表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
140/169

再開


 リューデン公爵領ニューカッスルの上空は、昨夜からの北風で冷気に満たされていた。早朝は()てつくような寒さで、街中で霜柱(しもばしら)が立った。朝日が(のぼ)れば、それがキラキラと輝いて、街に光が満ちる。午前8時頃になると灰を含んだ雲が空を覆い、午前9時にはついに黒い粉雪が舞って『これでようやく飛蝗(バッタ)が落ちるのではないか』と街人たちの安堵(あんど)の声が聞こえ始める。


 キャロルは正教会大白亜派の老騎士フレデリック・ミラーと合流した。この騎士はクリストフ5世の指図(さしず)があって、先立ってニューカッスルに入り、エリカの治療を行っていた。


 2人は領主ヒューバートの屋敷で現状を共有してから、施療院(せりょういん)へと向かった。施療院は街の高台、杉林(すぎばやし)の曲がりくねった坂道を上ったところに堂々(そび)えるらしい。これを登る頃には雪は本降りになり、葉の擦れる音も(ヒタキ)の鳴き声も灰色の雪に吸収され、杉林は静寂に包まれていた。


「へぇ。なかなか良さそうな施療院じゃないか」


 杉の合間に見えた装飾的(デコラティブ)な屋敷を見て、キャロルは苦笑した。およそ施療院らしくない。金を持て(あま)した貴人が建てる別荘のようで、病人を受け入れる建物としては悪趣味であるし、近づきがたい雰囲気がある。


 ()れについて、フレデリックはこう説明する。


「何でも元はモラン卿という貴族の別荘だった(よし)。領主ヒューバート殿のご意向で施療院に改築したのだとか」


(ぜい)を尽くした屋敷に勝手なことをされて、モラン卿にとっては屈辱(くつじょく)だろう。ご家族は()がなかったのか?」


「事が事(ゆえ)、一族郎党(ろうとう)根絶(ねだ)やしとお聞きしております」


「化けて出てきそうだな」


「その時は輝聖の(ひじり)(じゃ)をお(はら)いくださいませ」


 キャロルは煙草に火をつける。そして一応、辺りに聖水を撒き、十字を切っておいた。


「……ん?」


如何(いかが)なされました」


「いや。気のせいかな。随分と希薄(きはく)な霊が消滅したな、と思って」


 霊の強さは魂の強さである。様々あるものの、基本、|深い怨恨(えんこん)を抱えた者などが未練を残す事で、精神的肉体を世に留める。しかし生前の間に心が成熟していないと、恨み(つら)みが重なり霊となったとて、薄弱(はくじゃく)な姿となるものである。


「さてはモラン卿ではあるまいか」


「まさか」


 キャロルは煙を吐き出した。あそこまで希薄だと確かめる(すべ)がない。


「ともかく、モラン卿のような悪徳貴族が裁かれたのは誠に重畳(ちょうじょう)(それがし)などは思うに、世に聖女が生まれた事で多少なりとも(ことわり)が生まれたのと存じます」


「うーん、この状況でか? すんごい天変地異だし、すんごい分断状態だぞ」


「天(さだ)まって(また)()く人に勝つとも言いましょう」


 かつて東に存在した国の言葉である。世が乱れている間は悪が蔓延(はびこ)る事もあろうが、聖が力を持てば必ず善が勝つということ。そういう世界に向かっていると言いたいらしい。


「随分と都合よく解釈したな……」


「前向きに物事を考えれば、釣られて結果も前向きになるものです。輝聖も聖具を手にしたことですし、万事順調と心得ます」


 老騎士フレデリックはにこりと優しげに笑んだ。キャロルはあまり彼とは話した事がなかったが、聞いていた通り篤敬(とっけい)の人である。なお、若い頃は随分と()()()だったという噂がある。まあ、その通りなのだろうとキャロルは思った。優しいし、清潔感があるし、老いてなお(つら)も良いし、あとは義眼も好きな者は好きだろう。


 2人は長い坂を上り終え、施療院に到着した。キャロルは豪勢な扉を押し開け、およそ施療院に相応(ふさわ)しくない彫刻や甲冑(よろい)の飾られた廊下を行き、エリカのいる部屋を目指す。


 廊下で何人かの薬師(くすし)や病人とすれ違う。女は目を(うる)めてちらちらと好意ありげにフレデリックを見るし、男はぽかんと口を開けて呆然(ぼうぜん)とキャロルを見た。キャロルは内心『若い頃だけでなく今でも女殺しか』と苦笑して、フレデリックは内心『見目形(みめかたち)だけでも信を集めるか』と感心した。


「さて。エリカ・フォルダンは肩と胸に大きな傷を負っていて、相当に深手でありました」


「らしいな。首を狙われたところを何とか避けた、と聞いている」


 エリカは突如復活した封印の獣『死者の王』の不意打ちを受けた。銀鴉(ぎんあ)の騎士団の副将であるフリッツに守られたが、それでも深手を負った。


「この地に担ぎ込まれた後は、エリカ自身の類稀(たぐいまれ)なる回復力が幸いし、命を繋ぎ止め申した。傷が元で()()()()を起こさなかったのも幸運」


 大怪我を負った時に怖いのは破傷風(テタヌス)だった。


(ある)いは体温で菌を殺したかと言ったところで、領の薬師も『常に体温が高いのは元々なのか』と驚いておりましたな」


「妙にポカポカしてるからなぁ、エリカは」


「また、陸聖猊下(げいか)から届けられた水薬(ポーション)が効果覿面(てきめん)であったと、(それがし)などは感じ入っております」


「メリッサが?」


 第四聖女隊は優秀な間諜(かんちょう)を各地に放っているから、エリカが倒れたことも掴んでいた。


 キャロルはじろりと怪しむような目付きで、フレデリックに問う。


「まさか、手紙も一緒に届いてはないだろうな?」


 フレデリックは目を丸くした。


「何故お分かりになる。確かに随分と長い文も一緒に」


「内容を当ててやる。書き出しは『名誉ある勇敢な戦士エリカ・フォルダン』。その後はエリカと会えなくて寂しいだとか、第四聖女隊に必要不可欠だとか、あとは、薬の礼は要らないから食事をしないか、とか……、こんな所だろう」


 メリッサはナットウォルズの一件以来、エリカを気に入っている。()が非でも手元に置きたいらしい。


寸分(すんぶん)(たが)わずズバリと当てましたな。流石は陸聖のご旧友」


「いいか、フレデリック。確かにメリッサは私の大好きな友達だし、尊敬もしている。だがエリカとは会わせるなよ」


 随分と強く言うものだと、フレデリックは意外に思った。強く言うというか、なんと言うか、(ムキ)になっていると言うべきか。


「そこまで言うのは何故です? (つね)に堂々たる輝聖らしくもない」


「私は普段通りのつもりだが? とにかく、エリカは私の従者だ。従者が他の聖女に尽くせば、私の面目が立たない」


 やはり、(ムキ)になっている様子。余程エリカを取られたくないらしい。ほんの少しであるが、口を(とが)らせているようにも思える。


「仰せご(もっと)も」


「メリッサへの礼は私からしておく」


「承知(つかまつ)りました」


 そうして話している間に、施療院の最奥、白い扉の前に到着した。フレデリックが軽く扉を叩く。


「エリカ・フォルダン。法王聖下(せいか)がお見えになったぞ」


 沈黙。


「寝てるのか?」


「はて」


 返事が返ってこないが、仕方なく扉を開ける。そしてキャロルは呟く。


「エリカ……?」


 寝台の上、こんもりとした布団があった。


「……この布団の団子がエリカ?」


 フレデリックは困った顔をして、うーんと(うめ)いた。


「実は輝聖が来ることを告げた際、合わせる顔がないと青褪(あおざ)めており申した。確かに、聖下の聖務を助けるためにこの地まで(おもむ)いたにも関わらず、わざわざ聖下に下山いただくなど本末転倒。エリカ・フォルダンは恥じておりまする」


 キャロルは2本目の煙草に火をつけて言う。


「おーいエリカ」


 布団団子、動かない。


「会いに来たぞ。大変だったらしいな」


 やはり布団団子、動かない。


「話そうよ、エリカ。何があったのかを詳しく聞かせてくれ。おーい、おーい」


 どうしても布団団子が動かないので、キャロルとフレデリックは顔を見合わせた。


「エリカ。実はとっておきがある。公爵閣下に1つ()()を作ってな。少しくらいの我儘(わがまま)が許されると思って、チョコレートを頂戴してきた。久々に溶かして飲もう。奮発(ふんぱつ)して(ラム)酒も買ってきたし、あとは桂皮(シナモン)甘橙(オレンジ)、牛乳もある」


 布団団子がもぞりと動いた。どうやら興味があると見える。そういうことで、キャロルはわざとらしく室内をウロウロとし始めた。


「さてさて、この部屋には鍋があるのかな。調理場のほうに行かなくてはならないかな」


 物分かりの良いフレデリックも乗ってやる。


「この棚の中にあるのでは」


「ああ、良いな。丁度いい大きさだ。拝借(はいしゃく)しよう」


 布団団子の中からチラリとエリカが顔を出す。今にも泣きそうな顔をしていた。


「飲みたいのか?」


 エリカは鼻に流れてゆく涙をずびずびと(すす)った。


「わたしっ、キャロルさんの顔に泥を塗って、すごく迷惑かけたのに、キャロルさん、わざわざ、私の好きなもの持ってきてくれてっ、どうして怒らないんですか……っ?」


「どうしてって……。私が忙しそうにしてたから、少しでも助けになればと思って行動してくれたんだろう? 迷惑だなんて思ってないし、無事だっただけで嬉しいよ」


 キャロルはあっけらかんと続ける。


「それに、一緒に旅をするって約束したじゃないか。置いていくなんて卑怯(ひきょう)だぞ、エリカ。勝手に行かれちゃったら、私には追いかけるしか方法がないよ」


 エリカは涙を堪えようと、歯を食いしばる。


「あれ? そういえば、地下墓地の時と立場が逆になってしまったな。これじゃあ私が置いて行かれた方じゃないか……」


 ついにエリカは(こら)えきれず、よよと泣き始めてしまった。


「キャロルさん、ごめんなさい〜〜っ。え〜〜〜んっ」


 それで、キャロルはからりと笑って抱擁(ほうよう)した。


「私のためにこんなに遠くまで来てくれて、ありがとうエリカ」


 フレデリックは2人の姿に微笑んで、香辛料を擦り潰すための薬研(やげん)を取りに、部屋を後にした。


面白いと思ってくださったら、下部のボタンから★評価をお願いいたします。

作品ブクマ、作者フォロー、感想コメント・レビューもお待ちしております。

書籍情報は広告下部をご参考ください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
html>
書籍第三巻(上)発売中!
書籍第一巻発売中
書籍第二巻発売中
ご購入いただけますとありがたいです。読書の好きな方が周りにいらっしゃれば、おすすめしていただけると助かります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ