猫が人に恋をしてはいけませんか?
アーケードのある商店街に入った二人、涼は相合傘を抜け早足で歩いた。すきがあれば、じゃれつこうと、たくらむ、アキを悩ませ、ながら進む。
「ご主人様、速い! 男性は女の子に歩調を合わせるものですよ。あ、ここでお夕食買っていきましょう」
「うん、そうだね」
鍋島商店街のスーパーマルシメに入る。黄色い買い物かごは涼が持った、まるで新婚夫婦のように、買い物を始めた二人。
「あ、この鯖、美味しそうですよ!」
「アキ、さっきから、魚ばっかり見てるように思うけど」
「そりゃ、猫ですから」
「はい、はい」
涼という男、容姿からいえば、そこそこイケメンだ。甘いマスクはジャニーズ系といえばいいだろうか。だから、高校、大学を通じて女性から告白されたことも幾度かはあるが、全て断っていたようだ。
彼の性的指向が男性に向いていた、という訳でもなく、どこか女性との交際を忌避していた。
おそらく、彼自身、自らが短命であることを予見していたのかもしれない。女性とお付き合いしたとしても、悲しい結末を生むだけ。ましてや結婚など、無責任の誹りを免れない、無意識にそう感じていたのだろう。
だが、何気なく冗談を言いながら買い物をしているだけなのに、とても、とても、心が安らいでしまう。なぜか既視感すら感じている自分。今までの人生、デートすらしたことのないのに、何故? どうして?
いやいや、ダメだ、この安らぎに溺れてしまえば、結果、アキを悲しませる。彼女とは一週間、そこまでの関係と割り切るべきだ。つい、長い思索に耽ってしまった涼。
ツンツン
「ワッ!」
アキに頬を突かれて、我に帰った涼。
「ご主人様、何か深刻なこと、考えていたのですか?」
「どうして分かる」
「それは、十五年……」
「なるほどね。君は俺の糟糠の妻ってことかい? ま、俺、全然出世とかしてないけど」
「とんでもないです。ご主人様は立派にお勤めなさっていて、同期最年少で課長さんに昇進されたじゃないですか」
「おいおい、そこまで個人情報漏れてるの?」
「あはは、ご主人様は、私の誇りでもあるのです」
「お褒めに預かり光栄ですな、お嬢様。でも、さっきから気になってるけど、そのご主人様って呼び方、何とかならないの?」
「え! な、名前呼びをせよと? ププププゥ! キモッ! って、嘘ですよ、嘘、じゃ、涼さん、私はアキでお願いしますね、昔のように」
「じゃ、アキも折角、人になったのだから、漢字の秋、オータムってことでどう?」
「はい!! 嬉しいです。ごしゅ……、涼さんに名前をもらうのは二度目ですね」
猫設定、何の目的かは分からないけれど、ここまで来たら付き合ってやるしかないだろう。確かに、体に纏う空気感、秋はアキに似ている、そう思うと、秋のことが愛おしくてしょうがなくなる。
「ウフ、涼さん、ね、手を繋ぎましょ」
そんな涼の心中を察したのか、秋はスッと右手を差し出した。さりげない動作に思わず左手を繋いだ涼、なんて小さくか細い手だ、だけど、温かい、とても温かい。
かつて西洋の騎士は右手に剣を持ち左手で女を庇った。そんな故事がふと頭に浮かんだ涼、二人は道の左側を歩いて、涼の住むマンションに向かった。
「たっだいまぁ!」
自宅の鍵を開けるや否や、秋は真っ先に玄関に飛び込んで、懐かしい我が家に戻ってきたような挨拶をした。
「さ、夕食の準備をしますので、病み上がりの涼さんは座って待っててくださいね」
「あ、ああ、お茶だけは俺が入れるよ」
涼は秋に食器の保管場所など、キッチンを説明しながら、緑茶を淹れた。
「はい、どうぞ」
来客用の萩焼を秋に差し出した涼。
「これ、涼さんが入れたお茶、謹んで頂戴いたします」
ペチャ
「あ、あっつ」
「て、なんで舐めるの? ああ、猫舌ってこと?」
「その通りですニャァ、じゃ、お茶が冷める間に、お米研いでおきますね。えーーっと、ここだったかな」
え! そういえば、米の在処は解説しなかったはず。なぜ、彼女はそれを知っている? 不審に思う涼に構わず、秋はテキパキと夕餉の支度を続ける。
料理慣れしているのだろう、とても手際がいい、ものの三十分ほどで、数品の料理を作り上げた。
ただ、そのメニューというのは……。鯖の味噌煮、肉じゃが風・鱈の煮物、しらすおろし、浅蜊の味噌汁。
「魚ばっかじゃないか! ま、まぁ、嫌いじゃないけど」
そう言って、味噌汁に口を付けようとした涼を秋はじっと見つめている。
「どうしたの? 俺の顔に、なにか付いてる?」
「涼さんのお顔には、私の『憧れ』が付いています」
「なに、その、ラブコメみたいなセリフは」
微笑む涼に秋は、一転、真顔で答えた。
「猫が人に恋をしてはいけませんか? 人の言葉が話せなかったので、口に出して言えませんでしたが、ずっと、ずっと好きだったんですよ、涼さんのこと」
「アハハ、ありがと。っ、え? なに? あり得ない……」
味噌汁を一口飲んだ涼の目から、突然、涙がこぼれ落ちた。出汁、濃さ、味だけではない、具材の切り方まで、精密に、正確に再現されている。三年前に早逝した母の味そのものではないか!
「お気に召しましたかニャァ。私、ずっと、お母様の後ろで、作り方を見てましたから。ほらほら、涙が溢れると、お味噌汁、塩っぱくなっちゃいますよ」




