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回顧(後)


 昇降機の上でエリカは胸元に手をやり、刻まれた呪いの印に触れた。いつにも増してそれが熱く火照(ほて)るのは、やはり邪竜が近いからか。


 がこんと大きな音と振動があって、下層に着く。エリカは錆びた鉄格子の(じょう)を剣の柄頭(つかがしら)で壊し、降り立つ。


 ひどく暗い下層である。風など無いのに、提燈(ランタン)の灯りが揺れる。


 細い道の先、焦げた臭いがする。よく見ると、かさかさとして真っ黒な亡骸が8つ、団子のように丸められている。管理小屋にあった死骸よりも異様な姿の亡骸。おそらく、焼死体。


 ……わからない。はっきりとはわからないが。呪いに使用されたと聞く、フォルダン家が雇った冒険者かもしれないと、エリカは直観的に思った。


 その亡骸の奥から、異様な気配を感じる。それが邪竜によるものなのか、はたまた別の何かが潜んでいるのか、エリカには分からない。意を決して一歩進むと、奥から声が聞こえた。


「エリカ……」


 自分を呼ぶ声だ。暗がりから、誰かが出てくる。エリカは『こんな所に人がいるわけがない』と思いながら、剣を抜く。


 闇から現れたのは、女だった。提燈(ランタン)の僅かな光を受ける美しい白銀の髪と、整った顔立ちに、暖かな微笑み。気品のあるマンチュアと、この場に似つかわしくない、香油と紅茶の香り。


 エリカ・フォルダンの瞳がじわりと広がっていく。より、光を吸収し、その姿を焼き付けるために。


「お母様……?」


「大きくなったのね」


 その姿は紛れもなくエリカの母、マイア・フォルダンそのものであった。


 無意識だった。エリカは母の元へ、もう一歩踏み出した。


 すると、長靴(ブーツ)に伝わって来たのは、柔らかな芝の感触。あるはずの無い風が爽やかに吹き、豊かな土の匂いを運んできた。


「え……?」


 不思議に思って足元を見ると、確かに芝である。目線を上げると、空に青空が広がっている。


「巣箱が壊れてしまったみたい」


 目の前には鳥の巣箱を前に、困った顔をしている母。


駒鳥(こまどり)が来てくれる前に直したいわね……」


 エリカはそれを、呆然と見つめる。


(そうだ。私は、お母様と巣箱を直そうとして──)


 エリカは気がつく。この光景はマイア・フォルダンが黒い血を吹き出す数瞬前のこと。


「でも、どこから手をつければ良いのかしら?」


 母が巣箱に触れる。エリカの記憶ではその瞬間、マイアが血を吹き出すはずだ。急に腹を抱えて、咳き込むように、ごほり、ごほり、と血を吐く。


「──いやだッ‼︎ お母様……‼︎」


 エリカが思わず叫ぶと、マイアはきょとんとした顔でエリカを見た。


「どうしたのエリカ……。そんな大声出して……」


 エリカは反射的に閉じてしまった目を開ける。そこには、当然のように母が立っている。


「え……? いや……。な、何でも……、ありま、せん……」


 しばらく呆然と立ち尽くしたエリカをマイアが笑った。


□□


 ガーデンテーブルで、マイアはエリカの為にチョコレートを()れた。


「風が出ると、少し寒いわね」


 手渡されるチョコレートに己の姿が映った。そこには、10歳の幼い自分が浮かんでいた。それを見て、違和感を覚える。覚えるのだが──。


「……お母様。私、とっても悪い夢を見ていたみたい」


 エリカの違和感は安心で塗り替えられた。


「悪い夢?」


 マイアはそう言ってくしゃみをした。続いて、鼻の下を指で擦る。貴族にしてははしたない所作であるが、それがエリカの母マイア・フォルダンであった。


「悪い竜に呪いをかけられて、みんな死んでしまうの」


 エリカは続ける。


「私は(かたき)を討とうと頑張って、それで……。それで、どうだったんだっけ……?」


 マイアは困ったように笑いながら、エリカの頭を撫でた。


「心配しなくても大丈夫。誰もエリカの前からいなくならないわ」


 言われて、ツンと鼻の奥に刺激があった。夢の中の出来事のはずなのに、その言葉で救われた気がして、それで、堪えようとした涙がぽろぽろと流れ落ちた。


「少し休憩したら木の板を切らなきゃね。それとも、旦那様が帰って来るのを待ったほうがいいかしら?」


(そうだ。そうだった。お母様の周りにはいつもトラブルがあって、困ったように笑いながら、すぐに旦那様を待つって言って……。その度に私も笑っている。それが、明日も明後日も、ずっとずっと続いていくんだ)


 エリカは流れる涙を拭わない。そして微かに残る違和感でさえ、確かめるようにして自分で塗りつぶしていく。


(──やっぱり、私はずっとここに居たんだ)


 エリカはじっとマイアを見て、言う。


「本当に……、いなくならない……?」


 繰り返す。


「本当に、いなくならない?」


 本当は何度だって繰り返し聞きたい。


「ふふっ。変なこと言ってないで飲みなさい。冷めるわよ」


 そこには、確かな母の姿があった。きっと大丈夫だ。自分はこれからも、ずっとずっと、ここに居て良い。悪い夢は終わった。


「──うん」


 エリカはカップに口をつける。口の中に、優しいチョコレートの風味が広がる。


「……美味しい」


 エリカは動きを止める。


「……」


 ついさっき、同じ言葉を発した気がした。


「──良かった」


 そう思うと、ふとリトル・キャロルの声が聞こえた。


□□


 エリカはキャロルの声から、とある日の会話を思い出した。


 夜、日を(また)いだ頃合いだったろうか。あれは、兵舎だ。装備に使われている古い革の臭いがしていた。己の前で、キャロルが椅子に座り、淡々と話している。


「竜を普通の魔物だと思わない方が良い。ヤツらは(さか)しい。卑怯な手段を悪びれもなく使ってくる」


「卑怯な手段というと……」


「様々だよ。人間は感情の動物だから、その人に合った罠を張るんだ」


 キャロルは竜についての記述書をエリカに見せながら、続ける。


「魔息を吐く竜に関しては、体内にガスを溜め込む。そいつは神経にも効く」


「幻想を見せられるんですか?」


「本人が幻想を見せられていると気がつければ良いがな」


 要するにキャロルが言いたいのは、対処が難しいということだ。


「もし、感情を揺さぶられたら……。その時は、心を殺して目の前のそれを斬るんだ。たとえ、どんな恐ろしい相手でも、どんな大切な人でも。躊躇するかも知れないが、すぐに決断しないと死ぬぞ」


 キャロルはエリカの目をじっと見て、こう続けた。


「──ヤツらは合理的にかつ残虐に人間を狩る」


□□


 17歳のエリカ・フォルダンは、マイアの腹を黒い剣で突き刺した。


「え……?」


 マイアの口から真っ赤な血が、ごぼりと漏れて出る。


「ハァハァ……‼︎」


 息を荒げるエリカの目からは、涙がさらさらととめどなく溢れていた。


「うわああああああッ‼︎」


 そしてエリカは剣を捻り、傷口を広げてから、マイアを蹴り倒した。エリカにとって、その所作の一つ一つは、ひどく重く動かしにくいものだった。声を上げなければ、とても動かすことなど出来なかったのだ。


「エ、エリカ……、どうして……?」


 エリカはその問いに答えることなく、マイアの腹を全力で踏み抜いた。マイアは吐瀉物(としゃぶつ)と血の混じったものを吐き散らす。──竜は意図的に大切な人間の無惨な姿を見せて、精神を壊そうとする。


「絶対に──」


 エリカはさらにマイアの顔面を全力で踏み抜いた。


「絶対にゆるさない……ッ‼︎」


 マイアの体は海老反(えびぞ)りとなって激しく痙攣(けいれん)し、人間の動きをやめている。


「ふざけるなッ‼︎ ふざけるな、卑怯者ッ‼︎ 貴様は二度もお母様を殺すのかッ‼︎ 畜生(ちくしょう)風情が調子に乗ってッ‼︎ 八つ裂きにしてやるッ‼︎ 私が百回でも千回でも貴様を殺してやるッ‼︎」


 突如、芝が盛り上がり、(うろこ)に覆われた巨大な手が現る。エリカは全身を掴まれ、地中に引き摺り込まれた。


 地面が崩壊して、さらに下層。広い空間に、黒い四足竜がいる。邪竜ヨナスである。


 エリカは掴まれたまま動けない。竜の鋭い爪は、エリカの右腕に深く食い込んでいる。


『ギャアアアアアアアアッ‼︎』


 邪竜は動けないエリカに強烈な雄叫びを浴びせた。これは、殆ど意味のない行為である。邪竜は失意のエリカの前で恐怖を(あお)り、良い気分で遊んでいるのだ。


「笑っているの?」


 だが、エリカの目は死んでいない。死んでいないどころか、怒りで血走らせている。


 エリカは、邪竜の指の隙間から腕を出し、ボウガンで矢を連射した。矢は邪竜の顔面に直撃し、爆発する。火薬弾だった。熱されてキラキラと赤く発光する鱗が、粉塵(ふんじん)のように広がっていく。


 エリカは爆発で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。爪で右腕を深く抉られ、血が吹き出している。


『ギャアアアアッ‼︎』


 邪竜は無数に枝分かれをした細く長い尾を()いで、倒れたエリカに襲いかかった。


 しかしエリカは素早く避けて防火外套(マント)を被り、シェンヴァンの火炎放射器を使って、あたり一面を火の海にした。幾十の尾が焼ける。炎は壁から滲む可燃性のガスに燃え移る。炎の坑内が邪竜の姿を明らかにする。


 黒い鱗に覆われた体に、巨大な翼。前足には鋭い爪があり、(つや)のある尾は幾つにも細かく分裂していて、触手の如く自由に操れるようだ。目は黄色く、歯は鋭く尖っている。立派な巻き角は乱れて重なり不格好である。


 炎が空気を取り込み、巻き上げるような気流が発生する中で、エリカは怪我をした右腕を止血帯で手早く処置した。そして流れるように、キャロルが調合した神経毒の瓶を指に挟み、矢の先端を漬ける。


「絶対に殺す。逃がさない」


 眩い光の炎が逆向きの滝になって昇る最中(さなか)、エリカは強烈な殺意を込めて竜を睨んだ。


 満足に動くのに必要な酸素が無くなるまでに、この下劣な畜生を片付ける。難しいようであれば、竜を道連れに死ぬ。──その瞳には、呪いとも取れる覚悟が込められていた。


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