第二十九話:深夜のホームで見たモノ
都内で広報関係のお仕事をされているFさんは、数年前まで電車を利用して会社へ通っていたのだそうです。
忙しい時期になると、帰りはギリギリ終電に間に合うかどうかくらいの時刻になることも珍しくなく、ちょうどその日も、終電の電車を待ってホームのベンチに座っていた。
ホームに人はほとんどおらず、数える程度の人数しか見当たらない。
Fさんの一番近くには、四十代くらいかと思われるスーツ姿の男性が、明らかに酔っているのがわかる様子でベンチに座っていた。
帰ったらシャワーを浴びて、すぐに寝るだけだな。
年が明けて、まだ一月と経過していない寒い冬の夜だったそうで、Fさんはぼんやりとした頭で帰宅後のことを考えながら電車を待っていると、間もなくしてホームに列車が到着するというアナウンスが流れた。
疲れた身体に力を入れ、憂鬱な気分で立ち上がろうとしたFさんでしたが、それよりも一瞬早く側にいた酔った男性が立ち上がり、千鳥足で線路の方へ歩きだすのを横目で見た。
随分飲んでるみたいだけど、大丈夫なのかな。
他人のことながら少し心配になりつつも、同じ車両に乗るのも何だか嫌で、Fさんが隣の車両へ乗ろうと今度こそ立ち上がりかけた正にその時――。
電車を待つ際の黄色い線、その側まで男性が歩いて行った途端、突然線路の下から真っ黒い煙のような人影が飛び上がるようにして現れ、男性の足へしがみつくようにして抱きついたのを、はっきりと見てしまった。
あまりにもいきなりの出来事に、驚く暇もなく呆気に取られるFさんが見ているほぼ正面で、その影に足を掴まれた男性はよろけるようにしてホームから線路へ転落し――その僅か数秒後、ホームへ入ってきた電車がこれまでに聞いたことのない甲高い音を鳴らしながら、男性の落ちた場所を通り過ぎた後に、停車した。
俗に言われる、人身事故というものですね。
ただ、Fさんはその事故の原因……と言うべきなのか、犯人と言うべきなのか、真相をすぐ目の前で見てしまった。
しかし、黒い人影が突然線路から飛び出し男の人を引きずり込んだと説明をして、信じる人などいるわけがない。
大体、少ないとは言え他にもホームには人がいて、男性が落ちる瞬間を目撃していた人もいたにも関わらず、誰一人問題の影に気づいた様子を窺わせる人はいなかったのだと言います。
まず駅員が駆けつけ、やがて警察や救急隊員も現れホームは騒然となったが、どうやら落ちた男性は亡くなったようで、用意されたストレッチャーも誰も乗せることなく片付けられるのを、Fさんは呆然としながら眺めていたそうです。
この出来事を経験してしまったことで、Fさんは駅のホームがトラウマとなり、これ以降駅へ近づくこと自体が恐くなってしまったのだそうで、今ではバスを利用し会社へ出勤しているのだと言っていました。




