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試練(後)


 その後、ソフィア不在のまま軍議は執り行われた。


 軍議でクララはこう提案した。まず、原に罠を張り巡らせる。次に挑発をして、敵兵を城から引き()り出す。最後に罠に(はま)った敵兵を殲滅(せんめつ)する。書簡に記されていた通りの作戦を言ったに過ぎないが、それは驚くほどに呆気(あっけ)なく採択(さいたく)された。その理由としては、伯爵領軍が古くから用いた手段である事が大きい。騎士達はクララが自分達に合わせた策を立ててくれたのだと思い、気持ちが良かった。


 軍議の後、酒宴が行われた。クララが第二王女に向かって啖呵(たんか)を切ったことが兵達の間で話題になり、ピピン公爵領軍を歓迎する雰囲気が漂っていた。


 酒宴は野営地で行われ、特に(かしこ)まった形式は無く、殆ど無礼講(ぶれいこう)に近いものであった。ただ、潜伏中であるから歌や踊りはなく、英気を(やしな)う程度の、決して粗末ではない料理と酒が兵達に配給され、兵は各々の天幕の前で小さく火を焚き、飲み食いをした。


 本陣前には重鎮(じゅうちん)が集まり、そこにクララも呼ばれた。机には豚の血で作った腸詰め(ソーセージ)の他、近くの川で捕まえた(うなぎ)の煮物などが並んでいた。


 宴とは言えクララは油断ならなかった。事故を装いクララに汁物を被せようとする侍女や、食事を取り分けない侍女など、将としての面目(めんぼく)を潰そうとする行動が目立った。そして恐らくこれは騎士に命令されている、とクララは感じた。


 兵卒の間では度胸があると噂されていても、騎士達はクララを完全に信用している訳ではない。会話の節々(ふしぶし)に棘があるし、酒をひたすらに飲ませて酔わせようともしてくる。


 さて、(えん)(たけなわ)、午前3時。堂々遅れてウィリアムが本陣前に現れた。そして、先に参加していた小姓に耳打ちをする。


「どうだ? クララ殿は」


「無様な姿を見せる様子も、酔う気配もありませぬ。既に5人の騎士が闘飲(とういん)を仕掛けましたが、返り討ちにあっております」


 闘飲とは即ち、酒の飲み比べである。


「ほう、酒も強いのか。ますます(そそ)る。必ず(めと)りたい」


「はあ……」


「そして、子をたくさん産ませるのだ。嫡子(ちゃくし)が生まれようとも、まだまだ山ほど産ませよう。互いの命が尽きるまで種を仕込む」


 ウィリアムは凶悪な笑みを浮かべ、舌舐めずりをしながら続ける。


「あれは僕のものだ。一瞬でもあの白い肌に触れてみろ。すぐさまに喉元を食いちぎり、尻の穴にそれを吹き付けてやる。貴様でもな」


 小姓は強烈な殺気を感じて縮み上がった。


 そして、ウィリアムはクララの周りにいた騎士達を退かせて、自分が隣に座る。


火酒(ウイスキー)を持て」


 侍女は火酒を2人分用意するが、この侍女は笑うのを我慢していた。火酒なんて飲めばどんな酒豪でも、すぐに限界が訪れる。このクララとか言う済ました顔の女が倒れ込むのが楽しみだ。吐き戻したって、拭いてはやらぬ。


「クララ殿。楽しまれておられるようで何よりにございます。騎士が5人ほど失礼を働いたようで」


 クララはちらりとウィリアムを見る。恐らく、酔うのを待ってやって来たのであろう。さて、どのように将の品格を下げてくるのか……。


「しかし、騎士達が戦いを挑みたくなるのも分かります。強いあなたを打ち負かしたいのだ。あなたが気丈であればある程に、男としての尊厳(プライド)が傷つけられる気がしてならぬのです」


「そうですか」


「ですが私が思うに、あなたは美しくも可愛らしい顔をしております。瞳などは翠玉(エメラルド)のようで、私はあなたを将ではなく1人の女として見ている」


 思っても見なかった事を言われ、素直なクララは一瞬目を泳がせた。彼女には今まで、男に口説かれるという経験がなかった。が、『これは将の品格を下げたいのだ』と己を納得させ、不機嫌な面を改めて作り、火酒をくいっと飲み干す。


 侍女はその飲みっぷりにきょとんとしながらも、もう1度クララの器に酒を注いだ。


「さて、これは提案なのですが……。この戦が終わり、無事に大白亜を奪還できた暁には、1度我が領へ来ませぬか。存分に持て成しましょう」


 かなり直接的な(げん)である。が、クララは構わず注がれた酒をくいっと飲み干した。


 その後ろで侍女は目を丸くする。喉は()けぬのか。


「クララ殿、貴女は知っておりますか。ローゼス家は元々、ドーソン家の分家(ぶんけ)。かつては一緒だった仲。クララ殿が我が領に参れば、父上も大いに喜びましょう」


 ローゼス家とドーソン家の関係に関してはクララにとって初耳だったが、やはり驚きを抑えて、注がれた酒を飲み干す。


 また侍女は驚く。宴が始まってから既に5人の騎士を闘飲で返り討ちにしているはずなのに、まだぽこぽこと飲めるのか。いやはや、恐れ入ったと言うべきか、もうこの将には意地悪をしなくても良いのではないか。宴の場で負かす事などは不可能である。


「海聖……、いや、マリアンヌめ。ドーソン家の人間を差し向ければ、余計な揉め事も起きないだろうと思ったのだろう。ああ、そうとも、俺がいる限りは揉め事は起こさせぬ、絶対に。貴様の策は成功だ、ククク……」


 ウィリアムはぐいっとクララに顔を近づけ、恐ろしい笑みを浮かべて、その手を握った。


「如何でしょう、クララ殿。星でも眺めに行きませぬか。もちろん小姓は置いていく」


「──お飲みにならぬのですか。女の私がこれほどまで飲んでいるのに、意気地のない」


 これ以上相手の間で物事を進められると危険だと思い、クララは攻撃を仕掛けた。それで、ぴくり、とウィリアムの眉が動く。


「つくづく良い女だ、あなたは。知っているのか? 僕は闘飲では負けを知らない」


「女を脅すのが貴方流の口説きですか?」


 またぴくり、と眉が動く。額には青筋(あおすじ)が浮き出ていた。ウィリアムは常に笑みを張り付けた優男風の男だが、ひどく気が短い。


「ククク……。ハハハ……」


 会話を聞いていた騎士や兵達がわらわらと周りに集まってきた。負けなしの領主の嫡男(ちゃくなん)と、他所から来た将、しかも女が闘飲を始めるらしい。これは見ものである。


「良いだろう、クララ・ドーソンッ! 俺を本気にさせた女は初めてだッ! 火酒を持て! ありったけだ! この高飛車(たかびしゃ)な女を酔わせに酔わせ、完全に俺のものとしてやるッ!」


 □□


「か、(かわや)に行ってきます……」


「はい、お気をつけて」


 兵達がぽかんと見守る中、ウィリアムはふらふらとその場から失せた。


 彼が完全に闇に消えたのを見て、騎士や兵達から拍手と感嘆(かんたん)の声が上がった。まさか、本当にウィリアムを酒で倒すとは思っても見なかった。全員がクララが倒れる様を期待していたのに、それが裏切られる形となった。こうなると主人(あるじ)が負けたのに妙に清々(すがすが)しいというか、天晴(あっぱ)れである。


「お静かに。我々は潜伏中です」


 その言いっぷりも爽快だったらしく、(どよ)めく。


(ふぅ、何とか切り抜けたのかな……)


 ()くしてクララは侍女たちを屈服せしめ、騎士達も恐れ(おのの)かせ、さらにウィリアムを(かわや)へ放り込んだ。完全勝利を収めたと言って良い。酒宴でも将としての面目は保った。


 離れた場所から様子を見ていた老兵ネイサンが、そっとクララに近寄る。それを見て騎士や兵は自然と散った。彼は(らい)で顔が崩れているから、人を遠ざける。


「お気分は如何(いかが)か?」


 クララは周りに人がいないことを確認して、素の自分で話を始めた。


「ありがとうございます。荷の中に入っていた、鬱金(うこん)水薬(ポーション)の意味を教えてくれなければ、早々に酔い潰れていました」


 鬱金の薬は酔いを寄せ付けない。特にマリアベルが丁寧(ていねい)に調合した薬であるから、効果は絶大だった。脳が壊れるくらいまで酒を飲んだが、まるで酔わない。腹は膨れて苦しいが。


「迎え入れられた雰囲気ではありますが、まだまだ面目を潰そうとする輩は後を絶たぬとお考えください」


 小さく頷き、クララは辺りを見回す。


「……ソフィア殿下はおられないのですか?」


「姿を現しませぬな」


「勘違いかも知れないけれど、軍議で言い争いをした時に涙を浮かべていた気がするんです。悲しませてしまったみたい」


「お気を確かに。これも勝利のためと、お思いなさい」


「分かってはいるつもりだけど……」


 それでも気になる。宴の席だから無理して食べはしたものの、本当なら飯も喉も通らない程に、(つか)えるものがある。……一目見られれば、それだけで少しは心安いのだが。


 □□


 朝方に宴が終わり、日が昇っている間、兵達は天幕の中で過ごした。そして夕刻に全軍出立。電光石火(でんこうせっか)の勢いで教皇領ローズバレーを目指し、午後10時には作戦地点に到達した。マスター・アーノルド、作戦内の名称では『四の城』を(のぞ)む原に罠を仕掛ける。


 兵らは闇に紛れて陥穽(おとしあな)を各所に作り、穴の中には杭を仕込んだ。騎馬が落ちれば、杭が体を貫いてひとたまりも無い。なお、杭に馬糞を塗りつけるのが伯爵領軍の流儀であった。傷に糞が入れば、毒が兵を苦しめる。出来た落とし穴は丁寧(ていねい)に土色の布で隠し、上から軽く土を塗した。遠巻きに見ればそこに穴があるとは誰も思わない。


 また、原には魚油(ぎょゆ)松脂(じゅし)を撒いた。


 ウィリアムは丘の上から、罠を張る兵らと指示をするクララを眺めていた。夜風が吹いて、星明かりに輝くクララの金の髪、星雲のように美しく煌めいている。


「酒は抜けましたかな」


 1人の騎士が寄ってきたので、ウィリアムは苛立ちながら言った。


「頭痛がする」


飯炊(めしたき)貝汁(かいじる)でも作らせなさいませ。いやはや、それにしてもあの女、大した玉ですな。騎士達も今日だけは大人しく言う事を聞いても良いと言うておりますわ。ははは」


「やれやれ、父上くらいにしか満足に従わん荒くれが、昨日会ったばかりの女の言う事を聞くのか。助平(すけべい)ではないか、我が軍は」


 ウィリアムは煙草に火をつけて続ける。


「あの女。絶対に娶ってやる。何がなんでもだ。抱いて2度と離さん。良いか、貴殿も近寄るでないぞ。あれは俺の女だ」


(はばか)りながら……」


「なんだ?」


「あの女の眼中にないのではありませぬか」


「そういう女を私物化した時に、最大の興奮があるのだ」


 言って、手綱を引く。後方に下がるらしい。貝汁を作ってもらうのだ。


「そうだ。クララからの手土産を用いて、あの城の兵達を引き摺り出す。準備をしておけ」


「手土産? ──ああ、フィン・ダーフとかいう捕物(とりもの)ですか」


 ウィリアムは凶悪な笑みを浮かべる。


伊達(だて)にして驚かせてやろう。我が領の流儀を敵軍に見せつけよ」


御意(ぎょい)にございます」


 一方で、夜風に波打つ原の上。第二王女ソフィアは星明かりに輝く『四の城』を見つめ、近習パウエルに小さく言った。


「王族として、一番槍は絶対に譲ってはならぬ。何があろうとも」


 パウエルは、その硬い表情を見て頷く。


「この戦は父上への手向(たむけ)。それなのに、王女である私が何も出来なかったなど、そんな事はあってはならぬ。一番槍だけは我々の手で」


 (うる)んだ瞳、今にも涙が溢れそうだった。


「はっ。必ず」


「苦労かけるわね、パウエル」


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