海の見えるホスピス
「ハー、ハーー、シ、シスター! り、涼は?! 涼は!!!」
五十メートルも走っていない、なのに、なぜ、こうも息が上がる、まったく! 歳はとりたくないものだ。
心の中で愚痴を言った老人は、受付にいたシスター、このホスピスの看護師は修道服を着ている、に問いかける? いや、口角泡を飛ばし、シスターに向かって叫んだ、という表現が正しいだろう。
「シッ! お静かに。涼? 夏江涼さんですね。今は容体も落ち着き、おやすみになっておられます」
二十代半ばに見える美麗のシスター、年齢に似合わぬ落ち着いたアルトが老人を嗜めた。
「ハー、ハー……、よかった」
「あなたは、鈴木…琉海さん、でしたよね? まずはこちらに」
シスターは受付横にある応接室に琉海を案内した。
「さ、こちらへ」
「ありがとうございます」
「では、冷たいものを取ってきますので、少しお待ちを」
しばし、部屋を出たシスターはアールグレイのペットボトルを持って戻ってきた。
「はぁ〜 生き返るようです」
「では、落ち着かれたところで……」
「涼の容体、芳しくないのですね?」
「はい……、なぜそれを?」
「年の功ですよ、シスターのお顔を見れば分かります。そもそも、私は医者ですし。どうぞ、率直に仰ってください」
「明日を迎えることが、できるかどうか……。という状態です」
「そうですか……。でしたら、今夜は、あいつの傍にいさせてください、よろしいでしょうか?」
「ええ、是非そうしてあげてください。命が天に召されるこの大切なひと時、親友が傍にいるというのは、とても心強いものでしょう。面会規定には反しますが、特例ということで、よろしいかと存じます」
「ご配慮、痛み入ります」
「そういえば……。立ち入ったことをお聞きしますが、涼さんをお見舞いに来る人は、あなただけ、ご家族の方は?」
「ああ、あいつの親兄弟はもうおりません。子供もいませんので、私が看取ってやるしかないのです」
夏江涼は大きな動物病院の院長をしていた。財力もあり、それなりにイケメンである彼、結婚相手など引く手あまた、何度も女性から言い寄られたようだが、全て断り、生涯独身を貫いた。ある誓いのために……。
「そうですか、ご家族がいないとなると、失礼ながら、少々寂しい帰天となりそうですね」
「いや、彼自身が望んだことですから……。ああ、そうだ、まだ彼が眼を覚ますまで、少し時間がありますよね?」
「はい、おそらく1時間ほどはおやすみになっておられるでしょう」
「ならば、シスター、老人の昔話にお付き合いいただけませんか?」
「涼さんのお話ですか?」
「はい。人は二度、死ぬのです、その者を記憶に留める人が誰もいなくなった時が、第二の死です」
琉海はじっとシスターを見つめた。綺麗な人だ、宝石のような青い瞳、西洋人とのハーフだろうか?
彼女とはどこかで会ったことがあるような? いや、気のせいだろう、こんな美人、そうそうお目にかかれるものではない。会っていたとすれば、鮮烈な記憶が残っているに違いないはずだ。
そんなことを思いながら、彼は話を続けた。
「私もいい歳ですから、ほどなく涼の後を追うのでしょう。そうなれば、彼をことを知る人はこの世に誰一人いなくなってしまいますので」
「いえいえ、琉海さんは随分とお元気そうですし、まだかだこれからですよ。ですが、私でよければ、是非、お聞かせください」
「ありがとうございます。実は、この話、涼がなぜ独身だったか? の答えともなります。実は彼、ずっと昔に、ある女性と結婚しているのです」
「なるほど、彼はその女性と死別した後、操を立てたということですか?」
受け答え、話したいと思わせる空気感、このシスター、なかなか聞き上手だ。懺悔ではないが、人の話に耳を傾けるというのも、聖職者の勤めなのだろう。
だが、やはり不思議な女性だ。先ほど「涼が独身を貫いた」と聞いた時の安堵の表情、彼女の涼への関心は赤の他人に対するそれとは明らかに異なっているようにみえた。
「操を立てたというのは、その通りですが、不思議なことに、その女性は、涼以外、誰の記憶にも残っておりません」
「どういうことでしょう?」
「あいつは、私が結婚式の介添人を務めたと言うのですが、どうしてもその日のことが思い出せません。周りの人の記憶から、その女性が消えてしまった、としか言いようがありません」
そう言って琉海は、一瞬、沈黙し、心を決めたように、こう続けた。
「ですので、このお話しは、私が涼から聞いた物語です。もちろん、私は、あいつが作り話をしたなどとは思っておりませんが、どこか超常的なお話です。シスターにお聞かせしてもよろしいものでしょうか?」
「私は神に仕える身、その奇跡を信じております。ですので、どうぞ、ご遠慮なく」
「そうでした、失礼いたしました。では、お話しを続けましょう。不思議な猫・アキと涼との物語を。あれは、私たちが高校一年の時でした……」
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本作は2021年12月に連載しました「The Cat's Eucharist(猫の聖餐)〜猫が人に恋をしてはいけませんか?」のリメイク版です。
元々「The Cat's Eucharist(猫の聖餐)」は、声優の涌井直輝さんがお書きになったボイスドラマ「猫の恩返し」を原作としています。「猫の恩返し」を聴いた私が、作品の素晴らしさに感動し、涌井さんから許諾を得て小説化したものです。
ただ、剽窃にしたくないという思いも強く、大幅にストーリーを変更しています。
その後「The Cat's Eucharist(猫の聖餐)」を読んだ、この方も声優の白岩和真さんが、いたく拙作を気に入って下さり「是非、ボイスドラマに!」。私が脚本を担当することになりした。
本来、猫と男性主人公がメインである「The Cat's Eucharist(猫の聖餐)」に男性声優二人、どうすればいい? と悩んだ私、再び、大改訂をすることとなった次第です。
ですので、本作はボイスドラマ「猫のユーカリスト」のノベライズ版という位置付けにもあります。ボイスドラマの方は、前述のお二人はもちろん、夏樹リオさん、一条和矢さん、小松美恵さん、豪華声優陣が出演する作品となっていますので、是非、こちらもご視聴下さいませ。
本作は全面改訂していますので、前作をお読みの方でも楽しめるストーリーではないかと思います。最後までお付き合いいただければ幸いです。




