表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
125/169

福音


 その日は激しい雨が降っていた。厚い雲が太陽を隠して昼なお暗い。遠雷(えんらい)の音と、雨が硝子窓(がらすまど)を打つが絶えず聞こえている。冷えを(ともな)大颶風(だいぐふう)であった。


 キャロルは巫女(みこ)も下男下女も書斎(しょさい)には近寄らせなかった。自分で紅茶を()れて客人を持てなしたいのだと押し通した。


 湯通ししておいた茶碗(ティーボウル)に3分間蒸した紅茶を注ぐ。華やかな香りがふわりと漂う。


 茶器は芸術品のようだった。白磁(はくじ)は純白に()み、そこに描かれる椿(カメリア)の花々は精巧で、生き生きとしている。牛乳差し(ミルクピッチャー)湯捨て椀(スロップボウル)砂糖入れ(シュガーボウル)も卓上で輝いていた。器も取手のない()()で、これはかつて存在した遥か東の国の流行。意匠(いしょう)の凝らした骨董品(こっとうひん)である。


 キャロルはジャック・ターナーの前に茶碗を置いた。砂糖と共に番紅花(サフラン)を紅茶に入れるのが流行りらしいので、そうしてみる。


「久しくこんな高級な茶は飲んでいないな」


「私はもっと質素な紅茶を飲み慣れているのだが……。大白亜には献上品(けんじょうひん)が集まるから、嫌でも特別感が出る」


 キャロルは自分の茶碗にも紅茶を注ぐ。茶漉しを用いて、丁寧な所作であった。


「しかし、随分と老けたなジャック・ターナー。8節ほどしか経ってないのに、それは異様だ」


「鏡を見て初めて気がついたよ。我が身の変わりように」


「心労か?」


「ここの所、神のことを考え過ぎている。まともに眠れた日は数えるほどだし、尿が詰まって腰も痛い」


「あとで面高(おもだか)の薬を作るよ」


 面高は沼地に生息する植物で、小便の出を良くする。


「さて、キャロル。君はささやかな茶会を開きたかったわけでも、問診(もんしん)をしたかったわけでもないんだろう?」


「話が早くて助かるよ」


 キャロルは紅茶を一口(すす)って、ちらりと扉を確認した。扉は閉まっている。誰も聞き耳を立ててはいなそうだ。


「こんな事を話せるのは、貴方(あなた)しかいない。私が輝聖だと最初に気がついた貴方しか」


 やや硬い声色。続ける。


「私はこのままで良いのか。本当にクリストフ五世や神官らの言う通り、玉座に座していればそれで良いのか」


「不安か」


「不安だ。私に何かできることは?」


「相手は天変地異だぞ。出来ることは何もない」


「私は聖女だ。場合によっては(しず)められる災厄もあるかも知れない。苦しんでいる人がいれば魔法や(ポーション)で助けることもできる。お前まで私に偶像(アイコン)である事を強いるのか?」


 ジャックは病んだ瞳でキャロルをじろりと見た。


「キャロル。君はやはり、神が災厄を起こしていると考えているのか」


「肯定だ。世界は神の(てのひら)の上なのだろう。ただ玉座に座り続ける私に対して、動けと言っているんだ」


 ジャックは顎に手を当て、考え込む。


「ジャック・ターナー。意見を聞かせてくれ。私は今すぐにでも大白亜を下山するつもりだ」


「下山してどうする」


「分からない。やれる事を探す」


「やれる事とは?」


「私の下には情報が入ってこない。山の外がどうなっているのかもよく分からない。()(かく)、こうして座っているのはもう我慢ならないんだ。下山を手伝って欲しい」


「落ち着け、キャロル」


 ジャックは長考(ちょうこう)(のち)、口を開く。


「確かに神は気が短い。いち早く()を叶える為、世に刺激を加えるのが最良と考えている可能性もあると、私も思う。例えば、家の前で(くずくま)(のみ)だらけの野犬を、(ほうき)で突いて退()かすように、そうする」


 神の夢とは『世界を円とする事』である。


「うん。()()は意地悪で鄙劣(ひれつ)倣岸(ごうがん)で、しかも(あつか)かましい。井戸を独り占めする老婆のようなものだろう。そいつの機嫌次第で周囲は振り回される」


 ジャックは『そこまでは言っていない』と言う風にして、顔を(しか)めた。自分以外の人間が、神にそのような評価を下すのは複雑だった。


「キャロルの言う通り、世界は神の掌の上だ。とは言えども、果たして神はそこまでの事をおやりになるだろうか」


「と言うと?」


「神は性根(しょうね)が悪いが、愛の人でもある。盲愛(もうあい)するが故に、君たち聖女に試練を与える。だからこそ、乗り越えられる試練しか与えない。流石(さすが)に山が(はじ)けたり地が揺れたりは、聖女も手に負えないだろう。君は彗星を取り除けるか?」


 キャロルは一理あると思い、ジャックから目を逸らした。


「ではジャック・ターナー、お前はこの連続する災厄を、神の意思とは関係ないものとして見ているのか」


「いや、無関係ではないだろう。()くまで憶測(おくそく)に過ぎないが、例えば、天変地異は副次的なものであるとか……」


「と言う事は、また別に神の思惑があると……?」


「ただ、キャロル。それよりも、私が違和感を覚えているのは、別の事なんだ」


「別の事?」


「──エリカ・フォルダンは君にとって大切な存在か?」


 思ってもみなかった問いに、キャロルは目をパチクリとさせる。


「当たり前だ。エリカの事を四六時中考えている」


 そして困惑は徐々に不安に変わり、キャロルの表情を(けわ)しくさせた。坂を下る車輪のように心が(はや)る。


「エリカがどうした。言え」


「君の(そば)から従者が消えた。輝聖を支え、輝聖を輝聖たらしめた、あの少女が君の前から消えたんだ。災厄よりも、その方が明らかな神の意思を感じる」


 キャロルはパクパクと口を動かす。ひどく動揺した。


「エリカは。エリカはどこで何をしている……?」


「下山したと聞いているが、詳しくは知らない」


「大白亜にいないのかっ⁉︎」


 その時、大窓の外で落雷があった。影が焼きつくような、凄まじい光。同時、パンと激しく弾ける音。部屋が揺れて茶器がカタンと鳴る。部屋の燭台が倒れて火が消えた。


 雷は(なら)に直撃した。木は縦に裂け、炎を上げながら倒れる。それは大窓に直撃して、硝子を破壊し、壁まで食い破った。裂けた幹とその(こずえ)が書斎に雪崩れ込む。激しい雨風が室内に吹き荒れる。


「──!」


 梢の先に、エリカから貰った耳飾りが引っかかっている。机の上に大切に置いてあるはずなのに、それが、そこにある。有り得ない。


 激しい音を聞いて、巫女のアンと兵士が慌てて書斎に入って来た。


聖下(せいか)、ご無事ですか……!」


 キャロルが軽く手を上げて無事である事を示した時、再び落雷。今度は宮殿から少し離れた(にれ)の木に直撃。小爆発が起きて、雨の中でも激しい炎が上がった。


 揺れる炎が、暴れる梢の前に影を作った。妙なことにそれは人の形となって、実体を持ちながら、宙に浮いている。書斎にいる誰もがそれに注目していた。次第に目が慣れて、それが明らかになる。


 ──浮かんでいるのは多指の少女であった。


 外套(ローブ)を羽織り、石黄(せきおう)に輝く髪が、激しく風に踊っている。


 ジャックは目を丸くして椅子から転げ落ちた。肌に(あわ)が生じる。背筋に悪寒が走る。神秘は恐怖と表裏一体。恋焦(こいこ)がれていた偶像(ぐうぞう)の出現は甘美なものではなく、それは絶望の色に似ていた。


 多指の少女はジャックも巫女も兵も居ないものと扱い、静々(しずしず)と笑んでキャロルを見下ろしていた。


 稲光(いなびかり)。壊れた窓枠(まどわく)と葉の焼けた枝が交差して、巨大な十字の形を浮かせた。祈りの対象として見慣れたそれは、睥睨(へいげい)するように周囲を威圧し、キャロル以外の全員を恐怖で金縛りにした。


「誰かッ!!」


 狼狽(ろうばい)した巫女が助けを呼ぶ。外では警鐘(けいしょう)と雷鳴が激しく鳴っている。


 キャロルは祭服に隠していた煙草を取り出し、咥える。雨に濡れていたが、火の魔法で無理やり火種を作った。額には青筋が張っていた。


「私はお前が嫌いだ。やり方が気に食わない」


 脳に直接語りかけて来る声がある。


『──私は全ての人間の福音(ふくいん)。無論、貴女(あなた)にとっても』


 煙を吐き出しながら、強く、激しく強く、キャロルは多指の少女を()めつける。黄金の瞳、憤怒(ふんど)に燃える。


「へぇ。歌わずに喋れたのか。しかも、キツめの北部(なま)りなんだな。可愛いじゃないか」


『南東へ』


 明らかな示唆(しさ)。絶対的な神秘。


「上等だ糞女(ビッチ)。いつかお前の顔を殴ってやるよ」


 神はエリカから贈られた真鍮(しんちゅう)の耳飾りをつけてみせ、『私の方が似合うだろう』と破顔(はがん)した。


面白いと思ってくださったら、下部のボタンから★評価をお願いいたします。

作品ブクマ、作者フォロー、感想コメント・レビューもお待ちしております。

書籍情報は広告下部をご参考ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
html>
書籍第三巻(上)発売中!
書籍第一巻発売中
書籍第二巻発売中
ご購入いただけますとありがたいです。読書の好きな方が周りにいらっしゃれば、おすすめしていただけると助かります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ