間話:病(後)
ジジは声を張り上げた。
「あなたは封印の獣が何なのかを分かっていないっ! どれだけ強いか、どれだけ恐ろしいかっ! 私の故郷は封印の獣に滅ぼされたんだっ! 私たちに敵う相手じゃないっ!」
興奮して口の中が乾燥しているのか、唾を飲もうとして空気だけを飲み、激しく咳き込んだ。
「あ、あなたが正教軍に降れば、領軍を動かすだけの金が手に入る……。正教軍も恩を感じて協力してくれるかも……。2人だけで戦うよりかは、可能性が……っ」
震える瞳でキャロルを睨め付ける。そして軽く胸の前で十字を切り、ジジは神に勝利を願った。
相手は聖女候補だ。学園で特別な訓練を受けていたと噂に聞いたことがある。薬の腕を見るに、魔法に長けるのだろう。その証拠に、キャロルは武器を持っていない。ならば呪文を唱えられる前に、一気に間合いを詰めて、腋を細剣で突き刺せば──。
地を蹴り込もうと脚に力を入れた、その時。キャロルはふいにそっぽを向いて杜松の木に寄り、枝を数本ぱきりと折った。
平然とした様子に間を外され、ジジは仮面の下で目を丸くする。
「ちょっと! む、無視するわけ!?」
「別に無視してないよ。でもそんな震えた手では戦えないだろう」
まさか、と己が手を見る。そこで初めて、病的なまでに震えていることに気がついた。
「な、なんで私、こんなに震えて……」
「ジジが興奮してるのと、私がちょっとだけ圧をかけた」
キャロルは魔力を増幅させ、重心を僅かにジジに寄せて威圧した。実力差が大きいと、それだけでも相当な心労となる。特に緊張状態にあるなら、本人が気づかなくとも疲弊した。
ジジは剣を下ろすと疲れがどっと噴き出て、膝から崩れ落ちた。顔が汗に塗れ、目に入って沁みる。まるで3哩を走った後のような疲労感で、足腰に力が入らない。
「じっと見つめ合っているよりは『服わぬ騎士』を倒す準備をしたほうがいいよ」
「ば、馬鹿にしてっ‼︎」
「──私も封印の獣に故郷を滅ぼされたんだ」
意外な言葉が帰って来て、ジジはキャロルを見上げた。
「幻想を見せる竜がいてね。私は無様にも翻弄された。だから、封印の獣がどれだけ恐ろしいかは身を持って知っているつもりだ」
はあはあと息を整えながら、5秒、10秒、ようやくジジが口を開く。
「並の人間には勝てないわ。冒険者が束になっても無理。領軍や宮廷魔術師がいたって……」
「そうだな。厳しい相手だと思う」
「……それでも戦うというの?」
「うん。私を信じて欲しい」
あまりに悠揚たる様なので、ジジは呆れたと言わんばかりにため息を吐いた。この女、飄々としていると言えばよいか、緊張感がないと言えばよいか。似たような境遇らしいが、本当かと疑いたくなるくらいだった。
頭を抱えるジジを一瞥する事もなく、キャロルは枝を組むのに集中していた。何かを作ろうとしているようだが、ジジにはよく分からない。今さっき『服わぬ騎士』を倒す準備をすると言っていたから、これがそうなのだろうか。
(どんな肝っ玉してんのよ……)
覚悟を決めて挑む、という様子ではない。キャロルの様子を例えるならば、翌日の朝食の準備を『やれるなら今やってしまおう』と言って、晩の内に仕込んでしまうかのように、自然で、事も無げに、そして、しらっとしている。……不覚にも、ジジにはそれが少し頼もしく見えた。
「それで、何を手伝えばいいわけ?」
「信じてくれるのか」
「あなたを正教軍に引き渡しても、懸賞金が手に入るのはもっと先になるわ。それじゃ遅すぎると冷静になっただけ。悪い?」
つい、強がって適当な理由をつけてしまう。悪い癖だった。
「いいや、助かる。冷えた茸汁なんか腑の毒だ」
古い牛乳に茸を混ぜたスープ、通称『茸汁』は、囚人の食事の定番である。味が薄く、冷めているのが基本である。
「聞いていいか? ちなみに私は幾らなんだ?」
ジジはのそりと立ち上がり、細剣を鞘にしまう。
「10噎」
キャロルはややあって、
「そのくらい肩身を広くしたいものだな……」
どうやら思っていたより価値が低かったらしい。
□□
夜の帳が下りる。
ジジは言われた通りに、楢などの団栗を食わず芋の葉っぱで包み、火にかけて蒸した。その隣でキャロルは茸や山菜、池で採った蟹を大胆に焼いていく。そしてそれらを鬱金の葉に盛り付け、綺麗に並べたら完成。
「これ、何しているの……?」
「馳走を作っているんだよ。思ったより豪華になったじゃないか」
「古代人の食卓みたい」
「心が籠っていれば、馳走に変わりはないさ」
そしてキャロルは、杜松の枝を組んで作った、1呎7吋(約50㎝)ほどの人形を、これまた枝を組んで作った椅子の上に座らせた。
「完成だな」
人形の前に、馳走が並ぶ形になった。
「御伽話によれば『首無し騎士』は夜更かしをする子供に、死を宣告するらしい。だから、真似をしてみようと思ってな。悪ガキがこんな夜更けに暴食となれば、奴は向かっ腹を立てて飛び込んでくるに違いない」
「本当にそんなので現れるの?」
「多くの人が信じている御伽話だ。信は長い年月をかけて力となり、最後には形となる。各地方に伝わる召喚術だって、元を辿れば土着の信仰が基盤にあるんだ。先人の知恵の応用だよ」
魔物を呼び寄せる方法は2通り。
1つは臭いや色で釣る『魔物寄せ』を用いる方法。魔物は血や酒、腐肉などの臭いに魅力を感じるらしく、下等な種ならそれで誘き寄せる事が可能である。
もう1つは『召喚術』を使用する方法。魔術的な機序で誘き寄せる事を総じて召喚術と呼び、術によっては亡霊なども集めることができた。
キャロルは馳走と人形の周りに円を書き、円の外側には小枝で細かく呪文を記した。最後に馳走の周りだけに三角形を書く。そして嘴面を外し、煙草に火をつけた。香の変わりである。
「少し、休もう」
ジジも嘴面を取り、深く息を吸った。冷えた空気が肺を満たし、草木の香りと腐葉土の臭いが鼻をくすぐる。豊かな解放感があって、全身が痺れた。街では仮面越しに息をするのも怖かったから、たったこれだけの事で体が目覚める。
「吸うか?」
火の付いた煙草を一本貰う。口をつけてそっと吸った。
「!」
が、ゲホゲホと激しく咽せてしまう。強烈な煙草を吸っているのか、しばらく吸っていなかったから感覚が鈍ったのか、体が受け付けなかった。
「そんなに強い葉っぱを巻いているつもりは無いんだけどな」
そう言って蒸した団栗をジジに寄越す。これは馳走の余り。
ジジは目に溜まった涙を拭いながら焚き火のそばに座り込み、1つ摘んで食べた。団栗など食べたことはなかったからどんなものかと思ったが、まあ、食べれないでもない。言ってしまえば風味のない栗である。
キャロルも火の前に座り、団栗を食べた。
「もう1回聞いても良いかな。ジジはどうして、この街に残っているんだ? 知り合いが多いとか?」
ジジは枯れ枝を火の中に放る。火の粉が舞う。
「別に。顔見知りは多いけど、そこまで深い関係でもない」
「怖くないのか?」
「怖いわよ。私もいつ病に罹るか分からない。咳を一つしただけで、感染したんじゃないかって震え上がる。……私がこの街から逃げないのは、アイツらと一緒にはならないって、決めてるから」
揺らめく炎を見ながら、ジジは膝を抱えた。
「私は故郷で見捨てられた。周りの優れた人間は、我が身大事に逃げてしまった。困っていても助けてくれない。……だから、自分の力で生きていけるように、腕を磨いて冒険者になった」
言って煙を吐き出す。鼻の奥に清涼感が残るから、煙草葉に薄荷でも混ぜていたのだろう。
「今回だってそう。腕のある薬師も、回復魔法が使える貴族も、心の支えになる神官も逃げた。街は見捨てられた。私には医学の知識なんかないけど、でも、あいつらと一緒になってはいけないと思った。だから残った。それだけよ」
「強いんだ、ジジは。強い人は優しい」
「強いかどうかは関係ないわ。自分の在り方の話だもの。……それに優しくなんかない。街の為に尽くすあなたを軍に突き出そうとした」
「金があれば薬が買えるからな。病人を思ってのことだ」
「怒らないのね」
「怒ったってしょうがない。というか、何に対して怒るんだ? 勝手に首を突っ込んで、自分が危機に立たされた途端に『人でなし!』と怒り始めるのは下品だと思うなあ。『仲人婆さん』と変わりがない」
「誰よそれ」
「知らんのか? 未婚の村娘に結婚を勧める婆さんだよ。その村娘に恋人がいることがわかった途端に怒り出すのがお約束。村に1人はいるもんだ」
ジジは想像する。まあ、言い得て妙な気もするが、若干ズレているような気もするし……。
「変な人ね、リトル・キャロル」
「忌子だからな」
キャロルは2本目の煙草に火をつけた。
「……私は『いい人』になりたいと思っているんだ。誰にでも優しくて、どんな苦難を前にしても人を想う余裕があって、決して自分を穢さない。そういう人になりたいと思っている」
「だめよ。苦労するわ、そんな生き方。あなたを利用する人が現れる」
「いいさ。その時は叩きのめしてやるから」
ジジは一瞬だけキャロルを見る。そして、何かを言い倦ねるように、こちゃこちゃと指を弄りながら、小さく言った。
「……じゃあ、そうなったら私が手伝ってあげても良いわ」
キャロルは、どうやらジジなりに仲良くしてくれようとしていることを察して、それが嬉しくて笑む。
「ありがとう。──ただ、思ったより早く奴が現れたらしい。気合を入れてぶちのめすとしようか」
ジジの思考が一瞬止まった。奴? まさか、首無し騎士のことか。
小動物のようにキョロキョロと辺りを見回す。だが異変は感じられない。耳を澄ましても、葉叢を掻き分ける音も土を踏みしめる音も、聞こえない。
一応警戒して、傍に置いていた細剣を掴んだ時。突如たらりと、額から大粒の汗が流れ出た。腕でそれを拭って、違和感を感じ取った。
これは汗ではない。ぬるりとして、生温かい。
嫌な予感がして、恐る恐る腕を見る。焚き火の灯りに照らされて、袖が赤黒く湿り輝いている。
(血……?)
ジジは青褪めた。額から次々に血が垂れる。それを手で拭う。間に合わない。大量の出血。何故。額が切れたのか。どういうことだろう。必死に必死に、血を拭う。なにも分からないが、怖い。焦りと不安で頭がいっぱいになる。
(どうして……!?)
気づけば周りに何も見えない。真っ暗闇だ。先まであった焚き火も、子供を模した杜松の人形も、団栗や蟹の馳走も消え失せた。
頭痛と耳鳴りがする。
体が顫動して歯がかちかち噛み合う。
妙に体が軽くて、寒い。
血の気が引き、眩暈がして、吐き気がする。
息がしにくい。肺が痛い。
足や腕に力が入らない。
急に胃液が迫り上がってきて、ジジは吐き戻した。吐瀉物には赤い鼠の子供が混ざっていて、愛おしそうにキイキイと鳴いている。
ジジの目から止めどなく涙が流れ出てきて、瞳は飛び交う蝿のように移ろい、全く定まらなくなった。
──死を、宣告されたんだろう。
直感的に思った。数秒後に死ぬ。
死ぬって、こんなに怖いんだ。嫌だ、まだ生きたい。誰か、助けてほしい。
叫ぼうとしても、声が出ない。元々口など持たなかったかのように、発音の方法を忘れてしまっている。
「ジジ。『神の力が爾を追う』と唱えて、胸の前で十字を切り続けろ」
キャロルの声がした。脳から直接語りかけて来るかのような、不思議な感覚だった。
「わ、私魔法が使えない、意味ない」
掠れて半分も形になっていない声で答える。だが、声が出たことに気づいてハッとした。勝手に声が出ないと思い込んでいただけだったかも知れない。
「目的は、恐怖から意識を反らすこと。フリでもいい。ただ、神は万人を愛するらしいから、縋ってみても良いかも知れない」
ジジは言われるがままに、震える手で十字を切る。
「神の力が爾を追う、神の力が爾を追う、神の力が爾を追う、神の力が爾を追う、神の力が爾を追う……っ!」
必死に唱え、何度も何度も十字を切る。
「神の力が爾を追う、神の力が爾を追う……っ」
耳鳴りが徐々に弱まる。暗闇が次第に晴れてきた。
「神の力が爾を追う、神の力が爾を追う……っ!」
火花が散っている。ちかちかと灯ったり消えたりしている。
カコン、カコンと金属を打つ音がする。重い音だ。なんだろう。とにかく、何かが激しくぶつかり合っているらしい。──剣戟か。
さらに十字を切ると、朧げながらその姿が見えて来た。
前方に首のない巨馬。それに乗るのは、同じく首のない騎士である。左手に己が首を持ち、右手に真っ黒な炎を纏った濶剣を持つ。黒炎、生きるようにうねる。漂う強烈な腐臭、長らく放置していた牛乳に似ている。
間違いない、首無し騎士だ。ジジは総毛立ち、蹈鞴を踏んだように後ずさる。
首無し騎士は剣を大振りで薙ぐ。だが、何処から出したのであろうか、キャロルが荊を固めたような戦棍で弾いた。眩い火花が散る。双方、激しい武器捌き。キャロルの方が押しているようにも見えた。
劣勢だと判断したのか、首無し騎士は剣を炎の鞭に変えて振り回した。キャロルの戦棍が鞭で弾かれ、後方に飛ぶ。鞭の嵐、周囲の全てを破壊する。木肌が裂け、地が捲れ上がる。ジジは恐怖で頭を抱えて伏せた。
「ひいっ!」
抉れた地面がじゅうと音を立てて、泡を作っている。強烈な酸で土が溶けるらしい。
木の腹が溶けて、メキメキと音を立てて倒れる。鞭が風を切る音が絶えず聞こえている。鋭い風圧を感じる。ジジは動けない。少しでも動けば、鞭の先が体に当たって、溶けて弾け飛びそうだった。
──怖い。
やはり、封印の獣など相手にするべきではなかったのだ。蹲ったまま、じきに背中が弾けて死ぬ。終わりだ。
恐怖が瞼の裏に、あの日の光景を呼んだ。
故郷。真夏の暑い日。白砂が光を照り返して、陽炎が昇っている。熱にやられて倒れるかのように、人々は眠りに落ちる。彼らは数秒経つと激しく引き付けを起こし、まるで壊れた発条人形のようにのた打ち回った。肉親も友人も隣人も、そうなった。人が人でなくなる瞬間だった。
しんとした街。
奇妙に動く尊厳を失った人間。
砂を掻く音。
剥がれた爪、白砂に薄い血の跡。
照りつける光。
冴えた青空。
南からの熱風、木々の騒めき。
黒々とした己の影。
弟と、世界にたった2人だけ取り残されたような。
永遠とも思える時の中、絶望を味わった。
だめだ、怖い。勝てるわけがない。どうせ、リトル・キャロルも死ぬ。だって、学園の落伍者なんだから。聖女の何倍も劣るんだ。
──見捨ててしまおう。背を向いて一気に走って逃げれば、奇跡が起きて逃げ切れるかもしれない。
そう思った時。己を見捨てて行った者達の、妙な愛想笑いを思い出した。怒りをぶつけられないように、笑って誤魔化す、あの複雑で、頼らなくて、何より汚らしい笑顔だ。みんな同じ顔をしていた。故郷の自警団も、冒険者も。ハルフォードの薬師も、神官も、貴族も。人を絶望の渦に落とそうとする、気持ちの悪い笑顔。
笑顔なんか嫌いだ。反吐が出る。だからだろうか、自分が最後に心から笑ったのはいつか、覚えていない。
あんな顔は作らないって、心に決めたから。あいつらと同じようにはならないって、心に決めたから。
『強いんだ、ジジは。強い人は優しい』
キャロルの言葉を反芻した刹那、眦を決し、ジジは細剣を握っていた。
ジジは身を低くしたまま地を蹴り、ぎゅんと間を詰めて、鞭の嵐を掻い潜る。そして、ゆらりとした独特の剣捌きで、首無し騎士が手に持つ首、その額に切先を刺し込んだ。
首無し騎士はジジの接近には気づいたが、一癖ある我流の剣術故に、対処できなかった。
首のない巨大な黒い馬が驚いて立ち上がる。馬と騎士は痛みを共有していた。騎士は手綱を引き、振り落とされないように力を入れる。
「見事だジジ。やっぱり強い」
キャロルは右手の爪を伸ばすようにして、指の先端から荊の剣を生み出し、馬の後足を切断。騎士は激しく倒れ込む。立ちあがろうとしたところで、キャロルは騎士の胸にぐっと荊の剣を突き刺した。
生命の力を放出。騎士の体の中で植物が膨らみ、パンと鎧が弾けて花々が溢れ出す。そして光と花弁とが柱となって天を突き、激しい旋風を巻き起こしながら、灰に覆われた夜空を晴らした。
□□
ジジは腰が抜けてしまって、自力で歩く事が出来なかった。だから、キャロルに肩を貸して貰いながら、木々の根を一歩一歩と踏み越えて行く。
あの時、細剣を手に地を蹴り、首無し騎士に攻めかかれたのは、所謂火事場の馬鹿力のようなものだったのだろう。その後はまるで体に力が入らなくなった。今も脚がパンパンに張っているし、腕も同様。荒い呼吸をしていたからか、横腹も妙に痛かった。
「本当に、倒したのよね……? だって、無傷よ? 封印の獣を相手に、信じられない……」
「ジジの運が良かったんじゃないか。街に残って他人に尽くす事で、功徳があったんだろう」
「嘘よ。私が無傷なのは、あなたが私を守りながら戦っていたからでしょう。それくらい分かるわ。私が言いたいのはそうじゃなくて、あなたの強さが異常だって事よ」
2人は森から出た。空には黎明の薄い桃色が広がっている。数日ぶりの灰に覆われていない空。まだ薄く烟っているようにも見えたが、それでもジジにとっては美しい空だった。
「死ぬかと思ったわ。頭から血が流れてきて、どうしようもなく怖かった」
「腐臭が神経に触れて、幻想を見せたんだろう」
即ち、ガスを発生させていたということ。
「私も変な幻覚を見たよ。敵だと思って殺したのが、本当はエリカだった。私はエリカの胸を剣で貫いた」
「エリカ……?」
「連れだ。明るく元気で、私の足りない所を補ってくれる。一歩が重い私の代わりに、思い悩んで、決断して、前進していくんだ」
ジジは『そんな連れがいたのね』と呟きそうになったが、飲み込んだ。まるで羨ましく思っているように聞こえたら、嫌だった。
「やっぱりあれが首無し騎士で間違いはなかったの?」
「うん」
首無し騎士は死を宣告する。現在、王国各地で黒死病や結核、子供の間では麻疹が流行していて、そうした病が『死』の象徴として街に呼び寄せられたのだろう。場合によっては出水や土石流、戦や虐殺であるなど、その時代、その時々で変わるものと考えられた。つまりは最も身近な『死』が誘われる。
そして、直接対峙する者には強烈な『死』の印象を植え付け、恐怖で狂わせる。並の精神力では太刀打ちのできない、厄介な魔物であった。
だが、首無し騎士は光に消えた。ハルフォードの街に死が呼ばれることはないだろう。あとは病を根絶できるかが勝負になる。
「しかし、何者かは知らんが生前は大した騎士だったのだろうな……。見ろ、少し打ち合っただけで、手が血豆だらけだ。力が強すぎる」
キャロルは掌を見せて、にかっと笑った。あどけない笑顔だった。
(そんな顔も出来るんだ……)
ジジはドキリとして、目のやり所がなくなり、俯く。距離も近いし、やめて欲しい。女なのに、変に意識するから。
2人は原を抜けて街道に出た。キャロルはジジをハルフォードに送り届けるべく街に足を向けたが、背後、遠くから足音と蹄の音、金属が擦れる音が聞こえて来た。
その方を見れば、街道の先に白馬に乗った騎士たちと、真っ白な鎧を身に纏った兵達が長い隊列を作って、こちらに迫り来ていた。その数、凡そ二旅(1000人)。銃兵、弓兵、魔術隊まで揃えた大部隊。先頭、旗持が掲げた旗には聖鳥章。正教軍である。
ジジの頬に冷や汗が伝う。
「しまった、もう来たのか」
愚図な弟のことだから、もう少し時間がかかると思ったのだが。街道に出たのは迂闊だった。
「こういう時は素早いんだから、莫迦!」
小声で悪態をつく。そして赦しを乞うような表情でキャロルを見つめた。
「ごめんなさい。あなたを捕えるために私が呼んだの。私が話をつけてくるから逃げて」
キャロルは首を横に振り、ジジから離れた。背を向け、正教軍の列へと歩み始める。
「ちょっと、どこ行くの!? 早く逃げないと!!」
「逃げることはない。何も悪いことはしていないのだから、堂々としていれば良いんじゃないかな」
「でも!」
「大丈夫。話せば分かってもらえるさ。彼らだって、誇りを持って人々を守ろうとしているのだから」
キャロルは振り返らない。
「まさか、もう行ってしまう気……?」
直感し、ジジは叫んだ。
「待って! まだちゃんとお礼も出来ていない! 私が軍に話をつけるから、一旦街に寄ってっ!」
正教軍の隊列の中から1人、嘴面を被った大男──つまりジジの弟が現れて、ぴょこぴょこと小走りでジジに寄ってきた。キャロルと大男はすれ違う。大男は彼女の背中をちらりちらりと振り返りながら、ジジの下で止まる。
「組合長、大丈夫かっ。なんで街道なんかに突っ立ってたんだよ」
「いろいろあったのよ」
「キャロル、投降しちゃうのか?」
「分からない。本人は話すって言ってたけど……」
「話すだって? でも光の聖女を自称してるんだろ? ちょっとばかし揉めそうだなぁ」
ジジは目を丸くした。光の聖女は4人の聖女を導く存在だとされていたが、数日前、公に晒された真の原典にはその記載がなかったことで存在を否定された。光の聖女は誤訳だったとされる。
「間違いないの? キャロルが光の聖女だって、自分で言ってるの?」
「え? あー、うん、多分? 正教軍の人が言ってたよ。あれ? 飯炊の百姓だったかな?」
「ハッキリしないわね、役立たず!」
キャロルは隊列に近づいてゆく。
先頭を行く旗持が、背後にいる将らしき老騎士をちらりと見やった。老騎士は手信号で全軍に『静止』と合図し、隊を止める。
老騎士は白い巨馬に跨ったまま隊の前に出てキャロルと対峙。騎士が3人、それから雑兵が30人、武器を手に老騎士とキャロルを囲んだ。キャロルは逃げ場を失う。
だがキャロルは特に臆する事もなく、老騎士をじっと見上げた。騎士の隣に立つ兜役、竿に掲げた狼の変わり兜の眼光が、ギラリと煌めいている。老騎士の鎧も狼を模しているようで、肩から羽織る白い毛皮が朝日に輝いていた。
厳しい面構えの老騎士が、重々しく口を開いた。
「リトル・キャロルか」
「うん」
「某は南部地域を纏める将が1人、正教軍大佐トマス・ジョンソンと申す」
「トマスか。少し、聞いて欲しい事がある」
キャロルは事の次第を淡々と話し始める。
まず、大白亜を下山してリューデン公爵領に向けて旅をしている事。ハルフォードの街は黒死病で壊滅している事。多少の治療は行ったもののまだ不十分である事。街の近くに聖地があり、封が解かれて魔物が解き放たれた事。封印の獣をジジと共に倒した事。
「首無し騎士は倒したが、まだハルフォードの街には山ほど病人がいる。今日明日を生きるのも厳しい人たちだ」
将トマスは黙って聞いている。
「もし貴殿らに余裕があれば、駐留して手当を行って貰いたいと考えているのだが。如何だろうか」
真面目な雑兵が剣を強く握り、じりじりと半歩キャロルに近寄って、叫んだ。
「き、輝聖などは存在しない! お前はクリストフ五世に騙され、政戦の道具にされているに過ぎないんだ! 抵抗しなければ手荒な真似はしないから、大人しく武器を捨てろ!」
キャロルは外套を広げてみせる。
「武器なんて持ってないよ。ほら、何もないだろう? 私は話をしに来たんだから、剣も銃も必要ない」
ついに将トマスは口を開く。
「貴殿の用向き、承った」
兵達はもっけな顔をして、一斉にトマスを見た。
「武器をしまえ。道を開けよ」
困惑しつつも命じられるがままに武器をしまい、兵達はキャロルから距離をとる。そしてトマスは背後の軍勢に手信号で同じように指示を出して、下馬した。
「馬上よりの挨拶、失礼仕った」
「忝い。ご理解、痛み入る」
言って、キャロルは二旅の隊の中を平然と突き進む。弓兵も銃兵も騎馬も雑兵も飯炊荷物持ちも怖ず怖ずと道を開け、キャロルを眺めるだけで手出しできない。
壮年の騎士がトマスに寄った。
「宜しいのですか。あれは確かに輝聖。教皇より捕縛を命じられているのですぞ」
「輝聖である以前に、ハルフォードの街を救った英雄である。感謝こそすれ、それをどうして剣を以て押さえつけることができよう」
トマスはキャロルの後ろ姿をしばし見送った後、胸の前で十字を切った。旅の無事を祈る。
「軍律違反は、大罪と存じまするが」
「構わん。儂は儂の行動を間違っているとは思わぬ。魚肚白社に告げたい者がいれば、そうして良い。貴殿らも遠慮せず己の正義に従うべし」
落ち着かない様子の兵達を尻目にトマスは馬を引き、ジジの下まで歩みを進める。
「ジジ・ケンドールか」
ジジもまた、困惑した童の表情でトマスを見上げた。恭しくするのも忘れて。
「よくぞ輝聖の聖務を扶翼した。誠に大儀である」
「私は、そんなんじゃ……」
「又とない経験になったな。今日の日を心に刻め」
そう言って、ジジの後方ハルフォードの街へと歩き出す。次いで近習の騎士に伝達。ただちに街の全体を把握すること、薬石効なく死した者は丁重に弔うこと、魔術師と薬師に病魔に抗うための防具を用意すること。
トマスの軍勢も前進を開始。街へと向かう。隊列は呆然と立ちすくむジジを避けて進む。
弟は嘴面を外した。姉と似た髪色をしていて、無骨な面相の男であった。ひ弱な感じに目をパチクリとさせ、ジジと遠くのキャロルを交互に見る。
「ほ、ほら、姉ちゃ……、組合長。あの人、やっぱり光の聖女だったんだ……」
ジジは弟の言葉など、耳に入っていないようだった。
──本当に話すだけで兵を退けてしまった。
それだけじゃなく、味方につけてしまったような。正教軍は敵意を持ってキャロルを探しているはずなのに。だがその敵意を、救いに変えてしまった。
キャロルの背中を見ていると、彼女が少し振り返って片手を上げた。
「私の我儘に付き合ってくれてありがとう!」
キャロルは「あ」と声を出し、何かに気がついた素ぶりを見せた。花冠が頭に出来てしまったらしい。恥ずかしそうにしながらそれを掴み取ると、肩を竦めてぱらぱらと散らせた。
再び前を向き、寂寥とした秋の街道を行く。まるで、隣町に買い物にでも行くように、軽い足取りで。
「あの人、本当に光の聖女なんでしょうね」
「い、行かせちゃっていいのか? 手伝ってもらった方がいいんじゃないのか?」
ジジは残念そうにふっと笑った。笑ったのは、いつぶりだろう。
「私たちの掌にはとても収まりきらない。神様くらい大きな手じゃないと」
風が吹く。青い花びらが飛んできて、ジジの鼻に引っ付いた。剥がして透かしてみる。
「春の花だわ」
「秋なのに?」
「徒花ね」
矢車菊、空の色。
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作品ブクマ、作者フォロー、感想コメント・レビューもお待ちしております。
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