法王
鶺鴒の節朔日より3日間続いた『鶺鴒一揆』により、宗教施設群『大白亜』は荒廃した。獄炎竜アルマの火弾が各所に降り注ぎ、一部に於いては甚大な被害となり、未だ復旧の目処は立たない。だが、大白亜の象徴であるカレーディア大聖堂が被害を免れたのは幸運であった。これも神の計らいだろうと、神官達は口を揃えて言う。
さて、地下談話室に4人の男が集まっている。それぞれが黒い祭服を身に纏い、椅子に腰掛けていた。
4人の内の1人、クリストフ五世は煙を吐き出し、言った。
「光の聖女は4人の聖女を導き、世界に太平を齎す」
続ける。
「原典に沿う事が、救いの全てである。即ち、輝聖の世となれば世界は必ず救われよう」
言って、天を仰ぎ見る。天井には誰かが杖を使って潰したのであろう蛾の跡があり、クリストフ五世は常々これを拭いたいと思っている。しかし実際に掃除するには気が重い。下男下女に頼むのも億劫だった。
「──光の聖女リトル・キャロルを正教会の首長に据える。それに際し、称号を何としたものか」
静寂が訪れた。5秒、6秒と経ってから、長い白髭を蓄えた老人が口を開いた。
「畏れながら申し上げまする」
この男はジェフリー・ブライと言い、正教会の役職では長老であった。
長老とは人格者と認められ、神官の指導にあたる者の事を言う。クリストフ五世が師匠筋として敬う人物であり、彼が教皇となってからはその聖務を支えた。正教軍に捕えられ、大白亜内で幽閉されていた所をマール伯爵領軍に助けられている。
「教えの頂きに立つ者は教皇と呼ぶのが慣わし。従って輝聖も教皇と呼ぶのが適切と存じまする」
「だが、ヴィルヘルム・マーシャルはついぞ教皇を名乗ろうとしているぞ」
クリストフ五世は祭服から1枚の犢皮紙を取り出した。
「来たる白露の節、小望月。教皇代理ヴィルヘルム・マーシャルは選挙により正式に教皇となり、ウィレム九世に就任する。意外にも平々凡々な名前に収まったな、あの盲は」
ジェフリーは滔々と言う。
「正教の頂点は偽神ヴィルヘルムに非ず。真なる教皇は輝聖リトル・キャロルにございます。長きにわたる歴史の中で、正教会の首長を教皇としなかった例は此れ一つとしてなし」
「あいわかった。フレデリックはどう考える」
言って、端然と座る白髪の男を見る。名はフレデリック・ミラーと言い、元は正教軍の大将。本部教庁と軍部の橋渡し的な存在も務めた。クリストフ五世を親密に支えたことから、彼もまた捕えられていた。
フレデリックは左右の瞳の色が違った。右は灰色で、左は葡萄石の義眼を入れ込んでいて淡い緑に光る。若い頃、運悪く愛霊に遭遇し、正気を保つために自ら潰した。愛霊は芸術や武芸に長ける色男を選び、愛に狂わせる。虜になれば霊との叶わぬ恋に気を病み、大抵縊死を選ぶ。
「同じく、教皇と呼称するのが妥当と心得まする」
クリストフ五世は粉を塗したような白混じりの不精髭を、じょりりと指で撫でた。
「やはり教皇、か。さて──」
言って、フレデリックの左に座る男を見遣る。
その男の髪は白く抜けていた。加齢によるものではなさそうで、顔も青白く、目の下には濃い隈を作っている。琥珀色の瞳は微妙に震え、焦点がぴたりと合う瞬間がない。気狂いの佇まいであった。
「ジャック・ターナー。お前の意見を聞いておこう」
静かに口を開く。
「輝聖リトル・キャロルを教皇と呼称するは、些か浅はかであると存じます」
「浅はか、とは何か。ワシら死に損ないの老人共にも分かるように説明せい」
「──輝聖は、神に仇なす謀反人に天誅を下す宿命を背負ってございます」
ジャックの言う謀反人とは教皇ヴィルヘルム・マーシャルの事である。彼はその男を『神殺し』と認識している。
「ほう? 輝聖を天誅の為の使者とは、やはり狂うたなお前。輝聖は世界に太平を成す為の使者と心得よ」
「太平への道すがら、厚顔無恥なる謀反人が座してございます。それを取り除かねば太平はありません」
「我が神は戦争を始めるつもりか?」
「既に始まっているものと私は考えます。ヴィルヘルムが正教会を乗っ取った時から」
クリストフ五世は懐から蜂蜜と生姜、それから薄荷を煎じて練った丸薬を取り出し、口に放った。昨晩から喉が痛い。風邪を引いたらしい。
「まあ良い。続けよ」
「正教軍が王都を占拠して以来、王国は2つに分断されました」
1つは教皇を信ずる王都派、もう1つは輝聖顕現を信じる大白亜派である。
「ですが、大白亜派諸侯が治める領は正教会からの圧力を受けている。既に王都からの物資が入って来なく、商いの勢いが日に日に減っている様子。関所も大白亜派諸侯に赴く商人には法外な税を取る由」
「その話は儂も聞いておる。もうじき、王都派は街道も封鎖するだろうな」
「いずれは我慢の敵わざる所となり、大白亜派諸侯も王都派に寝返ると存じます」
「違いない」
「それを食い止める為にも、輝聖の威光を国中隅々まで行き届かせるべく、相応しい称号を与えること。教皇の名では些か役不足」
フレデリックは目を丸くする。
「教皇の名を役不足とは何事か……」
ジャックは震える瞳でフレデリックを見た。病んだ瞳、真夜中の井戸のよう。底が見えない。
「光の聖女は神がお与えなさった聖なるお役目。それを偽神と同列に語っては神の怒りを買いましょう」
これにはジェフリーが優しい声色で意見した。
「神は心の広いお方である。斯様なことで目角は立てぬ。真の教皇として立てば、必ずお力添えをしてくれよう」
「神の心が広い? 私は、神ほど器の小さく、意地が悪く、せっかちで、目立ちたがりで、我慢の1つも満足に出来ぬお方は知りませぬ。──尊くはあれど、その本質は阿婆擦れとお心得なさりませ」
ジェフリーは目を見開く。
「な、なんと……!」
そして続けようとしたが、その前にクリストフ五世が割って入った。
「物狂いじゃ。勝手に喋らせておくべし」
しかし、ターナーの発言は否定しなかった。クリストフ五世もまた、神を阿婆擦れだと思っているので。
「ジャック・ターナー。本題に戻るぞ。お前ならば、輝聖リトル・キャロルを何と呼称する」
続ける。
「お前が言うように、世界の王となるに相応しい名だ。その上、決して揺らがぬ名である。嵐が起きようと、山が弾けようと、波が襲い掛かろうと、そして瘴気に飲まれようと、決して揺らいではならぬ。輝聖が玉座に座すことこそ世界の太平である。それだけは、守らねばなるまい。言わば、それだけを守れば必ず世界は救われる。倅、意見を述べよ」
ターナーは即答した。
「──これより先は輝聖の御心が世の秩序となるを祈り、『法王』と名乗る事を進言致しまする」
□□
聖暦1663年。霎時の節暁月。輝聖リトル・キャロルは教皇に与えられる三重冠を受け、事実上の対立教皇となった。
対立教皇とは選挙で決められた教皇に対抗して立てられる教皇である。輝聖でありながらリトル・キャロルは、後の世でも正式な教皇としては認められていない。
なお、神聖カレドニア王国が後世に定めたキャロルの呼称は『神の代理人』である。その他、大白亜が王都よりも南に位置する事から『南方処女王』、或いは『南方の最高神祇官』と文献によってぼやかされる場合もあった。
正教会大白亜派としての称号は『法王』。正式には『天平輝聖法王』。次いで、リトル・キャロルは『大いなる聖都のキャロル』に就任。他に『信仰の擁護者』の称号も授かる。
クリストフ五世は蚕と桑の葉による卜占を行い、キャロルの死後授かるべき聖名を『克肖女イヴァ』とした。克肖女とは神に酷似した威光を持つ女性を指す。
ただし、公文書以外では単純に『輝聖キャロル』と書かれることも多い。
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