時は流れて
青い瞳をしたメスの黒猫を、涼はアキと名付けた。彼の姓が夏江だから、コイツは秋だろうという安易な発想だったようだ。だが、名は体を表す。家に帰ると、いつも後ろを付いて歩く。
猫なのに、まるで犬のように懐いてくれたアキ。ジッと涼を見つめる猫の目には、想い人に向けた憧憬の煌めきがあったのだが、この時、涼は彼女の恋心を知る由もなかった。
大学に入り家を出た涼は、変わらず彼女との二人暮らしを選び、涼とアキとの蜜月は15年も続いた。
だが……。
猫にせよ犬にせよ、人に比べその寿命は短い、だから人は、いつか、いつの日にか別れの日が来ることを受け入れねばならない。
猫は長命なら20年以上生きることもあるが、彼女の天寿は平均的なものだったようだ、涼が三十路を迎えた去年、アキは、静かに、眠るがごとく、天に召された。
涼とアキは、長い間、いつも一緒だった。帰宅しても、足元にまとわりつく、柔らかい毛の感触がない。ベッドで寝ていると、いつのまにか、お日様の匂いに包まれていることもない。涼はいい知れぬ寂寞感に苛まれていった。
ちなみに、アキのような黒猫、日本では不吉な印とされることもある。だが、西洋の伝承によれば、猫には天候を変える神秘的な能力がある、とされていた。イギリスでは黒猫を船に乗せると縁起がよい、と信じられており、漁師の妻が黒猫を飼う地域もあったらしい。
ペットロスのショックに加え、守り神を失った涼に、さらなる不幸が襲った。
元々、心臓に持病を抱えていた涼だが、医師に「激しい運動は控えるように」という忠告を受けている程度の症状だった。ところが、アキの死後、彼の容体は急速に悪化し、入退院を繰り返すようになっていた。
一方、成績優秀だった琉海は外科医への道を選んだ。そして、これも運命ということなのだろう、涼の主治医として何かと面倒を見る存在となっている。
そんな、ある日のこと、しばらく入院していた涼の検査を終えた、琉海。
「涼、今日の検査結果だが、ま、ずいぶんとよくなってるよ。退院し、一週間ほど自宅療養したら、職場復帰しても大丈夫だと思うぞ」
「琉海、いつも悪いな。格ゲーしか能のないヤツだと思ってたが、今や新進気鋭の名外科医様、本当に世話になっている」
「よせよ、そんな他人行儀な言い方、お前と私との仲じゃないか」
「そうだよな。俺たち、親友だよな、なら、お互い嘘はなしだ。違うか?」
と、言葉を切った涼、真剣な眼差しで親友を見つめる。その余韻を聞きながら、琉海は彼の意図を図りかねている。
「うん? 急にどうした? 涼……」
「……俺は、あと、何年持つ?」
「……」
琉海は息を呑み、二の句が継げなかった。
「大丈夫、現実を受け入れる覚悟はできている。だから、はっきり言ってくれ」
さらに言い寄る涼だが……。
実のところ検査結果は芳しくなかった。このままだと、彼の心臓は持って一年だ。
心臓移植という起死回生の一手が残されてはいる。だが、彼の血液はAB型でRh-、一年以内にドナーが現れるなど、あり得ぬことだ。サハラ砂漠に落とした一本の針を見つけ出す方が、ずっと現実的かもしれない。
「バーカ なに、本気な顔してんだ? アキがいなくなってから、お前ちょっと変だぞ」
「だから隠すなよ! 自分のことは自分が一番分かってる」
幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた友、よりにもよって、自身で余命宣告する? そんなことできるはずもないだろう?
いや、待て、その考えは間違っている。余命宣告する、その重荷を患者と伴に背負う、私は医師としての責務を放棄していないか?
ショックを受ける涼を見たくないから、それを成した自責の念が怖いから、ただ逃げているだけではないか? そうだ、涼は、私の無二の親友だ、だからこそ、言わねばならない! 琉海は重い重い決断をした。
「涼、あのな……」
眦を上げ、辛い宣告、その一言を発しようとした、その時。
「ちょ、ちょっと、診察中ですよ、勝手にお入りになっては困ります」
診療室の外から聞こえる大きな声に、琉海は言葉を飲み込んだ。
看護師の制止を振り切って、診察室に突然現れた謎の人物、歳の頃なら二十代半ば、烏の濡れ羽色の髪、アクアマリンの瞳、美人などという陳腐な表現は不敬に当たる。異世界から降臨した妖精姫もかくや、とても美しい女性だった。
彼女が放つオーラの眩しさに、一瞬息を呑んだ、涼と琉海だが、
「……君、誰??」
計ったようなタイミングで綺麗にユニゾンした。




