再開
リューデン公爵領ニューカッスルの上空は、昨夜からの北風で冷気に満たされていた。早朝は凍てつくような寒さで、街中で霜柱が立った。朝日が昇れば、それがキラキラと輝いて、街に光が満ちる。午前8時頃になると灰を含んだ雲が空を覆い、午前9時にはついに黒い粉雪が舞って『これでようやく飛蝗が落ちるのではないか』と街人たちの安堵の声が聞こえ始める。
キャロルは正教会大白亜派の老騎士フレデリック・ミラーと合流した。この騎士はクリストフ5世の指図があって、先立ってニューカッスルに入り、エリカの治療を行っていた。
2人は領主ヒューバートの屋敷で現状を共有してから、施療院へと向かった。施療院は街の高台、杉林の曲がりくねった坂道を上ったところに堂々聳えるらしい。これを登る頃には雪は本降りになり、葉の擦れる音も鶲の鳴き声も灰色の雪に吸収され、杉林は静寂に包まれていた。
「へぇ。なかなか良さそうな施療院じゃないか」
杉の合間に見えた装飾的な屋敷を見て、キャロルは苦笑した。およそ施療院らしくない。金を持て余した貴人が建てる別荘のようで、病人を受け入れる建物としては悪趣味であるし、近づきがたい雰囲気がある。
此れについて、フレデリックはこう説明する。
「何でも元はモラン卿という貴族の別荘だった由。領主ヒューバート殿のご意向で施療院に改築したのだとか」
「贅を尽くした屋敷に勝手なことをされて、モラン卿にとっては屈辱だろう。ご家族は継がなかったのか?」
「事が事故、一族郎党根絶やしとお聞きしております」
「化けて出てきそうだな」
「その時は輝聖の聖で邪をお祓いくださいませ」
キャロルは煙草に火をつける。そして一応、辺りに聖水を撒き、十字を切っておいた。
「……ん?」
「如何なされました」
「いや。気のせいかな。随分と希薄な霊が消滅したな、と思って」
霊の強さは魂の強さである。様々あるものの、基本、|深い怨恨を抱えた者などが未練を残す事で、精神的肉体を世に留める。しかし生前の間に心が成熟していないと、恨み辛みが重なり霊となったとて、薄弱な姿となるものである。
「さてはモラン卿ではあるまいか」
「まさか」
キャロルは煙を吐き出した。あそこまで希薄だと確かめる術がない。
「ともかく、モラン卿のような悪徳貴族が裁かれたのは誠に重畳。某などは思うに、世に聖女が生まれた事で多少なりとも理が生まれたのと存じます」
「うーん、この状況でか? すんごい天変地異だし、すんごい分断状態だぞ」
「天定まって亦能く人に勝つとも言いましょう」
かつて東に存在した国の言葉である。世が乱れている間は悪が蔓延る事もあろうが、聖が力を持てば必ず善が勝つということ。そういう世界に向かっていると言いたいらしい。
「随分と都合よく解釈したな……」
「前向きに物事を考えれば、釣られて結果も前向きになるものです。輝聖も聖具を手にしたことですし、万事順調と心得ます」
老騎士フレデリックはにこりと優しげに笑んだ。キャロルはあまり彼とは話した事がなかったが、聞いていた通り篤敬の人である。なお、若い頃は随分と女殺しだったという噂がある。まあ、その通りなのだろうとキャロルは思った。優しいし、清潔感があるし、老いてなお面も良いし、あとは義眼も好きな者は好きだろう。
2人は長い坂を上り終え、施療院に到着した。キャロルは豪勢な扉を押し開け、およそ施療院に相応しくない彫刻や甲冑の飾られた廊下を行き、エリカのいる部屋を目指す。
廊下で何人かの薬師や病人とすれ違う。女は目を潤めてちらちらと好意ありげにフレデリックを見るし、男はぽかんと口を開けて呆然とキャロルを見た。キャロルは内心『若い頃だけでなく今でも女殺しか』と苦笑して、フレデリックは内心『見目形だけでも信を集めるか』と感心した。
「さて。エリカ・フォルダンは肩と胸に大きな傷を負っていて、相当に深手でありました」
「らしいな。首を狙われたところを何とか避けた、と聞いている」
エリカは突如復活した封印の獣『死者の王』の不意打ちを受けた。銀鴉の騎士団の副将であるフリッツに守られたが、それでも深手を負った。
「この地に担ぎ込まれた後は、エリカ自身の類稀なる回復力が幸いし、命を繋ぎ止め申した。傷が元で引き付けを起こさなかったのも幸運」
大怪我を負った時に怖いのは破傷風だった。
「或いは体温で菌を殺したかと言ったところで、領の薬師も『常に体温が高いのは元々なのか』と驚いておりましたな」
「妙にポカポカしてるからなぁ、エリカは」
「また、陸聖猊下から届けられた水薬が効果覿面であったと、某などは感じ入っております」
「メリッサが?」
第四聖女隊は優秀な間諜を各地に放っているから、エリカが倒れたことも掴んでいた。
キャロルはじろりと怪しむような目付きで、フレデリックに問う。
「まさか、手紙も一緒に届いてはないだろうな?」
フレデリックは目を丸くした。
「何故お分かりになる。確かに随分と長い文も一緒に」
「内容を当ててやる。書き出しは『名誉ある勇敢な戦士エリカ・フォルダン』。その後はエリカと会えなくて寂しいだとか、第四聖女隊に必要不可欠だとか、あとは、薬の礼は要らないから食事をしないか、とか……、こんな所だろう」
メリッサはナットウォルズの一件以来、エリカを気に入っている。是が非でも手元に置きたいらしい。
「寸分違わずズバリと当てましたな。流石は陸聖のご旧友」
「いいか、フレデリック。確かにメリッサは私の大好きな友達だし、尊敬もしている。だがエリカとは会わせるなよ」
随分と強く言うものだと、フレデリックは意外に思った。強く言うというか、なんと言うか、向になっていると言うべきか。
「そこまで言うのは何故です? 常に堂々たる輝聖らしくもない」
「私は普段通りのつもりだが? とにかく、エリカは私の従者だ。従者が他の聖女に尽くせば、私の面目が立たない」
やはり、向になっている様子。余程エリカを取られたくないらしい。ほんの少しであるが、口を尖らせているようにも思える。
「仰せご尤も」
「メリッサへの礼は私からしておく」
「承知仕りました」
そうして話している間に、施療院の最奥、白い扉の前に到着した。フレデリックが軽く扉を叩く。
「エリカ・フォルダン。法王聖下がお見えになったぞ」
沈黙。
「寝てるのか?」
「はて」
返事が返ってこないが、仕方なく扉を開ける。そしてキャロルは呟く。
「エリカ……?」
寝台の上、こんもりとした布団があった。
「……この布団の団子がエリカ?」
フレデリックは困った顔をして、うーんと呻いた。
「実は輝聖が来ることを告げた際、合わせる顔がないと青褪めており申した。確かに、聖下の聖務を助けるためにこの地まで赴いたにも関わらず、わざわざ聖下に下山いただくなど本末転倒。エリカ・フォルダンは恥じておりまする」
キャロルは2本目の煙草に火をつけて言う。
「おーいエリカ」
布団団子、動かない。
「会いに来たぞ。大変だったらしいな」
やはり布団団子、動かない。
「話そうよ、エリカ。何があったのかを詳しく聞かせてくれ。おーい、おーい」
どうしても布団団子が動かないので、キャロルとフレデリックは顔を見合わせた。
「エリカ。実はとっておきがある。公爵閣下に1つ借りを作ってな。少しくらいの我儘が許されると思って、チョコレートを頂戴してきた。久々に溶かして飲もう。奮発して糖酒も買ってきたし、あとは桂皮と甘橙、牛乳もある」
布団団子がもぞりと動いた。どうやら興味があると見える。そういうことで、キャロルはわざとらしく室内をウロウロとし始めた。
「さてさて、この部屋には鍋があるのかな。調理場のほうに行かなくてはならないかな」
物分かりの良いフレデリックも乗ってやる。
「この棚の中にあるのでは」
「ああ、良いな。丁度いい大きさだ。拝借しよう」
布団団子の中からチラリとエリカが顔を出す。今にも泣きそうな顔をしていた。
「飲みたいのか?」
エリカは鼻に流れてゆく涙をずびずびと啜った。
「わたしっ、キャロルさんの顔に泥を塗って、すごく迷惑かけたのに、キャロルさん、わざわざ、私の好きなもの持ってきてくれてっ、どうして怒らないんですか……っ?」
「どうしてって……。私が忙しそうにしてたから、少しでも助けになればと思って行動してくれたんだろう? 迷惑だなんて思ってないし、無事だっただけで嬉しいよ」
キャロルはあっけらかんと続ける。
「それに、一緒に旅をするって約束したじゃないか。置いていくなんて卑怯だぞ、エリカ。勝手に行かれちゃったら、私には追いかけるしか方法がないよ」
エリカは涙を堪えようと、歯を食いしばる。
「あれ? そういえば、地下墓地の時と立場が逆になってしまったな。これじゃあ私が置いて行かれた方じゃないか……」
ついにエリカは堪えきれず、よよと泣き始めてしまった。
「キャロルさん、ごめんなさい〜〜っ。え〜〜〜んっ」
それで、キャロルはからりと笑って抱擁した。
「私のためにこんなに遠くまで来てくれて、ありがとうエリカ」
フレデリックは2人の姿に微笑んで、香辛料を擦り潰すための薬研を取りに、部屋を後にした。
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