竜姫
太鼓や竪琴、欧巴などの楽器を持つ男女45名が崖の上に並ぶ。彼らは第一聖女隊の器楽隊で、セルピコに腕を買われて王国の各地から集められた。各々黙してロザリオを握り、精神を統一させる。
崖の上には篝火が規則的に配置され、真夜中だが赫赫として明るく、異様に暑い。また、この場を神殿と定義させる為、東側に向かって女神像と楡の小祭壇を配置、乳香も焚かれる。
スタッブスは大きい体を気怠げに揺らしながら、熊の血と葡萄酒を混ぜた液体で、直径17呎(5m)程の魔法陣を描いていた。
「ふむ。そこ歪んでおるぞ。円が」
「細かく言うならお前がやれ、セルピコ。そもそも俺は片腕だぞ、何故両腕のお前がやらん」
「某は老人である」
「ったく……」
それを描き終えると、苦労人のスタッブスは24本の蜜蝋と24合の香炉に火を灯し、それらを決められた位置に置いた。そして生贄として用意していた仔山羊の足を藍に染めた麻紐で結び、魔法陣の中央に置く。それから子山羊の周りに矢車菊をたっぷり撒いた。
「……来たか」
スタッブスが顔を上げる。ニスモ・フランベルジュが現れた。
焔聖の顔には化粧が施され、それは冴えて艶やか。身に纏う祭服は妙。七種の帳で作られ、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の色に輝く。まるで三稜鏡を通した光、或いは光環のよう。集中して祈っていた器楽隊はニスモの神聖さに居住まいを正し、何人かはため息すら漏らした。
スタッブスは魔法陣から退いて、腕を組んで佇むセルピコに寄った。
「舞うのか」
セルピコは沈黙で肯定する。
「結局どうするつもりなんだ、あの赤ん坊は」
「存ぜぬ。とにかく、大白亜へは赴くらしい」
スタッブスは焔聖の舞を見るのは初めてであった。滅多に披露するものではないし、規模が大きいので余程のことが無ければ焔聖も用いらない。
「竜を呼ぶ舞か……」
焔聖が舞えば、脳に鉄杭の打ち込まれた獄炎竜アルマが飛んで来ると言うが、果たして。
「焔聖はなぜ竜を傀儡にした」
「支配欲であろう。自信を失い鬱屈とした心を鎮める為には、それが必要だったのではあるまいか」
「下らん。まるで思春期だな……」
「思春期よ。聖女とて女子に御座ろう」
ニスモは魔法陣の中央に立ち、目を閉じ、1つ息を吐いた。そして子山羊の前で十字を切り、祈る。5秒ほど経つと、唐突にごおと火柱を上げて子山羊が燃えた。
それを合図に、器楽隊が狂ったように演奏を始める。大地を震わす太鼓の音、欧巴で奏でられる荒々しい旋律、掻き鳴らされる竪琴。曲は『豚飼いの踊り』である。
ニスモはカッと目を見開き、体に纏った帳を1つ解く。それを振り回し、狂気的に踊り出す。それはやがて全ての帳を解き、裸となるまで踊りは続く。
炎に包まれた子山羊がのたうち回り、ぴいぴいと悲鳴をあげる。共に捧げられた矢車菊は灰となり、宙に舞い上がる。子山羊が死ぬまでの間、ひたすらに踊り続け、かつ踊りを完結させなくてはならない。
踊り狂うニスモの姿は、まさしく炎であった。両の手で激しく地を叩き、時に雄々しく空を切り、激しく頭を振り、汗を振り撒いて踊る。
スタッブスはその姿を見て、生唾を飲み込んだ。──流石は神に選ばれた聖女か。なんと力強く美しい。手足が震え、体が熱を持つ。
一方で、ニスモはこう考えていた。──大白亜に行き、まずは聖女の長である輝聖を倒す。
聖墓矢は己の敵を必ず穿つ。それが、聖女を屠る青い弾と同化した。即ち、お前の敵は聖女だと、矢がそう言っているのだ。これ以上の天啓はない。
そして聖女を全て屠った後は、私も死のう。4人の亡骸の上で倒れよう。世界を元の姿に戻すために、何よりクララの為に、そうする必要がある。……必要があるんだ。
□□
ホークカーナウ城、即ちピピン公爵領軍が『三の城』と呼称する山城を臨む街道、暗闇の中をマリアベルらは進んでいく。
三の城から2、3と続けて轟音が響いた。10秒ほど遅れて、しゅうと風を押し切る音と共に砲弾が迫り来る。
その砲弾は隊の上空でドンと爆ぜて真っ赤な花を咲かせた。立て続けに砲撃されるが、その殆どが魔術隊と海聖マリアベルの防護壁によって阻まれる。
砲撃は効いていない。であれば敵は白兵戦を仕掛けてくるものだが、城から兵が出てくる様子もない。三の城は計画通り、間諜を使った謀略によって身動きが取れない状態となっている。
「ハッハッハッ! 我ら連合軍は無敵ではないかっ!」
ホルスト伯爵が気分良さげに馬上で笑った。彼は横にも縦にも巨大な男であり、その風貌から『風船卿』と呼ばれる。
「回し者など使わずとも、我らで城を落とせたのではないか?」
緊張感がないようなので、リアンは生真面目な風に返答した。
「予め探っておいた地形や砲門の位置、それから天候などで着弾の場所が凡そ分かるから、効率的に攻撃を防げているのです。少しでも狂えばすぐに我々は瓦解します。ご油断は禁物です」
言った瞬間、ぱりんと激しい衝撃音が鳴って、着弾。防護術の丁度脆い部分に当たったらしく、貫かれた。隊の後方で爆発炎上。闇の中、燃える雲が高く昇ってゆく。ホルスト卿は振り返り、冷や汗を垂らした。
「お、おお。肝に銘じるわい」
「恐らく、不慣れな者が発射したのでしょう。ちゃんと角度を計算しなかったんだ。雑なことをやられると、弱いですね我々は……」
そう言ってリアンは後方に向けて馬を走らせた。救護を手伝う。
一方で隊の前方、ロック卿に近寄る兵があった。斥候である。
「教皇領ローズバレーに構える兵、凡そ三師(7500人)。本陣も確認でき、リューデン公爵家の馬印も見えます」
「なぬっ! リューデン公爵が直々に、しかも原で本陣を構えているのか」
近くにいた将の1人が『偽りの馬印ではないか』と言った。それに対し、マリアベルは不適な笑みを作って、首を横に振る。
「三師を率いる将が馬印を虚仮威しに使ったら兵が混乱します。リューデン公爵は必ずいる。阿呆め、ノコノコと出て来て」
「どうする、マリアンヌ・ネヴィル」
「決まっている。輝聖に対する叛逆の芽を完全に潰さなくては、こうして進軍した甲斐がない。──首を取ります」
「承知した」
マリアベルは馬の速度を落として、輿に乗るパトリシアに寄る。
「閣下、言上仕ります」
「何でも聞くわ、マリアンヌ」
パトリシアはちらりとマリアベルを見た。その猫のような榛色の眼からは、デュダにいた時の幼気さは失せていた。戦の煙と血の臭い、それから肩に重く乗る味方の命がそうさせた。
「逆賊リューデン公爵を討ち取るのは、あなたです。あなた自身の手で討ち取り、白牛公として名をお上げなさい。然すれば名声も高まり、後々まで輝聖の剣となれましょう。これは戦ですから、ご寛恕は無用とお思い下さいませ」
怖気づく様子もなく、パトリシアは首肯した。その様子をマリアベルは頼もしく思う。
「でもどうすれば? 切り込めば良いの?」
「それは私たちの役目です。公爵はとどめを」
「うん」
「兎追いとしましょう」
マリアベルが地図を催促すると、近くにいた兵がそれを持って来た。地図には既に、斥候が持ち帰って来た敵の布陣が記されている。
「敵は方円の陣で守備を固めています」
リューデン公爵領軍及び禁軍が布陣するローズバレーは領内東部に位置し、北に聖エルダー山系、南に飢餓山脈、西にホワイト=パイク山大白亜、東にパスティ山を控えて、東西に約2哩(約3㎞)、南北に約4哩(約6㎞)の高原盆地である。
方円の陣とは守備に特化した陣形で、主に槍兵を円状に配し、中心に大将を据える。
「倒せるかしら」
「方円の陣は全方位に兵を置くから、一点突破には弱い。ロック卿を先頭に鋒矢の陣で蹴散らします」
鋒矢の陣とは楔の形に部隊を並べる陣形で、攻撃に特化している。
「敵は我々の接近に気がついているようですが、恐らく三の城で長く足止め出来ると思っているのでしょう。斥候によれば、ひと戦を前にして食事を取っている者たちもいる」
マリアベルは敵本陣を指差す。
「狙うはリューデン公爵ただ1人。無駄な犠牲も出したくないので、一息に攻め立て、東にある『葉長樫の森』に追い込みます」
ロック卿も話を聞こうと近寄って来た。歳のせいか夜目が利かないので、目を細めて地図を覗き見る。
「閣下は森で待機。リューデン公爵が逃げて来たところを銃兵で一斉射。討ち取って下さい」
パトリシアは言う。
「西から攻め立てても、広く空いた北側に逃げる可能性もあるわ」
マリアベルは良い指摘だ、と思う。将来、大きな将になると確信した。
「星空を見てください」
「空?」
「数刻前、火星と土星の間を流星が北へと流れました。さらに火星は心宿の辺りに止まっている。これは熒惑守心と言って、主君の身に変事が起きることを意味します。つまり、北には不吉があるからそちらには逃げない。本陣に優秀な魔術師がいて、常に星を見ていれば、東に逃げることを勧めます」
「分かったわ」
「それから、閣下にはアビゲイルも付けます。あれは銃の扱いに長ける」
アビゲイルとはリアンの偽名である。
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