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救出

 

 大白亜の地下、(すなわ)ちホワイト=パイク山の内部は迷宮である。


 というのも正教会が迫害を受けていた数千年前、大白亜は信者たちを守る根城(ねじろ)の役割を果たしており、敵が攻めて来た際には何年も戦い抜けるよう要塞化(ようさいか)されていた。かつてはアルジャンナの街にも高い(かく)が存在し、堀まであったことは多くの学者が知る所である。


 さて、まだ雨雲が月を覆う前のこと。エリカ・フォルダンはふらふらとした足取りで山の内部を進んでいた。月の毒で途切れそうな意識を気合いで保たせながら、キャロルが描いた地下の地図──文献の写しだが──を見て、目的地を目指す。


 進んで行くと、階段が現れた。地図の通りに歩けていることに安堵しながら階段を下ると、足元が濡れていたのだろう、滑って踏み外す。エリカは後頭部を守るように丸くなりながら、そのまま転げた。


「……いッ! ……いてて」


 階段が終わり、倒れ込む。それで眩暈(めまい)に耐えながら、ふらふらと立ち上がる。冷ややかな空気、土と(ほこり)の臭いがしていた。


「ここだ。ここで間違いない」


 辿り着いたのは牢獄。岩肌をくり抜いて作られた石の牢が幾つも連なっている。


「でも、誰もいないのかな……」


 牢を覗いても人の気配がない。大白亜には他にも牢獄があるから、もしかしたら別の場所に投獄されているのかも知れない。


「──!」


 諦めかけた時、音が聞こえた。ふう、という息遣(いきづか)いの音だった。それは通路の奥の方から聞こえた、気がする。それで、転げた時に割れてしまった提燈(ランタン)に火をつけて、そろりそろりと音の方へと寄った。


 最奥の牢の中で、何かが上下に動く気配がある。そっと提燈(ランタン)で暗がりを照らす。


「え。えっ?」


 上半身を(さら)け出した大男が、一心不乱に腕立て伏せを行っていた。その男の腕は丸太のように太く、背の筋肉は盛り上がって岩のようであった。エリカはぽかんと口を開け、目をパチクリと瞬かせた。よく見ればその腕立て伏せも、親指だけでやっているではないか。


 男はエリカの方を見るでもなく口を開いた。


附子(ぶす)を使うたのはお前か、小娘」


 ぶっきらぼうな言い方、太い声。


「ぶ、附子?」


「そんな事も知らん小娘が迷い込みおったか。遊んでいたら母親と(はぐ)れたのか?」


 エリカはどことなく、軽口の叩き方がキャロルに似ている気がした。


「赤い月の事ですか? それであれば私ではなく、海聖マリアベルだと……」


「ならばお前は海聖の(つか)いか」


「そっ、そういうわけではなく」


「では何故、海聖と分かる」


 男は立ち上がり、首を(ひね)る。バキボキと音が鳴るが、まるで骨を砕いているかのように大袈裟な音だった。


「だって、キャロルさんがそう言うから……」


「リトル・キャロルだと?」


 男がのそりとエリカに近寄る。提燈(ランタン)の明かりで顔が照らされた。


 白髪(はくはつ)の、無精髭(ぶしょうひげ)の男だった。顔つきは武人のように(けわ)しい。背も高くて体も大きく、熊のよう。濁った灰色の瞳は冷たい。


 この男から妙な圧を感じて、エリカは後退(あとずさ)る。何と言えば良いか、岩壁が迫ってきたようである。キャロルを含めて様々な聖女と出会い、その誰もに圧倒されたが、これらとはまた別の強い力を感じた。


「キャロルめ、ようやく助けに来おったか。あの莫迦(ばか)、遅すぎる。ワシに恨みでもあるんか。あいつは何ぞ言うてなかったか?」


 キャロルがこの男について語る時は1にも2にも文句であるが、一先(ひとま)ずは目の前の男が目的の人物であるかどうかを確認しなくてはならないと思い、エリカはそろりと問うた。


「──あ、あなたは、クリストフ五世。教皇聖下(せいか)()らせられますか」


 男は、ふんと鼻で笑う。表情は乏しいようで、笑みはない。


「もはや教皇ではなかろう。ただの坊主よ」


 そして耳の中に小指を突っ込み、穿(ほじ)りながら続ける。


「ほれ」


「はい?」


「牢を壊せ。お前は新しい看守(かんしゅ)か?」


「し、失礼しました、今助けます!」


 エリカは扉の(じょう)を剣で破壊した。クリストフ五世はその扉を(くぐ)って、ぬるりと出てくる。


「あ〜〜〜、あっあっあ〜〜」


 そして、阿呆のような大欠伸(おおあくび)をした。


「ワシの拳銃はどこにやってしまったかのう。喫煙具(パイプ)も、あれ、良いやつなんだが……」


 背伸びをする。首を鳴らした時のように、背中から大袈裟な音が鳴った。


「まずは酒だ! 酒! 酒はどこだ!」


「こ、ここに……! キャロルさんが持って行けと!」


 エリカは焦ったように腰に下げていた杜松子酒(ジン)の瓶を渡した。それを見てクリストフ五世は、至極控えめにニヤリと笑う。初めて表情らしい表情が出た。


「ようし。あの甘ったれめ、気が()くようになったな。何ぞ言うてたか」


「出所祝い、だそうです」


「じゃかあしい」


 クリストフ五世は親指で瓶の飲み口をパキリと割り、そこから口の中にぐびぐびと酒を流し込む。豪快な飲みっぷりにエリカは目を丸くする。本当にこの人が、我ら頭上に燦々(さんさん)と輝く教えの長、正教会の教皇だった男なのだろうか。船乗りや沖仲仕(おきなかし)のようなと言えば良いか、とにかく、荒っぽい。


「ああそうだ。黝簾(ゆうれん)の秘弾はどうした」


「ゆうれ、ん……?」


()が作れ作れとじゃかあしかった、聖女を殺める黝簾石(ゆうれんせき)の弾丸よ。あやつらがヴィルヘルムの傀儡(くぐつ)に成り果てた時には抑止力(よくしりょく)になると、王に渡してあった。何やら動乱があったらしいから、あれが他の誰かの手に渡ると厄介至極」


 エリカはハッとした。まさか、あの時。焔聖を撃ち抜き、苦しめるに至った弾丸の事を言っているのだろうか。


「それって──」


 その時だった。異変を感じたのだろう、階段から禁軍の兵が3人ふらふらと降りて来て、クリストフ五世とエリカを見るなり慌てふためいた。


「話過ぎた……っ! 逃げられる前に倒すっ!」


 エリカは手に持つ剣を構える。この廊は狭いから、相手が3人でも1人ずつ倒せばよい。──やるなら、今だ。急げ。


「……あれっ?」


 そうして踏み込もうとするが、足に力が入らない。例の月の附子の影響だろう。ふらりと蹌踉(よろ)めき、前のめりに(ころ)げた。


 兵士たちが背を向け、床に手をつきながら逃げようとしている。逃すとまずい。仲間を呼ばれる。だからエリカは剣を振り上げ、それを投げようとした。しかし剣が手を離れるよりも早く、クリストフ五世は十字を切って言う。


「──(けだ)(くに)權能(けんのう)光榮(こうえい)聖神゜(せいしん)()す」


 それはキャロルのような静謐(せいひつ)な祈りではなく、荒々しく力強い祈りであった。聖神゜(せいしん)とは神リュカが神たらしめ、人々を導き、全ての真理を悟らせる、ある種のまとまりの事を言う。


「ぶっ!」


 そして、クリストフ五世は自らの拳に酒を噴霧(ふんむ)して叫ぶ。


「小僧ッ!」


 呼び止められ、兵達は思わず振り返った。既にクリストフ五世が直ぐそこまで来ていた事に、ひっと声をあげて驚く。


 クリストフ五世は兵の腕を(つか)み、力一杯に振るって壁に叩きつける。もう1人には、顎を突き上げるように拳を一撃。最後の兵は拳を(つち)のようにして振り下ろし、脳天に一撃。ものの2秒足らずで3人の兵を倒した。


 始めの兵は壁に減り込み、次の兵は天井に顔を埋めて吊り下がり、最後の一人は地面にめりこんで同化した。みな(かぶと)を被っていたが、それは紙のようにくしゃくしゃにひしゃげて、頭を裂いている。


「ひっ……」


 エリカは青褪(あおざ)めた。杜松子酒(ジン)神酒(しんしゅ)として扱い、拳に強化魔法を付与(ふよ)したのだと理解したが、それにしたって強烈である。


(こ、この人には、月毒は関係ないのかな……。何でこんなに動けるの……?)


 クリストフ五世はエリカの疑問を察するようにして言った。


「月毒は体を動かし、心臓の働きを引き出しておけば、()したる脅威でも無い。それから、お前も動ける方だぞ。1人でここまで辿り着くとはな」


「へ?」


「心肺機能が強いのだろう。お前、体温が高いと言われないか?」


 言ってクリストフ五世が廊を渡り、階段を上って行ったので、エリカは剣を杖にしてふらふらとついて行った。


「さぁて、これよりどうするか。この大白亜のどこぞにワシの愚息(ぐそく)が捕えられているから、あれも救うか……。いや、待てよ。キャロルが来るのだな?」


「は、はい」


「ならば先に聖堂を空けておく必要があるか。大白亜より改めて輝聖顕現(権原)布告(ふこく)させる」


「でも、大聖堂には100人前後の禁軍が詰めていると聞きますが。2人だけでそれを?」


「まあ、なんとかなろう」


 クリストフ五世は欠伸(あくび)をしながら簡単に言って見せたが、エリカはなんだか、この超人になら可能な気がしてきた。100人斬りなど三文小説(フィクション)の世界だが。


「小娘。お前をキャロルに認められた人間として扱う。ワシの背中はお前が守れよ」


「は、はい!」

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