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 キャロルは本から目を離し、半ば(にら)むような形でヒューバートを見た。


「封印ではなく、捕縛?」


「次の(ページ)(めく)っては貰えないか」


 捲ると、その頁には真っ赤な(しずく)が描かれていた。


 雫の中には人生の円環(えんかん)(すなわ)ちこの世に生まれ落ち、成長し、成熟して、老いて、死ぬ事の流れが(しる)される。そして赤い雫の下には『血は我々が抱える全ての問題を解決する』と書かれていた。


 キャロルはそれの意味する事を理解した。


「つまり不死鳥の血を飲めば、不老不死となる。そういう事か、閣下(かっか)


「ご明察。俺は不死鳥の血が欲しい」


「なぜ、不老不死となりたい」


 ヒューバートは勝気な笑みを浮かべ、煙を吐き出した。


浪漫(ろまん)だよ! 老いと死から逸脱(いつだつ)すれば、永遠の時を生きる事が出来るんだ。それは富と権力では手に入らん。国中探したって、戦を起こしたって、手に入らない。神の(しずく)だ!」


 目に圧を宿して、ヒューバートは問う。


「どうだ不老不死だぞ。興味がないのか、リトル・キャロル」


傲慢(ごうまん)だな」


 キャロルは即答した。


「不死鳥は第三聖女隊を敗走させている。並の魔物じゃない。封印して無力化するのなら分かるが、捕縛とならば犠牲も多くなるだろう」


「俺は失敗を恐れない。たとえ危険であろうと手にしてみせる。俺自らも血を流さねば、この唯一無二の権威(ステータス)は手に入らんさ」


「お前だけが死ぬなら良い。だが()()に付き合わされる領軍の兵どもはどうなる」


「男たるもの、時にはそういう強引さも必要だ。──それに神は鳥の姿で現れると言う。俺には不死鳥の出現に、神の意思を感じるがね」


 キャロルはぴくりと反応した。


「正教会は光の聖女を持て(あま)している。このままでは国は瘴気に飲まれて人は滅ぶ。だから神は不死鳥を(つか)わし、こう言った。『不死の存在となり、瘴気の中で生きろ』と。どう思う、リトル・キャロル」


 問うも反応がないので、続けた。


「俺には夢があってね」


「夢……?」


「瘴気の中を旅するんだよ。果たしてそこには何がある? 永遠の砂漠が広がってるのか? 魔物が蔓延(はびこ)っているのか? もしや黄金卿(おうごんきょう)があるかもな。だが、この鳥籠(とりかご)の世界で生きている限りは何もわかりやしない。俺はその先に行きたい」


 瘴気の中を旅する。


 その言葉を聞いてキャロルは思い出す。学園の巨大な図書館、真っ白な螺旋階段(らせんかいだん)を上り、比較的新しい本の並ぶ棚へ寄り、梯子(はしご)を登って目当ての本を手にした。それは『ギ・マチスの旅行記』という本で、阿呆(あほう)の主人公が繰り広げる面白おかしい冒険譚(ぼうけんたん)だった。マリアベルが読んだ事があると言ったから、読んでみたかった。


 梯子(はしご)を降りると、離れた場所から眼鏡(グラス)を掛けた少女がじっとキャロルを見ていた。北方(ほっぽう)から来た聖女候補、ローズマリー・ヴァン=ローゼスだった。


 だから、キャロルは初めてローズマリーに話しかけた。ローズマリーは誰とも会話をしようとないし、(ろう)ではないかとも噂されていたから、(ほの)かな勇気を持って(こころ)みた。──この本が好き?


「どうした」


 ヒューバートの声で、キャロルは我に帰る。


「失敬。ただ、少し昔のことを思い出した」


「昔のこと?」


閣下(かっか)は『ギ・マチスの旅行記』という小説があるのは知っているか?」


「いや……」


「覚えておくと良い。それなりに有名な本だ。もっとも、私は知らなかったのだけれど」


 キャロルは再び煙草に火をつけた。


「ギ・マチスは知恵遅れだ。人から馬鹿にされても笑顔で暮らしたが、利口(りこう)になりたいという夢はあった。だから『百の知識を授かる』と言われるシャムル川の水を飲むために旅に出た。時に魔物を(ほふ)りながら、時に戦争で武功(ぶこう)を立てながら、王国の難所を越えてゆく。やがて瘴気の中を行き、奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な手段で危機を潜り抜け、ついに夢叶い、シャムル川を見つけて知恵を授かる」


 吸い口を指を叩き、灰を落とす。


「ギ・マチスは知識を得た。そして白痴(はくち)は決して治らぬ事を知り、川に身を投げて死ぬ。これでこの話は(しま)いだ」


□□


 キャロルが『ギ・マチスの旅行記』を手にしている間、ローズマリーは口を開いた。


 その事は2人だけの秘密だった。だが『秘密にしよう』と約束した訳ではない。ローズマリーは他の人とは会話をしないし、図書館でも人の気配がすればキャロルには近寄らない。キャロルもわざわざそれを他人に言いふらす性格でもなかった。ただ2人の間で、何となく(ゆる)やかに、秘密が形成された。


 と言っても大それた会話がある訳ではなかった。どの本が面白いか、どの教師の話が分かりやすいか。剣や槍の手入れの方法。筋力がつく食事、魔力を高める姿勢。栄養を効率よく吸収するには、1日の食事を何回に分けて食べれば良いか。……今思えば雑談らしい雑談はしなかった気がする。どんな話題にせよ、授業や鍛錬に絡む事だった。


 と言うより、もしかしたらローズマリーは()のない話を避けていたのかも知れない。友情を発展させたくなかったのだろうと思う。仲良くなりたいけど、仲良くなりたくない。まるで、何かを恐れているようだった。


 幾つかの忘れらない瞬間がある。


 春の夕焼けが菜園を赤く染めていた。一角に実ったばかりの苺が照り輝いていた。ローズマリーは菜園で呆然と立ち尽くし、苺を見ていた。周囲には誰もいない。偶々(たまたま)菜園を通りかかったキャロルは、妙な様子のローズマリーを気にして、ちらりと顔を覗き込んだ。


 ローズマリーは憎しみや悲しみの入り混じった碧玉(ジャスパー)の瞳で、キャロルを見返した。そして言った。唐突であった。


(おぼ)れる夢を見るの。上も下も分からない、暗くて冷たい海の底。(もが)こうとしても体がしばれて動けない。私は死んで、体が腐って膨れて、岸に辿り着く。それを()()()()()()()()()()()()が見ている。ぽっかりと空いた穴のような瞳で、禿げて膨れた私を見ている』


 乗馬場が近かったから、馬たちの爪音(つまおと)が聞こえていた。


『そして私は苺を狩り続ける。終わらない春の中で、墓場鳥(ナイチンゲール)の歌を聞きながら、たった独り。永遠に』


 キャロルはローズマリーの手を握った。ひどく冷たかったし、震えていた。


『──キャロルさんは、普段どんな夢を見るの?』


 その日からローズマリーは、8日ほど学業を休んだ。


 ローズマリー・ヴァン=ローゼスは優れた乙女である。特に回復魔法や防護魔法は便法(べんぽう)を心得ており、(みぎわ)(まさ)るものがあった。体術や剣術にも()け、占星術(せんせいじゅつ)、薬学も確かな実力だった。キャロルが思うに、ローズマリーは聖女の内で最も優れた基礎能力を持っている。


 そのローズマリーを負かしたのが不死鳥フェニックスである。だからキャロルは不死鳥を捕えるという話を、一旦は保留した。()しんば神が人に不死を授けようとしていたとて即答はできなかった。


 ヒューバートは言った。


「実際のところ神は何と言っている? 口無しか?」


 結局、この男は終始冷笑的(シニカル)な態度であった。


「あなたは神と対話をしたことがお()りか。それとも、神の考えていることも分からんままで聖女をやっているのか?」


 中々に鋭い質問。寸鉄(すんてつ)人を刺すとはこの事、自分の(いた)らなさを突きつけられた気分だった。後口(あとくち)が悪い。


 茶会を終え、キャロルは屋敷の一室に通された。別れの際にエリカに会いに行くかどうかを問われたが、後日施療院(せりょういん)(おもむ)く事とした。本当は早く会いたいが、少し内省(ないせい)の時間を取らねばならないと思った。まあ、フレデリック・ミラーがエリカの側についていて、話を聞くに怪我も順調に回復しているようだから、良いだろう。焦がれる程に会話をしたいが、お預けとした。


 そしてリトル・キャロルは(ポーション)を作った。


 1つは麻黄(まおう)と幾つかの植物から作る水薬(ポーション)。これは鼻詰まりを改善する薬であるが、極端な調合をすれば一種の強壮剤(きょうそうざい)となる。精神を刺激して強制的に興奮状態にするため、(あら)ゆる事に敏感になるのだ。つまりは覚醒剤(かくせいざい)であった。


 もう1つは曼陀羅華(まんだらげ)を使用した不整脈(ふせいみゃく)(しず)める水薬(ポーション)。副作用として強烈な譫妄(せんもう)の症状が出る。


 以上2つの薬を作った後、消毒用に普段持ち歩いている醇酒(どぶろく)を手に、出来るだけ霊が溜まるような場所へ行く。キャロルが選んだのはニューカッスルの北に位置する、処刑場であった。


 真夜中の処刑場、(からす)が飛び交っていた。竿に高く掲げられているのは罪人。竿は59本。四肢(しし)の骨を砕かれて、車輪に(くく)り付けられ、梟示(きょうじ)されている。これは通称、車輪刑と呼ばれた。


 彼らはモラン卿に(つか)えた騎士とその家族で、特に程度の悪いとされた者たちであった。民から搾取し、時に面白半分で民を(なじ)るなどした報いを受けた。豪華絢爛(ごうかけんらん)な装いは剥がされ、たっぷりついた贅肉(せいにく)(ろう)のようになって、虚しく晒されている。


 闇に溶けた鴉たちは罪人の肉を(ついば)んでいる。時折強風が吹くと、きいきいと音を立てて車輪と死体がゆっくりと回り、鴉が逃げた。その側で、翩翻(へんぽん)(ひるがえ)る領旗が勇ましく正義を主張している。


 キャロルは倒木に腰掛け、曼陀羅華(まんだらげ)の薬を飲み干す。それからキャロルは短剣で手首を切り、麻黄(まおう)の薬を口に含み、体内に注入した。そして最後に醇酒(どぶろく)を飲み干し、静かに目を閉じて怨霊(おんりょう)に身を委ねる。つまり現世(うつしよ)隠世(かくりよ)との境を曖昧にし、精神をより不安定にした。


 ──キャロルは神と対話を試みることにした。


 考えが正しければ、神は精神が乱れた時に現れる。


 初めて神の声を聞いたのは己が輝聖だと知った時。

 そこから(うっす)らと歌が降りてくる日もあったり、そうでなかったりもした。

 次に明確に神の意思を感じたのは獅子侯(ししこう)を追っていた際で、メリッサの目論見(もくろみ)に勘づいた時であった。

 そして最近では、エリカが大白亜にいない事が分かった時。神は明確にその姿を(さら)け出した。 

 神が存在を主張する時、精神は乱れていた。あまり顔に出ない性分(しょうぶん)だから他人には気づかれてないかも知れない。だが、心は(せわ)しく揺れ動き、己の鼓動が耳に届いていた。


 私以外にも神の存在を認識した者もいる。だがやはり、その誰もが精神を乱されていたのだと思う。

 クリストフ五世はあんな風ではあるが、酒の毒で精神が蝕まれている事は確実。

 ジャック・ターナーは獄中生活で疲弊(ひへい)していた。毛が白くなっている所を見れば、病んでいるのは確実。

 巫女のアンと衛兵は、雷と燃える倒木、室内に吹き付ける雨風に動揺していた。アンは霊感があるから敏感だし、衛兵のことは会話した事がないから分からないが、大白亜のような霊場(れいば)に常時身を置けば神秘に触れ得る。


 他の聖女も神の姿を見たのだろうか。

 元々不安定な所のあるマリアベルやニスモは、既に神と対話が出来ているかも知れない。もはや知らぬ仲ではないのかも。

 メリッサは(しん)のある女だから、神を寄せ付けない可能性もある。

 そして、ローズマリーはどうだろう。()くまで憶測(おくそく)ではあるのだが、あの病んだ瞳で神の姿を捉えているのかも知れない。


 まあ、何でも良い。

 あのいけ好かない神に会い、問うのだ。

 不死鳥はお前が(つか)わしたのか。

 人に不老不死を与えようとしているのか。

 聖女もまた不老不死になりつつあるが、何か関係しているのか。もしくは無関係か。まさか、全ての人間を聖女にしたいと()かすのではないだろうな。

 そして、私たち聖女の行き着く先には何がある。


 神は何者だ。

 何がしたい。

 わからない。

 何もわからなくなってきた。

 どうやら思うより薬が効いているらしい。

 気合を入れて強く作り過ぎたか。

 それとも醇酒(どぶろく)が発酵しすぎていたか。

 まあ、酒は結構前に作ったから、

 それもあるだろう。


 吐き気がする。

 不味い。

 やりすぎた。

 頭痛もする。

 良くない。

 手足も痺れてきた。

 眠い。

 寒気もする。


 夜の(しじま)に、時を告げる鐘の音。

 こんな真夜中に?

 南から亡霊が囁いている。

『薔薇は赤く、(すみれ)は青い。砂糖は甘くて、あなたは素敵だ』

 処刑された貴族の声だろうか。

 輝いていた日の求婚(プロポーズ)かも。

 (まぶた)の裏で紙魚(しみ)(うごめ)いているように見える。いや、羽があるから蝶蝿(ちょうばえ)の軍勢かも知れない。わらわらと湧いて、煙のようになって、目の裏に集まって来た。眼球ごと穿(ほじ)り返したい。

 舌が渇く。

 急に昔を思い出して涙が出そうだ。

 誰かに見られている気がする。

 学園の時のように悪口を言われているんだ。

 何処からか歌が聞こえる。

 巨大な文字が迫ってきて怖い。


 聖女は神の子。

 神に会うには狂う他ない。

 聖女は弥日異(いやひけ)に人間をやめてゆく。

 だから私たちは気が触れてゆく。

 世界を救うために気狂(きちが)いになってゆく。

 (ある)いは鴇羽色(ときはいろ)の光になる。


 神は真理(ファクト)か、

 妄覚(もうかく)から生まれた夢幻(ファントム)か。


 キャロルは(よだれ)を垂らし、白目を()きながら顔を上げた。──正面、慈愛(じあい)とも(あざけ)りとも取れる笑みを浮かべた少女が、キャロルを見下ろしている。その指は右手が7本、左手が6本。石黄(せきおう)の如く(あざ)やかな髪が風に揺れて、闇夜にも関わらず雲母(うんも)の輝きを見せた。


 そして(からす)たちは一斉に鳴き、羽ばたいた。黒い羽が雪のように舞い散る。


 キャロルは鋭く息を吸い、短剣で自らの(もも)を刺した。痛みで正気を保つ。


「やはり呼べば来るか、バケモノめ」


 傷口から真っ赤に()えた椿(カメリア)が咲き乱れ、内圧で煮え(たぎ)った血が吹き出す。瞳は金の色を取り戻す。


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