白い動物病院
商店街の端にある動物病院はボートに乗る黒猫のロゴがデザインされた看板を掲げている。このロゴはヨーロッパの伝承である「船乗り猫」をモチーフにしているらしい。
白いタイル張りの建物、病院のドアを蹴破るような勢いで開けた涼、
「こんにちは! 猫、この子猫、この子を!!」
猫を一秒でも早く手当したい! その一心なのだろうが、気持ちとは裏腹に思考がまとまらず、言葉が出てこない。
「うん? どうしたの? まずは、落ち着いて」
歳の頃は四十代半ば、優しそうな顔をした獣医師が、慌てる涼を宥めるように、落ち着いたバリトンで答えた。
「さっき、見つけた猫の赤ん坊なんですが、この子にだけ、息があって」
こういう時は、冷静な琉海の出番だ。
「なるほど、じゃ、こっちへ」
獣医師は涼の手から子猫を受け取り診察室へ向かった。しばし猫を触診した獣医師は、
「うん、大丈夫だね。すぐ連れて来たのは、よい判断だった。冷たくなってしまった子猫、親猫は死んだと判断して、育児放棄するようだから」
「ふぅ、よかった!」
二人は脱力してしまい、お礼の言葉も出てこない。琉海と涼の優しい気持ちを察したのだろう、獣医師は笑顔で看護師を呼び、指示を出した。
「じゃ、ミルクをあげて、保育器に」
「はい」
女性看護師が、子猫を両手で包み込み、そっと保育器に入れる。
「あ、ありがとうございます」「ありがとうございます」
茫然自失から我に返った二人。こんな時も、琉海、涼の順だ。それを見計らったように、獣医師の表情が、一転、いままでの柔和な雰囲気はどこへやら、真剣な眼差しで二人を見つめる。
「今夜は当病院で預かるね。だけど……」
一旦、言葉を切った獣医師は、こう続けた。
「高校生かな? なら、分かるだろう? 生き物の命を預かるというのは、とても重いことなんだよ」
獣医師の真剣な物言いに気圧され、ゴクリと唾を飲み込んだ二人だが、まだその意図を図りかねている。
「は、はい、そうですよね」
要領を得ない涼に、彼は厳しい現実を突きつけた。
「生まれてまもない子猫、まだしばらくは二時間おきの授乳が必要なんだ。もちろん、夜も。この意味が分かるよね?」
生き物の命を大切にするのは、とても尊いことだ。だが、一方で、生を預かるという重い責任も生じる。そのことを、この獣医師は、若い二人に教えたいのだろう。
「大丈夫です、俺が引き取ります!」
だとしても! こういう時の涼は即断即決、後先のことも考えずに突っ込んでいく。獣医師はそんな涼を宥めるよう付け加えた。
「命を大切にする。立派な心がけだとは思うが、とても大変だよ? 一時の同情なら、やめた方がいい。安楽死という選択肢もあるのだが……」
「俺が、必ず、責任を持って、育てます! ちょうど冬休みですし、親にも迷惑をかけません。ですから!」
それでも涼は諦めない、必死で食い下がる。これを聞いた獣医師、破顔一笑とはこのことだろう。
「ああ、ごめん、ごめん、脅すようなことを言ってしまったね。君たちの覚悟を聞きたかった、ってことだから、勘弁して。分かった、では、明日、授乳のやり方を教えるから、11時ごろに来てくれるかな?」
「はい!」
二人はユニゾンした。ちらと、涼の横顔を見る琉海、こいつの決断力、意思の強さは凄みすら感じる、だけど、どこか危なっかしい。彼は天が自身に与えた役割を再認識した。そして、
「あの、診察料は?」
「明日、お小遣いを持って来ればいいよ」
「ありがとうございました!」
二人は最敬礼するようお辞儀をして、タイムズ動物病院を出た。
外に出てみれば空は黒く濁り、先ほどまで降っていた霙混じりの雨は粉雪に変わった。今夜は雪が積もりホワイトクリスマスになりそうだ。
「おい、涼、安請け合いしちゃったが、大丈夫なのか?」
「なんとかなるさ。それに、なんだろ、あの子猫を見てると、運命を感じるんだよね」
何気なく「運命」という言葉を口にした涼、これから先、子猫と涼の数奇な人生を思えば、これは、神をして彼に言わしめた一言だったのかもしれない。
「『運命の人』じゃなくて『運命の猫』だってぇ! ま、そういう涼の優しさ、嫌いじゃないぜ。僕も手伝うから、頑張ろ」
ほんとうに涼はポジティブだし、大物というか……、呆れる琉海に、親友は続けた。
「それにしてもさ。『生き物の命を預かるというのは、とても重いことなんだよ……』獣医師、超カッケエェェェ!」
いや、もう、ポジティブを通り越して能天気と評するしかないだろう。
「まったく度し難いな、涼は。すぐ、人に影響されるんだから」
と言って、琉海は涼の腹を小突いたのだが、こちらを見つめる涼の視線に気付いた。
「な、なんだよ、そんなに見つめるなよ。気持ち悪いなぁ、ああ、分かった、分かった、できる限り、手伝うからさ」
「サンキュー、やっぱり、琉海は頼りになるな」
「おだてても、何も出てこないぞ」
「じゃ、俺の方から出すよ、琉海君、コンビニの肉まん奢るからさ」
「人生のサポートが、肉まん一個かよ! 安っす。でも、寒いし、食いたいな、暖かいもの」
「コーヒー缶も付けるからさ」
「OK、それくらいで妥協するよ」
粉雪舞う中、二人は冗談を言いながら、じゃれあうように家路を急いだ。




