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救済(後)


 聖暦1663年、秋。


 鶺鴒(せきれい)朔日(さくじつ)より3日間続いた『鶺鴒一揆(せきれいいっき)』または『アルジャンナ進軍』は、鶺鴒朏(せきれいみかづき)の朝に終結した。


 交戦勢力は以下とされる。


 まず、輝聖を(ほう)するマール伯爵領軍、それから禁軍の『海聖誅戮(ちゅうりく)』に反発して挙兵したピピン公爵領軍他、諸侯勢力から成る連合軍が『輝聖方(きせいがた)』として戦った。なお、禁軍に攻められていたリンカーンシャー公爵領も、後世の歴史書では輝聖方と見做(みな)す場合もある。


 対するは、王座を簒奪(さんだつ)した第一王子エリック率いる禁軍、またそれに呼応したリューデン公爵領軍を中心とした軍勢であった。これらは『嗣子方(ししがた)』と称した。


 教皇領内ローズバレーでの戦闘で嗣子方(ししがた)大将リューデン公爵がピピン公爵に討ち取られ、輝聖方(きせいがた)の勝利が(おおよ)そ決定。その後、正教軍が輝聖方、嗣子方双方に対して攻撃を仕掛けたが、()しもの混戦で撤退を余儀なくされたとされる。


 鶺鴒一揆(せきれいいっき)()ける、輝聖方の動きは以下である。


 マール伯爵領軍は大将をマール伯爵ノア・バトラーとし、輝聖と共に大白亜を目指した。順調に進軍を進めていたが正教軍の奇襲があって、山林に一時撤退。その後は地の利を活かした防衛戦を展開し、輝聖を逃して大白亜に入れることに成功した。この戦いを後に『橅林(ぶなばやし)の戦い』と呼ぶ。被害は逃亡兵含めて2000程度とされる。


 鶺鴒一揆の核となったピピン公爵領軍はローズバレーで勝利を収めた。かつて白牛(はくぎゅう)と呼ばれた軍勢はなおも健在として、カレドニア中にその名を広める。特にうら若き領主パトリシア・ヒンデマンは、リューデン公爵を討った事で白牛公(はくぎゅうこう)渾名(あだな)され、後々の世まで語り継がれた。公爵領軍単体での被害は逃亡兵含めて250。極めて異例の少なさであった。


 輝聖は大白亜に入り、まずは前教皇クリストフ五世を救出したとされる。その後、大白亜から輝聖顕現(けんげん)の布告がなされると思われたが、暫く沈黙を続けた。


 嗣子方(ししがた)の動きは以下である。


 リューデン公爵領軍は第一王子エリックに呼応し、ほぼ全軍を今回の戦に投入したが敗北、大将リューデン公爵ワイリー・ダーフも討ち取られた。被害は甚大(じんだい)で、正確には不明。予測では9000とも10000とも言われる。戦後は嫡男(ちゃくなん)ヒューバート・ダーフが領主となった。


 また、輝聖方に捕えられた禁軍の将が第一王子エリックこそが王殺しであることを自供(じきょう)。その事は数日後に諸侯に知らされた。


 禁軍は言うまでもなく大きな打撃を受けた。輝聖が大白亜に入り、第一王子エリックが消息を絶った事が分かると、各地で戦っていた兵が士気を失い敗走した。


 ──なお正教軍は鶺鴒一揆(せきれいいっき)の最中、王都大ハイランド及び王城を占拠した。その道程を以下に記す。


 まず、教皇代理ヴィルヘルム・マーシャルは亡き王アルベルト二世の命により、南方にあるオヴェット子爵領にて奉神礼(ほうしんれい)を行なっていた。その際、焔聖に対して『大白亜の守備』を命じる。


 ヴィルヘルムは王が大白亜に座した事はもちろん、間者(かんじゃ)により、第一王子エリックに謀反の用意がある事は読んでおり、その上で焔聖を大白亜に赴かせた。


 焔聖が睨みを利かせていれば、エリックも王を刺すことは難しい。また焔聖が側にいれば、王は聖女が味方してくれていると思い、自信を持って大白亜に座すだろう。そして王も第一王子も、禁軍を連れて王都を空にする。ヴィルヘルムとしては、焔聖が大白亜に居てくれるだけで良かった。結果として焔聖が大白亜を離れたことにより王が暗殺されたが、ヴィルヘルムにとっては()したる問題ではなく、少しばかり状況が変わったに過ぎなかった。


 王の死後、ヴィルヘルムは大白亜から離れた事を上手く利用して沈黙、事が荒れるのを待った。そして『海聖誅戮』が起きると、王城を占拠する動機ができたとし、オヴェット子爵領軍と協力の上、自身を見張る禁軍を殲滅(せんめつ)して北進を開始。


 なお、ヴィルヘルムはピピン公爵領軍の動きからそこに海聖がいると勘づき、念の為に教皇旗と教皇の馬印(ウェクシルム)を持たせた部隊をローズバレーに向かわせ、それを陽動とした。マリアベルは斥候(せっこう)から『ヴィルヘルムが隊を率いている』と報告されているが、実の所ヴィルヘルムは教皇領に向かっておらず、馬印(ウェクシルム)虚仮威し(ブラフ)だった。


 その間、王都では元第五聖女隊の正教軍中佐アリス・ミルズが二師(5000人)の兵を率いて王城を占拠(せんきょ)。王都の禁軍も(あらが)ったが、戦力不足で降伏。()くしてヴィルヘルムは王都を占拠するという真の目的を聖女らに察せられる事なく、殆ど無血に近い形でそれを成した。


 ローズバレー及び各領から敗走した禁軍は、王都を奪還するべく軍備を整えたが、諸侯からの協力も得られず、さらに内輪揉めまで発生して王都に攻撃を仕掛ける事が出来なかった。


 正教軍は禁軍の中でも特に信仰が(あつ)い者は受け入れるとし、それを懐柔策(かいじゅうさく)とした。なお従わなかった兵は故郷の領に迎え入れられ、程度の悪い兵は盗賊騎士となった。また、王都奪還を諦めずに地下組織化する部隊もあれば、第一王子を探し出し、首を掲げて王都に入ろうとする部隊など、様々分かれた。


 最終的に禁軍は大きく衰退。満足に残るのは戦に参加しなかった翊衛軍(よくえいぐん)くらいで、王師四軍(おうししぐん)は解体が決定。ヴィルヘルムの沙汰(さた)を待ち、王室の安全を守る程度の軍に(あらた)められる予定である。


 鶺鴒一揆(せきれいいっき)は神聖カレドニア王国に()ける大きな転換点となった。国は王都正教会と大白亜輝聖派で教えが二分し、俗に言う『南北教会』の時代を迎えようとしている。


 ※※※


 デュダの聖フォーク城、甘松(かんしょう)の香が漂う一室。寝台の上でクララが寝ていた。顔色は陶器人形(ビスクドール)のように白く、生気がない。


 倒れて8日と経つが、未だ意識は戻らない。マリアベルの水薬(ポーション)により腹の傷は塞がったし、幸にして傷痕も残らなかったが、目覚めなければそれも意味がなかった。


 もう1つの寝台には第三王子リアンが寝ていた。


 リアンは雨の中、(かし)の木の下で倒れていた。背後から襲われたらしく、背には銃創(じゅうそう)があって、マリアベルの見立てでは弾は右胸から出ていったようだった。また、腹には刺し傷があった。ご丁寧に(ひね)った上で刃が引き抜かれている。臓器を傷つけ、確実に殺すための方法だった。


 ──ニスモが竜に乗って飛び立った後、マリアベルはピピン公爵領軍にクララを預け、キャロルとリアンを探した。周囲が止めるのも構わず、怪我を押して大白亜へと登った。必死だった。キャロルの姿は無かったが、庭園でリアンを見つけた。


 見つけた時、全身が凍りつくようであった。亡骸(なきがら)だと思った。だが幸運なことにまだ、浅い、ひどく浅い息があった。神が守ってくれていたのだろうと直感的に思い、十字を切って強く抱きしめた。あれほど人を力強く抱きしめたのは生まれて初めてだった。


 その後は必死に処置を施したが、クララ同様に意識が戻らない。息はしているが、肉体に魂が入っていないかのよう。


「大丈夫。きっとすぐに良くなるわ。2人とも頑張って。私がついてる」


 パトリシアも寝ずに看病していた。領主の身であっても、自ら役目を買って、丁寧に体を拭いたり水を飲ませてやったりしている。絶えず香を炊いているのも彼女だった。戦場の悪霊が現れて、彼ら2人を連れて行かないように、常に気を張っている。


 マリアベルは静かな瞳で、クララとリアンを交互に見る。そして蘇るのは、焔聖ニスモ・フランベルジュの声。


『聖女の運命は多くの人を巻き込んで不幸にしていく』


 確かにそうなのかも知れない、と思った。


『私たち聖女がいるから無関係な人間が死んでいく』


 もし本当に、自分のせいで2人が冷たくなってしまったら、どうすれば良いのだろう。どう(つぐな)えば良いのだろう。これから、どう生きていけば良いのだろう。……やるべき事はやった。あとは目覚めてくれればいい。だけれど、そんな気配がない。


 (かたわら)のパトリシアを見る。健気(けなげ)に看病するその横顔、(たくま)しい。死地を乗り越えて立派な将になった。しかも優しい表情も、真っ直ぐな心も失われていない。本当に、正真正銘(しょうしんしょうめい)、良い将になったと思う。


 ──この子がクララやリアンのように傷ついたら。


 マリアベルは暗い顔で煙管(きせる)に口をつけ、たっぷりと煙を吐き出すと、すくりと立ち上がった。そして机の上に寝かせてあった石剣を手にする。


「どこに行くの……?」


 パトリシアはマリアベルの背中に、何か重い決意のようなものを感じて、焦った。──まさか、ここからいなくなるつもりじゃないのか。


「ダメよ、マリアンヌ……」


 マリアベルは黙って扉に手をかける。


「マリアンヌ、行かないでっ!」


 彼女の悲痛な叫びを無視する事が出来ず、マリアベルは振り向いた。


「いいえ。私の本当の名前はマリアベルです」


「マリアベル……?」


「そう。海聖マリアベル。水の聖女です」


 パトリシアは目を見開く。それと同時に、今まで彼女に感じてきた(ただ)ならぬ気配と魅力に、1つの説明がついたような気がした。


「私はあなたたちを利用していたんです」


 冷たい目で続ける。


「輝聖を助けるために挙兵を(そそのか)した。大蛇(ハイドラ)を復活させたのも私です。あなたたちの信頼を得る為にそうした。全ては輝聖のために、あなた達を道具にする必要があった」


 パトリシアは(うつむ)く。


「使えなくなれば切り捨てるつもりでした。あなた達の事など、どうでも良いとさえ考えていた。でも、もう終わりです。既に輝聖は大白亜に入り、目的は達成された」


 パトリシアはぎゅうと拳を握った。涙が出そうになるのを抑えているのか、ふう、と長い息をつく。


「で、でも。私はマリアンヌを尊敬しているわ。それに、ローズバレーでは私たちの事が好きだって──」


「やめて」


 マリアベルは強く言う。パトリシアを拒絶する為に。


「──聖女は不幸を(もたら)す」


 不思議だった。


「私の運命は、あなたを巻き込んでしまう」


 驚くほどにスラスラと、受け入れたくない言葉が出て来た。こんな事、言いたいわけでもないのに。何でだろう。どうしてだろう。


「2度と私に近寄らないでください。もう、私にとってあなた方に価値はないのです」


 そう言ってマリアベルは扉を開けて部屋を出た。パトリシアは肩を震わせて、すんすんと(すす)り泣いていた。


 扉を閉めて、それに寄りかかる。そして窓から漏れる陽光を浴びながら、廊下の天井を見上げた。


 ──これで良いんだ。


 私がいなければ、リアンもクララも傷つかない。パトリシアだって。


 思えば確かに、私の周りは不幸で溢れている。愛する父は利用されるだけ利用され、領民は魔物に喰われ、女官のエスメラルダは今どこにいるのかさえ分からない。もしかしたら、死んだかも知れない。


 クララを助けることが焔聖の救いになる。だから、精一杯やった。これ以上、出来ることもないくらいに。でも、目覚めない。私は、きっと焔聖の救いにはなれない。諦めたわけではないけど、だって、これ以上はどうしようもないのだ。


 ああ。あの時はただ気が付いていなかっただけで、焔聖の言っている事は真っ当だったのかも知れない。聖女は不幸を齎すのだ。


 そして、皮肉なものだ。聖女である事を隠していたのは、(しか)るべき時に身分を明かし、領軍の結束力を高めて挙兵に及ばせたかったから。そんな切り札を、突き放す為に使ってしまうとは。


 煙を吐き出して、廊下の先から近寄ってきた男に目をやる。ロック卿だった。


「閣下を泣かせたのか」


 ちらり、と扉に目をやる。そこから、小さく嗚咽(おえつ)が漏れ出ていた。


「調べがついたぞ海聖。其方(そなた)の父、エドワード・デミは無事にリューデン公爵領に帰還しているらしい」


 マリアベルは鼻からため息を漏らす。1つ、不安が減った。


「それから、焔聖は行方知れず」


「第一王子は見つかりましたか?」


「うむ。何となくの足取りは掴めた。王室領・聖セドナに向かったのではないか、との事だ」


 王室領・聖セドナとは、暗殺された王族ロブが統治していた領地である。大白亜の西に存在した。


「エリックに味方は?」


「おらぬだろう。彼の臣下の殆どが首実験(くびじっけん)に回された。庶民(しょみん)の装いで何処ぞを逃げ回っているに違いない。怯えながらな」


 マリアベルは扉から背を離す。


「行くのか、海聖マリアベル」


「だって、輝聖もエリックを探し始めているんでしょう? 急がないと」


「急がんでも良いのではないか。我が領もエリックを探している。聖セドナにいる事が掴めているから、もう少しすれば何か確実な情報も手に入ろう」


「いいえ。急ぐ必要があります」


 マリアベルはロック卿をじっと見る。瞳の中の青い海は決意の色に凪いでいた。


「輝聖に殺させてはいけない。あの子、悪人には厳しくて怖いけど、実は人殺しとか嫌いなんですよ。出来るだけ殺さないように、いつも気をつけてる。でも簒奪者(さんだつしゃ)は必ず裁かなくてはならないでしょう? そうしたら、きっと深く傷ついて、もっと優しくなってしまう。私、怖いんです。本当のあの子が、いつか消えて無くなってしまうんじゃないかって。何だか、それって死ぬことより怖くないですか?」


 言って、手に持っている剣を見る。


「私が神から授かったのは聖ノックス市の石剣。この世に存在する全ての剣の中で、最も優れています。私はね、輝聖の剣なんです。輝聖の代わりに血を浴びる、そういう宿命らしいのです」


「……これ以上は言うまい。兵は連れて行かぬのか? 馬は?」


「いりません」


「領内の何処にいるかも分からぬのだぞ?」


「そのくらい自分の足で探します。それに聖セドナには聖地がある。少しくらいは聖女らしく(つつ)ましく祈っておかないと。私は巡礼の最中ですから」


 ロック卿は髭を(さす)り、うーんと唸った。


「興味本位で聞くが、輝聖とはどんな関係なのだ?」


「さあ。どうでしょう。結論を出すのが怖い」


 意味深な事を言ったのに後悔して、マリアベルは毛先を(いじく)る。


「その輝聖は、顕現(けんげん)を布告せぬのか」


「心配しなくても必ず布告しますよ、あの子なら」


「輝聖の心がわかるのだな」


「赤の他人よりは」


 マリアベルはそう言って、ロック卿に背を向けて歩き出した。が、6歩ほど歩いて立ち止まり、少しばかり体を返して問う。青い瞳には、大粒の涙が溜まっていた。


「年長者の坊主として聞きます」


「どうした、突然。しおらしい顔をして」


「──いつか私は、理想の聖女になれるのですか?」


 ロック卿は少しの間を置いて、口を開いた。


「海聖の思う理想の聖女とは?」


 マリアベルは即答する。


「優しくて強い人」


「ならば、なれる」


「いつか、そんな日が来るのでしょうか」


「必ず来る」


「そうですか」


 マリアベルは淡白に言って目線を落とすと、思い出したようにハッと顔を上げて、手に持っている煙管(きせる)を軽く振るった。


「ああ、そうだ。これ、本当に気に入っています。ありがとう」


「もう戻らぬつもりか?」


「ええ」


 そして、再び背を向けて去ってゆく。ロック卿の目にも、その背中に重い覚悟が宿っているのを感じた。

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