第三十七話:傷だらけの子
「では、次は私が実際に体験した話をさせていただきます」
肌染の話が終わって、三番目に話を始めたのは、四十代くらいの木柳と名乗った男だった。
声の感じから、知的で真面目な印象を与えてくるが、以前は市役所でそれなりに長く勤めていたと前置きをされたため、やはり頭は良いタイプなのかもなと納得をさせられた。
「――これは、過去に遭遇した怪異であり、また、現代の社会問題であるとも言える、何ともやりきれない話です」
簡単な自己紹介の後、そんな前置きを一言添えて、木柳は自身が体験したというその話を語りだした。
今から、もう七、八年前になりますか。
四月の終わりくらいの季節でした。私は仕事の都合で外へ出ていたのですが、その途中にある小さな公園で、五歳くらいの女の子を見かけたのです。
公園には桜の木が一本生えていて、それは既に花が落ち、目に心地よい緑が色付いていたのですが、その真下にあるベンチに座りじっと自分の膝を見つめたまま動かない少女の姿に、私はどことなく違和感を覚えたのです。
しかし、その時は仕事の最中でしたし、待ち合わせをしていて時間もなかったため、そのまま通り過ぎてしまったのですが、それから一時間くらいでしたか……相手先との話が終わって職場へ戻ろうと、また同じ公園の前を通ったら、その女の子がまだベンチに座っているのを見つけまして。
しかも、行きに見かけた時と同じ位置に、同じ体勢で、です。
薄いピンクの半袖に、白いズボンを穿いていて、遠目ではあったんですが、その……はっきり言ってみすぼらしく感じる見た目をしていたんです。
着ている服は、何だかよれよれしているし、髪も不衛生な感じで、整えられている様子がない。
周囲に保護者らしき大人の姿もないし、何だかおかしいなと、さすがに私も思いまして。
ちょっと声をかけてみようと近づいていったんです。
場合によっては、児童相談所へ連絡をするべきである可能性もありましたから。
そうして、女の子の側まで近づき声をかけたのですが、これがまた何と言いますか、ひたすら無反応でして……。
何を問いかけても、無言。顔を上げようとすらしてくれない。
これは参ったなと、最悪警察を呼んで保護してもらい、後のことは任せようかとまで考え始めたりもしたのですが、話しかけて五分くらいが過ぎた頃でしたか、突然女の子が私のズボンを掴んできたんです。
どうしたのかと思って声をかけても、相変わらず反応を示すことをせず、ただ、女の子はスッと立ち上がると、黙ったまま公園の出口を指差したんです。
これは何だろうか……一緒に来いというような、そういう意味なのか。
戸惑いましたが放ってもおけないため、私は渋々指差す方向へ歩きだしました。
すると、女の子も一緒になって歩きだし、私のズボンをぎゅっと掴んだまま先導するかたちで道路を進みだしまして。
ゆっくりとしたペースではありましたが、それでも十分はかからなかったはずです。
二階建ての、小さなアパートへ辿り着きました。
その一階にある部屋の前で、女の子は立ち止まったのです。
表札を見てから、女の子へここがきみの家なのかい? と訊ねてみたのですが、俯いたまま頷くこともせず、仕方なく私はインターホンを鳴らしてみたのですが……留守なのか、誰も出てはきませんでした。
内心、これは困ったなと頭へ手をやりたい気持ちになってしまい、どうしたものかと思案していると、また女の子がドアノブを指差しまして。
まるで開けろとでも言っているような様子だったので、私は躊躇しつつもドアノブを回したんです。
そしたら、施錠されていなかったらしく、簡単にドアが開いてしまって、私がドアを開けると同時に、突然女の子が走りながら部屋の中へ入っていき、そこで初めて顔を上げ私を振り返ってきました。
……目の下辺りと口の横に黒い痣ができている、痛々しい顔でした。
その顔がじぃっと私を見つめると、今度は奥の部屋を指差して手招きをしてきたんです。
異様な雰囲気に飲まれ、同時に言葉にできない焦燥感にも苛まれながら、私は導かれる心地で部屋の中へ入っていきました。
玄関には、乱雑に脱がれた女性用の靴と、女の子が履く靴が転がっていて、玄関から見た室内も、お世辞にも綺麗とは言えない有り様な部屋で。
そんな中を、先に奥へ消えた女の子を追って進んで行ったのですが、その先で私が見たのは、たった今まで一緒にいた女の子の、衰弱した遺体でした。
後日、警察から聞いた話では、死後数日が経過しており、身体には複数の打撲痕、胃の中にはほとんど何もない状態だったと。
所謂、育児放棄や虐待というものですね。
父親はいなかったそうで、母親と二人暮らし。
その母親は子供を放ったらかしにして、何日も外泊をしているような人物だったそうです。
当然、この母親は逮捕されました。
部屋で一人、母親の帰りを待ちながらまともな食事もさせてもらえずに、それでも最期まで必死に生きていたあの女の子は、きっと人恋しかったのか、誰かに自分のことを気づいてほしかったのかもしれません。
でなければ、自分を虐待する母親をそれでも待ち焦がれて、死んだ後もあの公園で帰りを待ち続けていたのでしょうか。
私にはわかりかねることですが、ただ、過去にこういう不思議な体験をしたとう、そんな話でした。




