第三十五話:五階の窓
私が以前勤めることになった病院での出来事なのですが、その病院では夜に巡回をした看護婦たちの間でおかしな噂が広まっていたんです。
それは、個室である五〇六号室に入院する患者が、夜になると何故か怯えていることが多い、といった内容のもので、なんでもその部屋に入院する患者は皆、消灯時間が過ぎた後におかしな音を聞いて疑心暗鬼になってしまうのだとか。
巡回をしている看護婦が部屋へ行くと、恐がっている様子で窓の外で何か音が聞こえた、人が壁を叩くような音が毎晩聞こえる、と頻繁に訴えられるのだというのです。
一人くらいなら、気が張って幻聴を聞いてしまったのかと思えます。
また、看護婦の一人だけが噂を広めているのなら、質の悪いおふざけとして厳しく注意をすれば良い。
ですが、その噂を囁きあっているのは一人二人ではなかったし、夜の五〇六号室に関わった看護婦全員が、患者から相談されたことがあると言い張っている。
そしてその話の中身を信用するのであれば、これまでに入院した患者のほぼ全員が最低一度は不審な音を聞いているということになるため、人間ではなく、部屋の構造等の方に何かしらの問題があるのかと、私は話を聞きながら首を傾げていました。
謎の噂話を耳にしてから一月とちょっとくらいでしたか、その病院での仕事や環境にも慣れ始めた頃、夜勤を担当していた看護婦が、幽霊を見たと大騒ぎする事態が発生してしまいまして。
その看護婦が話すには、夜に巡回をして歩いている時、五〇六号室の中を確認した際、その時は患者がおらず空室になっていたのですが、その誰もいない部屋の窓付近からペタ、ペタ、ペタ、ペタ……と手の平で壁を叩くような小さな音が聞こえてきていることに気がついたのだそうです。
これは、今まで入院していた患者が口を揃えて言っていた謎の音では。
咄嗟にそう思った看護婦が、その原因を確かめるチャンスかもしれないと窓へ近づき、そのまま窓を開けて外の様子を確認したらしいのですが、その時に、見てしまったと言うのです。
窓から顔を出して覗いた看護婦のすぐ横を、まるで蛙のような体勢でペタペタと壁に張り付きながら上へ移動していく赤い男の姿を。
その男は、看護婦のことなど気にする素振りもなく屋上へ向かって上がっていき、それを目撃した看護婦の方は悲鳴を上げながら逃げだしてしまったそうで、実際その悲鳴を聞いて驚いて目を覚ました患者が何人もいたことも確認が取れました。
この一件があったせいで、病院関係者の間では今まで以上に噂の信憑性が高まり、この五〇六号室を基本的に使用禁止にするかと話し合いになる事態にまでなったのですが、結局一時的に使用を控えただけで、すぐに元の状態に戻ってしまいました。
当然その後も、変な音がするという訴えは何度もあり、苦肉の策としてその部屋の窓を嵌め殺しにして対処をするに留まったのです。
あの病院に潜んでいたのは、何者であったのか。
どんな目的があって毎晩のように壁を上っていたのか。
霊感があるわけでもない私たちには、それらのことまで把握することはできずじまいでしたが、恐らくあの病院では今夜も、赤い男が壁を上るペタペタという音が響いているはずです。
……以上が私の話になります。ありがとうございました。




