――生気のない横顔――
ふぅ……と、芝居がかったため息を一つ吐いて、紅葉は長い一人語りを中断した。
耳鳴りが聞こえそうなくらいに静寂が満ちていたはずの会場には、紅葉が語り続けている最中にも定期的に不可解な物音が反響していた。
そしてそれは、語られる怪異が一話ずつ増えていくのに比例するかのように、ほんの僅かと言えるペースで頻度が増してきているように感じた。
「……いかがでしたでしょうか。一度に十の怪異を語らせてもらいましたが、胸に残るものには出会えたでしょうか?」
ゆるりと頭を巡らせ、一人一人の観客を眺めるような仕草をしてみせながら、紅葉はニタリと口角を上げる。
「わたしはこれまで、全国を渡り歩いてたくさんの方から多くの怪談をご提供していただいてきましたが、やはり教えていただいた中にはこれは少し人に語り聞かせるのには向いていないなと、そう判断をせざるを得ないものも多々ありました。ですが、そういった怪談も、体験された方にとっては充分に不思議で謎と恐怖に満ちた貴重な経験でもあるわけでして。そう思うからこそ、わたしは例えどんな些細な怪異譚であっても、全て忘れぬよう記憶として自分の中に刻み込んでいるのです」
どんなにつまらない没ネタも、大切な資料として保管してあるとか、そういった意味の話だろうか。
プロとしての意識と言うのなら、どんなジャンルの世界においても掛け値なしに立派なものだろう。
ここへ座り、どれくらいの時間が経過しただろう。
スマホを取り出して時間を確認したいが、生憎そんなことをすれば間違いなく目立ってしまう。
一話一話は短い怪談も、こうしてずっと聞いていれば思った以上に時間は流れ去ってしまう。
後どれくらい続くのか。途中に休憩は挟んでもらえないのか。
あれこれと疑問を頭に浮かばせながら、俺は改めて和香の様子を横目で窺った。
彼女もずっと座り続けているのだ。そろそろ疲れが滲んでくる頃のはず。
そう思い心配しながら視線を向けたのだが、和香の横顔は相変わらず微動だにしないまま空中を見つめ、無表情を決め込んでいるだけ。
何を見ているのかと視線の先を追ってみるも、そこにはライトの光が届かない暗い闇が幕のように立ち込めているだけで、気になるものは見つけることができなかった。
いったい、どうしたのだろうか。
そんなことを思い、俺は紅葉にばれぬようそっと肘を曲げ和香の腕を数回つついてみたが、和香は俺の動きに合わせて身体を揺らすだけで、全く反応を示してはくれない。
紅葉に注意されることを恐れ、緊張でもしているのか。
それともまさか、目を開けたまま眠っている……なんていうことはないだろう。と思いたい。
「さぁ、それではまた皆さんの中から何名かに、ご自身の持つ怪談をお聞かせいただきましょうか。お時間の都合もありますので、この回で皆さんからの発表は最後とさせていただきます。最後も四名、選ばせていただきますね」
俺が恋人の様子に気を取られている間にも、紅葉は進行を進めていく。
無言のまま、また背後で手の上る気配が沸き立ち、吟味するように口元へ人差し指を添えた紅葉が一人、また一人と発表者を指名していった。
今のうちにと、俺はもう一度、今度は少し強めに和香の腕へ自らの肘を当ててこちらに気づくよう促してみたが、それでも和香は人形にでもなってしまったかのように、無反応なまま前方の闇を凝視しているだけでしかなかった。
「――はい、それでは最後の発表者となる四名が決まりましたね。では、指名された順番に怪談の方を皆様へお聞かせください」
指名を終えた紅葉の顔が、一瞬だけこちらを向いたことに気づき、俺は慌てて姿勢を整える。
よくわからないが、今俺の周りで明らかにおかしなことが起きている。
そんな予感が、爆発した手榴弾のように一気に俺の身体の中に爆ぜ広がった。
ここは、何かおかしい。いつからだろうか。
この会場へ足を踏み入れた瞬間? それとも、怪談が語られている最中に少しずつ何かが歪みだしていたのか。
“グフッ……”
――と、何もいるはずのない会場の隅に溜まる闇の中から、老人が咳をするような声が聞こえた。
驚きながらそちらを見やるも、闇が濃すぎて何もわからない。
会場にいる客も紅葉も、聞こえた声を気に留める様子すら窺わせない。
おかしい、やはり何かが明らかにおかしい。
「田作です。よろしくお願いします。私は医者をしていた経験がありまして、当時病院で体験したある出来事を語らせていただきます」
先頭バッターらしい、五十代くらいと思われる男の声が、会場に響き始めた。
身動きをとることができぬまま、そしてこの場の全てを包み込む嫌な何かの正体もわからぬまま、俺はただジッと周囲に意識を向けながら、語りだされた男の話を耳の中へと招き入れた。




