ウエディングベールを被った猫
翌日、涼と秋は早めの昼食を済ませ、日の丸写真館に向かった。着いてみると、すでに涼が着るタキシードが準備されている。持ち込んだ白のクレリックシャツを着て、借り物のネクタイをウィンザーノットに結んだ。
「うーーん、なんだか、この格好、恥ずかしいな」
「いやいや、似合ってるぜ、白のタキシード。三国一の花婿殿」
二人はそのまま二時間ほど待たされた。
「ささ、花嫁の準備ができましたよ。どうぞ、こちらへ」
「……」
純白のウエディングドレスを纏う秋、白銀のオーラが彼女の周りに見えた気がした。もはや百万言を弄しても言い尽くせぬ美しさだ。涼は、しばし、言葉を失った。
「アハハ 似合ってますか?」
伏し目がちに問う秋。涼は水飲み鳥の玩具のように、ただただ首を上下に振った。
家族、夫婦、男女の地位、この世界に変わらぬものなど存在しない。だが、純白のウエディングドレスには、今も昔も女性の想いが詰まっている。秋は思わず目頭を抑えた。
「秋さん、泣くとお化粧が崩れますよ……。おい、涼、惚けてないで、結婚式、進めるぞ!」
写真館の主人、随分と気を使ってくれたようだ。写真を撮影する舞台にテーブルを置き、即席の祭壇としてくれていた。テーブルに置かれたクリスタルの花器にはカサブランカ、その横になぜか……。
「アクレサ、讃美歌312番かけて」
♪〜 いつくしみ深き、友なるイエスは…… 〜♪
立会人、牧師役の琉海は、
「コホン、新郎・涼、あなたは秋を妻とし、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、愛し、敬い、慈しみ、その命ある限り真心を尽くすと、誓いますか?」
「誓います」
「新婦・秋、あなたは涼を夫とし、愛し、敬い、慈しみ、その命ある限り真心を尽くすと、誓いますか?」
「誓います」
「涼、秋、おめでとう!!!」
「ありがとうございます、琉海さん。そして、涼さん、いいえ、これから貴方は私の旦那様です。旦那様、旦那様、旦那様……、だ・ん・な・さ・ま!! 秋は、本当に、本当に幸せだニャァ♪」
「秋、琉海、ありがとう!」
「はい♪!」
秋は向日葵が咲いたような笑顔で答えた。
「ささ、花嫁さん、こっち向いて。ああ、花婿さん、もうちょい顎引いて、えと、このブーケ、抱えるようにして、そ、そうです……」
二人は腕を組み、カメラマンに言われるまま、いくつものポーズで写真を撮った。
「はい、これ、写真のデータが入ったUSB。じゃ、私はここで引き上げるとしよう。後は、若いお二人で……」
「琉海! なに、その嫌らしい笑みは。でも、ありがとな」
「ありがとうございます」
琉海と写真館で別れた二人、すでに日は暮れている。どこかの家が風流にも蚊取り線香を焚いているのだろう、風に乗って除虫菊の香りが流れていた。
二人はいつものスーパーで買い物をした。
「お祝いですから、鯛と蛤ですね、旦那様」
「うーーん、今はシーズンじゃないし」
「あ、でも、コレ、養殖物ですけど、美味しそうですよ。さすがに、蛤は冷凍かな?」
マンションに戻り、秋が作った夕食は、魚介類のパエリア、鯛のカルパッチョ、蛤のコンソメスープ、いつもの海産物ずくしだった。
食事を終え、蛍光灯を消し、蝋燭の灯りの中、二人は琉海が無理やり持たせたレミーマルタンを飲んだ。今夜は新月、キッチンの窓越しに星が瞬く。
「ここからじゃ、よく見えないね。ベランダに出てみようか?」
冴ゆる星を見上げる涼と秋。夜空には、街の灯りに抗いデネブ、アルタイル、ベガ、夏の大三角形が輝いている。
「私たち、彦星と織姫のようですね。一度は引き裂かれた二人、一年の時を経て、再び出会えました」
「今生の俺の命が、どこまであるかは分からないけど、生の続く限り君を愛す、と誓うよ」
新妻の肩を抱こうとした涼の手をするりと抜けた秋。
「アレが、大猫座と、子猫座かな?」
「いやいや、おおぐま座と、こぐま座だろう?」
「猫でいいのっ! アッ、流れ星!」
「願い事してる余裕なかったなぁ」
「私は三回確かにお願いしましたよ」
「何を?」
「内緒です。じゃ、シャワー、浴びてきますね」
アキの髪は、なぜかお日様の匂い、初めてのキスは煮干しの味がした。夢のような一夜が過ぎる。夢、そう、夢はいつか醒めるものだ。
翌日、朝食を終え、いよいよ職場復帰することになった涼。久々に結ぶレジメのタイ、コットンのサマースーツを着た旦那様、秋にはいつもより凛々しく見えている。今、まさに、幸せの絶頂にいるはず、なのに、どこか寂寥感漂う新妻。
「いってらっしゃいませ、旦那様。今日でお別れですが、どうかお元気で」
秋はまるで今生の別れのような挨拶をした。どうした? まるでVTuberの中の人が変わってしまったようだ。見た目は同じなのに、この思い詰めたような空気感は何だ? いつもの秋じゃない。涼はその豹変ぶりに戸惑いを隠せなかった。
「なに言ってんだ、俺の心臓、まだ少しは持つと思うぞ、だから、また会いにくればいいさ。じゃ、いってきます!」
もう家を出ないと電車に間に合わない、後で電話で電話しよう! そう考えた涼は家を出た。




