始動
エリカの持つ器から甘い湯気が立ち上る。中身はホットチョコレートで、加加阿の奥深い香りと、熱された桂皮や小豆蔲などが強い香りを放ち、室内を満たしていた。
「──不思議なんです。フレデリックさんがお願いをすると、女の人は何でも言うことを聞いてしまうのです」
まるで怪談を話すかのように神妙な口調であった。
「水薬が残り少なくなった時がありました。フレデリックさんが陸聖猊下から頂いた水薬を再現しようとしてくれたのですが、見合った材料がありませんでした。そこでフレデリックさんは男性の薬師に『材料を分けて欲しい』と声をかけました。しかし、ここは王都派の領で、私たちは大白亜派。領主の指図がないと難しいと、断られてしまいます。次に女性の薬師を見つけ、同じように『材料を分けて欲しい』と声をかけると──、なんと夜更けにそれを届けてくれたのです……。しかも頬を赤らめて……」
大真面目な表情で続ける。
「施療院の裏には牧場があって、美しい娘さんがいます。彼女は事ある度にフレデリックさんと私に見舞いの品を届けて下さります。沢山の乾酪と一緒に恋文が混じっているのです。しかも、一緒に乳搾りをしないかと誘われているのです……」
まだ続ける。
「ニューカッスルのご令嬢も見舞いの品を届けて下さります。しかも、何故か怪我をした私に対するものではなく、看病をして下さっているフレデリックさん宛に届けられるのです……。それには詩と押し花が添えられているのです……。しかもフレデリックさんは律儀に詩を作って返すのです……」
エリカは一呼吸置いて言う。
「──魔性です。フレデリックさんは魔性の男です」
フレデリックはホットチョコレートを一口啜った。さてもさても、初めて飲むのでどんなものかと思ったが、実に美味ではないか! 加加阿の濃厚さも然る事乍ら、香辛料の複雑な風味と牛乳の甘味が口の中に広がる。それでいてピリリと辛い。これはキャロルが『寒いから』と蕃椒を入れたからだろう。エリカ曰く、キャロルは極端に体が冷えるのを嫌うらしいので。
「いや、某は何もしておらぬ。薬師には懇切丁寧にお願いしただけであるし、詩を貰ったら詩で返すのは騎士としては当然の嗜みであろう」
「乳搾りをしにいったのも嗜みですか?」
「それは興味があっただけのこと。滅多に経験できる事ではあるまい」
「そういう所。そういう所です。そういう所が女を狂わせるのです」
会話を聞きながら、キャロルもまたホットチョコレートを飲んだ。そして満足いったように頷く。まあまあ、美味く出来たのではあるまいか。この濃厚な風味が冬の始まりにぴたりとくる。
キャロルは煙草に火をつけた。口の中に残る甘さを打ち消す。生き返るように美味い。
「王国北部には『愛霊に魅了された男は色男となって帰ってくる』という伝説がある。そういう人になったのだろう、騎士殿は」
フレデリックは若い頃に愛霊の餌食となり、自らの目を抉り取って正気を保った過去がある。
「病気みたいなものですか?」
「そうだと思う」
フレデリックは『病気』とぼそりと呟き、眉を垂らした。
「なんだか可哀想ですね……」
哀れんで、エリカはホットチョコレートを飲む。──美味である! ひっくり返りそうだ!
口の中で加加阿が蕩けて、まったりとして、食感もよし。飲み込めば食道をとろりと熱が移動するのがわかって、喉越しもよし。胃袋に入ればぽわりと内から温まる。高級品でなければ毎日、いや朝昼晩と飲みたいくらいだ。おかわりはあるのだろうか。
エリカが惚けているのを見てキャロルは仄かに微笑み、話を切り出す。
「それで、銀鴉の騎士団の兵らは順調に回復してるのか?」
キャロルが聞くところによると、騎士団の兵はそれぞれ別の施療院にいるらしい。リューデン公爵領は王都派であるから、立場上は輝聖を認めていない。だから、大白亜派の騎士団を1つの場所に収容するのは不安があった。体が回復した瞬間に『王都派打倒』を掲げて争いを起こされる脅威もあると考えた。
これにフレデリックが答える。
「ご安堵下さりませ。それぞれが驍勇無双の騎士に御座います。深手を負ったフリッツなども、もう鍛錬を再開している始末。輝聖到着の砌には『老いの木登りとお笑いくださいませ』と伝えよ、と申しておりました」
それを聞いて、エリカはしゅんとして俯く。
「申し訳ないです。もっと私がしっかりしていれば、怪我をせずに済んだかも知れないのに。……どうするのが正解だったんだろう。ずっと考えてしまいます」
キャロルはさらりと言う。
「第三聖女隊でも敗走したんだ。仕方がないと考えよう」
「でも……」
「敗れた時に大事なのは、忍耐と軌道修正。反省はほどほどに、冷静に敵のことを調べ、対処法を探り、頭を賢明にして再び剣を握ること。私も終わった事をいつまでも悩む性格だが、実際のところあっさり割り切ってしまった方が有意義だよ」
キャロルはふうと煙を吐いて、2本の指を立てた。
「──私たちがやらなくてはならない事は、大きく分けて2つ」
人差し指を握る。
「1つは『不死鳥フェニックス』に対処すること。そしてもう1つが──」
キャロルは中指を握る。
「不死鳥が各地の『封印の獣』を蘇らせた事で発生した災害と流行病を鎮めることだ」
続ける。
「まず各地の災害に関してだが、これは一朝一夕に鎮められるものではない。どの災害をどの魔物が引き起こしているのかを調べなきゃいけないし、それぞれの魔物に応じた手立てを考えなきゃいけない。相手は封印の獣だし、簡単にはいかないだろう。それに、そもそもとして不死鳥を対処してしまわないと鼬ごっこになるしな」
「じゃあ先ずは不死鳥を倒す……?」
「うん。聖女4人にも協力を依頼するつもりだ」
フレデリックはおお、と興奮気味に声を漏らす。
「しからば、ついに原典の聖女5人が力を合わせるのか。其は誠に祝着至極に存じます」
「誘いに応じてもらえれば、だけれども。それこそ懇切丁寧にお願いしてみるつもりだ」
「ただ、畏れながら……」
「うん」
「相手は翼の魔物。気儘に空を飛びますから、王国各地、何処に飛来するものか分かりませぬ。果たして戦闘に持ち込めましょうか」
キャロルは2本目の煙草を咥え、外套から王国の地図を取り出し寝台の上に広げた。これには聖地の場所が罰点で記されており、封印の獣が解き放たれているであろう場所は赤い丸で囲まれている。
封印の獣が解き放たれた場所は、大白亜の調査と、キャロル自身が災害から逆算したものを合わせて定めた。精度は高くはないだろうが決して低くもない、とキャロルは見積もる。なお、赤い丸は王国全土、疎に散っている。
「ご覧の通り、不死鳥の動きは一見して不規則だ。だが──」
言いさしたところで、フレデリックも気がついた。
「古い聖地、でございますな」
「ご名答。不死鳥が降り立ったのは、どれも古い聖地だ。古いと言うことは、それだけ封印の術が強力だと言うこと」
それは即ち、世に与える影響が大きい魔物を封じている場所と同義である。
「成程。まだ無事な聖地で、大きく影響を及ぼしそうな封印の獣が眠っている場所に当たりをつければ……」
「そう。待ち伏せができる」
キャロルは煙を吐き出す。
「まあ、飽くまで推測だ。全くの見当違いかも知れないし、勘の領域は出ない。もう少し自信が持てるまで調べたい所だが、あんまり時間がないのも確か」
「神に認められし聖者の勘は、真理に値すると心得ます」
「兎にも角にも、次に不死鳥が降り立つ場所さえ分かっていれば、攻撃を仕掛けるのはそこまで難しい話ではない。問題はローズマリーを敗走させた不死鳥がどんな反撃をして来るかだが……」
そればかりは思案に余った。実際戦ったことも無いし情報も少ないのだから。絵合わせ札と同じで、今ある手札で勝負するしかない。
「聖女は5人。つまりは5箇所で待ち伏せる、という事ですかな」
「そうだ。山を張るには心許ない数字だから、各領にも協力を乞うべきかとも思ったが……。まあ相手が魔物だからな……」
土地争いの戦ではないから兵には恩賞が出ないし、徴兵する事で貴族も食い扶持を減らしてしまうことを考えると、キャロルも歯切れが悪かった。ただでさえ天変地異が起きて国中の民が疲弊しているし、数節前に鶺鴒一揆が起きたばかり。これ以上、諸侯や民に苦労をかけたくないのが本音である。
ここでエリカが控えめに問う。
「あのう。不死鳥が封印の獣を解き放つ理由、ってなんですか……?」
「私が思うに、だが……。単純に人の数を減らす事だろうな……」
理由は未だ判然としないが、瘴気は人や動物が死に絶えた土地から這い寄るとされる。まるで、人が住まなくなった民家が急速に荒れるようにして、土も木々も空も膿んで霞む。現にキャロルの故郷であるディアボロも竜の襲来があってから、程なくして瘴気に飲まれた。
だから、不死鳥の目的は人間の殲滅だろう。それを考えると、キャロルの頭の中は『何故?』で埋め尽くされる。
何故、人間を滅ぼしたいのだろう。魔物の生存権を広げたいのだろうか。いやしかし、魔物は瘴気の中から現れるわけだから瘴気の中で暮らせば良いではないか。不死鳥だって瘴気の中から飛来したはず。
そもそも、魔物ってなんだろう?
魔物は何のために生まれる?
魔物には目的があるのか?
それともやはり、不死鳥は神の化身?
神の与える試練の1つと考えるべきか。
あの女は、そこに対しては何も言ってこなかった。
偶々なのか、意図的なのか。
考えても、答えは出てこない。
「あと……、不死鳥って死なないんですよね? 封印するんですか?」
「第一目的を捕縛とし、第二目的を封印とする」
エリカは目を丸くした。あの燃え盛る鳥の魔物を捕縛?
「但し、捕縛は閣下の私的な要望だ。他の聖女にはその事は伏せ、私たちの隊のみが遂行する」
半ば人質として利用されたとはいえ、エリカを保護してもらった恩を無視するわけにはいかない。危険は及ぶが、策を凝らして成すこととした。勿論、その意思決定にエリカが絡んでいることは伏せる。それから、捕縛の提案は天啓と捉えた。
「……それはそれとして、エリカに頼みたい事があるんだけど、いいかな?」
さて、不死鳥に焦点を絞って話を進めているが、眼目としては国家安寧を手に入れることにある。なので、国を大きく乱している要因でもあるとある1体の封印の獣については、キャロルにとって全く無視出来ない存在であった。
「何でもやります。キャロルさんのためなら」
「そう気負うことでもないさ。──『死者の王』を倒して欲しいんだ」
死者の王は王国各地で猛威を払う流行病の根源で、 アシュリー・サークルと呼ばれる環状石籬から蘇った、鎌を持つ魔物である。
フレデリックはギョッとして、目を丸くした。
「な、なんと……! エリカにそれをやらせるおつもりかっ!」
死者の王は強力な封印の獣である。当時の記録によれば、魔術師、卜人ら都合200名が我武者羅になって祈祷を続け、10の夜を越えた朝にやっとのことで封じたとされる。奴隷も500人程度死なせ、尊い血を継いだ令嬢も贄にする始末だった。古い記録なので脚色もあるだろうが、それでも古カレドニアにおいて甚大な被害を出した魔物であることは確か。
しかもエリカは一度この魔物に敗北している。恐怖に体が強張り、上手く立ち回れないのではないか──、そんなフレデリックの心配を他所に、エリカはまるでキャロルに言われるのを待っていたかのように、或いは心の底で復讐を誓っていたかのように、
「分かりました」
それでフレデリックは少しばかり強い口調で物申した。
「憚りながら、些か荷が重いのではないかと案じております。銀鴉の騎士団だけでなく、せめて傭兵や冒険者とも協力は出来ませぬか」
「ん? 騎士団も必要ないんじゃないか? 1人で良いよ」
「な、なんと? 1人で……?」
「そこまで心配しなくても大丈夫。エリカになら出来るさ。邪竜を1人で倒した事を考えると、死者の王はそこまでの敵ではない。仲間を引き連れて守らなきゃいけない人間を増やすより、エリカ1人で挑んだほうが良いと思っているよ」
「しかしながら、古には数多の魔術師を屠っておりまする」
「そうなんだけども、魔術や祓いの進歩は日に就り月に将む。今の技術で立ち向かえば、強敵ではあれども決して封印に拘るほどの敵じゃない」
キャロルは3本目の煙草に火をつけて続ける。
「それに過去に残された記述から考えると、死者の王は風を食む雄牛や邪竜ヨナスのような生物ではなく、幽鬼のような亡霊の類だろう。つまり聖が有効なんだ」
聖は道具にも宿る。祈祷によって聖別を行い、聖を宿した武器で戦えば死者の王でさえも祓うこと能う。
「最後に。エリカを差し向けるにあたって、1番の理屈がある」
「それは……」
「エリカは強い。フレデリックが思うよりも──、いや、私が思うよりも、ずっと」
エリカはホットチョコレートの入った器を、ぎゅうと力強く握った。……一度敗北しておきながらも、キャロルからこれだけ信用されている。
正直なところ、怖さはある。そこには嘘はつけない。
だが、目が覚めて寝台の上にいると分かった時に感じた、あの炎のような悔しさと、毒のような恥に比べたら、こんな恐怖は無に等しい。ああ、見知らぬ天井を目の当たりにした瞬間の、ヒュッという息遣い、次いで心臓にひやりと冷気が宿った感覚。駄目だ。思い出すだけで汗が噴き出る。このままじゃ絶対に終われない。
エリカは硬く決意する。──私が逃した死者の王だ。ならば私の手で倒し、流行病を鎮めるのだ。
「さて、不死鳥にせよ死者の王にせよ、喧嘩を売るのであればそれなりの道具や装備を整えなくてはならないのだが──、聖騎士フレデリック・ミラー。魔性の男なんだって?」
「その自覚はありませぬが、淑女諸君に懇切丁寧お頼みしてみましょう」
「よしなに頼むよ」
言ってキャロルはホットチョコレートをぐいっと飲み干した。
「さあ。体も温まったし、動き出そうか。このイカれた世界をさっさと元に戻してしまおう」
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