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呪詛

「不良聖女の巡礼」が全国書店で発売中です。

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 川が()てつき、白く色づく。ニスモは花のような薄氷(はくひょう)に足を埋め、少女の胸に刺さった雄鹿(おじか)の頭を呆然と見ていた。


 エリカと呼ばれた少女はふらりと倒れ込み、(あぶく)となった血をごぽごぽと口から出した。肺に穴が空いたらしい。キャロルは青褪(あおざ)めた顔でエリカに寄り、彼女を抱き寄せた。


「──!」


 ニスモは再び矢筒に手を伸ばしていた。意思とは無関係だった。聖墓矢(せいぼし)が磁力のように主人の手を引き寄せようとしている。とどめを刺せと矢が催促(さいそく)している。


 矢を握らせまいと左腕に力を込めて(あらが)うが、ぷるぷると震えるだけで左手は矢筒へと導かれて行く。だから右手で掴んで止めた。自分の力とは思えないほど強く、堪らず右腕のみに身体強化を(ほどこ)した。


 キャロルはエリカに応急処置的な回復魔法をかけると、静かに目を開いて、ニスモを凝視した。黄金の瞳が燃えて、輝聖の体からは理外の魔力が放出された。溢れる気は白く輝き、煙のように揺蕩(たゆた)う。


 ──生命の力は、(なか)ば暴走気味に周囲への干渉を始めた。


 ごおという地響きが起きて、燃える木々の根が隆起(りゅうき)し、地を割り始める。木によっては葉がさらに生い茂ったり、急速に枯れたりした。千切(ちぎ)れて倒れた木からも新芽が生まれて、炎の中ですくすくと上に伸びてゆく。


 キャロルの足元で茸や植物が勢いよく成長を始めた。複雑に縮れる羊歯(しだ)の葉や、無数の花弁(かべん)を持つ芥子(けし)金鳳花(きんせんか)など、奇形も多かった。


 地響きは次第にざあざあという血潮に似た音となって、やがては金属音のようなものに変化し、それは音叉(おんさ)の音に似ていた。下から突き上げるように鳴っていた音が、いつからか空から降るように鳴り始めて異様だった。ニスモはこれを終末(しゅうまつ)の音だと直感した。


(違う。私、そんなつもりは。あの子を()ろうだなんて思ってなかった)


 心の中で言うが、ニスモはこれを口にする事が出来ない。声が出ない。輝聖の怒りと理外の力に恐怖し、筋肉が強張りすぎて、喉が狭い。


 だがそれでも、ニスモは1歩前に出た。体がここから逃げろと叫んでいても、そうするわけにはいかなかった。──傷つけてしまった少女を治さなければと思った。


 矢筒に伸びる左手を押さえながら、1歩、1歩と薄氷を割って進む。無理に押さえつけているから、左腕は(あざ)で真っ青になっていた。足首も壊れたままで、跛行していた。


 薄氷の下には、()海月(くらげ)の混じったような、生命とは言いにくい緑色の何某(なにがし)かが揺蕩っていた。神経だけは不完全ながらあるのだろう、ニスモの脚が触れると少しばかりびくんと跳ねて割れた氷を押し上げた。キャロルの暴走した魔力が生み出した無意味な命だった。


 そして5歩目を踏み出した時、ニスモだけが違和感に気がついた。


 背後の林から、ぬめっとした、湿度の高い殺気を感じた。僅か顔を向け、そっと瞳を動かし、背後を確認する。前装式銃(マスケット)を持つ猟師風の男が、木々の間から顔を覗かせている。一瞬視界に入っただけでも手練(てだ)れと分かる雰囲気で、その銃口はキャロルか、(ある)いはエリカに向いているように見えた。


 間もなく、銃口から炎と黒煙が()き出した。放たれた弾はキャロルへと、真っ直ぐに向かってゆく。ニスモにはその弾道がひどくゆったりと見えた。


 ──いけない。


 神経は研ぎ澄まされていた。

 これ以上の悲劇は許されないと思った。

 キャロルならば避けるだろうとか、そんなことは関係ない。

 止められるなら止めたいと思った。

 健気な一心だった。


 ニスモは倒れ込むようにして体を投げ出し、その弾を(さえぎ)った。弾は胸に命中して、ロザリオを挟む形で肉に食い込む。


「ぐっ……!」


 血が弾けて、ニスモは倒れた。何でも無かったかのように立ち上がり、男を睨んだが、すぐに蹈鞴(たたら)を踏んだように下る。体に力が入らない。酔っ払いのようにふらついた後、前屈みに倒れ、四つん這いになった。


 それを見たキャロルは呆気にとられて、魔力を(しず)めた。何が起きたのか分からなかった。もう相入れる事がないと、ここで倒すべきだと決めた相手が、血を流して倒れている。しかもそれは、怒りで頭の中がいっぱいになった自分を庇ったように見えた。


 ニスモは吐瀉物(としゃぶつ)を吐くように、2度、3度と血を噴き出した。徐々に目の前が(かす)んでいく中、あの猟師風の男が背を向けて、林の奥へとそそくさと逃げていくのが見えた。だから、なんとか力を振り絞って衣嚢(ポケット)の中に入れていた羊の睾丸(こうがん)を潰し、魔法を発動させた。


 瞬時、猟師風の男が発火した。黒と(だいだい)色の炎だった。それはじっとりとしていて、粘っぽく、炎に見られる美しい揺らめきも輝きも持ち合わせていなかった。よく見れば小さな粒子が生き物のように(うごめ)いている。まるで揺蚊(ゆすりか)が集って形を作っているかのようなそれは、強烈な呪詛(じゅそ)の炎であった。


 そして男は炎の中で、自分の首を絞める。


「あ……」


 エリカは(うつろ)な意識の中でその炎を見てしまった。呪詛の炎を直接見れば、それは伝染する。


「嫌だっ! 何か、入って来る!」


 エリカは左手で片目を抑えた。奇妙な感覚に襲われた。恐ろしかった。自分が消えて、別の何かに変わってしまうと焦った。そして右手の拳を、無理矢理に口の中に入れようとした。理屈ではない。体が窒息(ちっそく)を望んでいた。


 キャロルはエリカに(おお)い被さるようにして視界を遮り、聖水を()いて十字を切った。石のように硬直したエリカの体が少しばかり柔らかくなった時、キャロルは振り返ったが、そこに焔聖はいなかった。


 炎の中、既に死んでいる(はず)の男の亡骸は、未だ両の手で首を強く絞め続けている。首の骨は完全に砕けて折れ曲がっているのに、海老反(えびぞ)りとなってぎゅうぎゅうと、必死に。


 □□


 ニスモは川辺から去った後で回復を試みた。しかし、壊れた足首や青痣(あおあざ)となった腕は治り切らず。銃弾を受けた胸に関しては全く治らなかった。


 (しょく)の日からじわじわと(たかぶ)っていた魔力が、急激に()えたように感じていた。麻酔をかけられたようで、思考もふわふわとしていた。


(聖女としての力を失った……?)


 そう考えたが、やはり思考がはっきりとせず、次第にその疑念も忘れた。


 ニスモは歩ける内に街道を進んだ。行き先は決めていなかったが、力が弱まっていく事に(おぼろ)げな危機感があって、街に入らねばならないと思った。──だが、何故だか街に辿り着かない。どうしても頭がぼやけてしまい、自分がどこを歩いているのかも分からない。山々は全て同じに見えて、星々を見ても方角を定められない。目を開けて真っ直ぐと歩いているはずなのに、気づけば街道から()れて、木の根に足を取られて転げる事もあった。


 歩いている最中、時折(ときおり)誰かに話しかけられたようだが、何を喋っているのか分からず無視をした。心配したのであろう、小銭(こぜに)を渡してきた男もいたが、その小銭はどこかに落とした。水薬(ポーション)を渡してきた女もいた気がする。その薬は、どこにやったのだっけ。忘れた。


 長い時間を歩き続けた。恐らくは数日経ったのじゃないかと思う。ついに脚が震え始めて、しゃがみ込んでしまった。1歩も動けず、地に伏せてしまう。(おこり)のように体が震えて、少し経てばそれは治ったが、以降は()うことも出来なくなった。


(もうだめなんだろう、私は)


 胸を地につけてみて、自分の呼吸を感じた。息を吸い込む度に体が上下に動いて、生の喜びを感じる。生きている実感に身を(ゆだ)ねると、多少は物を考えられる頭になってきた。だから、ニスモは己について総括(そうかつ)した。


 ──私はどうしたかったのだろう。何がしたくて、(もが)き続けたのだろう。


 考えてみても、何も分からなかった。


 ──リトル・キャロルにどうなって欲しかったのだろう。


 考えれば考える程、理想に向かう人間の足を引っ張っているようにしか思えなかった。


「私は、火の聖女……」


 火は周囲のものを焼いてしまう。なるほど、確かにその通りだと思った。弱い自分が、周りを焦がしてゆき、不幸にする。火というものは水を被れば、或いは強い風が吹けば、消えてしまう(はかな)く弱いものなのに。


 このまま死んだ方が良いのかもしれない。私が死んでしまった方が、きっと多くの人が幸せになる。そういう、必要とされていない存在なんだ。……そう思った時、自身の歩んできた全てがカチリと(はま)ったようで、納得がいった。自分という人間の価値を理解した。悲しかった。悲しすぎると涙も出ないのだな、と他人事のように思ってみせた。


 ──何が聖女だ。他人を不幸にする人間が聖女だなんて、神は阿呆(あほう)だ。


 そもそも、聖女ってなんだろう。どういう存在なのだろう。まあ、良いか。もういなくなれば、それで。関係のない事だ。


 遠くから足音が聞こえた。それは姉の歩き方に似ていた。いよいよ迎えが来たのだと思った。顔を上げて愛する姉の笑顔を見ようとしたのだが、力が入らない。だから心の中で、額に口付けをして欲しいと甘えた。


 そっと、背中を揺すられる。人の温もりを感じ、安心してしまって、そこからは記憶が点々としている。


 どこかに運ばれている感覚があって、ニスモは再び目を覚ました。先程よりは少しばかり思考がはっきりしていた。その為、自分は聖女である事を誰かに知られると都合が良くないと何となしに思って『医者には見せるな』と言ったと思う。半分、譫言(うわごと)だった。その後のことは、もう本当に覚えていない。糸が切れたように眠ってしまった。

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