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風の聖女(後)


 そしてローズマリーは鍛錬(たんれん)と勉強に身が入らなくなってしまった。頭の中が不安と心配でいっぱいになって、まるで落ち着かない。


 インゲは一向に体調が回復しない。見舞(みま)いに行けば笑顔を見せて『大丈夫だ』と言うが、日増しに()せてきている。


 クラリッサから手紙が返ってこない。遅くても6日、早くて3日で返してくれるのが(つね)なのに、もう10日も()ってしまった。


 ユーフェミアはあまり工房(アトリエ)に姿を表さなくなった。心配になって屋敷に行ってみたが、気落ちして何に対しても身が入らないらしい。気持ちが分かるからこそ、(はげ)ましにくかった。


 流石のローズマリーも危機感を覚えて、集中するための努力を始めた。大好物の(すみれ)氷菓(シャーベット)を食べて気分を上げてみようと(こころ)みたり、真っ白な飼い猫ミミと一日中(たわむ)れてみたりしたが、気分は晴れない。ならば集中出来ずとも勉強するしかない、と本を読んだ。


 良く晴れた夏の午後、タープ城の大庭園にある長椅子(ベンチ)で、ローズマリーは十四行詩(ソネット)を開いた。だが、先ほどから同じ1文ばかりを読んでしまい、なかなか次の(ページ)をめくることができない。


 ──駄目だ。考えないようにしていたけれど、やっぱりヨゼフィーネのことが一番気になる。


 ベアトリスの家にいたというのは本当か。

 どのくらいの頻度でいたのだろうか。

 ベアトリスが倒れた日にもいたのだろうか。

 倒れた瞬間に解毒することは出来なかったのだろうか。

 インゲのそばにいたのも、気になる。

 インゲが水薬(ポーション)を作っていて、ヨゼフィーネはその瞬間を見ていなかったのだろうか。

 間違いを指摘する事はできなかったのだろうか。

 それとも流石に調合の瞬間は目撃していなかったのだろうか。


 手をぴたりと止めたまま夏の風に吹かれていると、戛戛(かつかつ)とした音が近づいて来た。蹄の音、顔を上げると白馬に乗ったユーフェミアがいた。


 白馬の(かたわら)には、黒馬に乗った兄ウィリアムがいるので、ローズマリーは目を丸くした。


「どうしたのユーフェミア。馬なんかに乗って……」


「ウィリアム様が遠乗りに連れて行ってくれる事になったの。私たち少し前から(ふみ)のやりとりをしているでしょう? 私が元気がないのを(さと)られてしまって、それで、気晴らしに連れて行って貰えることになったの」


 ローズマリーは呆然(ぼうぜん)としてしまったが、でも、ユーフェミアが兄に恋をしている事を知っているから、喜ばしいことだと思った。


「ただ遠乗りするだけじゃないわ。川辺に行って、インゲの為に山蛭(やまびる)も取りたいなと思って」


 山蛭(やまびる)から作られる水薬(ポーション)は、血行(けっこう)を良くして毒を出す。街の近くにはロレンツェンという美しい川があるから、そこにも寄るのだろう。


「戻ったら一緒に水薬(ポーション)を作りましょう。日が暮れるまでにはお城につけるようにするから、工房(アトリエ)で待ってて」


「2人だけで行くの?」


 ユーフェミアは赤面した。瞳も(うる)む。


「す、少し恥ずかしいのだけれど……。そういうことになったわ」


 だが、すぐに首を小さく横に振って、(うわ)ついた気持ちを正した。どうしようも出来ない恋心はあるが、いまはインゲが大変な時。放埓(ほうらつ)な行動だと思われないよう、気を引き締めなければ!


「また後でね、ローズマリー。『ベアトリスのために』!」


 2人は馬の脇をとんと蹴って、歩みを進めた。大庭園に接する南門へと向かっていく。


 ローズマリーはぼうっとして2人の背を見ていたが、その時、ウィリアムが振り向いた。──そして、にっと笑って、片目をパチリと(またた)く。意味深な仕草だった。


「……?」


 今のは、何だろう。

 何を意味していたのだろう。

 例えば()()()()()()()()()()()()とでも言いたげな顔。(にじ)む誇らしさ。

 嫌な予感がして、ローズマリーはぎゅうと本を抱きしめる。

 違和感が波となり、胸の中で洶洶(きょうきょう)として(しず)まらない。


 2頭の馬はとことこと並足で門に向かう。小さくなっていく2人の背中。門番が鐘を鳴らし、門が開く。ユーフェミアは(ほほ)を赤らめてウィリアムを見つめていた。


「──待って」


 声を出す。

 確固たる理由はない。

 直感である。


「行かないで、ユーフェミア」


 ユーフェミアを行かせてはいけない。長椅子に詩集を置く。


「行かないでッ!」


 走ろうとした。だが、背後から腕を引っ張られた。振り返るとそこにいたのはヨゼフィーネだった。


「な、何? どうしたの……?」


 ヨゼフィーネは(つや)のない黒い瞳で、じっと見つめてくるだけだった。


「なんで、何も言わないの……?」


 門の閉まる音が聞こえたから、ローズマリーは手を振り払おうとした。


「あなた怪しいわ! ねぇ、ちゃんと言って!」


 やはりヨゼフィーネは何も言わない。もうローズマリーには口から(あふ)れ出る言葉を押さえることはできなかったし、それをしようとも思わなかった。


「ベアトリスに何をしたの!? インゲが薬を間違えたのはなぜ!? クラリッサからはどうして手紙が帰ってこないの!?」


 ヨゼフィーネはローズマリーを抱きしめた。胸に顔が埋もれる。


「離してッ!」


「──大丈夫」


 心臓の鼓動が聞こえる。これはヨゼフィーネの鼓動か、それとも己の鼓動なのか分からない。


「あなたはただ、(はげ)んでください。神に選ばられ聖女となれるよう、祈りをささげ、励み続けるのです。教会では毎日あなたのために歌が歌われ、祈りが捧げられている。あなたはそれに(こた)え、必ず神の子となるのです」


「やめて、何が言いたいのかわからないっ」


 がこんと門の閉まる音がした。ユーフェミアが行ってしまう。


「あなたの()はローゼス家と臣下(しんか)が全て背負います。神は汚れなきあなたを認めるでしょう」


「罪? ユーフェミアに何をするの!? ねえ、教えて!!」


 言った途端(とたん)、ハッと気がつく。今日まで生きてきて、未だ(かつ)て無い最悪の(ひらめ)きであった。


「まさか。ユーフェミアが疑問に思ったから? あなたがベアトリスの家にいたことを怪しんだから?」


 ローズマリーの瞳が変化した。そして、ぐっと()い上るかのようにヨゼフィーネの襟首(えりくび)を掴む。


「教えて。教えないと目を(えぐ)って、あなたの喉を噛みちぎるわ」


 灰の瞳、怨色(えんしょく)極む。殺意に満ちている。内で燃える魔力が周囲を陽炎(かげろう)のように(ゆが)ませる。ローズマリーは確かな熱を放っている。


 ヨゼフィーネは冷や汗を垂らす。──物静かなこの娘にも、ローゼス家の血が流れている。数多(あまた)の政敵を非情な手段で(ほふ)ってきた、領主ファルコニア伯爵のような野獣(やじゅう)気迫(きはく)がそこにある。灰の瞳に吸い込まれる。


 悪寒(おかん)があって、ヨゼフィーネは怯んだ。その瞬間、ローズマリーに強く押し倒される。目の前の少女が怪物に見えた。


「教えて。あなたがベアトリスを殺したのね。インゲの薬に毒を混ぜたのもあなたなのね」


 体に流れるファルコニアの血が、ローズマリーの両手を動かした。白く細い指、ヨゼフィーネの細い首に(まと)う。ローズマリーは徐々に力を入れる。


 ヨゼフィーネは(たま)らず、(そで)に隠していた毒針でローズマリーの腕を刺した。その瞬間、ローズマリーは白目を()く。急激に眠気が襲い始めた。だがそれでも、力一杯首を()め続けた。


「教えて……っ、じゃないと、お前を……っ」


 ヨゼフィーネも白目を剥く。足をばたつかせて抵抗するが、無駄であった。そして迫る死がヨゼフィーネの口を開かせた。それは命乞いに程近い告白であった。


「お、お嬢様、あ、あなたは……、あの子達から、多くの刺激を受けて、学んだ……。ベアトリス・フレミングからは戦闘の心得を、インゲ・フォン・ブランデンブルクからは薬の知識を、クラリッサ・キャベンディッシュからは星読みを、ユーフェミア・ブーステルからは回復魔法と防護魔法の技術を……っ。あなたは強くなった。これ以上、学ぶことは、ない……」


 ローズマリーの力が抜けていく。


「そして、あの子達はローゼス家の意に反して、力を持ちすぎたのです……。もはや、旦那様にとって彼女達は、あなたの夢を(おび)かす存在でしか、なかった……」


「わっ、私の、大切な友達を……っ、そんな勝手な理由で……っ」


「何を(おっしゃ)る……。──あの子達は、神に見捨てられたのです」


 その吐き気すら覚える言動を聞いた直後、睡魔の限界が来たのか、それとも(げん)の衝撃に気を失ったのか、とにかくローズマリーの記憶はここで途絶えた。


 ヨゼフィーネは解放された。咳き込んで吐瀉物(としゃぶつ)を散らし、(よだれ)と涙を()らしながら十字を切って、生き延びたことを神に感謝した。


□□


 夜夜中(よるよなか)、ローズマリーは寝台の上で目を覚ました。そして着の身着のままで城を抜け出し、裸足で街を駆けた。街を出て、丘を下り、ロレンツェン川でユーフェミアを探した。だが、見当たらない。闇の中で(せせらぎ)だけ聞こえている。


「ああああああああああああッ!!」


 叫んだり(わめ)いたり怒ったりしながらローズマリーは探し続けた。目につく限りの(やぶ)を見て、泥をかき出し土の中まで見ようとした。何故か岩を押し退かそうとし、必死に草を抜いたりもして、一貫性がなかった。やがては狂乱しながら浅瀬を跳ね回りながら探した。まるで踊り狂っているようだった。


 城から追いかけてきた領軍が彼女を取り押さえたが、ローズマリーは意味不明な言葉を叫び続けた為、兵を青()めさせた。有り(てい)に表現すれば、それは気狂(きちが)いの有様であった。


 2日後、水死体となったユーフェミアが海岸付近で見つかった。


 実際に川に沈めたのはウィリアムであったが、門番と口裏を合わせ、ユーフェミアと城に戻ったことを証明してみせた。亡骸(なきがら)の腰にあった皮袋から(ひる)が見つかったことから、遠乗りの後で1人川に戻り、何らかの原因で流されたと結論付けられ、領軍は調査を終えた。


 ユーフェミアが見つかった翌朝、インゲの病勢が亢進(こうしん)して夕方頃に事切れた。最後の投薬を行ったのはヨゼフィーネであった。


 また、領内山道で馬車が発見された。道中崖崩れに()い、馬車ごと大岩に押しつぶされていた。中からクラリッサの亡骸が見つかった。インゲの見舞いに向かう最中だった。クラリッサが王都を発つ直前に書いたとされる手紙にファルコニア伯爵領に向かうことが記してあったが、それはローズマリーの手に渡る事なく燃やされていた。なお、山道の近辺にはローゼス家の騎士が複数人目撃されているが、それらの情報も隠蔽(いんぺい)された。


 何人かの正義感溢れる騎士が乙女達の死を調査したが、賄賂(わいろ)を受け取り態度を変える、或いは謀殺(ぼうさつ)されるなどで(つまび)らかにならなかった。


 そこからのローズマリーの記憶は()()れである。城に戻った後も激情は収まらず、ヨゼフィーネが(あさ)水薬(ポーション)を1日置きに飲ませた。それを飲むと大人しくなるが、脳も働かなくなるので廃人となる。その様子を見た家臣の間では白痴(はくち)を隔離する施設、即ち癲狂院(てんきょういん)に預ける案も出たが結局それは成されなかった。


 そしていつの頃だろうか、正教軍大元帥(だいげんすい)ヴィルヘルム・マーシャルが聖ヘルケダールの街に現れ、ローズマリーを聖女と認めた。その時、ローズマリーは『聖女なんかになりたくない』と(わめ)き、ひどく暴れ、城内は混乱した。


 冬の終わりに王都に行き、聖隷(せいれい)カタリナ学園に入学した。領から離れたことで麻の薬が体から抜け、そこからの記憶は(おおむ)ね存在している。


 ───

 ──

 ―


□□


 ―

 ──

 ───


 第三聖女隊は王都大ハイランドに帰還した。


 王都は黒死病(ペスト)により機能していなかった。街は嘴面(ペストマスク)をつけた薬師や魔術師達が闊歩(かっぽ)し、足元では鼠が走り回る。街角には折り重なるように死骸が積み重なり、どれも手足を黒くしていた。


「聖女様が! 聖女様が帰ってきたぞっ!」

「お待ちしておりました、聖女様! お恵みを! どうかお助けください!」

「おお、聖女様っ! ああ! 救いの手を差し伸べてください! ご慈悲を下さりませッ!」


 空聖ローズマリーの乗る馬車に民衆が寄る。


「どうなさいますか、聖女様」


 侍女がが問うが、ローズマリーは答えない。ただ空虚(くうきょ)な瞳で正面を見ている。


 第三聖女隊は神門(ポルタ)と名付けられた巨大な塔へと向かっていた。完成は遠いが聖女らの座所(ざしょ)と定められており、将来的には4人の聖女がここに集結する。


 ローズマリーは数人の侍女を連れて神門へと入った。1階部分は神殿のような空間となっている。至る所に植栽が配置され、(にえ)を捧げる台は真新しく、祭壇は(おごそ)かである。北側には滝を作って(けが)れを寄せ付けない。空間は魔術的な意味合いで満ちていた。


「聖女様」


 唐突に呼びかけれられて、ローズマリーは止まった。


「巡礼の旅、お疲れ様にございました」


 声のする方をそろりと見た。立っていたのは、巫女を連れた水の聖女マリアベル──の影武者であった。


 彼女の名はヴェラ・ウルフと言った。王国南部から連れてこられた少女で、マリアベルと容姿が似ている。目元に黒子(ほくろ)を描き、目尻を切開し、胸に詰め物をして見た目を整えられていた。2人目の影武者である。


「聖女様。早々に申し訳ありませんが、王都には多くの苦しんでいる民がいます。お分かりの通り私は影武者ですから、何のお役にも立つ事ができません。ですが、何らかの手助けをすることはできると思います。どうか、御沙汰(ごさた)を」


 ヴェラは責任を感じていた。聖女として立ち、人々の信を手にしているのに、苦しむ人間に何をしてやる事もできない。


 ローズマリーはヴェラを一瞥(いちべつ)すると、やはり無視をして足早に過ぎ去ろうとした。


「待ってよ」


 だがヴェラは荒い性分。元は野盗として活動していた身。同年代の少年少女たちを率いて、傲慢(ごうまん)な各領軍に攻撃を仕掛けて金品を()るなど、義賊的(ぎぞくてき)な評価を受けていた。捕縛された所を神官に見出され、仲間を無罪放免(むざいほうめん)とすることを条件に聖女の祭服を身に(まと)っている。


「何で逃げるの。何も思わないの?」


 ヴェラがその腕を掴み、ついにローズマリーは口を開く。


「……ただ従順に(こな)していれば良かった。フォルケ・セーデルブロムの言うことだけを聞いていれば、最低限の聖女の役目は果たせた。それで良かったはずなのに」


 ヴェラは眉根を寄せる。


「──私は聖女になんかになりたくなかった!! 嫌だ!! もう私に期待しないでっ!! だれも私を見ないでっ!!」


 ローズマリーはヴェラの手を振り解いた。


「なんで神は私を選んだの!? 気色が悪いッ!! 吐き気がするッ!! 私は、私は……、生きていて良い人間じゃないっ。誰か私を殺して! 殺してよ! あなたが殺してっ!」


「何を言って──」


「出来ないなら2度と話しかけないでッ!」


 これには流石のヴェラも(ひる)んで、沈黙した。そしてローズマリーは足早に去り、大階段を登って行った。


 取り残されたヴェラは激しく舌打ちをかました。


「なんじゃ、あの女……。わけわかんねぇなクソボケが」


 5日ぶりに素の口調が出てしまったので、(かたわら)で杖をついて(たたず)む齢60の貴婦人、ビスター伯爵夫人メアリが口を開く。彼女は王都の貴族であり、ヴェラの教育係を担当していた。


「そのお言葉遣いはおやめくださいと、何度も」


「うっせーな。あんな風な態度を取られたら腹も立つだろうよ。ババアは良いよな、年食えば感性が鈍くなってよ。ありゃあ、聖女失格だぜ。殺してやれば?」


 メアリは杖でヴェラの尻を叩いた。


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