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孔雀は飛んだ(後)


「マリアベル・デミめ。殺したと思ったのに生きているとは、まるで蜚蠊(ごきぶり)であるな」


 モラン卿は再び魔弾を装填(そうてん)し始める。


「いつから、そこにいた……?」


 エリックの一挙手(いっきょしゅ)一投足(いっとうそく)に集中しすぎて、気配に気が付かなかった。不覚だった。


「何ぃ? 誰に向かって口を()いているッ‼︎」


 モラン卿はマリアベルの腹を全力で蹴り上げて、続ける。


「聖女などという迷信に乗じて、高貴なる私と婚約を無理矢理に取り付けた、下品で(いや)しく(みだ)らな女めッ! 畜生以下の存在がッ!」


 再び腹を蹴り上げられ、マリアベルは吐瀉物(としゃぶつ)を漏らした。モラン卿は顔を踏み、吐き戻したそれに押し付ける。


「父も父なら子も子なのだッ! 我が子爵領を救う事もせず、のうのうと生きている()れ者の子めッ! お前達は私の全てを奪ったッ!」


 顔を踏まれながらも、足掻(あが)く。だが力が入らず、葉を掻く事しか出来ない。


「貴様、何故ピピン公爵領軍を率いたッ! 私の成功を(ねた)んでいるのか? 小娘の分際(ぶんざい)でッ! 言えッ!」


「せ、成功?」


殿下(でんか)が王となった(あかつき)には、私を臣にしてくださると約束して下さっていたのだ。それを、貴様が、貴様のせいで……!」


 エリックはリューデン公爵に挙兵させたモラン卿を高く評価していた。


「そんなに私の成功が(ねた)ましいかっ! 答えろ、マリアベル・デミッ!」


 マリアベルはモラン卿の涙声を聞き、少し笑ってしまった。


 ああ、この男は何一つとして変わっていない。自分可愛さにサウスダナンを滅ぼした挙句(あげく)、父エドワードがモラン子爵領を救わなかったと逆恨み。その上、何故か私が婚約を取り付けた事になっている。なんともいい加減で浅ましい男。


 下品な考えでエリックの味方をし、媚び(へつら)い、自らの欲の為に国を荒らしたのがよくよく分かった。どうせその拳銃も珍しいからと言って()ったのだろう。


「何を笑っているッ!」


 モラン卿は再びマリアベルを蹴る。マリアベルは口からぼろぼろと真っ黒い血を吐き出した。


 これを見て、エリックはついに剣を下ろした。これで戦いは終わりだという示唆(しさ)だった。


「モラン卿。いつも助かる。お前だけが俺の味方だ」


 エリックは続ける。


「海聖マリアベル。言ったはずだ。俺は諦めていない。必ず俺の(もと)に騎士達が集う。そして俺の戦いを見て、目を覚ました諸侯も集い始める。まずは手始めにこの聖セドナを手に入れ、もう一度王都に舞い戻るつもりだ。俺はまた、1から始めるんだ。腐った正教会は俺が滅ぼそう」


 マリアベルは深く、ゆっくりと息をしている。エリックに言いたいことは山ほどあるが、口が開かない。その静かに上下するマリアベルの体を見て、エリックは笑い出した。


「ははは。これでもまだ死なぬのか。驚きだな」


 額に手を当て、ゆっくりと蓬髪(ほうはつ)をかき上げる。濁った藍緑色(ターコイズ)の瞳で、マリアベルを見下ろす。


「この傷は人であれば死ぬ。だがお前は死なない。やはり聖女という生物は世の(ことわり)を無視した、不気味で、説明のつかない、気色の悪い、獣物(けだもの)だ……。魔物と変わらないではないか……」


 そして怒りに満ちた顔つきになり、爆発したかのように叫んだ。


「貴様ら聖女という存在は、本当に、本っ当に、気持ちが悪いッ‼︎ 不愉快だッ‼︎ 吐き気を(もよお)すッ‼︎ この世の何よりも下劣な存在だッ‼︎」


 マリアベルはその(ののし)りを静かに聞いていた。モラン卿に顔を踏まれながら。


「何が聖女だッ! 何が輝聖だッ! 何故、あんなものを有り(がた)がる! お前らなどはモラン卿の言う通り畜生以下だッ!」


 声が、ぐわんぐわんと反響して聞こえてきた。聴力がおかしくなり始めているらしい。まだ目は見えているが、すぐに目の前が暗くなるだろう。まだ多少力が入る今のうちにモラン卿を押し退けるべきだと思ったが、もう手遅れか、踏みつけられる足すら退かすことも出来ない。


 ならば回復魔法は使えるか。いや、出来る気がしない。詠唱もとても出来ない。魔弾のせいか、喉が()けるように痛いのだ。


 このまま罵倒(ばとう)を聞きながら、むざむざと殺されるのだろうか。でも、何か方法はあるはずだ。知恵を絞り出せ。海聖なのだろう。


謁見(えっけん)の日、お前は王の前で『相当の地位を寄越せ』と(すご)んで見せたな。老いた王であれば無礼が通ると思ったのか! なんと浅ましく、下品なことか!」


 話が上手く入ってこない。考えも覚束(おぼつか)なくなってきた。どうやって脱したらいいかとか、何か反撃の糸口はとか、頭の中に浮いては消えてゆく。眠気にも似た心地よさを感じ始める。


 ──このままじゃ、本当に不味い。


 脳を働かせようと、必死に呼吸する。いや、そうしているつもりなだけで、息は浅い。


 ──もう、寝てしまう。


 そう思った時だった。


「ああ、焔聖も気持ち悪いな。あの女はなんの(とが)も無い人間を山程(やまほど)殺した分際で『自分を変えたい』と(のたま)いやがった」


 マリアベルの指が、ぴくりと動く。


「だからアイツの存在を完全に否定してやったよ。胸のすく思いだった。せいせいしたよ。あの汚い人間が真っ当になるなど許されるわけがないのに。何が『変わろうと思った』だ、気持ち悪い……ッ!」


 徐々に息が深くなっていく。どくん、どくんと鼓動(こどう)の音も聞こえ始める。確かな質量を持った怒りが、腹の底から込み上げてきた。


 焔聖は変わろうと(もが)いている。必死に踠いている。涙を流しながら、過去に苛まれながら、必死に、必死に。たった1人で、誰にも相談出来ず、膝を抱えながら。時に他人を恨んで、(ねた)んで、それでも立ち上がって、変わろうとしていた。──それを、気持ち悪い?


「そうだ、聖女の中で一番虫唾(むしず)が走るのは、やはり輝聖だ。あれは魔物のような見た目をしていたな。体中に花を生やし、口と鼻から血を漏らして、ふらふらとした足取りで、本当に奇怪(きっかい)だった」


 出なかったはずの声が出る。ひどく震えた声であった。


「輝聖に、会ったのですか」


「そうとも。あの女は俺とモラン卿の前に立ちはだかった。それで、何と言ったと思う」


 続ける。


「『逃げるな』『罪を(つぐな)え』。そして手を差し伸べて『心を入れ替えれば、またやり直せる』。何のつもりだ? 俺を救うつもりなのか? 輝聖が?」


 マリアベルの瞳が震える。


「だから俺は、手を取るふりをして斬ってやったよ。この剣でな。なあ、そしたらどうしたと思う?」


 モラン卿は銃口をマリアベルの頭部に押し付けた。そして、にやにやと笑いながら、引き金に指をかける。


「──あの女、涙を流しやがった! 花だらけの魔物がッ! 人の真似をしたんだっ! 気持ち悪くてしようがないッ!」


 マリアベルの脳裏にキャロルが涙を流す姿が過ぎる。そして、寄り添おうとして拒絶された悲しみが、心に去来(きょらい)した時。──それは一瞬で弾けた。


 海聖の体を中心に青い光柱が生まれて、天を貫いた。それは稲妻を纏って、悲鳴のような金属音を上げた。


「……⁉︎」


 激しい光と肌を焼くような熱、それから体を引き裂かれるくらいの強い衝撃に、エリックは身を低くして、目を細めた。


 強烈な青い光が徐々に収まっていく。


 光の中央に立っていたのは海聖マリアベルであった。不思議なことに、鈴懸(プラタナス)の葉で出来た黄金の海の上に、爪先で立っている。横に水平に伸ばした手には陽炎(かげろう)、聖ノックス市の石剣。顔は正面、体は棒のように垂直。天地人の姿勢。


 モラン卿は瞬時に両腕を切断されて倒れ込んだらしい。びちびちと打ち上げられた魚のように跳ねて、声も出せない。


「なっ……」


 エリックは再び剣を構えた。死にかけていた海聖が、復活したとでも言うのか。何の魔法だろう。分からない、分からないが、目の前の女から発せられる強烈な圧が、肌をびりびりと刺激している。全細胞が逃げろと指令を出して、足が震える。


「なんだ、その姿は。何のつもりだ……」


 海を宿したマリアベルの青い瞳は、どこまでも()いでいた。(のど)やかだ。凡庸(ぼんよう)な青の色をしている。


 我執(エゴ)の化身である魑魅魍魎(ちみもうりょう)の腕は、優しくマリアベルの両手両足を支えた。六本指の柔らかな手が、ぎゅうと石剣を握らせている。背中をそっと支えてくれている沢山の腕も、暖かくて、心地が良い。


 マリアベルの心に巣食っていた我執(エゴ)、つまり渇望(かつぼう)も、嫉妬(しっと)も、羨望(せんぼう)も、劣等感も、怒りも、殺意さえも、全ては愛と言う名の海の凪によって統一され、1つの力となっていた。


 愛する友人達を『気持ち悪い』の一言で否定し、激しく(ののし)るこの輩は許せない。命を()してでも必ず倒さなくてはならない。そう思うと、体の底から無尽蔵(むじんぞう)の魔力が湧いてくるようだったし、実際にそうだった。


 魑魅魍魎が絶対にこの男を許すなと言う。マリアベルの魂も絶対にこの男を許さないと言っていた。それが全てだった。


「何のつもりだと聞いている、糞虫(くそむし)めッ!」


 マリアベルが再び刮目(かつもく)すると、強い風が吹いた。鈴懸(プラタナス)の葉が散って、吹雪のように舞う。その吹き荒れる黄金の風と共に、マリアベルはぐんと地を蹴ってエリックに仕掛けた。


 石剣を振るう。1撃、2撃、剣と剣がぶつかる。戛然(かつぜん)と音が鳴る。火花が散る。


「くっ……!」


 エリックはマリアベルの力に圧倒される。3発目、4発目、5発目はなんとか凌ぐ。しかし、(たま)らず距離を取った。


 だが、マリアベルは素早く間合いを詰めて、6発目、7発目を与える。エリックは攻勢に出れない。8発目、9発目は(むち)のように腕をしならせながら繰り出される剣。異様だった。


「……なっ!」


 ついに石剣はエリックの肩を裂いた。血飛沫(ちしぶき)が噴き出す。剣で斬られるのは生まれて初めてのことだった。


「何なんだ、お前は! 何をしたっ! 何をしたッ!」


 エリックは走って逃げ、鈴懸(プラタナス)の木を背に浅く息をしながら、再び剣を構える。


「学園からの報告では、お前には剣技の才覚がない! そうではないのか……ッ⁉︎」


 海聖は剣術には長けない。それは自らも認めることであったし、他の聖女の共通認識でもある。だが今のマリアベルは違う。


 学園で叩き込まれた剣の基礎、応用。盗もうと思ったキャロルの動き。その中で理解できなかった部分、実力が足りなくて飲み込めなかった部分が一気に体の底から(よみがえ)り、同時に彼女の血肉となった。


 兵法(ひょうほう)を極める中で身につけた洞察力は、相手が何を考え、どう仕掛けて来るのかを理解するのに役に立つ。生まれ持っての扁平足(へんぺいそく)は地面によく力を伝え、(ひょう)のように素早い動きを実現させる。マリアベルの中に眠る戦士エドワードの血は、獅子(しし)となって並々ならぬ力を与えていた。


 マリアベルは常々疑問に思っていた。神は何故、剣を己に与えたのか。答えは単純明快。神だけは見抜いていた。──海聖マリアベル・デミになら、聖ノックス市の石剣を使いこなす事が出来るのだと。


「何故、何故斬れんッ! 何故、剣が届かん……ッ!」


 エリックは地を蹴り、果敢(かかん)に攻める。上段、下段。回転し、軽やかな足取りで時に牽制(フェイント)を入れながら死角から切り掛かるが、マリアベルはそれを剣で弾いてゆく。


「何故反応できる……ッ!」


 父である王に認められたくて鍛えた剣技、その全てを(もっ)てしても海聖に傷1つ与えられない。体の状態は良い。頭は冴えているし、体は軽い。筋肉の張りは良く、剣の握りも、振りも力強く、万全だ。全力を出せている。なのに──。


「聖女如きがああああッ!」


 エリックは高く跳び、宙で回転して、マリアベルの顔面に蹴りを入れる。ついに攻撃が当たった。勢いに任せて追撃、顔面に拳を振るう。しかしマリアベルは左手で払い、足をかけてエリックを倒した。


 エリックは倒れた後、即座に後方転回を4度行い、マリアベルと距離を取る。が、知らぬ間に、首からしゅうと血が出ていた。斬られたのだろう。いつ、どの瞬間かは分からない。が、とにかく血が噴き出ている。


 それに気を取られていると、既にマリアベルは目の前にいて、剣を振り上げていた。


「──ッ!」


「キャロルちゃんより遅い。あの子は休まない」


 渾身(こんしん)の一撃、なんとか剣で弾く。まるで鉄塊でも叩きつけられたかのような衝撃。エリックとマリアベルが立っていた場所の葉が、柱となって宙に舞った。


 エリックはマリアベルに背を向けて、逃げながら応戦した。攻撃を(かわ)しつつ、徐々に距離を取る。


 その時。マリアベルに鋭い閃きがあって、剣で空を斬った。すると剣圧が光となって、エリックの体を切り裂いた。胸から花が咲くようにして血が(ほとばし)る。


「剣が、伸びるのか……ッ⁉︎」


 実際に伸びているわけではない。真の剣士に握られた石剣は、奇妙にも光の筋を飛ばして離れた敵をも切り裂く。魔法ではなく、理外の力であった。


 マリアベルはその場で剣を振るう。何度も振るう。光の筋が放たれる。


 それは質量があって剣で払うことが出来るようで、エリックは光を弾き続けるが、直接剣で打ち合っているかのように重かった。手が痺れる。このまま弾いていても、いずれは斬られる。もはや逃げる事は(あた)わない。エリックは剣を握り直し、決死の覚悟でマリアベルに向かっていく。(あり)が象に挑むが如くだった。


「うおおあああッ!」


 弾かれたように迫り、身を低くして、切り上げる。それはマリアベルの前髪をはらりと切った。


 マリアベルは伸び切った腕を一閃。それで、エリックの右腕と剣が飛んだ。


 腕を失ってもエリックは勝負を諦めなかった。残った左手で、マリアベルの顔を掴む。だが、瞬時に左腕の(ひじ)から上を飛ばされた。


 そしてマリアベルは姿勢を低くし、その場で回転するようにしてエリックの両脛(りょうすね)を切断した。


 エリックは倒れる。足がないから立ち上がることは出来ない。はあはあと息をして、必死に肺を動かすだけだった。マリアベルも極力息を止めていたのだろう、ふうと深く息を吐いてから、はあはあと苦しげに酸素を体に取り込む。


 エリックは目に涙を滲ませ、叫ぶ。


「ふざけるなッ! ふざけるなああああッ‼︎」


 悲鳴に似ていた。


「何故、俺ばかりがこんな目に()うっ! 俺が何をしたっ! おかしいだろ、こんなのはッ! おかしいだろッ! どいつもこいつも聖女、聖女聖女聖女聖女ッ‼︎ ああああッ‼︎」


 マリアベルは(うつろ)な目で、泣き(わめ)く男を見下ろしている。


「聖女が全てを俺から奪っていく! リアンが全てを俺から奪っていく! 俺は王の子だ! 第一王子だ! 普通は俺が王になるはずなんだ! 違うか⁉︎ そうだろ、答えろマリアベル・デミッ!」


 鈴懸(プラタナス)の並木道には民が集まり始めていた。銃声がしたから、何事かと様子を見に来た。


「アルベルト二世はリアンを王にしようとしていたっ! (めかけ)を愛していたからだッ! じゃあ何だ⁉︎ 正室(せいしつ)の子である俺はどうなるッ⁉︎ 父のように立派な王になるために努力して来た俺はどうなるッ! 道化(ピエロ)か⁉︎ なあ! 答えろよ、マリアベルッ‼︎ 聖女なんだろ、俺に答えを教えてくれッ!」


 民は人彘(だるま)となったエリックを見ていた。誰も助けようとしない。狂気的な叫びに怖気(おじけ)付いて近づけないでいる。


「聖セドナだってそうだっ! ロブは正教会に金を注ぎ込むから、この街は荒れていたっ! 疫病(えきびょう)も流行っていたッ! だから俺が政治を手伝ったっ! 美しい川を見たか⁉︎ 俺が下水道を作らせたから、住み良くなったんだっ! 見ろ、この美しい並木道を! 俺が作らせたんだ! 休みの日には、俺が作った広場に人が(つど)うっ! 子供達の笑顔が見たかったから、俺はやったんだっ!」


 秋風が吹いて、葉を降らせている。


「ロブが正教軍に暗殺されそうになった時だって、俺が助けてやったッ! なのにあの男は俺を裏切り、輝聖に(こび)を売るッ! 俺を見てはくれないッ! みんなそうだ! みんな輝聖だ! 聖女だ! 全員が裏切るッ!」


 エリックを中心に、血が広がっていく。


「信じられるか⁉︎ 王は輝聖のために大白亜に入ったんだぞ⁉︎ 正教軍と(いくさ)になれば、国は崩壊の危機だ! それでも病んだ体を押して、大白亜に入ったんだッ! 何故そこまで輝聖に賭ける、何故リアンを愛するッ! ──じゃあ俺の人生はなんだッ‼︎ 俺はここに居て、どこにも居ないッ! 価値がないではないかっ!」


 マリアベルはついに口を開く。


「あなたがどんな人生を歩んで、どんな思いを抱いて生きてきたか、それを事細かに察する想像力を、私は持ち合わせていない。……でも、身に覚えのある痛みではある」


 エリックは青白い顔で、マリアベルを見た。


「なあ、助けてくれよ。俺はどうするべきだったんだ? 知ってるんだろ? 聖女なんだもんな。まさか、俺は間違えたのか? 俺は、悪だったのか? 違うだろう? だって俺は、正義の為に戦ったんだ。苦しみながら、救いの為に戦ったんだ」


「人って、願いを叶えようと努力して、理想に近づく程に、別の誰かにとっての悪になってしまう。だから何であろうと、私たちは本質的に誰かにとっての悪でしかない。あなたの目に、輝聖と聖女が悪として映ったように」


 マリアベルは続ける。


「私にとってあなたは、命を賭して倒さなくてはならない悪だった。そして私は勝ち、私達の正義は証明された。辛いけど、これが全て」


「聖女の言葉は、それだけか? 俺を救ってはくれないのか……?」


「もう少し早く出会えていれば、あなたを理解してあげることが出来たかもしれない。それを心から悔います」


 マリアベルは十字を切る。


「寒い、寒いよ。なあ、神は俺を助けてはくれないんだ。だから、誰かに助けてもらいたいだけだったんだ」


 地に落ちていた聖骸布(せいがいふ)を拾い、剣に(まと)う。エリックに背を向けて、よろよろと歩き始めた。亡骸になったモラン卿には目もくれない。神妙な面持ちで立ちすくむ民達は、マリアベルが来ると、ざっと道を開けた。


「助けて……。寒いんだ……。誰か、毛布をくれないか……」


 エリックが救ったはずの民らは動けないでいる。彼らにとっては浮浪者が斬られたに過ぎず、助けてやりたくても、どうしたら良いのかわからない。何人かは回復魔法を使える者がいないか呼びかけたが、誰も何も口を開かなかった。


 その数秒後だろうか。秋の陽光の下、すうと息を吐いて、エリックはぴくりとも動かなくなった。


 □□


 マリアベルは石剣を杖にして歩き続けた。怪我はそのままだった。意識が朦朧(もうろう)として、回復魔法を使うことは出来ない。


 聖女であるから体が自動的に修復されるかと思ったが、そうでも無い。魔弾は体を貫いて体内には無いはずだが、効果が体に残っているのか、聖セドナでの覚醒が負担になったのか。理由は何にせよ、とにかく苦しかった。


 頭の中は混沌(こんとん)としていた。(おぼろ)げな考えが泡のように生まれて、泡のように消えていく。


 エリックは手負いのキャロルを斬ったと言っていた。無事だろうか。ピピン公爵領軍の調べでは、輝聖は生きて大白亜にいるらしい。確かに生きてはいるんだろうが、それでも今も私と同じように、怪我に苦しんでいるかもしれない。心配だ。どうしたら良いのだろう。どうしたらキャロルを救えるのだろう。


 いや、キャロルだけじゃない。ニスモ・フランベルジュも救ってやりたい。クララも、リアンも、父も。救いたい人が山ほどいる。


 なのに、聖女は不幸を(もたら)すと言う。エリックもまた、聖女の運命に巻き込まれて死んだのだろうか。だとしたら、真に罪なのは聖女か。真に悪なのは聖女か。考えれば考えるほどに辛い。ニスモも同じ気持ちだったのかな。


 公爵領軍に挙兵を(そそのか)し、戦争をした。それさえなければ、パトリシアはただの少女のままでいられただろう。その方が幸せだったかもしれない。


 クララも私に出会わなければ、ただの少女でいられた。だけれど私に出会ったから地下墓地で怪我をし、大白亜で私を(かば)って怪我をした。ついには目覚めなくなった。


 ──私なんて、いなければ。


 だめだ、体が弱っていると、心までとことん弱る。焔聖に偉そうなことを言った手前、しっかりしないと。


 そう思い、夜空を見上げる。天に昴宿(プレアデス)の6つ星が輝いていた。星空を金青(こんじょう)に染めている。


 リュカは見世物小屋(サーカス)に売られる際、昴宿(プレアデス)が示した道を行き、魔物が跋扈(ばっこ)する荒野を渡り切ったと記録される。ならば昴宿(プレアデス)の先に、私にとっての救いがあるかもしれない。そう思って星を追いかけた。


 原を歩いた。荒野を歩いた。森を歩き、沼を歩いた。何処に向かっているかは自分でも分からない。朝も昴宿は輝き、雲が覆っても昴宿は輝いていた。奇妙であったが、あまりその事について考察する余裕はなかった。


 どれだけ歩いたのだろう。気づくと、丘の稜線(りょうせん)に星々が赤く連なっていた。


 赤星(せきせい)がこんなにあるだなんて、見たこともないし聞いたこともない。ついに目がおかしくなってしまったのだろうと、マリアベルは立ち止まった。


 よく見れば、赤星の群れは揺らめいている。左右に動くものもあるようだ。これは、星ではない気がする。だとしたら、何だろう。


「……松明(たいまつ)?」


 そうだ。松明の炎だ。よく見れば兵達が、松明を片手に丘の上に並んでいる。


「ここはどこ?」


 星空の下、辺りを見渡す。正面は丘。左手は原。そして右手は、海。違う。これは湖か。


「まさか、デュダ……」


 丘から幾つかの赤い光が降りてくる。松明を持って、こちらへと向かってくる。


 目を細めて、誰なのかを確かめる。見えたのは華奢(きゃしゃ)な少女の姿。風に髪を(なび)かせて、駆けている。間違いない。あれはパトリシアだ。その隣で大きな体を揺らして丘を降りてくるのはロック卿。巨馬のソロモンも、とことこと並足で向かってくる。


 彼女達に遅れて、象限儀(しょうげんぎ)の杖をついて歩く少女。その(かたわら)に、少女の肩を抱いて支えながら丘を下る金の髪の少年。あれは──。


「クララ、リアン。目が覚めて……」


 呆然(ぼうぜん)としながらマリアベルは呟く。


「どうして、私がここに辿り着くと分かったの……?」


 天を見る。昴宿(プレアデス)が無い。


「そんな馬鹿な」


 見渡して、気がつく。昴宿は背後にあった。


「じゃあ私が道標にして来た昴宿は何……?」


 気がついて、苦笑する。


「そうか、神か。偉そうにしゃしゃり出て」


 それで、パトリシア達がマリアベルの接近に気がついた理由も(さと)った。大方、歌でも降って来たのだろう。


 気配がして、隣に目を向ける。多指の少女がこちらを見て薄く笑っていた。慈愛(じあい)の表情にも見え、したり顔にも見えた。少女は手に持った煙管(きせる)にゆっくりと口につけ、静かに煙を吐く。聖セドナの決闘で紛失(ふんしつ)したはずの煙管だった。


 (まばた)きをすると多指の少女の姿はなく、代わりに、自分の左手に煙管が握られていた。超常的だった。


 丘から、パトリシアの甲高い声が聞こえた。遠くて分かりづらいが、その顔は涙で濡れているように見えた。


「あなた、卑怯よマリアンヌッ! 本当に、本当に、卑怯者よッ! 勝手に1人で背負って、勝手に1人で苦しんでッ! 言いたいことも言わせてくれないまま、出て行ってしまうなんてッ!」


 ふふっ、とマリアベルは笑う。観念したかのような笑いだった。心では白旗を上げている。そして煙管に口をつけ、煙を吐き出した。


「不幸や悲しみを(もたら)すだけの人間なんて、そんな悲しい存在があるわけないじゃないッ‼︎ ──私たちの人生を、あなたが勝手に評価しないでッ‼︎」


 真っ直ぐな言葉で否定されて、涙が(にじ)んだ。1人では決して聞くことのできない、ずっと待っていた、誰かに言って欲しかった言葉だった。


 星空がぼやけていくのを認めると、なんだか溢れる涙を抑えることが出来なくて、それがぽろぽろと頬を伝った。


 そして膝を折って座り込み、あの朝焼けの日のように、わあわあと声をあげて泣いた。


 南から穏やかな夜風が吹いて、(きぬ)のような煙をゆるりと消した。原の野草が、さらさらと気持ちの良い音を立てていた。


 □□


 輝聖リトル・キャロルは、今でも友人だという旨が書かれた差出人不明の文を受け取り、霎時彎月(しょうじわんげつ)、大白亜は輝聖顕現(けんげん)を布告した。


 □□ 孔雀は飛んだ 了 □□

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