孔雀は飛んだ(前)
海聖マリアベルは王室領・聖セドナ内にある聖地『古ポップルウェル』に赴いた。
古くは玉泉で名を得た土地であり、周囲にも街が存在したらしいが、今は白楊の森となっている。
森の中にひっそりと建つ、差し掛け屋根の教会の中に封印の獣は眠る。魔物の名は『尊厳王の蠕虫』と言い、その正体は手足がなく翼もない竜だとされた。見た目は蚯蚓に似ると記述される文献が殆どで、中には動く腸詰めと例える本もあった。
蠕虫は主に地の中に住み、時折出てきては若い人間を好んで喰らった。頻繁に生贄を欲したとされ、手足のない処女を要求する。それに応える事ができなければ、地割れを引き起こして街を破壊する。
マリアベルは金の祭壇の前で跪き、丁寧に祈りを捧げた。そして祭壇の裏に安置された封──この聖地の場合は硝子碗であるが、その外側に聖油を塗り、内側には櫨の蝋を塗って封を強めた。最後に星の息吹が宿った夜露を数滴垂らして、仕上げとした。
そして教会の扉に強い結界を張り、北斗七星の形に歩く祈祷、禹歩を行った。何人たりとも近寄らないようにする。
□□
その後、マリアベルは聖セドナの図書館に入り、王都で行われた武芸試合の結果を閲覧した。
エリックは名のある冒険者や騎士を相手に常勝。聖女であるマリアベルから見ても、異様な強さだった。武術の才覚を持ち合わせた上で、血の滲むような努力をしなければ、その域には達せない。
エリックは基本的に長劔を用いるようで、その動きは『蝶のように舞い蜂のように刺す』と言った具合らしい。ただ、試合の詳細を見るにその例えは詩的にし過ぎているようで、場合によっては相手の腕を取り組討に持ち込んだり、拳を用いて相手の顎を打ったりなど、体術にも長けるようだった。キャロルの戦法に似ている。
しかし、キャロルよりも強い人間がこの世にいる訳がない。必ず彼女にはないはずの弱点があるはずだった。
キャロルの武器は実践的な体術と滑らかな無詠唱魔法。特に関節技は天才の域にあり、攻撃を繰り出せば何故か自分の肩や肘を外されていたことも間々ある。だから近距離では格闘、離れていれば魔法と、上手く使い分けて戦う。
「……強いて言えばこれが弱点か」
エリックには魔法を用いたという記録がない。つまり魔法の使えないキャロルと戦うようなものと考えれば良いか。
魔法を禁止された実技の訓練でキャロルと対峙するようなものと思おう。もちろん、訓練ではキャロルに1度だって勝利したことはない。勝とうと思ったことすらない。──だけれど、それ以外でなら。魔法を使わないキャロルに勝利した事が、1度だけある。
その夜、マリアベルは森の中にあった沼田で毒芹を採取した。
□□
そして霎時の節、居待月。午前4時。風速8海里、軟風。
聖セドナから離れた場所にある廃村。無数の布袋葵に覆われた池の上、マリアベルは水面に座す。姿勢は牛顔。右腕を肩の上から背中に回し、左腕は脇腹側から背に回し、後ろで手を組む。そして両膝を重ねるような形で胡座を組んだ。
座しながら、深く呼吸をしていた。目を閉じたまま動かない。駒鳥が彼女を止まり木にするが、そのままにしている。
精神が星空と繋がり、肉体が森羅万象を取り込む。心では祈りの言葉を繰り返し唱えている。寂寞の池には秋虫の鳴き声と、鳥の声だけがある。
2時間ほど祈り、すっかり空が青くなった頃に池畔に立つ。汗に塗れた体を丁寧に拭き上げて、着替え、それから背負袋を持って、聖セドナの街へと歩き出した。
□□
王室領・聖セドナは広くなく、首都の聖セドナを除けば小さな街が2つあるだけだった。
聖セドナの街並みは美しい。居城であるフリュー城は山の上に建ち、赤い屋根と白い壁を輝かせている。城下町も同様、赤瓦で出来た屋根が連なっていた。石畳の道はどこも整備が行き届いている。街中を流れるポーター川は生活排水を流すことを禁じているから水も清らか。天気のいい日には澄んで、魚が泳いでいるのさえ見えた。
蒼穹の下、マリアベルは街を行く。爽やかな秋の風が吹いて、街路樹の栃の木を揺らしていた。葉の擦れる音と共に、黄色くなった葉がひらりと散る。
今日は太陽を遮る雲もない。日光は鋭く、歩いていれば汗ばむくらいの陽気。だからだろうか、中央広場には露店が並んでいて、4つも檸檬水の店があった。
マリアベルはその内の1つで、檸檬水を買った。通常は器を持ってこなくてはならないが、金額を上乗せして払い、瓶に入れて貰ってそのまま持っていく。そして、その隣にあった屋台で林檎の揚げ菓子を買った。
□□
広場から7分ほど歩いた場所に、篠懸の並木道があった。黄色い葉が道を覆っている。そこに燦々とした陽の光が降り注ぐから、まるで黄昏時の海を歩くようだった。
このまま道をまっすぐに進むとフリュー城に辿り着く。主人のロブが暗殺された事で今は門を閉ざしている事だろう。王都も正教軍に占拠されてしまったわけだし、家臣達は忙しくしているに違いない。そんなことを考えながら、マリアベルはさくさくと葉を踏みしめて黄金の道を行く。周囲に人気はない。
そして、休憩用に設置されているであろう、道の脇にある長椅子にゆっくりと腰を掛けた。
隣には先客が座っている。外套を羽織った男だった。薄汚れた金の髪。無精髭を生やしていて、目元は蓬髪で隠れて見えない。とにかく、浮浪者のような見た目である。
「こんにちは。今日は過ごしやすいですね」
男は無視をして、煙草に火をつけた。
「空は高くて、風は涼しく、少しだけ太陽は暑い。遠くから野焼きの匂いが風に乗って、深く息をすると、ちょっとだけ癒される。ずっとこんな日なら良いのに」
マリアベルは林檎の揚げ菓子をもぐもぐと食べて続ける。
「よくここに座ってますね。誰かを待っているのですか?」
男は静かに煙を吐き出す。
「あなたの昵近衆は討たれたようですよ。王城に詰めていた懇意の貴族達も同様。今頃、投獄されているか、何人かは首を晒されているのではないでしょうか。彼らは来ないでしょう」
「意外と喋るのだな」
耐えかねたのか、男は口を開く。
「元々おしゃべりなんです。それにしても、驚かないのですね。殺したはずの海聖が黄泉から復活したと言うのに」
「驚いたさ。正直、漏らしそうだった。でもそれは数日前の話だ。お前が生きてピピン公爵領軍に加わっていた事を知った時には、それはもう恐怖したよ」
「そこまで驚いてくれるなんて、嬉しいです。正体を隠して巡礼をしていた甲斐があった」
口の端についた衣を親指で取って、マリアべるはぺろりと舐める。
「──第一王子エリック。あなたは王を殺して、何がしたかったのです?」
「何がしたかった……?」
「目的は? 大志があったのですか?」
「あるさ。あるけども、そんな事は些細だ。俺にとって重要だったのは、もっと別の何かだと思う」
マリアベルは揚げ菓子を食べ切ると、懐から煙管を取り出して、丁寧に葉を詰める。
「俺も質問して良いか?」
「どうぞ」
そして、火をつける。煙が漂う。
「何故背後から襲わなかった」
「正面から戦った方が気持ちが良いからです」
「海聖は勝利を収める為なら汚い手段も使うと聞く」
「よくご存知ですね」
「阿呆になったのか?」
「実はそうなんです」
エリックは軽く鼻で笑った。
「言っておくが俺は死ぬ気はない。俺は人の力を信じている。躓いても、何度だって立ち上がればいい。諦めなければ必ず報われる」
「前向きな良い考えだと思います。でも現実的な問題として、これからどうするのですか? この状態で出来ることがありますか? 諸侯は誰も味方しないでしょう。第二王女ソフィアなどは躍起になってあなたを探している。もはや、あなたの国を興す事は不可能だと思うのですが」
「俺に協力しろ。聖女の力を以てすれば可能だ」
マリアベルはくすりと笑う。
「へえ。あれだけ聖女を憎んでおきながら?」
「気が変わった。何がなんでも、俺は俺の国を手にしたい」
「執着しますね」
「どうか、協力してもらえないか」
エリックはマリアベルに左手を差し伸べた。どうやら、握手をしたいらしい。
「──握手は右手が基本です」
マリアベルは、外套の下に潜む剣、その柄に右手が添えられている事を見抜いていた。握手をすれば腕を掴まれて、刺されるだろう。
「これは豆知識。右手で握手をする理由は、剣を抜かないことの証明。礼儀のない人とは握手できません」
刹那、エリックはマリアベルの眼球目掛けて、吸っていた煙草を刺そうとした。殴るような動き。対して、マリアベルは持っていた檸檬水をエリックの顔にかけ、煙草を避ける。
互いに地を蹴って距離を取った。黄金の道の上、二人は対峙する。エリックは殺される気がなく、マリアベルとて逃す気はない。──簒奪から始まる一連の騒動、その最後の戦いが始まった。戦史では、後にこれを『聖セドナの決闘』と呼ぶ。
マリアベルは十字を切って、瓶の中に残った檸檬水を弾丸のように飛ばした。水弾はヒュンという鋭い音を鳴らしてエリックに迫る。
エリックは腰に下げていた剣を引き抜き、それを弾いた。刃は陽の光に青く輝く。魔弾と同じ、黝簾石で出来ている。
次いでマリアベルは瓶を投げつけ、自らの外套を広げた。隠してあった78本の短刀がギラリと光った。それには術が記してあり、動くものに反応する。
マリアベルが舌を弾いて音を鳴らすと、短刀は連続してエリックへと向かった。エリックは剣を振り回してそれらの半分を弾くと、あとは後方転回し、次々に避けていった。
(なんという機敏さ……、だけど……)
「──!」
エリックが着地した場所、葉の中に魔法陣。術が発動し、突き上げるように氷槍が出づる。昨晩の内にマリアベルが仕掛けておいた罠である。だがエリックはそれすらも身を翻して避ける。避ける度に葉の中に隠れていた魔法陣が発動する。次々に氷槍が出づる。
──勝負は一瞬。
読み通り、魔法を使って反撃はしてこない。彼は実戦に使えるほどの魔法を持ち合わせていない。となれば、エリックはどうにかして必殺の間合いに持ち込んでくるだろう。そこが狙い目だ。
マリアベルは自身の前方に防護壁を張り、腰に下げていた火薬袋を投げた。これは小さな鉛玉がたんと入った代物で、爆発すれば無数の球が体を貫く。
火の魔法を使用し、爆発させる。弾が放射。エリックは全神経を集中させて、迫る鉛玉を剣で弾いた。だが、幾つかの鉛玉が腿や肩を貫いたようである。小さく血が噴き出た。
──来る。
相手は我慢の限界だろう。このまま逃げ惑っていても、無駄。いつかは倒れる事が今ので分かったはず。ならば、攻めてくる。
さあ、キャロルならどうする。考えるまでもない。決まっている。その足元に広がる葉を蹴り上げる。そして、自らを隠すのだ。
思った矢先、エリックは足元の葉を蹴り上げた。そして黄金の葉が舞う。丁度風も吹いて、彼の姿が見えなくなる。
──読み通り。
姿が見えなくなった事に動揺したその隙を狙って、一気に間を詰めて来るはず。
マリアベルは耳飾りに手をやった。これには毒針が仕込んである。
海聖マリアベルは『正面から戦った方が気持ちが良い』と言ったが、あれは嘘である。正々堂々と戦う気などまるでない。罠も仕掛けたし、全身を武装して来た。背後から不意打ちをしたとしても、キャロルと同程度の実力者なら、必ず見切られると思っただけのこと。
ならば正々堂々と戦うふりをして、毒針を刺すのが一番勝率が高い。これならば、殺さずに連れ帰って断罪も出来よう。八つ裂きにして四肢を各領に晒し、それで今回の事変は全て終わりだ。
──青く輝く剣、その一閃を避けて、腿に毒の一撃をくれてやる。
舞う葉が解れて、エリックの姿が顕になる。しかし。彼はただ、立っている。何もしていない。エリックは仕掛けて来なかった。
(えっ……?)
相手の無意味な行動に目を見開き、驚く。そして外套の袖に仕込んだ鉄釘を放とうとした時。背後でパンと銃声が鳴った。マリアベルは前に倒れこむ込む。顔が黄金の葉に埋もれた。
(……な、何が起きた?)
マリアベルは立ち上がろうとするが、力が入らない。四つん這いが精々だった。
撃たれたのは胸らしい。それも後ろから。
傷口からぼたぼたと真っ赤な血が出て、黄金の葉を赤く染めてゆく。魔力切れを起こしたわけでもないのに、何故赤い血が出るのだろう。冷静さを欠いていて、すぐに答えが出ない。
マリアベルはそっと後ろを振り向いた。
そこに立っていたのは、エリックと同じく浮浪者のような男であった。肌は白く、嘘のように高い鼻と青い瞳。そして下品な笑みを浮かべている。
「──モラン卿」
マリアベルは体を震わせた。この小物が大白亜から逃げ果せていたとは驚きである。まだ名前の判明していない騎士や貴族の亡骸もあるから、それに紛れているのかと思っていた。
手に持っているのは拳銃。明らかにクリストフ五世のもの。大白亜から持ち出していたのか。そして中に込められていたのは、魔弾だ。
面白いと思ってくださったら、下部のボタンから★評価をお願いいたします。
作品ブクマ、作者フォローもしていただけると嬉しいです。
書籍情報は広告下部をご参考ください。