第十七話:廃墟のトイレ
関東地方の某所に、一部のマニアの間では有名な廃墟があるそうでして。
次に話すのは、その廃墟へ興味半分で出かけたBさんというから教えていただいたものになります。
Bさんのお知り合いに、廃墟マニアと呼ばれるタイプの方がおられまして、その方は暇な時などにはよく全国各地の廃墟を巡る旅をされたりしているそうです。
ある日、Bさんはその友人に廃墟巡りに同行してほしいと頼まれました。
何でも、普段よく出かけている仲間が急用で来れなくなってしまい、廃墟の探索をする際の撮影係がいなくなってしまって困っていると。
それで、今回だけBさんについてきてもらい、自分が廃墟内を歩く姿等を撮影してくれないかと、そういう経緯があってのものでした。
投稿動画、と言うらしいですね。自分たちで作り上げた動画を、ネット上に無料でアップロードし不特定多数の方々に観てもらう。
友人はそういう活動もされていると、仰っていました。
取りあえずBさん自身には特に予定がなかったので、時間が空いたら観光をさせてくれること、そして、道中の食事代は全てその友人が出してくれるという条件を前提に、その誘いを受けることにしたのだそうです。
週末、外出するには絶好の晴天に恵まれ、Bさんは友人の車に乗せられて目的地となる廃墟へと向かいました。
場所は、詳しい住所まで教えていただけなかったため不明ですが、どこかの山中であることは間違いないそうで、その廃墟は鬱蒼とした木々に囲まれた、普通ならまず見つけられないような、目立たない場所にあったのだそうです。
途中からは車で進入することが不可能で、目的地へ到着する三十分くらい前からは、徒歩で獣道のような環境を進んでいったと説明してくれました。
そうしてどうにか廃墟へ到着すると、友人は早速朽ちてドアの無くなってしまった入口から中へと入っていってしまい、Bさんは慌ててその後を追いかけた。
元々は何の建物だったのか、いつから使われなくなったのか、その辺りの事情はBさんはもちろん、友人の方ですらよくわかってはいなかったそうで、コンクリートでできた二階建ての建物の内部を、訳もわからぬまま見て回っていました。
ひとまず友人が先行し、その少し後ろを渡されたカメラで撮影しながらBさんがついていく。
廃墟の中は荒れ果てており、窓ガラスはほぼ全てが破損し窓枠だけの状態、床は埃や窓から入り込んだのであろう枯れ葉、挙句には動物の糞等が堆積し、もうかなり以前から放置されている場所なのだということが、素人のBさんでも容易に検討がついた。
廃墟内にはほとんど残留物はなく、そういった意味では面白さに欠けるというか、見どころもないまま淡々と探索は続いていったそうです。
一階の部屋を全て見終わり、階段を上り二階へ。
山中の廃墟とは言え、外は快晴ですからそれほど暗くもなくBさん自身、恐いという印象は感じなかった。
一階同様、二階も荒れてはいたもののどこの部屋も同じようなシンプルな作りで、残留物もない。
廃墟ってのはこんな感じなのか。
Bさん、もっと不気味なイメージを抱いていたらしく、若干肩透かしをくらったような心地になりながら前を歩く友人を撮影していた。
「じゃあ、二階のトイレも一応見ていくか」
二階のちょうど中央付近に差し掛かかった頃、前を歩き動画用に一人であれこれ喋っていた友人が、Bさんを振り返り目の前のドアを指差してきた。
そこはどうやら女性用トイレのドアのようで、屋内にあるためか窓ガラスや入口のようには破損しておらず、友人が横へスライドするように引き開けるとガタガタと音をさせながらも普通にドアとしての機能を果たした。
トイレの中はそれほど広いわけでもなく、手前に手洗い場があり、奥には個室が二つ並んでいる。
入口の正面には窓があったが、そこは他の窓と同様劣化による破損で枠だけの状態になっていた。
友人が奥へと進み個室のドアを順番に開けていく。
Bさんもそれを後ろから撮影するも、やはりこれといって目立つものはない。
古びて黄ばみの目立った和式の便器がただあるだけ。
それでも友人はどうにか状況を盛り上げようと一人あれこれと喋りながら、再び廊下へ戻ろうとした時だった。
友人がトイレから出て、Bさんもそれに続こうとした瞬間、突然背後の個室からコンコンと、早いリズムでノックをするような音が響いてきた。
二人で驚きの声を漏らし、反射的に振り返ってみるも、特に何か変化が起きているわけでもなく、先程と同じように扉の閉じた個室が二つ並んでいるだけ。
「今、間違いなく音したよな?」
廊下に出ていた友人が、Bさんの肩越しにトイレの中を覗き込み訊ねてくるのに対し、Bさんも同意する意味で頷きを返した。
そうしながら、Bさんは過去に恐い漫画で読んだトイレの幽霊に関する話を、ふと思いだしたそうで。
トイレの個室に入っていると、突然誰かの足音が近づいてきて、やがてそれは目の前のドアを隔てたすぐ側でピタリと止まる。
いったい誰だろう。どうしてそこに立ったまま動かないんだろう。
そう不思議に思いながら何気なく顔を上に向けると、個室の上にある隙間から、青白い血まみれの顔が自分を見下ろしていた。
そんな話があったなと記憶を蘇らせてしまい、Bさんはどうしても意識が個室の上へと固定されてしまった。
ひょっとしたら、今にもあそこから何かが顔を出すのでは……。
そんなことを想像したら、日中にも関わらず薄気味悪さが湧き上がり、Bさんはさっさとトイレから出てしまおうと再び廊下の方へ向き直ろうとしたのだが、まるでそれを妨げるかのようなタイミングで、今度はドンッと大きくドアを叩く音が狭いトイレの中へ響き渡った。
「おい、やっぱり何か変だぞ。建物の軋みとかじゃねぇよ今のは」
慌てて廊下に逃げようとするBさんを邪魔するかたちでトイレの入口に立ち塞がる友人が、興奮した口調で言ってくる。
個室には、間違いなく何もいなかった。
普通に考えて今のような大きな音がするなんてあり得ない。
言葉にできない不安感に襲われながら、Bさんが個室の上に目線を固定していると、今度は入口を塞いでいた友人がいきなり大声をあげてその場から走りだした。
いったいどうしたのかと戸惑いながら、Bさんは走り去る友人の背中とトイレの個室を交互に見やり、そして、“それ”の存在に気がついた。
トイレの個室。その上方にばかり意識を向けていたBさんは、ふと個室の下、ほんの僅かに隙間のあるドアと床の間へ視線を落とし、その隙間からグネグネと左右に身体をくねらせながらこちらへと出てこようとしている真っ黒い人影がいるのを見てしまった。
べっこう飴のように平べったいそれは、二センチ程度の僅かな隙間から這い出て、自分の方へと向かって来ようとしている。
そのことを理解した途端、Bさんも友人同様、慌ててその場から駆け出し階段を下りると、そのまま廃墟の外へと飛び出していった。
友人もBさんも、未だにその廃墟が元は何のために建てられた建物だったのかはわからないそうで。
トイレの個室から這い出てきた、薄く潰れたような黒い人影。
もしあのまま逃げることをせず、あの異形の存在に捕まっていたなら、自分たちはいったいどうなっていたことか。
Bさんは、何年経ってもこの非現実的で不気味な光景と体験が忘れることができないのだと、後悔を滲ませた様子で嘆いておられました。




