連戦(後)
馬車の前で地図を広げ、次の行き先を示す。
「おいおい、最後はベン・コスタスかよ。今回ばかりはヤバい。マジでヤバいぜ」
次の行き先を告げると、トムソンは御者台の上で頭を抱えてしまった。
「分かってるのか⁉︎ あの野郎、加減ってもんを知らねえんだぞ!」
──ベン・コスタス。
爵位は男爵。コスタス家の当主で、カレドニア式剣術の名手だ。だが、誰もが知るベン・コスタスは剣術の名手としての姿ではない。
彼は王政打倒の地下勢力を何人も排除してきた。その手法は実に残虐だ。討ち取った骸には杭を打ち、まるで百舌鳥のはやにえの様に晒す。女子供にも容赦はない。加担した者の家族は、全員そうする。
だから人はベン・コスタスを、こう呼ぶ。『磔刑のコスタス』と。
「俺も人間だ。お前らがはやにえになってるとこなんて見たかねーぜ……」
■■
馬車はウィンフィールドから西に向かう。目的地は幾つかの農村を越えた先にある古い屋敷だ。
はやにえを見たくないトムソンを敷地の外で待たせておき、私たちは小さな門をくぐった。風で波立つ芝の上を歩き、素朴で古い邸宅へと向かう。何処からか、花の甘い匂いがしていた。
しばらく歩くと、屋敷の前にある薔薇の庭園、そのベンチで眼鏡をかけた優男と、もちもちとした真っ白な犬が戯れているのが見えた。
「ん……?」
男は私たちに気がつくと、眼鏡を押し上げる。
「……その瞳、その髪、もしやリトル・キャロルか?」
「ご無沙汰しておりますわ、コスタス卿」
しまった。つい癖で昔の挨拶をしてしまった。
「え? え⁇」
エリカは目をパチクリさせて驚いている。さて、どっちに驚いたのか。私とコスタスが知り合いだったことか、もしくは私がクソったれのお嬢様言葉でカーテシーまで繰り出したことか。
「……いや、普通に考えてどっちもか」
「はい?」
「なんでもない」
■■
コスタスに事情を話すと、すぐにこの場で打ち合いということになった。理解が早くて、非常に助かる。
エリカが仕上がったばかりの黒い剣を構えると、コスタスは白銀のロングソードを鞘から抜き、構えた。
コスタスには隙がない。もちろん、エリカにも隙はないが、それ以上にコスタスには隙がない。彼の周りの空気はしんとして澄んでいる。相手の睨み方、間合いの取り方、体の向け方、すべてが一流。雷電のザインや戦斧のヴォルケーンの時のように、誤魔化しの効かない相手だ。
だが、コスタスは四十代。体力は落ちつつあり、おそらく本人もそれを分かっている。だとしたらば、力任せに攻めて来るような真似はしてこない。必殺の一撃を確実に決めるための選択をするはずだ。それをエリカが見極められるかどうかが、鍵になる。
先に動いたのはコスタスだった。隙を見せないまま、丁寧に間合いを詰める。
そしてエリカの目線から消え、横から『白痴の構え』にて連続攻撃。斬り、突き、斬り上げ、払い、吊り上げ、手押し。非常に素早い。ロングソードが出せるスピードの域を超えている。
──だがこれは全てフェイント。
必殺の一撃を必ず当てるための、布石だ。白痴の構えはノーガードに見えるが、迂闊に仕掛けるとカウンターを貰う。エリカもそこまでは気がついていてるのだろう。カウンターを恐れて慎重になっている。それを利用し、コスタスは準備を整えている。
コスタスの体が、沈んだ。極力悟られないように、下半身に力を溜めた。『床板の構え』で来る。右足内腿を斬り上げるつもりだ。
「……ッ‼︎」
エリカはそれを見極め、地を蹴って下がりながら、コスタスの剣を強く払い上げた。宙を舞った剣は芝に落ち、ずぶりと深く突き刺さる。
時間にして1分弱。エリカにとっては永遠にも感じたことだろう。汗まみれの青白い顔と上下に動く肩が、それを物語っている。
「ふう。お見事」
一方のコスタスは何でもなかったような笑顔で勝者を讃えた。
■■
試合の後、しばし休憩を挟む事にした。コスタス家の執事が庭園に机と椅子、それから焼き菓子や紅茶を用意してくれたので、いただく。
「コスタス卿とキャロルさんは、どういう関係なのですか?」
エリカは真っ白な犬にぺろぺろと顔を舐められていた。ひたすらに舐められているから、なかなか紅茶が飲めない。
「学園の臨時教師で、よく世話になっていたんだ。隠してて悪かった」
ベン・コスタスは一年ほど前に、夏から秋にかけて、聖女候補たちに剣術を指南していた。私も木剣で横腹にキツいのを貰い、一日中吐き散らかしたものだ。この男の顔を見ると、鼻に残る胃液の臭いを嫌でも思い出す。
コスタスはカップに入った紅茶に牛乳をたっぷり入れて、こう言った。
「リトル・キャロル。学園は今、光の聖女を探しているよ」
4人の聖女を導き束ねるとされる、光の聖女。私が聖女でなかった事で、今回はその存在を確認することができなかった。だが、原典の通りに聖女が力を発現させたのだから、この世界のどこかで必ず存在はするのだろう。
「そして、君の力も彼らは調べ始めている」
女神像を腐らせたあれを、か。
「それで……、何かわかったのか?」
「僕は学者じゃないから何とも言えないが君を学園に戻そうという話もある、らしい」
私は、ふうんとだけ言って、カップに口をつける。
「……随分変わったね、リトル・キャロル」
「変わった訳じゃない。これが本来の私なんだ」
「そうではなく、もっと根本な部分が。僕が知ってるキャロルは焦りのようなものに縛られていた。だが、今は違う」
そうだったろうか。自分では分からないものだ。
「昔の君は強かった。外見こそお淑やかに保っていたが、叩きのめされても睨みつけてくる鋭い眼光は、獣のようだった。近づけば、喉元を食いちぎられるかと思った。でも、今はもっと強いんだろうな」
「どうかな……」
理想の聖女らしく振る舞っていたつもりだったが、それでは失敗しているじゃないか。まったく恥ずかしい。
「キャロル。君は、ただ修行の為に来たわけじゃないだろう?」
「ああ。これを返そうかと思って」
私はコスタス家の紋章が入った短剣を渡す。常に護身用に身につけていたものだ。
「──そうか。分かった」
コスタスはそれだけ言って、受け取った。
「エリカ君は、いい師匠をつけてもらったね。きっと、竜だって殺せる」
「……はいっ」
エリカは遠慮気味の笑みで返事をした。
■■
ウィンフィールドへと戻る馬車の中、エリカは口を開いた。何故か、恐る恐るだった。
「あの短剣は何だったのでしょうか?」
「ああ。学園にいた頃に、私をコスタス家に取るという話があった」
そして、コスタス家の剣技を継ぐという話も。孤児だった私にとって、これ以上ない話だった。
「なぜ、返したんですか?」
「誰かに迷惑をかけたくないと思っただけだよ」
学園に戻そうという話があると言っていたが、正直、私は信用していない。何か、裏がある。
そして、私の力を調べているとも言っていた。きっと、正教会にとって不都合な真実が判明すれば、私と関わりがある人間にも迷惑がかかるだろう。ベン・コスタスの気持ちは嬉しいが、ここは一線を引く必要がある。
それに、私は貴族という柄でもない。
「……」
エリカは黙ってしまった。
「どうした?」
「いえ、なんだか……。キャロルさんは遠い場所にいる人なんだな、って改めて思ってしまって」
■■
雷鳴の節に入り、2日と経った。エリカの誕生日まで、残り5日。──明日、邪竜を倒しに行く。
私が間借りしている居城の一室、エリカを寝台に寝かせ、直接筋肉の状態を確かめながら丹念にほぐす。薬草と油で作った膏薬を塗り、筋肉の緊張を取り、回復力を高める。体調も万全にして挑まなくてはならない。一切の妥協は許されないから、どんなに小さなことでも、やれる事は全てやったほうが良い。
「キャロルさんは……、学園に戻るんですか?」
「ん……? いや、戻る気はないよ。何があっても」
「よかった……」
エリカは胸を撫で下ろすようにして、ゆっくりと息を吐いた。そして、また少し緊張した表情になって、下唇を噛む。言葉を待つこと、20秒ほどだろうか。起き上がり、少し強い口調で、言った。
「……私がもし、邪竜を倒すことができたら。私を旅に連れていってくれませんかっ?」
「エリカを?」
「私、歳が近い人と仲良くなるのって、初めてだったんです……。最初はただ嬉しいだけだったんですけど、何だかだんだん、キャロルさんの凄さを知って、嬉しい気持ちが憧れに変わって……、もっと一緒にいたいって……。思うんです……」
エリカは拳を軽く握っている。
「一緒に旅は……、ダメ、ですか……?」
私はこの先、エリカと共に行くことを想像した。
隣にエリカがいて、寝食を共にし、同じものを見て、きっと感動を共有していくのだろう。そんな旅がずっと続く。感情豊かで、眩しい笑顔の彼女がそばにいてくれたら、退屈する事はないな。どんなに疲れていても、また歩き出そうと思えるだろうな。
この数日、楽しかった。充実していた。長らく忘れていた、仲間や友達がいる事の楽しさを思い出した。
だけれど、私は──。
「……そうだな。うん。でも、まずは邪竜からだ」
そう言うと、エリカは花が咲いたように笑みを見せた。
「はいっ! 絶対に、倒します……! 絶対に……!」
エリカが邪竜を倒し、死の運命から抜け出した時。
もし、その時は、一人でこの街を出て行くことに決めた。
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