ウエディングドレス
不思議なことは多々あったが、涼は秋ととても楽しい毎日を送った。掃除、洗濯、料理、彼女は全ての家事をこなし、二人っきりの甘い時が流れる。だが、明後日、月曜は約束の日、一週間が過ぎようとしていた。
そんなある日のこと。
ピンポーン
「はい、どちらさまでしょう?」
当然のことのように、秋がインターフォンに答えた。
「おーーい、涼、新婚生活はエンジョイしてるか? これ、今日、釣ってきたんだ。一緒に食べようと思ってね」
琉海の趣味は釣りだ。さすが医者の経済力というべきだろう。クルーザーまで所有しており、休日は日がな海釣りを楽しいでいる。
「お、おお、大漁だったのかい!」
「ああ、早朝から逗子のほうで、シーバスをね」
「いつも、悪いな、上がって、上がって」
琉海が台所に置いたクーラボックスを早々に開ける秋。
「わーー、スズキですか! 美味しそう、じゃ、私、料理しますね。お刺身とポワレなんて、いかがでしょう?」
本当に秋は器用だ。五十センチ以上もある立派なスズキの鱗を取って三枚におろし、またたく間に昼食を完成させた。
「ごちそうさまでした」「ありがとな、秋」
「おそまつさまでした」
「あ、待って、待って、俺も手伝うから」
涼と秋、二人で使ったお皿を片付けながら、秋は何かもの言いたげな顔をしている。そんな空気を読んだのだろう、琉海がそれとなく話を切り出した。
「そういえば、涼、来週には職場復帰だな。秋さんも、それまでってことかな?」
「え、ええ。あの、実はお二人に、折り入ってお願いがあるのですが……」
琉海の予感は的中したのだろう、いつになく真剣な顔になった秋。
「改まって、どうしたの?」
「涼さんと結婚式を挙げたいのです、明日」
「け、結婚!! しかも明日!!」
「我儘は承知の上、でも、明日でないとダメなんです」
「いや、だって……。それに、君も知ってるよね? 俺の心臓のこと、琉海ははっきり教えてくれないが、俺、そう長くはないと思う。そんな男と結婚したいなんて、どうにかしてるぞ」
この一週間、妙齢の女性が傍にいた。しかも、その女性は開けっぴろげな愛情を自分に示し、触れなば落ちんといった風情だ。涼も男として何も感じないはずもない。
だが、だけど、決して一線を越えてはならない。そう心に誓っていた涼。自分は、まもなく死ぬ、親しくなればなるほど、秋は、その死を受け入れ難く思うだろう。
「涼さん……。申し上げました通り、私は涼さんが好きです。多分、あなたが想像もできない程に。ご迷惑とは思いますが、どうか、どうか、私の切なる願い、お聞き届けいただきたく……」
断崖絶壁から滑落寸前、かろうじて命綱一本で繋がっている、そんな切迫した表情で、秋は結婚を懇願した。
「君が俺を想ってくれるのは、とても嬉しい。だけど、なぜそこまで、俺に拘る? こんな俺……」
「ダメですよ、涼さん、そんな言い方」
秋は人差し指で涼の唇を押さえ、言葉を遮った。
「ちょっと待って。秋さんはお二人にと言いましたよね? 私にできること、何かあるのですか?」
今まで黙って二人のやり取りを聞いていた琉海、なにか感じるところがあったのだろう、助け舟を出すよう話に割り込んだ。
「はい、大変、ご面倒をおかけしますが、介添人になっていただきたく思います」
彼の取りなしを待っていたかのように、秋は明るい表情に戻って、そう答えた。
「なるほど、ならば、こういうことでどう? 私の知り合いに写真館を営んでいる友人がいる。写真だけの結婚式だが、それでいいかな?」
「もちろんです! お二人とも、よろしくお願いします」
「うーーん」
結婚式といっても写真を撮るだけ、なぜ秋がそこまで拘るのかは分からないが、ここまで真剣に彼女が望むことを、断るというのは人としてどうかと思う、だが、だけど……。
煮え切らない涼の肩を、いつものごとく親友である琉海が押した。
「なあ、涼、孟子の言葉に『惻隠の心は仁の端なり』とある。私の言いたいこと分かるよな?」
琉海が引いた言葉は「人を哀れむ心は、仁を身につける糸口である」という意味だ。
なるほど! まさに不失正鵠というとだろう、涼は心の中で琉海の慧眼に舌を巻いていた。秋がかくも急ぐのは、先がない俺を気遣ってのこと、だから「明日でないとダメ」なんだ。
どうして、ここまで秋は俺のことを思いやってくれるのかは、分からないけれど、その思いやりには真正面から答えるべきだ!
「分かった。秋の優しい気持ち、受け取らせてもらうよ」
「はい……」
秋の返事、涼は気付かなかったようだが、琉海は不審に思っていた。普通、彼女の性格なら花が咲いたような笑顔を返すに違いない。なのに、なぜ、こんな複雑な表情をする? そんな違和感を振り払うよう、琉海は明るく言った。
「今、メッセージアプリで予約を入れた。明日の12時、日の丸写真館集合で」
「了解! 何からなにまで、悪いな琉海」
「はい!」
今度は、秋、いつも笑顔で答えた。




