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影武者


 正教会の象徴(シンボル)として建造された聖塔、神門(ポルタ)の4階には、水の聖女──の影武者ヴェラ・ウルフに用意された書院(しょいん)が存在した。ヴェラは机に向かい、一冊の本を開いてそれを複写している。そして切りが良いところまで写し終えると、ため息を漏らして自らの肩を揉んだ。


「このようなことは意味があるのでしょうか」


 如何(いか)にも不満そうにヴェラは続ける。


「つまらない詩集です。愚痴が連ねてあるだけで、たま〜に調子がいい時は、やれ鳥が可愛いだの、やれ川が冷たいだのとキャッキャと(はしゃ)いじゃいるが、大概は政治の文句と他人の悪口じゃないですか。やるんだったらもっと面白いもん書き写そうぜ。竜と戦うみたいなのが良いよ」


 複写するのは『ケネス・ワットの懐古詩(かいこし)』と名付けられた詩集である。約500年前に書かれたもので、内容としては故郷の自然と人脈を懐かしむものである。カレドニアではそれなりに名の知れた本であり、当時の世論(よろん)や風俗についての批判が高い解像度で語られている為に評価が高い。


「そのような事を言うものではありません」


 教育係ビスター伯爵(はくしゃく)夫人メアリが、杖でヴェラの背中をぱしんと叩いた。


「いてぇ!」


「あなたはまだ文字に慣れていない。頻繁(ひんぱん)に読み間違えますし、知らぬ言葉もたんとお有りです。見なさい、あなたの手写本(しゅしゃほん)を」


 ヴェラが書き写した本をメアリが(めく)る。赤字だらけである。今日までに散々この本を書き写してきたわけだが、文字が鏡写しになっていたり、品詞(ひんし)が飛んでいたりで、ひどい有様であった。その(たび)にメアリが赤い印気(インキ)で修正していくわけだが、殆ど赤塗りの本となっている。


自惚(うぬぼ)れず、この世で最も愚かなる乙女だと思って励みなさい」


 そしてメアリは筆をとり、また赤い印気で手直しをしていく。


 ヴェラは文盲(もんもう)であった。簡単な文字の読み書きも(まま)ならぬ。メアリも根気良く教えてはいるものの、本人がやる気がある時はしっかり従ってくれるのだが、まあ、(ムラ)がある。


「それから、本を通じて物事に触れることで身につく教養(きょうよう)もありましょう。曲がりなりにも聖女としてここにいるのですから、御器量(ごきりょう)を身につけ、聖人となるべく精進(しょうじん)なされませ」


 そしてメアリは今し方書いたばかりの写しを返す。やはり真っ赤になってしまったので、ヴェラはうんざりした顔でそれを手に取った。


「お言葉(づか)いもしゃんとして下さいまし。油断が過ぎますよ」


 ヴェラは『失礼致しました』と答え、再び筆を取った。メアリの小言に言い返すと2倍3倍の小言が返ってくるので、避けられる面倒は避けることにした。やれやれ、小言八百(こごとはっぴゃく)愚痴千粒(ぐちせんつぶ)


 そしてヴェラが欠伸(あくび)を噛み殺すのに失敗した時、こんこんと扉を叩く音が鳴った。メアリが杖をつきながら扉に向かい、ゆっくりと開ける。


「あら、アリス。何用ですか」


 そこに立っていたのは正教軍士官の軍服を身に(まと)った、珊瑚(さんご)色の髪の美女であった。切れ長の目に涼やかな顔つき、名をアリス・ミルズと言う。元第五聖女隊所属で階級は中将。鶺鴒一揆(せきれいいっき)の混乱に乗じて王都王城を手中に収めた将の1人であるが、現在は兵を率いて神門を警備している。


「聖女のお姿を民にお見せするのですね。黒死病(ペスト)の猛威、益々(ますます)盛んと聞きます。あなた達もお気をつけなさい」


 アリスはヴェラの舵取(かじと)りを行う。ヴェラは海聖の影武者。(ゆえ)に正教軍の完全な管理下にある。教皇の沙汰(さた)をアリスが伝える形で、ヴェラは説法を行って来た。


 病に(あえ)ぐ民たちは聖女の威光(いこう)を求めている。聖女が面前に出てくるだけで、民は救われる。メアリが思うに、(さいわ)いにしてヴェラは人前で話す事は得意なようである。中々に良い説法をするし、それがあるから王都の民は希望を持ち続けている。


 さて、次の説法は何処でやるのだろう。施療院(せりょういん)? それとも広場? 嘴面(ペストマスク)を用意するべきか。そう考えながらアリスが答えを言うのを待ったが──。


「いや、それが。(おそ)れながら、別儀(べつぎ)の件で参りました」


 アリスは廊下の方をチラリと見遣(みや)り、誰もいない事を確認して、メアリにもう半歩だけ近寄った。


「今から申し上げることは、どうぞご内密に」


 メアリは(いぶか)しみながらも、頷く。


「──国王御謀反(ごむほん)


 一瞬、僻耳(ひがみみ)とばかりに思って妙な間が生まれた。


「何ですって……? ()(まこと)ですか」


「確かにございます」


「なんと。戦を起こしたばかりではありませんか」


 メアリは焦りを(こら)えながら窓に寄り、街の様子を見た。灰色の空の下、嘴面(ペストマスク)を装着した薬師(くすし)や冒険者たちが闊歩(かっぽ)し、人数(ひとかず)は少ない。異変はないように見えるが……。


「理由はなんですか。勝算はおありなのですか。これ以上に世を混乱させて何の得になると言うのですか」


「理由は多くありましょう。特に、我々正教軍は禁中(きんちゅう)に足を踏み入れました」


 正教軍は簒奪者(さんだつしゃ)エリックから王城を取り戻すという名目で城内に討ち入り、その後は後継争いを防ぐという名目で占拠(せんきょ)した。王の面目が立たない状況が続いている。


「確かに国王アンドルーのご機嫌(よろ)しからざる事は聞き及んでおります。しかも暴食の限りを尽くし、お太りあそばせたとか。酒腹(さかばら)が出て服が体を通らぬとも」


 アンドルーは亡きアルベルト2世の次男。第一王子エリックが討たれた事で国王となった。そのアンドルーが兵を()げたのが本当なのであれば、正教軍を王都から追い出すのが目的──、いや、まさか討ち倒そうなどとは思ってはいないか。そうだとしたら無鉄砲(むてっぽう)が過ぎよう。


 メアリは不安げな様子で、窓の外、王城を見つめている。国王が正教軍を叩くというのなら、聖女は敵という事になる。噂に聞く『魔弾』とやらを持っていたとしたらば、厄介至極(やっかいしごく)。場合によっては鶺鴒一揆(せきれいいっき)の続きが起きる。


 ヴェラは()くまで影武者だから魔弾云々(うんぬん)は関係ないが、当然ながら聖女よりは力が(おと)る。兵に囲まれれば抜け出すことは(あた)わない。


「アリス。国王の兵力は如何(いか)程でしょう」


「まず翊衛(よくえい)軍が二(りょ)1000人。それ以上のことは何とも」


 翊衛軍(よくえいぐん)とは宮廷魔術師で構成された軍隊である。鶺鴒一揆(せきれいいっき)では第一王子エリックには共鳴せず、王都に(こも)った。正教軍が王城を占拠するに当たって、一部の隊が協力したとも言われる。言ってしまえば正教軍の味方の(はず)だった。


 メアリは言う。


「まずはヴェラの身の安全が第一。教皇の沙汰(さた)を待つ前に、今すぐにでも王都から逃げ出しましょう。2度も聖女が梟首(きょうしゅ)となれば、流石の民も気づきます。正教会の威信に関わる」


「しかし、聖女がみだりに動けば、かえって民の不安を(あお)ります。まずは教皇のご沙汰を」


「果たして模様を見る(いとま)がありましょうか」


 メアリは思い出したかのようにハッと顔を上げる。


「空聖ローズマリーの御所感(ごしょかん)は」


「ここに来る前に、まずは空聖の下に寄りましたが──」


 突如(とつじょ)、部屋の外から群れる足音が聞こえた。異様(いよう)、アリスは腰の剣に手を添える。


 扉が開けられ、翊衛軍(よくえいぐん)の軍服を(まと)った将が入って来た。背後には銃兵が4人、魔術兵が6人。銃兵は(ただ)ちにアリスに発砲。1発を居合(いあい)で弾を斬って()らしたが、2発を腹に受け、倒れる。


「……なんて事を!」


 メアリは目を丸くして呆然(ぼうぜん)とした。


 その黒髪の(しょう)は威儀を正して、メアリの前まで歩み寄った。そして右手で十字を切ってから顔の前で長劔(サーベル)を立て(さや)にしまう。刀礼(とうれい)である。


「ビスター伯爵夫人。ご拝顔(はいがん)の栄に(よく)し、恐悦至極(きょうえつしごく)に存じます。私は翊衛軍(よくえいぐん)中将、クラーク・エジャートンと申す」


 メアリは王都の貴族である。今は亡き伴侶(はんりょ)のビスター伯爵は王家の家臣で禁軍文官であった。それ故に丁重(ていちょう)な扱いを受けたわけだが、銃兵の持つ前装式銃(マスケット)の銃口は(そう)じてメアリの体に向けられていた。


「クラークと申しましたね。何故、軍人如きが聖女の座す所に(ゆる)しもなく足を踏み入れるのですか。信心が足りません。お控えなさい!」


「非常時(ゆえ)、ご寛恕(かんじょ)(たま)りたく存じます。また、伯爵夫人には(べっ)してお願いの()がございまする」


 覚悟を宿した眼差しで、クラークは続ける。


「海聖をこちらにお預け願います」


「何を(たわ)けたことを。老いぼれなら剣で黙らせられると思っているのでしょうが、私を誰だとお思いか」


 メアリはとんと杖で床を叩いた。すると彼女の体からは強烈な魔力が(ほとばし)り、風が舞った。無詠唱、部屋の中にある全ての剣や短剣が浮遊(ふゆう)した。これらには小さく呪文が書かれており、メアリの意のままに操れるようになっている。


「私には前王アルベルト2世の信を得て、元は翊衛軍(よくえいぐん)の大将の1人としてお(つか)えした誇りが御座います。狼藉者(ろうぜきもの)に屈するものですか。少しでも動いてみなさい、あなたの肉を削ぎ落としますよ」


 クラークは不敵に笑う。


「何か勘違いをなさっている。我々は聖女の味方にございます」


「……味方?」


 そのクラークの余裕溢れる笑みを見て、手負いのアリスは剣を抜き、切り掛かった。だがクラークは長劔(サーベル)でそれを払い、次いで腹に刃を差し込む。


「女が生意気にもよく動く。アリス・ミルズ。元は第五聖女隊に属して輝聖の恩恵(おんけい)を受けておきながら、輝聖を存在しないと(のたま)うなど不届千万(ふとどきせんばん)。特に貴様は輝聖を嫌っていたと聞くぞ」


 アリスは(あぶく)の血を()き出した。胃袋を貫かれたらしかった。呼吸もままならない。


「存分に苦しめ、女」


 そしてアリスを盾にする。これでメアリが攻撃を仕掛ける事もできない。


「宜しいですか、お聞きください伯爵夫人。我が主人の目的はただ1つ。──輝聖の存在を原典から(はい)した正教会に鉄槌(てっつい)を下し、傀儡(くぐつ)となった聖女達をお救いすること」


「……何? 鶺鴒一揆(せきれいいっき)で聖女を抹殺(まっさつ)しようとしながら、なんと太々(ふてぶて)しいことか! 恥を知りなさい!」


「勘違いなさらないで頂きたい。元より翊衛軍(よくえいぐん)は、第一王子エリックの聖女抹殺には異を唱えていました。我々は瘴気のない世界を実現させることに尽くしたいのです」


 メアリも教皇が(おおやけ)にした原典の内容には疑問を持っている。輝聖の記述がないなど、()ぐには飲み込めなかった。だが、前教皇クリストフ5世が輝聖を庇護(ひご)して政戦に利用しようとしているという噂もあるから、何が正しくて何が間違っているのか良くわからない。


 そこで、メアリは(ひらめ)く。──まさか、国王は大白亜派に(そそのか)された?


「お(だま)りなさい。どのような(こころざし)があろうとも、謀反などという下劣(げれつ)極まりない行為に(すが)っている時点で、(およ)そ真に国を(うれ)いているとは思えません。物事には順序というものが──」


「謀反ですか」


 クラークは残念そうに続ける。


()(あら)ず。もとより王都王城は王家のものに御座います。元翊衛軍(よくえいぐん)の将ともあろうお方が、我々に対し謀反などという言葉を口走ってはならない」


 言った瞬間、銃兵がヴェラに向けて発砲した。ヴェラは隠していた短剣で戦おうと、少しばかり動いてしまったから。そして、ヴェラは腹を押さえながら倒れる。真っ赤な血が(にじ)んでいく。


「なんてことをっ……!」


 メアリは目を見開いて驚いた。


「ご心配なさらず。救世を成していただくため、我が軍が責任を持って、後程(のちほど)手当てをさせて頂きとう存じます」


「お退()きなさいっ!」


 メアリは杖をつき、ヴェラに近寄ろうとする。銃兵の1人がメアリに対して発砲しようと銃を構えた。その瞬間、男は宙に浮く剣と短剣30本に全身を刺されて倒れた。雲丹(うに)のようになって四方八方に血煙(ちけむり)を噴く。


「動くな! ()が無くては危険だ!」


 アリスを盾にしているクラーク以外は問答無用で標的(ひょうてき)となる。雲丹となった仲間を見て、他の兵は恐れて惴惴(ずいずい)とした。


 メアリは倒れ伏したヴェラの側でしゃがむ。ヴェラは聖女ではない。弾の1発でも当たれば、致命傷となる。……不味い、クラークがアリスを盾にしながら近寄ってくる。急いで回復魔法を施さなくては、影武者である事が露見(ろけん)して、さらに立場を悪くする。


 傷口に手を添えて呪文を唱えようとした時、その右手首をヴェラにぐっと掴まれた。まるで『やめろ』と言うように、力強く。メアリは不思議に思ってヴェラの顔を見る。すると片目をパチリと(またた)いたので、メアリはそれで気がつく。


(──血ではなく、赤い印気(インキ)?)


 どうやら傷を負っていないらしい。確かに椅子を見ると、青い弾丸が()り込んでいた。先の兵は狙いを外したのだ。


 ヴェラが(ささや)く。


「私は頭が悪ぃから、輝聖がどうとか教皇がどうとかはピンとこねえ。ただ、戦をおっぱじめちゃならん事だけは理解してるつもりさ。──偽物でも私は聖女だ。世のため人のために働くよ」


「ヴェラ、あなた。この瞬間を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていたのね……? なんて無茶な」


「盗賊の私にとっちゃ(から)め手から攻めるのは常識だ。大人しく捕まって、油断したところで首を取ってやるよ。アンタは長生きしな、婆さん」


 メアリは機転を効かせ、大地の魔法で鉄粉を生み出し、赤い印気(インキ)に臭いを付着させた。

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