に豪華な鎧であった。胸当て(ブレストプレート)には神の啓示(けいじ)を受ける騎士の様子と、竜を(ほふ)らんと剣を振るう騎士の様子が描かれていて、出来は実に精巧(せいこう)である。


「穴だらけだな」


 (ただ)銃痕(じゅうこん)が目立つ。


「ピピン公爵領軍の素人軍団にこうも手酷(てひど)くやられたとは。やれやれ、我が親ながら情けない」


「そう言いなさりますな。最期までご立派に戦われたとお聞きしております」


「あれは晩節(ばんせつ)(けが)した。俺の中での評価は変わらんよ」


 ヒューバートは卓に置かれた羚羊(れいよう)の変わり兜を手にした。


 古色蒼然(こしょくそうぜん)とした兜であった。薄汚れ、硫化(りゅうか)による黒い変色も目立つ。細かい隙間などには砂が詰まって取り除けない。(いかめ)しい面頬(めんぽお)は目元が()けている。


 羚羊の兜には真鍮(しんちゅう)も金も使われていない。魔を退ける銀を主として、装飾と言えば地味な石英(クォーツ)黒水晶(モリオン)が申し訳程度に散りばめられているだけである。


 だが、優美な曲線を描く2本の長い角は、目を見張るほど美しい。何より全体の形状(フォルム)が良い。質素だが、それ故に威厳(いげん)に満ちる。霊気を孕んでいるようだった。


 イザベラは興味津々に兜を見つめながら、ヒューバートの隣に立つ。


「兜だけは華美じゃないのね、ヒューバート」


 羚羊(れいよう)はダーフ家の紋章、大盾(エスカッシャン)を両脇で支える盾持ち(サポーター)を務める動物である。野で生まれ野で暮らし、しなやかな足捌きで野を駆け、(ある)いは岩壁をも弾んで登って行く。その様、疾風の如し。


「ダーフ家の名声が神の息吹となって王国を駆ける。そうした意味が込められていると聞いたことがある」


「派手な貴方らしくない、美しい獣ね」


「これだけは気に入った。浪漫(ろまん)を感じる」


 前領主は一途(いちず)に、素朴な羚羊の変わり兜を身につけた。耄碌(もろうく)しても、奢侈(しゃし)耽溺(たんでき)しても、神の息吹となって地を駆けようとした。それが公爵としての矜持(きょうじ)であった。


 ヒューバートは思う。──魚と領は頭から腐ると言うが、この兜がある程度の所で腐敗を食い止めていたのかも知れない。


 ダーフ家の事などはどうでも良いと思っていたが、この兜を手にすると、(いや)でも胸の奥に炎が宿るのを感じた。不思議であった。


「なんだか嬉しそうね、ヒューバート」


「そうかな」


「ええ。聖女さまが来てから変わったわ。あなただけじゃなく、民や騎士たちの顔色も明るくなった。不思議ね、まだ何をして貰ったわけでも無いのに」


「希望とはそういうものだろう。存在するだけで活力が生まれる。或いは、光の聖女にはそうした()()があるのかも」


 次いで、ヒューバートは勝気に笑んで文官に言う。


「おい。この穴の空いた鎧はバラしていいから、兜の意匠に合わせて鎧を作り直せ。妙な彫り物もいらん」


「光の聖女の鎧より目立つわけにもいきますまいか」


「どんなに着飾っても、あの鎧より派手にはならんよ」


□□


 同、朔風(さくふう)居待(いまち)午後8時。


 輝聖リトル・キャロルと領主リューデン公爵ヒューバート、聖騎士フレデリック・ミラー、神学者ジャック・ターナー、それから領軍の騎士数名が(つど)い、会議を行った。


 ここで対不死鳥戦を『春の(スプリング・)目覚め(アウェイキング)』と名付け、(とどこお)りなく策を遂行できるだけの戦力と()かる日数を精査した。


 いよいよ不死鳥戦へと動き出す。

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