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間話:病(後)


 ジジは声を張り上げた。


「あなたは封印の獣が何なのかを分かっていないっ! どれだけ強いか、どれだけ恐ろしいかっ! 私の故郷は封印の獣に滅ぼされたんだっ! 私たちに敵う相手じゃないっ!」


 興奮して口の中が乾燥しているのか、唾を飲もうとして空気だけを飲み、激しく咳き込んだ。


「あ、あなたが正教軍に(くだ)れば、領軍を動かすだけの金が手に入る……。正教軍も恩を感じて協力してくれるかも……。2人だけで戦うよりかは、可能性が……っ」


 震える瞳でキャロルを睨め付ける。そして軽く胸の前で十字を切り、ジジは神に勝利を願った。


 相手は聖女候補だ。学園で特別な訓練を受けていたと噂に聞いたことがある。薬の腕を見るに、魔法に()けるのだろう。その証拠に、キャロルは武器を持っていない。ならば呪文を唱えられる前に、一気に間合いを詰めて、(わき)細剣(レイピア)で突き刺せば──。


 地を蹴り込もうと脚に力を入れた、その時。キャロルはふいにそっぽを向いて杜松(ねず)の木に寄り、枝を数本ぱきりと折った。


 平然とした様子に間を外され、ジジは仮面の下で目を丸くする。


「ちょっと! む、無視するわけ!?」


「別に無視してないよ。でもそんな震えた手では戦えないだろう」


 まさか、と(おの)が手を見る。そこで初めて、病的なまでに震えていることに気がついた。


「な、なんで私、こんなに震えて……」


「ジジが興奮してるのと、私がちょっとだけ(プレッシャー)をかけた」


 キャロルは魔力を増幅させ、重心を僅かにジジに寄せて威圧(いあつ)した。実力差が大きいと、それだけでも相当な心労(ストレス)となる。特に緊張状態にあるなら、本人が気づかなくとも疲弊(ひへい)した。


 ジジは剣を下ろすと疲れがどっと噴き出て、膝から崩れ落ちた。顔が汗に(まみ)れ、目に入って()みる。まるで3(マイル)を走った後のような疲労感で、足腰に力が入らない。


「じっと見つめ合っているよりは『(まつろ)わぬ騎士』を倒す準備をしたほうがいいよ」


「ば、馬鹿にしてっ‼︎」


「──私も封印の獣に故郷を滅ぼされたんだ」


 意外な言葉が帰って来て、ジジはキャロルを見上げた。


「幻想を見せる竜がいてね。私は無様にも翻弄(ほんろう)された。だから、封印の獣がどれだけ恐ろしいかは身を持って知っているつもりだ」


 はあはあと息を整えながら、5秒、10秒、ようやくジジが口を開く。


「並の人間には勝てないわ。冒険者が束になっても無理。領軍や宮廷魔術師がいたって……」


「そうだな。厳しい相手だと思う」


「……それでも戦うというの?」


「うん。私を信じて欲しい」


 あまりに悠揚(ゆうよう)たる様なので、ジジは呆れたと言わんばかりにため息を吐いた。この女、飄々(ひょうひょう)としていると言えばよいか、緊張感がないと言えばよいか。似たような境遇らしいが、本当かと疑いたくなるくらいだった。


 頭を抱えるジジを一瞥(いちべつ)する事もなく、キャロルは枝を組むのに集中していた。何かを作ろうとしているようだが、ジジにはよく分からない。今さっき『(まつろ)わぬ騎士』を倒す準備をすると言っていたから、これがそうなのだろうか。


(どんな肝っ玉してんのよ……)


 覚悟を決めて挑む、という様子ではない。キャロルの様子を例えるならば、翌日の朝食の準備を『やれるなら今やってしまおう』と言って、(ばん)の内に仕込んでしまうかのように、自然で、事も無げに、そして、しらっとしている。……不覚にも、ジジにはそれが少し頼もしく見えた。


「それで、何を手伝えばいいわけ?」


「信じてくれるのか」


「あなたを正教軍に引き渡しても、懸賞金(けんしょうきん)が手に入るのはもっと先になるわ。それじゃ遅すぎると冷静になっただけ。悪い?」


 つい、強がって適当な理由をつけてしまう。悪い癖だった。


「いいや、助かる。冷えた茸汁(きのこじる)なんか(はらわた)の毒だ」


 古い牛乳に(きのこ)を混ぜたスープ、通称『茸汁』は、囚人(しゅうじん)の食事の定番である。味が薄く、冷めているのが基本である。


「聞いていいか? ちなみに私は()()なんだ?」


 ジジはのそりと立ち上がり、細剣(レイピア)(さや)にしまう。


「10(エーカー)


 キャロルはややあって、


「そのくらい肩身を広くしたいものだな……」


 どうやら思っていたより価値が低かったらしい。


□□


 夜の(とばり)が下りる。


 ジジは言われた通りに、(なら)などの団栗(どんぐり)()()()()の葉っぱで包み、火にかけて蒸した。その隣でキャロルは(きのこ)や山菜、池で採った(かに)を大胆に焼いていく。そしてそれらを鬱金(うこん)の葉に盛り付け、綺麗に並べたら完成。


「これ、何しているの……?」


馳走(ちそう)を作っているんだよ。思ったより豪華になったじゃないか」


「古代人の食卓みたい」


「心が(こも)っていれば、馳走に変わりはないさ」


 そしてキャロルは、杜松(ねず)の枝を組んで作った、1(フィート)7(インチ)(約50㎝)ほどの人形を、これまた枝を組んで作った椅子の上に座らせた。


「完成だな」


 人形の前に、馳走が並ぶ形になった。


御伽話(おとぎばなし)によれば『首無し騎士(デュラハン)』は夜更(よふ)かしをする子供に、死を宣告するらしい。だから、真似をしてみようと思ってな。悪ガキがこんな夜更けに暴食となれば、奴は()かっ(ぱら)を立てて飛び込んでくるに違いない」


「本当にそんなので現れるの?」


「多くの人が信じている御伽話だ。(しん)は長い年月をかけて力となり、最後には形となる。各地方に伝わる召喚術(しょうかんじゅつ)だって、元を辿(たど)れば土着(どちゃく)の信仰が基盤(きばん)にあるんだ。先人の知恵の応用だよ」


 魔物を呼び寄せる方法は2通り。


 1つは臭いや色で釣る『魔物寄せ』を用いる方法。魔物は血や酒、腐肉(ふにく)などの臭いに魅力を感じるらしく、下等(かとう)な種ならそれで(おび)き寄せる事が可能である。


 もう1つは『召喚術』を使用する方法。魔術的な機序(きじょ)(おび)き寄せる事を(そう)じて召喚術と呼び、術によっては亡霊なども集めることができた。


 キャロルは馳走と人形の周りに円を書き、円の外側には小枝で細かく呪文を記した。最後に馳走の周りだけに三角形を書く。そして嘴面(ペストマスク)を外し、煙草(たばこ)に火をつけた。香の変わりである。


「少し、休もう」


 ジジも嘴面(ペストマスク)を取り、深く息を吸った。冷えた空気が肺を満たし、草木の香りと腐葉土の臭いが鼻をくすぐる。豊かな解放感があって、全身が痺れた。街では仮面越しに息をするのも怖かったから、たったこれだけの事で体が目覚める。


「吸うか?」


 火の付いた煙草を一本貰う。口をつけてそっと吸った。


「!」


 が、ゲホゲホと激しく()せてしまう。強烈な煙草を吸っているのか、しばらく吸っていなかったから感覚が(にぶ)ったのか、体が受け付けなかった。


「そんなに強い葉っぱを巻いているつもりは無いんだけどな」


 そう言って蒸した団栗(どんぐり)をジジに寄越す。これは馳走の余り。


 ジジは目に溜まった涙を拭いながら焚き火のそばに座り込み、1つ(つま)んで食べた。団栗(どんぐり)など食べたことはなかったからどんなものかと思ったが、まあ、食べれないでもない。言ってしまえば風味のない(くり)である。


 キャロルも火の前に座り、団栗(どんぐり)を食べた。


「もう1回聞いても良いかな。ジジはどうして、この街に残っているんだ? 知り合いが多いとか?」


 ジジは枯れ枝を火の中に放る。火の粉が舞う。


「別に。顔見知りは多いけど、そこまで深い関係でもない」


「怖くないのか?」


「怖いわよ。私もいつ病に(かか)るか分からない。咳を一つしただけで、感染したんじゃないかって震え上がる。……私がこの街から逃げないのは、()()()()と一緒にはならないって、決めてるから」


 揺らめく炎を見ながら、ジジは膝を抱えた。


「私は故郷で見捨てられた。周りの優れた人間は、我が身大事に逃げてしまった。困っていても助けてくれない。……だから、自分の力で生きていけるように、腕を磨いて冒険者になった」


 言って煙を吐き出す。鼻の奥に清涼感が残るから、煙草葉(たばこば)薄荷(はっか)でも混ぜていたのだろう。


「今回だってそう。腕のある薬師も、回復魔法が使える貴族も、心の支えになる神官も逃げた。街は見捨てられた。私には医学の知識なんかないけど、でも、あいつらと一緒になってはいけないと思った。だから残った。それだけよ」


「強いんだ、ジジは。強い人は優しい」


「強いかどうかは関係ないわ。自分の()り方の話だもの。……それに優しくなんかない。街の為に尽くすあなたを軍に突き出そうとした」


「金があれば薬が買えるからな。病人を思ってのことだ」


「怒らないのね」


「怒ったってしょうがない。というか、何に対して怒るんだ? 勝手に首を突っ込んで、自分が危機に立たされた途端に『人でなし!』と怒り始めるのは下品だと思うなあ。『仲人(なこうど)婆さん』と変わりがない」


「誰よそれ」


「知らんのか? 未婚の村娘に結婚を勧める婆さんだよ。その村娘に恋人がいることがわかった途端(とたん)に怒り出すのがお約束。村に1人はいるもんだ」


 ジジは想像する。まあ、言い()(みょう)な気もするが、若干ズレているような気もするし……。


「変な人ね、リトル・キャロル」


忌子(いみこ)だからな」


 キャロルは2本目の煙草に火をつけた。


「……私は『いい人』になりたいと思っているんだ。誰にでも優しくて、どんな苦難を前にしても人を想う余裕があって、決して自分を(けが)さない。そういう人になりたいと思っている」


「だめよ。苦労するわ、そんな生き方。あなたを利用する人が現れる」


「いいさ。その時は叩きのめしてやるから」


 ジジは一瞬だけキャロルを見る。そして、何かを言い(あぐ)ねるように、こちゃこちゃと指を(いじ)りながら、小さく言った。


「……じゃあ、そうなったら私が手伝ってあげても良いわ」


 キャロルは、どうやらジジなりに仲良くしてくれようとしていることを察して、それが嬉しくて笑む。


「ありがとう。──ただ、思ったより早く()が現れたらしい。気合を入れてぶちのめすとしようか」


 ジジの思考が一瞬止まった。()? まさか、首無し騎士(デュラハン)のことか。


 小動物のようにキョロキョロと辺りを見回す。だが異変は感じられない。耳を()ましても、葉叢(はむら)()き分ける音も土を踏みしめる音も、聞こえない。


 一応警戒して、(そば)に置いていた細剣(レイピア)を掴んだ時。突如たらりと、額から大粒の汗が流れ出た。腕でそれを(ぬぐ)って、違和感を感じ取った。


 これは汗ではない。ぬるりとして、生温かい。


 嫌な予感がして、恐る恐る腕を見る。焚き火の灯りに照らされて、(そで)が赤黒く湿り輝いている。


(血……?)


 ジジは青褪(あおざ)めた。額から次々に血が垂れる。それを手で拭う。間に合わない。大量の出血。何故。額が切れたのか。どういうことだろう。必死に必死に、血を拭う。なにも分からないが、怖い。焦りと不安で頭がいっぱいになる。


(どうして……!?)


 気づけば周りに何も見えない。真っ暗闇だ。先まであった焚き火も、子供を()した杜松(ねず)の人形も、団栗(どんぐり)(かに)馳走(ちそう)も消え失せた。


 頭痛と耳鳴りがする。

 体が顫動(せんどう)して歯がかちかち噛み合う。

 妙に体が軽くて、寒い。

 血の気が引き、眩暈(めまい)がして、吐き気がする。

 息がしにくい。肺が痛い。

 足や腕に力が入らない。


 急に胃液が迫り上がってきて、ジジは吐き戻した。吐瀉物(としゃぶつ)には赤い鼠の子供が混ざっていて、愛おしそうにキイキイと鳴いている。


 ジジの目から止めどなく涙が流れ出てきて、瞳は飛び交う蝿のように移ろい、全く定まらなくなった。


 ──死を、宣告されたんだろう。


 直感的に思った。数秒後に死ぬ。


 死ぬって、こんなに怖いんだ。嫌だ、まだ生きたい。誰か、助けてほしい。


 叫ぼうとしても、声が出ない。元々口など持たなかったかのように、発音の方法を忘れてしまっている。


「ジジ。『神の力が(なんじ)を追う』と唱えて、胸の前で十字を切り続けろ」


 キャロルの声がした。脳から直接語りかけて来るかのような、不思議な感覚だった。


「わ、私魔法が使えない、意味ない」


 (かす)れて半分も形になっていない声で答える。だが、声が出たことに気づいてハッとした。勝手に声が出ないと思い込んでいただけだったかも知れない。


「目的は、恐怖から意識を()らすこと。()()でもいい。ただ、神は万人(ばんにん)を愛するらしいから、(すが)ってみても良いかも知れない」


 ジジは言われるがままに、震える手で十字を切る。


「神の力が(なんじ)を追う、神の力が爾を追う、神の力が爾を追う、神の力が爾を追う、神の力が爾を追う……っ!」


 必死に唱え、何度も何度も十字を切る。


「神の力が爾を追う、神の力が爾を追う……っ」


 耳鳴りが徐々に弱まる。暗闇が次第に晴れてきた。


「神の力が爾を追う、神の力が爾を追う……っ!」


 火花が散っている。ちかちかと灯ったり消えたりしている。


 カコン、カコンと金属を打つ音がする。重い音だ。なんだろう。とにかく、何かが激しくぶつかり合っているらしい。──剣戟(けんげき)か。


 さらに十字を切ると、()げながらその姿が見えて来た。


 前方に首のない巨馬(きょば)。それに乗るのは、同じく首のない騎士である。左手に己が首を持ち、右手に真っ黒な炎を纏った濶剣(ブロードソード)を持つ。黒炎、生きるようにうねる。(ただよ)う強烈な腐臭(ふしゅう)、長らく放置していた牛乳に似ている。


 間違いない、首無し騎士(デュラハン)だ。ジジは総毛立(そうけだ)ち、蹈鞴(たたら)を踏んだように後ずさる。


 首無し騎士は剣を大振りで()ぐ。だが、何処から出したのであろうか、キャロルが(いばら)を固めたような戦棍(メイス)で弾いた。(まばゆ)い火花が散る。双方、激しい武器捌き。キャロルの方が押しているようにも見えた。


 劣勢だと判断したのか、首無し騎士は剣を炎の(むち)に変えて振り回した。キャロルの戦棍(メイス)が鞭で弾かれ、後方に飛ぶ。鞭の嵐、周囲の全てを破壊する。木肌が裂け、地が(めく)れ上がる。ジジは恐怖で頭を抱えて伏せた。


「ひいっ!」


 (えぐ)れた地面がじゅうと音を立てて、(あぶく)を作っている。強烈な酸で土が溶けるらしい。


 木の腹が溶けて、メキメキと音を立てて倒れる。鞭が風を切る音が絶えず聞こえている。鋭い風圧を感じる。ジジは動けない。少しでも動けば、鞭の先が体に当たって、溶けて弾け飛びそうだった。


 ──怖い。


 やはり、封印の獣など相手にするべきではなかったのだ。(うずくま)ったまま、じきに背中が弾けて死ぬ。終わりだ。


 恐怖が(まぶた)の裏に、あの日の光景を呼んだ。


 故郷。真夏の暑い日。白砂(しろすな)が光を照り返して、陽炎(かげろう)が昇っている。熱にやられて倒れるかのように、人々は眠りに落ちる。彼らは数秒経つと激しく引き付けを起こし、まるで壊れた発条(ゼンマイ)人形のようにのた打ち回った。肉親も友人も隣人も、そうなった。人が人でなくなる瞬間だった。


 しんとした街。

 奇妙に動く尊厳(そんげん)を失った人間。

 砂を掻く音。

 ()がれた爪、白砂(しろすな)に薄い血の跡。

 照りつける光。

 ()えた青空。

 南からの熱風、木々の騒めき。

 黒々とした己の影。

 弟と、世界にたった2人だけ取り残されたような。

 永遠とも思える時の中、絶望を味わった。


 だめだ、怖い。勝てるわけがない。どうせ、リトル・キャロルも死ぬ。だって、学園の落伍者(らくごしゃ)なんだから。聖女の何倍も劣るんだ。


 ──見捨ててしまおう。背を向いて一気に走って逃げれば、奇跡が起きて逃げ切れるかもしれない。


 そう思った時。己を見捨てて行った者達の、妙な愛想(あいそ)笑いを思い出した。怒りをぶつけられないように、笑って誤魔化す、あの複雑で、頼らなくて、何より汚らしい笑顔だ。みんな同じ顔をしていた。故郷の自警団も、冒険者も。ハルフォードの薬師(くすし)も、神官も、貴族も。人を絶望の渦に落とそうとする、気持ちの悪い笑顔。


 笑顔なんか嫌いだ。反吐が出る。だからだろうか、自分が最後に心から笑ったのはいつか、覚えていない。


 あんな顔は作らないって、心に決めたから。あいつらと同じようにはならないって、心に決めたから。


『強いんだ、ジジは。強い人は優しい』


 キャロルの言葉を反芻(はんすう)した刹那(せつな)(まなじり)を決し、ジジは細剣(レイピア)を握っていた。


 ジジは身を低くしたまま地を蹴り、ぎゅんと間を詰めて、鞭の嵐を掻い潜る。そして、ゆらりとした独特の剣捌きで、首無し騎士(デュラハン)が手に持つ首、その額に切先を刺し込んだ。


 首無し騎士はジジの接近には気づいたが、一癖ある我流(がりゅう)の剣術(ゆえ)に、対処できなかった。


 首のない巨大な黒い馬が驚いて立ち上がる。馬と騎士は痛みを共有していた。騎士は手綱を引き、振り落とされないように力を入れる。


「見事だジジ。やっぱり強い」


 キャロルは右手の爪を伸ばすようにして、指の先端から(いばら)の剣を生み出し、馬の後足を切断。騎士は激しく倒れ込む。立ちあがろうとしたところで、キャロルは騎士の胸にぐっと(いばら)の剣を突き刺した。


 生命の力を放出。騎士の体の中で植物が膨らみ、パンと鎧が弾けて花々が溢れ出す。そして光と花弁(かべん)とが柱となって天を突き、激しい旋風を巻き起こしながら、灰に覆われた夜空を晴らした。


□□


 ジジは腰が抜けてしまって、自力で歩く事が出来なかった。だから、キャロルに肩を貸して貰いながら、木々の根を一歩一歩と踏み越えて行く。


 あの時、細剣(レイピア)を手に地を蹴り、首無し騎士(デュラハン)に攻めかかれたのは、所謂(いわゆる)火事場の馬鹿力のようなものだったのだろう。その後はまるで体に力が入らなくなった。今も脚がパンパンに張っているし、腕も同様。荒い呼吸をしていたからか、横腹(よこばら)も妙に痛かった。


「本当に、倒したのよね……? だって、無傷よ? 封印の獣を相手に、信じられない……」


「ジジの運が良かったんじゃないか。街に残って他人に尽くす事で、功徳(くどく)があったんだろう」


「嘘よ。私が無傷なのは、あなたが私を守りながら戦っていたからでしょう。それくらい分かるわ。私が言いたいのはそうじゃなくて、あなたの強さが異常だって事よ」


 2人は森から出た。空には黎明(れいめい)の薄い桃色が広がっている。数日ぶりの灰に覆われていない空。まだ薄く(けぶ)っているようにも見えたが、それでもジジにとっては美しい空だった。


「死ぬかと思ったわ。頭から血が流れてきて、どうしようもなく怖かった」


腐臭(ふしゅう)が神経に触れて、幻想を見せたんだろう」


 即ち、ガスを発生させていたということ。


「私も変な幻覚を見たよ。敵だと思って殺したのが、本当はエリカだった。私はエリカの胸を剣で貫いた」


「エリカ……?」


()()だ。明るく元気で、私の足りない所を(おぎな)ってくれる。一歩が重い私の代わりに、思い悩んで、決断して、前進していくんだ」


 ジジは『そんな連れがいたのね』と呟きそうになったが、飲み込んだ。まるで(うらや)ましく思っているように聞こえたら、嫌だった。


「やっぱりあれが首無し騎士(デュラハン)で間違いはなかったの?」


「うん」


 首無し騎士は死を宣告する。現在、王国各地で黒死病(ペスト)結核(けっかく)、子供の間では麻疹(ましん)が流行していて、そうした病が『死』の象徴として街に呼び寄せられたのだろう。場合によっては出水(でみず)土石流(どせきりゅう)(いくさ)や虐殺であるなど、その時代、その時々で変わるものと考えられた。つまりは最も身近な『死』が(いざ)われる。


 そして、直接対峙する者には強烈な『死』の印象を植え付け、恐怖で狂わせる。並の精神力では太刀打ちのできない、厄介な魔物であった。


 だが、首無し騎士は光に消えた。ハルフォードの街に死が呼ばれることはないだろう。あとは病を根絶できるかが勝負になる。


「しかし、何者かは知らんが生前は大した騎士だったのだろうな……。見ろ、少し打ち合っただけで、手が血豆だらけだ。力が強すぎる」


 キャロルは掌を見せて、にかっと笑った。あどけない笑顔だった。


(そんな顔も出来るんだ……)


 ジジはドキリとして、目のやり所がなくなり、俯く。距離も近いし、やめて欲しい。女なのに、変に意識するから。


 2人は原を抜けて街道に出た。キャロルはジジをハルフォードに送り届けるべく街に足を向けたが、背後、遠くから足音と蹄の音、金属が擦れる音が聞こえて来た。


 その方を見れば、街道の先に白馬に乗った騎士たちと、真っ白な鎧を身に纏った兵達が長い隊列を作って、こちらに迫り来ていた。その数、凡そ二旅(1000人)。銃兵、弓兵、魔術隊まで揃えた大部隊。先頭、旗持(はたもち)が掲げた旗には聖鳥章。正教軍である。


 ジジの頬に冷や汗が伝う。


「しまった、もう来たのか」


 愚図(ぐず)な弟のことだから、もう少し時間がかかると思ったのだが。街道に出たのは迂闊(うかつ)だった。


「こういう時は素早いんだから、莫迦(ばか)!」


 小声で悪態をつく。そして(ゆる)しを乞うような表情でキャロルを見つめた。


「ごめんなさい。あなたを捕えるために私が呼んだの。私が話をつけてくるから逃げて」


 キャロルは首を横に振り、ジジから離れた。背を向け、正教軍の列へと歩み始める。


「ちょっと、どこ行くの!? 早く逃げないと!!」


「逃げることはない。何も悪いことはしていないのだから、堂々としていれば良いんじゃないかな」


「でも!」


「大丈夫。話せば分かってもらえるさ。彼らだって、誇りを持って人々を守ろうとしているのだから」


 キャロルは振り返らない。


「まさか、もう行ってしまう気……?」


 直感し、ジジは叫んだ。


「待って! まだちゃんとお礼も出来ていない! 私が軍に話をつけるから、一旦街に寄ってっ!」


 正教軍の隊列の中から1人、嘴面(ペストマスク)を被った大男──つまりジジの弟が現れて、ぴょこぴょこと小走りでジジに寄ってきた。キャロルと大男はすれ違う。大男は彼女の背中をちらりちらりと振り返りながら、ジジの(もと)で止まる。


「組合長、大丈夫かっ。なんで街道なんかに突っ立ってたんだよ」


「いろいろあったのよ」


「キャロル、投降(とうこう)しちゃうのか?」


「分からない。本人は話すって言ってたけど……」


「話すだって? でも光の聖女を自称してるんだろ? ちょっとばかし揉めそうだなぁ」


 ジジは目を丸くした。光の聖女は4人の聖女を導く存在だとされていたが、数日前、(おおやけ)に晒された真の原典にはその記載がなかったことで存在を否定された。光の聖女は誤訳だったとされる。


「間違いないの? キャロルが光の聖女だって、自分で言ってるの?」


「え? あー、うん、多分? 正教軍の人が言ってたよ。あれ? 飯炊(めしたき)百姓(ひゃくしょう)だったかな?」


「ハッキリしないわね、役立たず!」


 キャロルは隊列に近づいてゆく。


 先頭を行く旗持(はたもち)が、背後にいる将らしき老騎士をちらりと見やった。老騎士は手信号で全軍に『静止』と合図し、隊を止める。


 老騎士は白い巨馬に(またが)ったまま隊の前に出てキャロルと対峙。騎士が3人、それから雑兵(ぞうひょう)が30人、武器を手に老騎士とキャロルを囲んだ。キャロルは逃げ場を失う。


 だがキャロルは特に(おく)する事もなく、老騎士をじっと見上げた。騎士の隣に立つ兜役(かぶとやく)、竿に掲げた(おおかみ)の変わり(かぶと)の眼光が、ギラリと(きら)めいている。老騎士の鎧も狼を模しているようで、肩から羽織る白い毛皮が朝日に輝いていた。


 (いかめ)しい面構えの老騎士が、重々しく口を開いた。


「リトル・キャロルか」


「うん」


(それがし)は南部地域を纏める将が1人、正教軍大佐トマス・ジョンソンと申す」


「トマスか。少し、聞いて欲しい事がある」


 キャロルは事の次第を淡々と話し始める。


 まず、大白亜を下山してリューデン公爵領に向けて旅をしている事。ハルフォードの街は黒死病(ペスト)で壊滅している事。多少の治療は行ったもののまだ不十分である事。街の近くに聖地があり、封が解かれて魔物が解き放たれた事。封印の獣をジジと共に倒した事。


首無し騎士(デュラハン)は倒したが、まだハルフォードの街には山ほど病人がいる。今日明日を生きるのも厳しい人たちだ」


 将トマスは黙って聞いている。


「もし貴殿らに余裕があれば、駐留して手当を行って貰いたいと考えているのだが。如何(いかが)だろうか」


 真面目な雑兵(ぞうひょう)が剣を強く握り、じりじりと半歩キャロルに近寄って、叫んだ。


「き、輝聖などは存在しない! お前はクリストフ五世に騙され、政戦の道具にされているに過ぎないんだ! 抵抗しなければ手荒な真似はしないから、大人しく武器を捨てろ!」


 キャロルは外套(クローク)を広げてみせる。


「武器なんて持ってないよ。ほら、何もないだろう? 私は話をしに来たんだから、剣も銃も必要ない」


 ついに将トマスは口を開く。


「貴殿の用向き、(うけたまわ)った」


 兵達は()()()な顔をして、一斉にトマスを見た。


「武器をしまえ。道を開けよ」


 困惑しつつも命じられるがままに武器をしまい、兵達はキャロルから距離をとる。そしてトマスは背後の軍勢に手信号で同じように指示を出して、下馬した。


「馬上よりの挨拶、失礼(つかまつ)った」


(かたじけな)い。ご理解、痛み入る」


 言って、キャロルは二旅の隊の中を平然と突き進む。弓兵も銃兵も騎馬も雑兵も飯炊(めしたき)荷物持ちも()()ずと道を開け、キャロルを眺めるだけで手出しできない。


 壮年の騎士がトマスに寄った。


「宜しいのですか。あれは確かに輝聖。教皇より捕縛(ほばく)を命じられているのですぞ」


「輝聖である以前に、ハルフォードの街を救った英雄である。感謝こそすれ、それをどうして剣を(もっ)て押さえつけることができよう」


 トマスはキャロルの後ろ姿をしばし見送った後、胸の前で十字を切った。旅の無事を祈る。


「軍律違反は、大罪と存じまするが」


「構わん。(わし)は儂の行動を間違っているとは思わぬ。魚肚白社(ぎょとはくしゃ)に告げたい者がいれば、そうして良い。貴殿らも遠慮せず己の正義に従うべし」


 落ち着かない様子の兵達を尻目にトマスは馬を引き、ジジの下まで歩みを進める。


「ジジ・ケンドールか」


 ジジもまた、困惑した(わっぱ)の表情でトマスを見上げた。(うやうや)しくするのも忘れて。


「よくぞ輝聖の聖務(せいむ)扶翼(ふよく)した。誠に大儀(たいぎ)である」


「私は、そんなんじゃ……」


(また)とない経験になったな。今日の日を心に刻め」


 そう言って、ジジの後方ハルフォードの街へと歩き出す。次いで近習(きんじゅう)の騎士に伝達。ただちに街の全体を把握すること、薬石(やくせき)効なく死した者は丁重に(とむら)うこと、魔術師と薬師に病魔に抗うための防具を用意すること。


 トマスの軍勢も前進を開始。街へと向かう。隊列は呆然(ぼうぜん)と立ちすくむジジを避けて進む。


 弟は嘴面(ペストマスク)を外した。姉と似た髪色をしていて、無骨な面相の男であった。ひ弱な感じに目をパチクリとさせ、ジジと遠くのキャロルを交互に見る。


「ほ、ほら、姉ちゃ……、組合長。あの人、やっぱり光の聖女だったんだ……」


 ジジは弟の言葉など、耳に入っていないようだった。


 ──本当に話すだけで兵を退()けてしまった。


 それだけじゃなく、味方につけてしまったような。正教軍は敵意を持ってキャロルを探しているはずなのに。だがその敵意を、救いに変えてしまった。


 キャロルの背中を見ていると、彼女が少し振り返って片手を上げた。


「私の我儘(わがまま)に付き合ってくれてありがとう!」


 キャロルは「あ」と声を出し、何かに気がついた()ぶりを見せた。花冠(はなかんむり)が頭に出来てしまったらしい。恥ずかしそうにしながらそれを掴み取ると、肩を(すく)めてぱらぱらと散らせた。


 再び前を向き、寂寥(せきりょう)とした秋の街道を行く。まるで、隣町に買い物にでも行くように、軽い足取りで。


「あの人、本当に光の聖女なんでしょうね」


「い、行かせちゃっていいのか? 手伝ってもらった方がいいんじゃないのか?」


 ジジは残念そうにふっと笑った。笑ったのは、いつぶりだろう。


「私たちの(てのひら)にはとても収まりきらない。神様くらい大きな手じゃないと」


 風が吹く。青い花びらが飛んできて、ジジの鼻に引っ付いた。剥がして透かしてみる。


「春の花だわ」


「秋なのに?」


徒花(あだばな)ね」


 矢車菊(コーンフラワー)、空の色。


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